何時もは正月三が日にお参りしてお札を受けていましたが今年は4日にゆっくりお参りしました。
お昼少し前にまったく道路に雪が無い周山街道を走って嵯峨野にでてケンタッキーフライドチキンで妻とランチセットを食べて松尾大社へ。
何時もはこの時期駐車場も一杯、参道の両脇には屋台と人がギッシリでしたが、コロナ騒ぎで屋台は無し、人もまばらでガラガラでした。
困った時の神頼み、疫病退散を祈願して始まった祇園祭も昨年は中止でした。
何のための神社信仰?日本人は神を祭り、神に願って幾多の国難を乗り切ってきた民族なのに、どうなってしまったのでしょう?
信仰心を失った日本民族に対する神の啓示ではないのかと私は思います。
これは信者よりも観光客に浮かれた神社界に対する神様からの警告でもあります。
以前読んだ、何処かの神職が書かれた文章を私は大切に思っています。
「日本人は 良心を持った人たちが 神さまを祭れば 必ず良いことが起こると信じてきました」私はこの文言を名刺に書いて見てもらっています。
神祭りの主催者神主がビビッてどうするのだ。頑張ろうよ、神主ども!
観光客が戻らないうちに信仰者のための神社信仰に戻そうよ。
神祭りは何も神社へ毎日出かけなくても神宮大麻(伊勢神宮のお札、地域の氏神様で受けられます)と住んでいるところの氏神様のお札を神棚に祭り、毎朝お参りすることも立派な神祭りなのです。
祭りは観光客を集めるイベントではないということを再確認する良いチャンスです。
先にも書いた「困った時の神頼み」。日本人の信仰はこれから始まりこれで終わる、で良いのです。
「感謝」「お礼参り」は聞いてもらってからでも間に合います。
不幸や災難は神さまにも分担してもらい切り抜けてきたのが日本人の習慣でした。
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