諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

身近で見る芭蕉 「おくのほそ道」-序

2008-07-03 15:31:10 | 日記・エッセイ・コラム

Pap_0016  「  月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老いをむかえる物は、日々旅にして旅を棲家とす。

  古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、」・・・芭蕉、旅立ちの冒頭である。

      「 松尾芭蕉という不出生の俳諧師が全才能を傾けて執筆し、推敲を重ねた結果生まれた。日本の紀行文中最高の傑作である。」(「おくのほそ道」全訳注 久富 哲雄)

 ★  私も、芭蕉が好きである。、まだ、学生の頃、冬休みの帰省は、浅草から私鉄を利用した。約2時間半で田舎の小駅に着く。改札口を出て、少し歩くと橋にかかる。其処からは、関東平野北辺特有の、隔てるものが、全くない広大な天空が覗えた。凍てつく風に吹き払われ、その空は、透明感を持って、頭上に展開した。天の川は、白鳥座を伴い南西に流れ、見事なまでに輝き立っていた。その時、決まって、「 荒海や 佐渡によこたふ 天の川 」 を口にしたものである。(今は、周囲を工業団地・公園の夜間照明ですっかり明るくなり、その光景は、もう、二度と見られないだろう。)

 ★  散歩の途中に見かける合歓の花、梅雨の合間の光る青葉、復元された城址公園。、芭蕉の世界をイメージさせるもが、結構ある。身近で見る「 おくのほそ道 」 を旅することにした。ただし、時系列で追っては、上手くいかない。したがって、この旅は、時空間を移動する。今日、白河の関に居たが、いつの間にか日光に戻っている。こんな調子。これより以下は、タイトルを「おくのほそ道」 Vol・2・・・・とする。

 ★  添付写真は、「 太平記 」の里、新田義貞ゆかりの城址公園から南東の眺望である。私は、過って、地方の小さい広告業界いた。その頃、市内のショッピング・センターに、元旦号を依頼され、「新年」を象徴するために、ここから、朝日の昇る瞬間を撮ったことがある。ダイヤ・フオ-カス・ヒイルターを付けて,日を十字に光らせた。

 正確なコピーは、忘れたが、16万年前は、此処は、海の底であった・・・。悠久の大地から日は昇る・・・。といったものだった。実際に、この山の北部の方は、宅地開発が進んでいて、小高い岡を切り崩した所に行って、拳大の土くれを割って見ると、1cm程度の貝殻がすぐに見つかった。「 月日 」も単位を変えれば、そこは、貝の棲家であった。まだ、人間の漂泊の旅は、始まって間もないのだ。

    曲折の  塵払いつつ  余生かな  夢  蔡

      

    

    

    

  

   

 

  


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