諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

生物との共存についての一考察・続

2008-08-18 10:53:07 | 日記・エッセイ・コラム

   Ca390126_2                     ♪ めだかの学校は  川の中  そ~とのぞいて みてごらん   そ~とのぞてみてごらん   みんなで おゆうぎしているよ~♯ 

  (作詞 茶木 滋  作曲 中田良直) 

♪ めだかの学校は  かなしい~な ~#   水に流れて つ~いつい  水に流れて  つ~いつい みんなでそろって つ~いつい ~♯  

  (写真は、増水した水路 幅60cm×深さ80cm)

▼ 激しい雷雨が、2時間ほど続いた。直線的な灌漑用の水路は、アット言う間の増水である。これは、最早、生きものが、棲める環境ではない。将に、【 メダカの危機! 】である。かって、この付近の田んぼっ川は、あっちこっち 曲がりくねっており、所どころに、淀みがあって、水草が繁茂して、水生生物の生活の場を保障していた。メダカ・ドジョウ・ハヤ・タナゴ・スナメ・ナマズ・・ゲンゴロウ・タガメ・ミズスマシ・ヤゴ・カワニナ・・・。しかし、これらの生物たちの生存圏は、奪われた。、しかもだ。、水路は、人間の 腰のくらいまでの深さである。ウッカリ、人が 入いったりすれば、確実に、濁流の勢いに押され流されるだろう。これは、もう、最悪の事態を招く場合がある。

▼ 以下の引用は、7年前の記事からである。目まぐるし変化する世の中だし、7年という、時間の流れは、大きい。しかし、今日至って、この「 社会の木鐸 」の警句を、検討して見るのも、また、一興だろう。

★ 2001年(平成13年)・5月21日  朝日新聞 社説 。 

『 世紀を築く  47 』----   【 どう図る、生物との共存 】

《 「にぎわいが消えた水田」  メダカは水田や水路、それにつながる池や小川を生息域にしている。・・・戦後、水路や川の護岸が次つぎとコンクリート化した。水系は断ち切られ、水の流れは、メダカが泳げないほど速まった。水田は大規模化した。管理しやすいように、稲刈り後に田が乾ききるほど水はけをよくしたことも、メダカの減少に拍車をかけた。農薬の影響も指摘されている、確かに水田の生産性向上し、農家のきつい農作業は軽減された。【メダカの危機」】は、その代償といえるだろう。》

▼ 更に、社説は続く。《 「 生きものと水田の共存を回復させることで、農業と地域の有り方を考える試みが、ささやかながら始まっている。」 》

《 「ふたつの小さな試み」 ★ ① 栃木県内の農村で去年の春、2階だての水路が誕生した。水田整備でつくられた深い水路を暗渠にして、その上を土の水路が通る。 約700Mと短いもだが、まずはドジョウやタガメが戻ってきた。草刈りなど、手間のかかる水路の管理は住民グループが協力し、畦には野生のカキツバタやショウブを植えた。ドジョウなどに配慮し、除草剤の散布を控えた農家もあるという。安全な米を求める消費者願いにもかなっている。 ★ ② 農水省も「生態系保全型水田整備推進事業」と名付けt試みに乗り出す。部分的ではあるが、コンクリート水路の底を土にしたり、流れが緩やかなよどみをつくったりした水路がある。そこに、どんな生きものがくらしているか。今年度から、2億円をかけて調査する。そのデータを農家に提供することで、生態系に配慮した水田のあり方を共に探っていきたいという。》

★ そして、社説は、問題提起をする。

《「 「どんな世界に住みたいか」  生産性を追い求める農政から環境保全型農業への転換は、口で言うほど容易ではない。水田整備のあり方や農法の見直しにもつながってくる。そのためにに生じるコストを社会的にどう負担するか、と言うハードルを避けて通ることはできない。たとえば、手間をかけた高い農作物をどう受け入れるか。農家の後継者不足が深刻で草刈りも間々ならないのに、誰がその環境を維持していゆくのか。・・・・・メダカとともに、私たちはなにかを失いつつあるのではないか。ありふれた小さな生きものがいた風景を、もう一度思い出してみたい。 》

★ 社説は、真に上手く出来上がっている。美しい物語には、だれしも説得されそうである。しかし、「 世紀を築く 」の結び部分としては、如何にも、情緒的なのだ。 

 「メダカとともに、私たちはなにかを失いつつあるのではないか。」 いや、「失ってしまった」のだ。ここから、出発するべきだろう。かって、教科書にも載っていた、「八郎潟干拓事業」、 近くは、「大村湾干拓事業」は、最初から生態系など、無視されている。食料の自給率の低さは、日本にとっては、積年のテーマである。生産性を追い求める農政は、在ってしかるべきだ。しかし、「八郎潟」のあの末路を、なんと理解すれば良いのか。

  ▼ 人々の声が響く、田んぼの風景は、既に、無くなり、「 どう図る、生物との共存 」 は、在りえない世界となる。

  ▼  ①のような試みは、今風な、市民文化活動風である。最低10町~20町歩を、引き受け耕作する、専業農家とっては、米生産過程の中には、組み入れがたいだろう。


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