諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

ピラカンサスは、火の棘といふ

2009-10-17 22:14:10 | 日記・エッセイ・コラム

  秋日射す 庭に一人居 枝打ちす ピラカンサスは 火の棘といふ   ー夢 蔡ー

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  「一生に二度とは帰って来ないいのちの一秒だ。俺はその一秒いとしい。ただ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利だ。・・・おれは、命を愛するから歌を作る。」ー石川 啄木・〔一利己主義者と友人との対話)ー

  最近になって、この近所に短歌を長年やっている老婦人がいることを知った。機会があって、短歌についての話を聞いた。参考にと、彼女の自費出版の歌集『返り花』を頂戴した。

  独り居と 言えばあわれむ まなざしを 撥ね返し来て 心あらぶる

  雨の日の 出会ひ秘かに 封印し 折り目正しく 閉ざす雨傘  -保 世ー

   昭和5年生まれ、80歳である。歌に現れているように、その精神性は、いまだ激しさを秘めていて、しかも、若々しい感受性を含んでいる。啄木の言葉は、この老婦人にピッタリであろうと思い、書きこんだ。

 彼女に触発されて、初めて短歌なるものを作ってみた。冒頭に書き込んだ。さて、保世先生に添削して頂いたら、何んと言われることか。【短歌作りは、まず、印象に残った事象を、よく観察することから始めるのです。また、日々の自分史を簡単にノートすること。要は、言葉にして見る事です。】と言う。

 ■ ピラカンサスの実を、アメリカシロヒトリの幼虫が食んでいた。

 ピラカンサスを観察していると、こんな珍しい風景に出会ってしまった。シロヒトリは、もうじき、家の軒下などに這い登り、そこで蛹化して冬越しの体制に入るはずである。その為の、本来の葉を十分に食べられなかったのか?越冬体力の補給だろうか。

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  若き日は 命のかぎり と歌いしか ピラカンサスは 日の棘といふ  -夢  蔡ー

 ピラカンサスは、噛んでみると、渋い。ウメモドキは、果肉トロリとしているが、相当にがい。『若さは、猶予の時でもある。間違いを畏れるな。貪欲に手を出してみることが、必要なのだ。』 学生のころに、物知り顔の先輩に言われたことがある。勉強不足なのは、明らかなのに、相当に乱暴な事も平気で言ってのけた。目標への手段が、まだ十分に手にしていないのに、意志は燃えていた。

  ヒヨドリ、オナガ、ムクドリは、群れをなして、欅に飛来する季節となった。巨木になってしまった柿は、到底、人の手はとどかない。梢の柿は熟れて甘いのだろう。彼らは、周遊して啄ばむ。ピラカンサスやウメモドキに鳥たちが、手を出すのは、強い木枯らしが吹き始めてからである。 


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