栗について、最初の書き込みをしたのが、5月末日でした。、木イッパイに付け、あたり一面に、あの独特の匂いを、憚ることなく発散させたのは、雄花群でした。それに囲まれた5㍉くらいの可愛い雌花も、ようよう約3ヶ月経ち、甘い栗の実となりました。
瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ ・・・ (万葉集 巻5-802) 山上 憶良は、この様に詠っております。1200年も前のことです。栗は、古来より日本人の生活に密着した食べ物であることは、知られるところです。梨、葡萄に比べると、けっして、派手さは在りませんが、少し物悲しい情緒、抒情を詠うには、もってこいの小物ではなでしょうか。
■ イガイガから顔を覗かせた栗 〔6月 栗の花の写真と同じ位置)
♪ 静かな 静かな 里の秋 / お背戸に木の実 落ちる夜は / ああ母さんと ただ二人 栗の実煮てます 囲炉ばた~#
平成9年に【日本の歌 百選 】に選ばれました「里の秋」であります。たいへんに懐かしい旋律で、心の奥底に浸みつております。栗の実を見たりしますと、思わず、此のメロデーを口ずさんでしまいます。
♪ 明るい 明るい 星の空 / 鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は / ああ父さんの あの笑顔 / 栗の実食べては / 思い出す ~#
今年も、メロデーを頭に浮かべながら、十分に賞味いたしました。しかし、この「栗の実食べては ~ 思い出す~♪」は、重みのある歴史を背負っておりました。『里の秋』は、昭和20年12月24日、NHK放送の【 外地引揚同胞激励の午後 】のテーマ曲で、斉藤信夫・作詞で、童謡歌子の川田正子が歌い、当時の時代風潮に合っていたのでしょうか、爆発的にヒットしたということです。(詳しくは、ネット上の『里の秋』に譲りますが・・。)
・・・・ ああ父さんよ ご無事でと / 今夜も 母さんと祈ります~♪
敗戦の日から、半年後に、ラジオから流れた哀調のあるメロデーは、外地から、まだ帰って来ない(当然、消息もわからない・・。)父・夫・兄弟をまっていた家庭では、とりわけ心に響いたのではないでしょうか。
敗戦には、660万人もの人たちが、外地にいたとされております。とりわけ、満州・樺太・千島には、民間人が多く、引揚の途中は、孤立無援で、それは、凄惨をを極める逃避行あった事は、後に実情が、明らかになることです。
国策の誤りと、事後処理について何も考えていない無責任体制の結果、置き去りにされた民間人は、置き去り難民・棄民となりました。こう言う事は、二度と繰り返してはいけません。
カー・ラジオから偶然、モノラル録音の川田正子の歌声が聞こえてきました。少し雑音交じりです。いたいけのない少女が、時代を背負い、一所懸命声を張り上げて歌う様子が覗われて、懐かしいものでした。
平和な世界にこそ、風雅はあり得るのです。
いが栗の 木暗き中に はじけ落ち 夢 蔡
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