諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

栗は実った。 栗の風雅その後・3

2009-09-18 10:40:20 | 日記・エッセイ・コラム

  栗について、最初の書き込みをしたのが、5月末日でした。、木イッパイに付け、あたり一面に、あの独特の匂いを、憚ることなく発散させたのは、雄花群でした。それに囲まれた5㍉くらいの可愛い雌花も、ようよう約3ヶ月経ち、甘い栗の実となりました。

  瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ ・・・ (万葉集 巻5-802) 山上 憶良は、この様に詠っております。1200年も前のことです。栗は、古来より日本人の生活に密着した食べ物であることは、知られるところです。梨、葡萄に比べると、けっして、派手さは在りませんが、少し物悲しい情緒、抒情を詠うには、もってこいの小物ではなでしょうか。

  ■ イガイガから顔を覗かせた栗 〔6月 栗の花の写真と同じ位置)

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  ♪ 静かな 静かな 里の秋  /  お背戸に木の実 落ちる夜は  /   ああ母さんと ただ二人  栗の実煮てます  囲炉ばた~#

  平成9年に【日本の歌 百選 】に選ばれました「里の秋」であります。たいへんに懐かしい旋律で、心の奥底に浸みつております。栗の実を見たりしますと、思わず、此のメロデーを口ずさんでしまいます。

  ♪ 明るい 明るい 星の空  /  鳴き鳴き夜鴨の  渡る夜は  / ああ父さんの  あの笑顔  /  栗の実食べては  /  思い出す ~#

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  今年も、メロデーを頭に浮かべながら、十分に賞味いたしました。しかし、この「栗の実食べては ~ 思い出す~♪」は、重みのある歴史を背負っておりました。『里の秋』は、昭和20年12月24日、NHK放送の【 外地引揚同胞激励の午後 】のテーマ曲で、斉藤信夫・作詞で、童謡歌子の川田正子が歌い、当時の時代風潮に合っていたのでしょうか、爆発的にヒットしたということです。(詳しくは、ネット上の『里の秋』に譲りますが・・。)

  ・・・・  ああ父さんよ ご無事でと /  今夜も  母さんと祈ります~♪

  敗戦の日から、半年後に、ラジオから流れた哀調のあるメロデーは、外地から、まだ帰って来ない(当然、消息もわからない・・。)父・夫・兄弟をまっていた家庭では、とりわけ心に響いたのではないでしょうか。

  敗戦には、660万人もの人たちが、外地にいたとされております。とりわけ、満州・樺太・千島には、民間人が多く、引揚の途中は、孤立無援で、それは、凄惨をを極める逃避行あった事は、後に実情が、明らかになることです。

  国策の誤りと、事後処理について何も考えていない無責任体制の結果、置き去りにされた民間人は、置き去り難民・棄民となりました。こう言う事は、二度と繰り返してはいけません。

  カー・ラジオから偶然、モノラル録音の川田正子の歌声が聞こえてきました。少し雑音交じりです。いたいけのない少女が、時代を背負い、一所懸命声を張り上げて歌う様子が覗われて、懐かしいものでした。

  平和な世界にこそ、風雅はあり得るのです。

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  いが栗の  木暗き中に はじけ落ち   夢  蔡

  

  

  

  

  

 

  

 

  

   


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