諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

早春の田園風景

2019-02-20 11:35:23 | 日記

 

  光さし 条々(じょうじょう)として 麦青む

        田は蘇(よみがえ)り  来たれ雲雀よ  夢蔡

 

 写真の中央奥に、浅間嶺がかすかに見える。右隅は、榛名連山である。

 格別の特徴があるわけではないが、関東北隅の早春の田園風景である。

 この地方は、二毛作地帯である。

 麦の生産量は、全国トップクラスである。

 しかし、麦は、あくまでも、米の補完作物である。

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 米は、生産者・農家の自由にならず、管理統制されていた。

 律令制度から荘園主のもの、藩主・大名のものであった。 

 戦時中の「供出」管理も、そのうちへ入るであろう。

  80歳の老人が、戦時中に母親が、ひそかに、子供には米のご飯を

 食べさせてくれたと、感激して話していた。

 彼の実家は、中程度の農家であったにもかかわらずである。

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 いずれにしても、米は、収入源であった。

 昭和30年のはじめ頃まで、麦飯が普通で、冬の夜は、”煮ぼうと。

 夏は、付け麺であった。食べ物としては、米の消費は控える。、

 この地方の青年男子は、うどんを打つことが出来た。

 小麦粉の文化、うどん文化は、今日では繁盛して美しい物語だ。

 そして、早春の麦畑が広がる田園は美しい。

 しかし、そこには、米生産者の【哀史】が眠っているのである

 ★前出の写真中央を拡大した。

 

    麦萌えて 条々として 遠浅間  夢蔡

 

               -----<了>----