最近、我が家の周りはスクラップアンドビルドが進んでいる。その平凡な日常の風景に変化があると何となく落ち着かなくなる。
以前にもブログに書いたが、斜め前にあった庭の美しい家も住んでいらしたおばあさんが亡くなって、手入れのよく行き届いた庭も草木が生え放題、梅やボケは相変わらず綺麗に咲いていたが、気がつけば庭は荒れ果て、更地にされて2年ほどで相続のために売却となった。
そして、昨年話題のシェアハウスになってしまった。ただ、『かぼちゃの馬車』の問題が発生したことが原因かはわからないがいつまでたっても入居者ゼロ。ところが今年になって沢山のフィリピンの女性が入居してきた。話を聴くとある清掃会社が借り上げて従業員寮のようにしたらしい。灯が一つもつかない建物よりは良くなったのかもしれないが。
我が家から少し歩いたところに2棟のアパートがあった。こちらもかなり広い敷地であったが、ふと気づくと真っ暗になり、住人が居なくなっていた。アパート自体には興味はなかったが、気になっていたのが土地の真ん中に生えていたセコイヤの木。落葉樹のセコイヤは春から葉が生えてきて繁る。その状態ではかなり大きく感じるが、11月後半から葉が茶色になり、葉を落とす。(これは2016年11月)
冬の間は枝だけになり、かなり寂しい。(2019年1月)しかし、また新芽を出すという繰り返しで通勤路の途中ということもあり、四季を感じていた。
しかし、あっという間にセコイヤは切られてしまったのである。セコイヤに何かの縁があった訳ではないが、毎日見ていた大きな木が失われたことはいつもあったものを失ったような寂しい気分になった。ただそれだけのことだが。