『東京の坂、日本の坂』その183。今回は西武新宿線中井駅から坂を巡りながら高田馬場駅を目指すことにした。一部かなり前に行ったことはあるが、久しぶりなので既訪問の坂道も歩く。
中井駅は今も昔も山手通りの高架下にある。北口に出てまっすぐ歩くと山手通りに出る石段が出てくる。
これを登り、山手通りを北に向かい歩き始める。今から40年位前にこの地で集金をしていたが、基本的な道は変わっていない。
新目白通りとの交差点手前に戻るようにある坂道が『山手坂』。坂下には案内板もあり、登るが細く勾配が急な坂である。坂上から一方通行となっている。
山手坂を降り、左に曲がっていく坂道が『振り子坂』である。ブログなどを読んでいると大正時代にはこの2つの坂は既に名付けられていたようである。
お屋敷が多く、確かこの辺りに赤尾の豆単で有名な旺文社社長の赤尾敏夫氏の屋敷があったことを覚えている。
山手通りを渡り、少し左へ。2本目の道はまずは階段、これを上がると見晴らしがいい。そのまままっすぐに歩くと急に勾配のきつい下り坂となっていく。
この坂道が『六天坂』である。勾配はどんどんきつくなっていく。説明板には『大正時代に新たに開かれた道。
(坂下の案内標識)
坂の上に第六天の祠があったことから付けられた名前』とある。取り敢えずこの坂道は下まで降りる。
左に曲がると次の上り坂は『見晴し坂』である。先ほどの六天坂と並行しているため、どれだけ登りがきついかは想像された。実際に登ると左右に蛇行しながら、やや細い坂道を登る羽目になる。後ろから傘を差したおばあちゃんが登ってくるが、何回も休みながらしか難しいようだ。
(坂上の案内標識)
上に登るとさらに勾配がきつくなっていき、ようやく登り切る。振り返ると今も高層ビル群がよく見える。昔は高い建物もなく、素晴らしい眺望だったのだろう。それにしてもここから富士山が見えたなら最高だろう。(以下、次回)