今回は日暮里駅を降りて『根岸の里』と言われていた辺りから歩いてみる。久しぶりに日暮里駅を降りると以前とは大きく変わってしまった。駄菓子や花火、衣料、服地などの中小の問屋が軒を並べたあたりは新交通システムの始発駅となり、高層化が進み、さらにバスターミナルも整備されている。
駅前には太田道灌の有名な山吹の歌を元にした像、これは迫力がある。『七重八重 花はさけども山吹の 蓑ひとつだになきぞ悲しき』
線路沿いに上野方向に歩くと商店街となっている。ただ、この商店街はかなり庶民的で古くからの看板造りの商店もまだまだ現役で、この時代の建物好きには答えられない。
右手に大きく『羽二重』の暖簾がかかっているのは羽二重団子さんである。かつては山手線の線路から下る芋坂下にあった藤の木茶屋と名乗っていたが、今は代表する商品を店の名前としている。
通りの反対には善性寺、日蓮宗の古刹で徳川6代将軍家宣の生母長昌院を葬っていらい将軍ゆかりの寺となり、家宣の弟、松平清武がここに隠棲したため、家宣の御成もあったのである。お隣には隼人稲荷神社もある。
芋坂だった辺りを歩いたが、かつての急であった部分が跨線橋となっており、緩くて短い坂道が残されている。
羽二重団子を右手に曲がり、広い道にぶつかるあたりに『御隠殿橋』の説明版がある。御院殿とは上野寛永寺貫主輪王寺宮の隠居所のことを言い、今は暗渠となった音無川にかかる橋を読んだ。さらに山手線などが作られる前には谷中墓地まで行く急な上り坂があったが、これも御隠殿坂とよんでいた。しかし、芋坂同様、今は跨線橋に姿を変えてしまっている。
先程歩いてきた道から跨線橋に向かう途中を左に折れるとすぐのところに『根岸薬師寺』という看板が建てられている。曲がると奥に根岸薬師を示す白い柱、この辺りに輪王寺宮別邸の御隠殿があったらしく、そばにはその復元図がある。3000坪を超える庭園でかなりの規模のようである。(以下、次回)