『古刹を巡る』その44。JR成田駅から10分以上歩いて成田山新勝寺の山門に到着。名刹で初詣には明治神宮に次ぐ参拝客がある寺社だが、参道は意外に狭く、坂も多い。
成田山新勝寺は平将門の乱に際して939年に朱雀天皇の命により寛朝僧正を東国に遣わせたことが起源と言われる。そして空海作の不動明王像を報じて東国に渡り、不動護摩の儀式をした940年を開基としている。その後、戦国時代頃には没落したが、江戸時代に入り、江戸で積極的に出開帳を行ない、さらに人気歌舞伎役者市川団十郎が強く信仰、屋号を成田屋にしたことなどもあり、江戸庶民の信仰を集めた。
まずは総門から境内に入り、立派な灯籠が並ぶ参道を進むと仁王門に到着。『魚がし』と書かれた赤い提灯と左右には密迹金剛・那羅延金剛の二尊が門を守っている。
これをくぐると小さな橋があり、下には池。周りには多くの石碑が建っている。江戸時代のものもあるようで字がよく読めないものもある。
そして石段を登ると前には巨大な大本堂、右手には三重塔が見えてくる。三重塔は他の建物が新しい中、1712年に建立された重要文化財で高さは25mある。色彩も鮮やかで周囲には16羅漢の彫刻が施されている。
大本堂は浅草寺同様、内陣との間にガラスが嵌めてあり、中はあまりよく見えないが、とにかく大きい。ここでも相変わらず外国人の姿が目立つ。
大本堂の奥には1858年に作られた釈迦堂があるが、これは元の本堂。また、寺務所を兼ねた光輪閣も大きな建物である。現在は本堂横で菊花展が開催されているが、まだ菊は殆ど咲いておらず残念であった。
他にも大師堂や光明堂など見るところは多いが、建物も敷地も広大でしかも雨にも祟られたため、このあたりで参詣を終わり、また、成田駅に向かった。