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『井の頭線気まぐれ各駅停車』その5。この企画も大変久しぶり、高井戸、三鷹台に続き、今回は明大前駅を降りてぐるりと歩き回る。
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まずは明大前駅の沿革から書いてみる。ご存知の通り、明大前は京王線と井の頭線が交差しているが、先に駅を作ったのは1913年京王線の前身である京王電気軌道で当初は『火薬庫前駅』という名前であった。(その後すぐに松原駅に名称は変更された。)
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一方、井の頭線の前身である帝都電鉄は1933年に西松原駅として開業、当初は駅が300mほど下高井戸駅方向に離れていた。そこに明治大学予科が移転してきて京王線の方が駅を動かして井の頭線との乗り換え駅となったのが1935年である。
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明大前駅は入口が一つ、出ると目の前が明大通り、これを右に歩いて行く。向こうからは明治大学の学生がやってくるので大学の方向はわかりやすい。
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すぐに甲州街道、上を首都高速4号線が通っているが、その中間に長い歩道橋があり、渡りきると明治大学和泉校舎入口が出てくる。今は新しい立派な校舎に立て代わり、かつての男だらけのイメージを払拭、女子大生も多い。これも北川景子の影響かな。
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校舎には入らず、甲州街道を八王子方向に歩き出すとかつて江戸時代に塩樟脳蔵が存在したことを示す案内板が出てくる。それによると23000平米の規模があったという。
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その先には築地本願寺和田堀廟所が現れる。
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関東大震災で築地本願寺が焼失、廟所だけはこの地が陸軍から払い下げられ、1930年に作られた。一旦、1945年の空襲で焼失したが、1953年には建物も再興されている。立派な公園式墓地で樋口一葉、海音寺潮五郎、古賀政男、水谷八重子など著名人の墓所もある。
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中に入るとインド風の建物、周りには広い墓地、そして奥には都立永福学園がある。(以下次回)