『東京の坂、江戸の坂』その109。今回は東京メトロ丸ノ内線新大塚駅を降りての坂巡り。新大塚駅は春日通りに面しているが、これをまずは大塚5丁目方向に歩く。このあたりは豊島区と文京区の区界にあるが、細い道が続く。しばらく行くとボードレールやマラルメなどフランス文学の研究で知られる鈴木信太郎氏の記念館がある。
その先に比較的広い道路・坂下通りが出てくるが、この通りは不忍通りから分かれ、サンシャインまで続く。サンシャインは巣鴨拘置所の跡地であり、大平洋戦争の戦犯が留置されていたのだが、そこに続くため、地元ではこの道を監獄街道と称していた。
信号には『開運坂下』とあるが、ここから垂直に生長の家の方に登る坂が『開運坂』である。坂は突き当たり、左の方にクランクして行くのだが、明治時代には突き当たりに嘉納治五郎の屋敷及び講道館があった。
坂の名前の由来ははっきりしないが、嘉納治五郎がつけたのかもしれない。
新大塚駅まで戻り、春日通りを反対側に渡る。右手の方に歩くと都立大塚病院、さらに大塚公園が見えてくる。意外に大きな公園で噴水もある。
これを左に曲がり、都営住宅を越えて10分ほど歩くとバス通りに出る。これを左に曲がり、次の信号を右手に行くと坂道となる。この坂道が『宮坂』、ここも豊島区と文京区の区界となる。
坂の名前の由来は明治時代に有栖川宮熾仁親王の屋敷があり、のちに宅地開発した際にこの坂道が造成されたが、故事にちなみ宮坂としたもの。
坂道をまた降りて左に歩く。次の信号を左に行くと道が細くなり、坂となる。この坂道が『砂利場坂』。護国寺造営の際の砂利取り場であったためついたのだが、当時は千川が近くを流れていたのだろうか。(以下、次回)