兜町の東京証券取引所の前にあるのが、鎧橋である。『兜』と『鎧』が隣り合わせにあるというのも、よくできた話と思うが、やはり伝説がある。また、ここに橋ができたのは明治時代で、それまでは『鎧の渡し』が日本橋川の渡し場としてあったものらしい。
伝説では平安時代は入江が深く入り込み、下総への渡し場として利用されていたこの地に源頼家(または頼義)が奥州平定の途中立ち寄った際に、暴風雨に会い、渡し舟が沈みそうになった時、鎧を海神に捧げたところ、無事渡ることができたというもの。それでこのあたりを鎧が淵と呼ぶようになったと云われる。
一方、兜町の起源は平将門が兜を埋めて塚にした所を兜山というのが由来。もう一つの説は鎧の伝説の源義家が都に戻る際に今後の安寧を祈念してこの辺りに兜を埋めたという故事で、兜神社の縁起にある。
鎧橋は1872年に三井・小野・島田の三家が金を出し合い木の橋を作ったのが、初代。1888年にブラットトラス型の鉄橋となり、その後は都電も走っていた。今の橋は1957年にゲルバー桁橋として架け替えられたもの。
明治に私費を投じて架けられた頃は、茅場町・八丁堀と小網町・蠣殻町を結ぶ唯一の橋でかなりの賑わう交通の要所であったらしいが、今の静かさからはなかなか往時を偲べない。