『鉄道シリーズ』その165。今日で私も64歳となる。64歳は中途半端な年回り、年金開始も最近の定年も65歳であり、職場に席を見つけるのも難しい。その中でまだ現役で働くことができることに感謝しなくてはいけない。もちろん、親の世代ならば60歳以降は悠々自適の生活をしていたのだろう。
一方、肉体の方は腰から来る足の痛みなどで昨年の今頃は歩くことにも苦労していたが、医師も含めて色々な療法で日常生活には支障がなくなった。ただ、例えば視力や聴力あたりは歳をくったと感じる事も多い。
一方、肉体の方は腰から来る足の痛みなどで昨年の今頃は歩くことにも苦労していたが、医師も含めて色々な療法で日常生活には支障がなくなった。ただ、例えば視力や聴力あたりは歳をくったと感じる事も多い。
ところで今年の誕生日企画は今から64年前の鉄道事情を日本交通公社発行1958年10月時刻表をめくって調べることにした。本来ならば誕生日の1958年7月号がほしいのだが、20年以上古本屋やサイトを調べても出てこないのである。
1958年当時はまだ新幹線などなく(1964年10月東海道新幹線開業)、東京から大阪までは在来線特急で6時間半かかった。しかも東京発では『つばめ』東京900→大阪1630、『はと』東京1230→大阪2000の昼行特急2本しかなく、急行ならば『なにわ』東京930→大阪1848(9時間18分)と大幅に時間がかかる。ただ、コストセーブする場合は各駅停車で121列車(東京0500→大阪1829、13時間29分)、123列車(東京0605→大阪1930、13時間25分)と言った直通列車もあった。東京駅発の各駅停車の行先も豊橋、京都、名古屋、米原、岡崎などバラエティに富んでいて、最も遠いものは111列車(東京1420→門司2012、35時間40分)と言った猛者も走っていた。
東海道本線を見ていると当時の事情が見えて来る。私の両親も京都で結婚して伊勢志摩に新婚旅行に行ったのだが、関東圏の人は伊豆方面に新婚旅行に行ったのだろう。優等列車が少なかった当時でも毎週土曜には準急はつしま(東京1325→伊東1535)、準急たちばな(東京1400→伊東1554、修善寺1656)、準急いこい(東京1430→伊東1645、修善寺1715)、準急十国(東京1455→熱海1622)、準急いでゆ(東京1500→伊東1656、修善寺1730)と5本も運転されていた。
時刻表の写真のページを見ると観光地の紹介があり、戸倉温泉、熊野市獅子岩、庄川峡(富山県)、松島瑞巌寺、島原市森岳城址、長崎市崇福寺、高千穂峡が載っている。『島原市森岳城址』は聞きなれなかったが、これは島原城のことで、当時はまだ城の建物がなく、1960年に西櫓、1964年に本丸が再建されたのである。
さらに次のページには『国鉄写真ニュース』には1958年10月のダイヤ改正で登場した特急あさかぜに新型車両が供用されたことが載っている。20系車両は当時の最先端技術を駆使したもので、冷暖房完備で快適との触れ込み。車両の塗色を青くしたところから『ブルートレイン』と言われた。当時は東京発1830→博多1140、17時間10分であったが、全12両のうち2等A寝台1、B寝台2、3等寝台5、と8両は寝台車だったが、2等座席1、3等座席2、食堂車1という編成だった。(写メの下に載っているのは3等車両である。)
広告を見ても面白く懐かしい。表2には『長銀のワリチョー』。他にも『いちばんおいしいタカラビール』『ディーゼル車はいすゞ トラック・バス・ヒルマン』。今はなくなった会社、ビール、当時流行の自動車など名前を聞くだけで懐かしい。ただ、『ヒルマン』『パッカード』『ルノー』と言っても車の型を想像できる人はかなりの年齢に限られてしまうかも。
あーあ、それにしても誕生日が嬉しくなくなったのはいつなんだろうか、とふと考える。