『久我山散歩』その1。非常事態宣言が再び発出され、『hokutoの気まぐれ散歩』もいよいよピンチ。散歩と言っても遠くに行く訳にいかず、久我山あたりをウロウロすることくらいしか浮かばない。
取り敢えず我が家から久我山駅に向かう途中を左に曲がった所に『久我山墓地』があったことを思い出し、向かってみる。するとあるお宅の前を通った際に上から見下ろされている気配がして、右上を見ると給湯器の上に白黒の猫がちんまりと座っている。
この猫比較的大きいのだが、ちょうど給湯器のサイズにぴったり、しかも私が写メを向けても動かない。
その突き当たりに『久我山墓地』はある。立て札によるとこの隣地に明治初期までは光明寺という寺があったが、廃仏毀釈で廃寺となり、墓地だけが取り残されたらしい。
墓地の入り口に地蔵堂があり、奥には4基の石仏が並んでいる。杉並区の登録文化財となっており、左側から舟形の地蔵菩薩立像、1665年11月に造営されていて庚申塔でもある。
お隣の地蔵菩薩立像は1719年11月造立、願主は久我山村の大熊喜右衛門である。その隣も地蔵菩薩立像で1708年11月造立、施主は蔵本左兵衛。右端は聖観音のもので1670年造立、いずれも江戸時代のものだが、これらは久我山のあちこちから移されたものといわれている。さらに小さめの六地蔵がならんでいるが、これが通りの名前になっている。
久我山は昔、『久ヶ山』ともいい、『くが』は空閑地・空き地を表していて江戸時代から1889年までは久我山村は存在した。この村の各地にあった石仏をここに集めたものなのだろう。(その後、1889年の町村制で東多摩郡高井戸村に併合、大字久我山となったが、1932年に東京市に編入され、杉並区ができると久我山1〜3丁目(旧)となったのである。)(以下、次回)