鉄道シリーズその81。祝!50周年、交通公社の時刻表昭和39年10月号。丁度50年前の時刻表を久しぶりに眺めてみた。この時刻表は高校生の時に大枚7000円を叩いて購入したもので愛着がある。特に時刻表の表紙にも0系の新幹線の姿が写っていることを気に入っており、内容もダイヤ改正号となっている。というのは新幹線開業に合わせて従来在来線の昼間特急こだま、富士、つばめ、はとなどが廃止になって、新幹線に切り替えられた号であるからだ。
新幹線は当時ひかりとこだまの2種類があり、停車駅は超特急ひかりは東京・名古屋・京都・新大阪の4駅のみ、特急こだまは全て各駅停車と極めてシンプルに分けられていた。発車時刻もひかりは6時から20時まで00分に東京を発車し、4時間ちょうどで新大阪に到着。こだまも始発の2本と終発をのぞき全て30分に発車5時間で新大阪に到着していた。
それではそれまではというと第一こだまは東京を7時に出発、横浜・熱海・静岡・名古屋・京都・大阪と止まり、所要時間は6時間20分であった。つまり、新幹線を使うことで超特急ひかりならば2時間20分、特急こだまでも1時間20分時間を短縮できたのだから画期的なものであった。さらに翌年の10月からはひかりが3時間10分、こだまが4時間とスピードアップした。
当時、小生は幼稚園児であったが、夏の京都への帰省の際に新幹線で京都まで帰った話を幼稚園でして大いに羨ましがられた記憶がある。何しろ当時の時刻表のキャッチフレーズが『つばさのないジェット機』というのであった。また、新幹線の紹介の際には『夢の超特急』というのが枕詞であり、0系新幹線がさっそうと走っていたことを思い出す。今では行先案内は車両の横に電光式で出てくるが、開業当初はサボがついていたことも驚きである。
新幹線は当時ひかりとこだまの2種類があり、停車駅は超特急ひかりは東京・名古屋・京都・新大阪の4駅のみ、特急こだまは全て各駅停車と極めてシンプルに分けられていた。発車時刻もひかりは6時から20時まで00分に東京を発車し、4時間ちょうどで新大阪に到着。こだまも始発の2本と終発をのぞき全て30分に発車5時間で新大阪に到着していた。
それではそれまではというと第一こだまは東京を7時に出発、横浜・熱海・静岡・名古屋・京都・大阪と止まり、所要時間は6時間20分であった。つまり、新幹線を使うことで超特急ひかりならば2時間20分、特急こだまでも1時間20分時間を短縮できたのだから画期的なものであった。さらに翌年の10月からはひかりが3時間10分、こだまが4時間とスピードアップした。
当時、小生は幼稚園児であったが、夏の京都への帰省の際に新幹線で京都まで帰った話を幼稚園でして大いに羨ましがられた記憶がある。何しろ当時の時刻表のキャッチフレーズが『つばさのないジェット機』というのであった。また、新幹線の紹介の際には『夢の超特急』というのが枕詞であり、0系新幹線がさっそうと走っていたことを思い出す。今では行先案内は車両の横に電光式で出てくるが、開業当初はサボがついていたことも驚きである。