『江戸の坂・東京の坂』その26。小日向あたりの坂道の2回目。切支丹屋敷の先を左方向に行くと切支丹坂でその先が東京メトロ丸ノ内線の下をくぐるトンネルとなっている。よく考えると地下鉄の下を通るトンネルというのも些か不思議ではあるが、後楽園~茗荷谷間はほぼ地上を走るため不思議ではない。
トンネルを越えたあたりの目の前の急な階段の坂道が『庚申坂』。坂を登りきると茗台中学の横に出て、すぐに春日通りだが、坂の下にかつて庚申の碑があったため、その名前が付いた。
坂をまた降りて左方向行く。すると東京メトロの車庫の脇を通るが、しばらく歩くと巻石通りにぶつかる。
それを右手に、さらに一つ目を右手に小日向台を登る坂が『荒木坂』である。これは江戸時代に坂の上には荒木志摩守の屋敷があったのでその名前がある。
坂を登り、左折するとみずほ銀行研修所の前にでるが、その先を左に折れると『薬罐坂』となる。
さらに巻石通りの直前を右に曲がる登り坂が『横町坂』。
そして突き当たりを左に下る坂が『服部坂』である。ここも江戸時代に坂の上には服部権太夫の屋敷があったためこの名がついた。坂の上、左手には小日向神社がある。
また、巻石通りに戻り、江戸川橋方向の次の信号が大日坂下、右に曲がると『大日坂』となる。この坂の名前は今も坂の途中にある大日堂があるからである。また、標識には小日向の名前の起源も「かつて鶴高日向という人の領地だったが、絶家後に『古日向』と言っていたのが、いつの間にか『こひなた』になったのであろう」と書かれている。
小日向地区は台地で音羽の谷からも茗荷谷からも台地となり、そのため、周囲に坂道が点在、更に東京メトロ丸ノ内線のすぐ横にかつて清水谷と呼ばれた谷もあり、なかなか起伏の激しい地形であることが実感。ここも夏の日には厳しい地区であろう。