hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ぷらっと東京散歩⑫〜秋葉原駅→小伝馬町駅

2024-06-28 05:00:00 | 日記
『東京の街をぷらっと』⑫、秋葉原駅から岩本町交差点を越えて水天宮通りを歩く。この辺りは意外に古いビルがまだ残されている。そんな古いビルを右に曲がると小さな神社『繁盛於玉稲荷神社』が現れる。

江戸時代にはこの辺りに『桜が池』という不忍池より広い池があった。池の西側に谷田川が流れていたが、水量が多く、下流は度々洪水に見舞われたために柳原堤が作られた。洪水は無くなったが水量が減り、埋め立てられてしまった。



この池の名前が『於玉が池』となったのはお玉という美しい娘が2人の男から言い寄られ、悩んだ挙句に池に身を投げてしまう。霊を慰めるためにこの神社が作られたという。



また、お玉が池近くには1858年に伊東玄朴が開いた西洋式の種痘所が設けられ、その後の日本の医学発展に大きな影響を与えた。



お玉が池近くにはお玉が池児童公園やお玉湯、お玉が池法律事務所など名前が着いた施設が多くある。

水天宮通りを歩くと小伝馬町駅地下鉄入口の所に『十思公園』がある。旧十思小学校の跡地の一部だが、江戸時代には小伝馬町牢屋敷があり、吉田松陰が処刑されたため、その終焉の地の石碑がある。

また、公園の真ん中に遊具かとも見える鐘楼がある。これは『石町時の鐘』と呼ばれ、大元は江戸城内にあったが、1626年に日本橋本石町(今の日本橋本町4丁目)に辻善七という人が鐘楼を建て移した。1710年に火災で鐘楼は燃えたが、鐘は1711年に作り直され、さらに現在地に1930年に移された。





十思公園の向かいには大安楽寺があり、境内に『江戸伝馬町処刑場跡』という石碑がある。

牢屋敷は1875年に市谷監獄へと移されたが、荒れ放題となっていた。これを山科俊海という大僧正が刑死した者の菩提を弔うために勧進し、大倉・安田など財閥の寄付を得て新高野山の山号を称する寺となった。



ちなみに大安楽寺の『大』は大倉、『安』は安田に由来する。

水天宮通りはこのまままっすぐ行くと人形町交差点、水天宮前を経て箱崎町へと続き、隅田川を越えて清澄通りと合流する。