金曜日に映画評を訳していて感じたんだが、なかなか むずかしいものだね。映画を論じるってのも。なんか これを検討するぞっていうのをひとつ かんがえて、それを軸に論じれば いいわけだけどもさ。いちばん だめなのは、ある問題意識が自分のなかにあるんだけど、それを映画を論評しながら かたろうとはするんだけど、映画については なにも論じてないのも同然ってことに おわってしまうみたいな。
あんま あらすじをかいてしまうのも いかんよねえ。まだ みてない人どーすんのってことになるし、だけども、それをいうてては かけなくなることが たくさんでてくるし。まあ、かきはじめるまえの構想をきちんと ねらないと、どんな文章であれ、たいしたものは かけませんわね。とは いっても、どんどん かいていくしか しょうがないわけで。まあ、努力してください。ていねいに文章をかくのが なにより だいじですよ。
ひとのことをいうてる場合じゃないな。わたしも。活字になったら おしらせしますが、翻訳ってのも むずかしいやね。わたしらしい文体には なっているが(え、それってどうなの)、つっこみどころが あちこちにあるだけに、翻訳者として自分のなまえが でるのは、ちょっと いやな気もする。まいっか。わるいのは原文ですからっ(ちょっと、それひどいじゃないの(笑))。
翻訳でも通訳でも そうなんだが、自分としては納得のいかないことを訳さないと いけないケースもでてくるわけでさ。「だめだし」を通訳するのなんて、へこみますよ。ぼろくそに いうてるのをそのまま訳すのってものさ、通訳者も機械じゃないわけで、だけども、機械に徹するくらいのが「プロ」なわけで。まあ、わたしは通訳のみを業務にしてゼニをもらったことはなくて、ボランティアか、あとは勤務するレストランで通訳「も」するくらいってだけ。学部のときプロの通訳者さんに はなしをきいていて、たいへんなのねえと おもいましたよ。
最近また北京語で通訳というか、解説をするようになったです。留学生がふたり接客のバイトに はいったものでね。なにか おしえられてるときに、あー、通じてないっぽいなというときに、こういう意味だよ、みたいな感じで。
まあ、なにをするにしてもプロであること、それをくいぶちにすることってのは たいへんなこった。って、ありきたりなことをかきたかったのかしらね。わたしは。
そのうち韓国映画『殺人の追憶』の回想文でも ちろっと かくので、ついでに ある映画評をいっしょに紹介するので、ゆるしておくれ。みなさまよ。3年くらいまえに みた映画だから、詳細は おぼえてないんだがな。まあ、わかりやすい映画であるよ。
「問題」はいかに正当化され、その「問題」に免罪符をあたえ、観客たちを「ある欲望」に さそいこむのか。「プロパガンダ」のありようを、『殺人の追憶』にみることができる。わたしのなかで『殺人の追憶』の追憶は、テグ地下鉄 火災事件とセットになっているのだよな。あれは、もとは放火だったのだけれど、問題の とび火のしかたが すごかった。ま、それも こんど かきます。そいじゃ。
あんま あらすじをかいてしまうのも いかんよねえ。まだ みてない人どーすんのってことになるし、だけども、それをいうてては かけなくなることが たくさんでてくるし。まあ、かきはじめるまえの構想をきちんと ねらないと、どんな文章であれ、たいしたものは かけませんわね。とは いっても、どんどん かいていくしか しょうがないわけで。まあ、努力してください。ていねいに文章をかくのが なにより だいじですよ。
ひとのことをいうてる場合じゃないな。わたしも。活字になったら おしらせしますが、翻訳ってのも むずかしいやね。わたしらしい文体には なっているが(え、それってどうなの)、つっこみどころが あちこちにあるだけに、翻訳者として自分のなまえが でるのは、ちょっと いやな気もする。まいっか。わるいのは原文ですからっ(ちょっと、それひどいじゃないの(笑))。
翻訳でも通訳でも そうなんだが、自分としては納得のいかないことを訳さないと いけないケースもでてくるわけでさ。「だめだし」を通訳するのなんて、へこみますよ。ぼろくそに いうてるのをそのまま訳すのってものさ、通訳者も機械じゃないわけで、だけども、機械に徹するくらいのが「プロ」なわけで。まあ、わたしは通訳のみを業務にしてゼニをもらったことはなくて、ボランティアか、あとは勤務するレストランで通訳「も」するくらいってだけ。学部のときプロの通訳者さんに はなしをきいていて、たいへんなのねえと おもいましたよ。
最近また北京語で通訳というか、解説をするようになったです。留学生がふたり接客のバイトに はいったものでね。なにか おしえられてるときに、あー、通じてないっぽいなというときに、こういう意味だよ、みたいな感じで。
まあ、なにをするにしてもプロであること、それをくいぶちにすることってのは たいへんなこった。って、ありきたりなことをかきたかったのかしらね。わたしは。
そのうち韓国映画『殺人の追憶』の回想文でも ちろっと かくので、ついでに ある映画評をいっしょに紹介するので、ゆるしておくれ。みなさまよ。3年くらいまえに みた映画だから、詳細は おぼえてないんだがな。まあ、わかりやすい映画であるよ。
「問題」はいかに正当化され、その「問題」に免罪符をあたえ、観客たちを「ある欲望」に さそいこむのか。「プロパガンダ」のありようを、『殺人の追憶』にみることができる。わたしのなかで『殺人の追憶』の追憶は、テグ地下鉄 火災事件とセットになっているのだよな。あれは、もとは放火だったのだけれど、問題の とび火のしかたが すごかった。ま、それも こんど かきます。そいじゃ。