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○○のメッカ!という言葉だけが日本語に定着した。

2013-10-16 01:34:48 | 日記
A. 陰謀説と法則説について


こういう説がある。世の中は表と裏があって、テレビや新聞が伝えるニュースなどは操作されていて、一般大衆に向けて差しさわりのないものを流しているだけで、本当の重要な情報はそこには出てこない。裏の機密は、ごく一部の人間が握っていて、政府や政治家なども本物の情報を知っているのは限られた人間だけ。とくに敵対関係にある国の政治中枢の動向については、極秘情報ばかりなので非常に重要な意味をもっている。たとえば、核兵器や軍事作戦の実態や動向は普通の手段ではとても知ることは不可能だ。だから、特殊な情報機関が非合法な手段、たとえばスパイを使って極秘情報を集める必要がある。そうやって集められた情報に基づいて、軍事や政治の裏の決定が行われ、戦争や平和が動いていくのだ、何も知らない国民はただ巻き込まれるだけだ、という陰謀説。これは真実だろうか?

CIA(Central Intelligence Agency:アメリカ中央情報局)は、1946年つまり第2次大戦が日本の敗北で終わった翌年、トルーマン大統領によって創設されたCIIGが翌年CIAに改組。冷戦に対処するための海外情報収集と秘密活動を目的とした特殊機関で、司法省に属するFBIなどと違って大統領直属、予算規模や使途は非公開、職員も秘密、何をやっているかも一切秘密という組織である。
このところ片隅ニュースになっている「スノーデン事件」は、CIA元職員の青年エドワード・スノーデンが米政府のネット・電話の極秘監視・情報収集プログラムである「PRISM」の存在を、ワシントン・ポストや英国ガーディアン誌に洩らし、モスクワ空港で亡命を求めたという事件。はじめて明るみに出た「PRISM」は、米国の国家安全保障局(NSA)が、アップルやグーグル、フェイスブック、マイクロソフトなど大手IT企業が提供するネットサービスのサーバーに直接アクセスして、ユーザーのデータを収集していた。
国家機関が極秘に大量の個人情報を収集していたことは、政府への信頼を傷つけるが、国際政治の現実の中では、敵中に潜入するスパイも、敵が送り込むスパイも、しっかり把握しておきたいというのがCIAやNSAの仕事であり、ただの情報収集を越えて、法律をも超えて、政治工作や軍事作戦にまで関与する。ネット社会になる前は、もっと原始的な電話の盗聴とか、文書の盗み出しとか、やっていたはずだ。これは普通なら犯罪である。国家機密の類は最後はそれを握る個人に接触するしかないから、スパイは二重スパイになって、金を使ったり、こちらの秘密も相手に流し取引する必要もあるだろう。スパイ映画は嘘だが多少は本当かもしれない。大使館や外交官という仕事も、相手国の情報収集が重要任務だろうが、スパイ行為を国家公務員が仕事としてするとしたら、法的には問題はないのだろうか。

昨年公開されたベン・アフレック監督の「アルゴ」という映画は、1979年のテヘランで起きたアメリカ大使館人質事件と、その裏で敢行されたCIAによる救出作戦を実録風に描いたものだ。主役はCIAの工作員トニー・メンデス。彼が成功させた救出作戦の全貌は長く秘密とされていたが、そろそろ30年も経ったからいいだろう、というので映画化された。確かにアメリカから見れば成功した作戦だが、失敗していれば人命だけでなく国家の威信も揺らぐ、ぎりぎりのヤバい賭けである。先のビンラディン殺害を描いた「ゼロ・ダーク・サーティ」よりはだいぶ昔の出来事だが、自己中心的なヒーロー像と、逆らう異民族・敵対国家への武力での正義を旨とする思想は、相変わらずのアメリカン・ヒーロー。
しかし、すべてが一部の黒幕で動いているという陰謀説は、正しいだろうか?そういう世界観に立った途端に、権力者は重要機密情報を限りなく欲しくなり、それがなければいつ敵にやられるかと限りなく不安になり、人を疑って情報漏えいを怖れる。今安倍政権が国会で通そうとしている日本版NSCといわれる「国家安全保障会議」の創設と「特定秘密保護法案」。日本の内閣情報室程度では北朝鮮や中国の機密情報は手に入らないので、アメリカCIAの情報を分けてもらうために、ごく一部の政府高官だけに情報を限定し、それを漏らした公務員を厳しく罰するという法案。またもや政権に都合のよい一部の人を集めた「有識者会議」がこの案を考えたらしい。この発想の基本は、政治や軍事を考える場合の敵は極悪人だという性悪説に立つ陰謀説と、自分の味方・身内をも疑ってかかる根深い人間不信説にあるように思う。表向き、すべては国家のため、国民のためと称しているが、心理学的には自分が敵にいつも狙われていると妄想して、世界を見ている統合失調症的世界観である。

 では、陰謀説の対極にある世界観とはどのようなものか?たぶん、理論的にはそれは法則説になるかと思う。陰謀説が、政治や軍事といった重要事項を実質的に決めているのが限られた少数者、それも表に出ない黒幕であるという世界観だとすれば、法則説は、どれほどの権力者や黒幕と言ったところで、しょせんただの人間に過ぎず、その決定で戦争が始まったり終わったりするとしても、そんなものは歴史の大きな流れ、あるいは人間の判断を超えたもっと本質的な法則、つまり神の意志のようなものが決めるのだ、という世界観である。多少の早い遅いはあるとしても、どのみち歴史の進む法則は変わらないという大局観。ユダヤ教、キリスト教やイスラーム教に共通する一神教的世界観には、こういう人間には測り知れない真理、という発想がある。
CIAやNSCは、そんな形而上的世界観では仕事にならないから、極めて実務的即物的にしつこく情報集めをする。しかし、陰謀説が他者を敵視して神経症的に不安に駆られるのとは対照的に、法則説はどうせ最終結果は決まっているのだから、細かい情報に神経質にならなくてもよい、という大雑把な寛容さはある。予定調和的な楽観である。心理学的にはこちらの方が精神は安定している。しかしそれゆえに、平穏な時代はよいが、危機に際してはどうも迫力に欠ける。さて、今の日本は安定した平和な社会なのか、それともシビアな危機の時代なのか?その認識の違いがまた、陰謀説の言うことと、法則説の言うことのリアリティを正反対に引き裂く。その対立が皮肉にも、現実政治をさらに緊張させ危機に向かわせてしまう。
 日本はユダヤ=キリスト教的一神教の文化を基本的に理解できない社会だから、ある意味では簡単に陰謀説に取り込まれてしまうかもしれない。ヤバいな。



B. メッカ巡礼とウイルス
  共同通信の伝えるところでは、いま世界中のイスラム教徒がサウジアラビア西部の聖地メッカを目指す大巡礼(ハッジ)の旅が本格化しているのだが、そこに中東を中心に広がる新種の「中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルス」の感染が拡大した。巡礼がメッカに向かうこの時期にウイルスの大量感染が懸念される中、サウジアラビア政府当局は「対策は万全だ」と自信満々だという。「各関係部局が協力し、あらゆる手段を取った。サウジ当局は大巡礼をとても楽観している」。国営サウジ通信によると、ラビーア保健相は9月下旬、こう強調したが、実際はMERSの感染はサウジで相次ぎ、フランス公共ラジオによると、各国での死者計58人のうち、サウジでの死者は49人に上る。サウジ保健省は巡礼者に石鹸を使った手洗いを勧め、高齢者や持病のある人は巡礼を見合わせるよう助言したほか、現場には医療チームを派遣。感染者が出た場合に備え、巡礼地の近くに飛行機も待機する計画だという。今回の大巡礼は今月13日ごろに最高潮を迎える。 
  イスラーム教徒、とくに多数派のスンニー派教徒にとって、メッカ巡礼は人生の重要な行為である。メッカに行くには広大な砂漠を長い時間をかけて通らねばならず、貧しいイスラーム教徒にとっては命をかけるほどの大事業である。するかしないかは自由な選択ではなく、ラマダンという毎年一か月近くの昼間ものを食べない断食、一日五回の頭を地につける礼拝、食べ物や服装などと同様、日常生活のはしばしまで決まっているイスラームの世界は、日本人には理解を絶するものだろう。 
  我々みたいに聖なる世界と俗なる世界を区別する宗教文化の中に生きていると、個人の日常生活において大半は不道徳で悪事すれすれの行為をやっていても、教会や寺院や神社に行って気分を変え、頭を下げて懺悔し反省すれば神様は救ってくれる、という教えによってやましさを解消できる。だが、イスラームと言う宗教はそれを許さない。アッラーに背く行為は、あの世ではなくこの世の現実において罰される。だから日々の生活のすべてにおいて、イスラーム法を守り敬虔な生活を送らなければ、この世で痛い目を見なければならないだろう、と『コーラン』に書いてある、というわけだ。そうするとイスラーム教徒は、ひどく無理な息苦しい生活を送っているのではないかと日本人は思う。でも、それはたぶん違うのだ。逆に言えば、ごくふつうのイスラーム教徒がごくふつうの日本人を見れば、こんないい加減で不道徳で無節操な人間はいない、と見えても仕方ないだろう。
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