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 スピノザ入門を読む 4 生きる力は人によって、時によってちがう  また三島由紀夫論

2023-05-31 21:40:38 | 日記
A.エイドス、ではなくコナトゥスで見る 
 人がこの世に生きてあるということは、空気があり水があり食物があり、住処と健康があることで幸福と自由の追求が可能となる。生物としての人間が安定的に存在するための条件を維持する力、これをコナトゥスと呼ぶとすると、たしかにホメオスタシスを追求する人間という有機体のあり方にかなっている。これに対し、ギリシャ哲学の本質にあるのはエイドス(かたち)だったという。かたちは見ればわかるようなそのものの特徴であって、かたちが似たものは類似したグループとして分類される。ペニスをもつのは男で、それがないのは女だ、二本足で歩くものは人間で、4本足で歩くのは獣、などというのは見た目で決まる問題になる。しかし、スピノザはかたちが似ているからといって同じ能力や同じ考えで動くとはかぎらないから、もっと別の見方ができる、それはその個体がなにを自分の力としてもっていて、それはどういう能力なのかということをみなければ分からない、と言っている。しかし、コナトゥスという概念は、あんまりすっきりと理解できるとはいえないが、ここを突破しないと、スピノザの価値もわからないんだろう。

「たとえばこの音楽は私の活動能力を高めてくれる、この食べ物は活動能力を低めてしまうという風に、活動能力の増減というものに、生きる上での一つの基準を求めたわけです。活動能力というのは、つまりは力です。自分のもつ力が、組み合わせによって上がったり下がったりする。 本章ではいくつか新しい言葉を紹介していますが、最初に見ておきたいのが、ラテン語で「コナトゥスconatus」というスピノザの有名な概念です。あえて日本語に訳せば「努力」となってしまうのですが、これは頑張って何かをするという意味ではありません。「ある傾向をもった力」と考えればよいでしょう。
コナトゥスは、個体を今ある状態に維持しようとして働く力のことを指します。医学や生理学でいう恒常性(ホメオスタシス)の原理に非常に近いと言うことができます。
たとえば私という個体の中の水分が減ると、私の中に水分への欲求が生れ、それが意識の上では「水が欲しい」という形になります。私たちの中ではいつも、自分の恒常性を維持しようとする傾向をもった力が働いています。
コナトゥスを定義した定理が次のものです。

おのおのが自己の有〔引用者注:存在〕に固執しようと努める努力はその者の現実的本質にほかならない。(第三部定理七)

 文中の「有」という訳語より、「存在」としたほうがわかりやすいかもしれません。ここで「努力」と訳されているのがコナトゥスで、つまり「自分の存在を維持しようとする力」のことです。
 大変興味深いのは、この定理でハッキリと述べられているように、ある物がもつコナトゥスという名の力こそが、その物の「本質essentia」であるとスピノザが考えていることです。
「本質」は日常でもよく使われる言葉ですが、哲学から来ています。「本質」が「力」であるというスピノザの考え方は、それだけを聞いても「ふーん、そうですか」という感じかもしれません。しかし哲学史の観点から見ると、ここには非常に大きな概念の転換があるのです。
 古代ギリシアの哲学は「本質」を基本的に「形」ととらえていました。ギリシア語で「エイドス」(eidos)と呼ばれるものです。これは「見る」という動詞から来ている単語で、「見かけ」や「外見」を意味します。哲学用語では「形相」と訳されます。英語ではformです。
 物の本質はその物の「形」であるという考え方も、それだけを聞くと特に驚くべきものではないと思われるかもしれませんが、実は私たちの考え方はこれと無関係ではありません。
 たとえば競馬場や牧場で見る馬と、アフリカのサバンナにいる野生のシマウマとを、私たちは同じ馬だと考えます。色や模様は違うけれど、どちらも馬の形をしているからです。
 でも実際には、両者の生態は全く異なっています。家畜化された馬は人を背中に乗せることができますが、野生のシマウマに乗ることができないそうです。動物は普通、自分の背中を預けるなどという危険なことはしないからです。つまり、家畜化された馬がもっている力と、シマウマがもっている力はその性質が大きく異なっている。
 力の性質に注目すると、馬とシマウマはまるで別の存在として現れます。にもかかわらず、私たちはそれらを形でとらえるから、両者を同じく馬だと考えるわけです。
 このエイドス的なものの見方は、道徳的な判断とも結びついてきます。人間について考えてみましょう。
 たとえば男性と女性というのも、確かにそれぞれ一つのエイドスとしてとらえることができます。そうすると、たとえばある人は女性を本質とする存在としてとらえられることになる。その時、その人がどんな個人史をもち、どんな環境でどんな関係をもって生きてきて、どんな性質の力をもっているのかということは無視されてしまいます。その代わりに出てくるのは、「あなたは女性であることを本質としているのだから、女性らしくありなさい」という判断です。エイドスだけから本質を考えると、男は男らしく、女は女らしくしろということになりかねないわけです。
 それに対しスピノザは、各個体がもっている力に注目しました。物の形ではなく、物がもっている力を本質と考えたのです。
 そう考えるだけで、私たちの物の見方も、さまざまな判断の仕方も大きく変わります。「男だから」「女だから」という考え方が出てくる余地はありません。
 たとえば、この人は体はあまり強くはないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな仕事が合っているだろう……。そんなふうに考えられるわけです。
 そして、当然ながら、このような本質のとらえ方は、前章で見た活動能力の概念に結びついてきます。
 活動能力を高めるためには、その人の力の性質が決定的に重要です。一人ひとりの力のありようを、具体的に見て組み合わせを考えていく必要があるからです。エイドスに基づく判断(「男だから」「女だから」)は、その意味で実に抽象的であると言うことができます。
 ここにも『エチカ』のエートス的な発想が生きていると言えるでしょう。どのような性質の力をもった人が、どのような場所、どのような環境に生きているのか。それを具体的に考えた時にはじめて活動能力を高める組み合わせを探し当てることができる。ですから、本質をコナトゥスとしてとらえることは、私たちの生き方そのものと関わってくる、ものの見方の転換なのです。
 前章でも紹介した哲学者のジル・ドゥルーズがこのことを大変印象的な仕方で説明してくれています。引用してみましょう。

 たとえば農耕馬と競走馬とのあいだには、牛と農耕馬のあいだよりも大きな相違がある。競走馬と農耕馬とでは、その情動もちがい、触発される力もちがう。農耕馬はむしろ、牛と共通する情動群をもっているのである。(『スピノザ 実践の哲学』前掲、240頁)

「情動」とは広い意味での感情のあり方を指していると考えてください。「触発される力」とは、ある刺激を受けて、それに反応し応答する力のことを指しています。同じ馬でも、農耕する馬と競争する馬とでは、この「触発される力」が大きく違うというわけです。
 つまり、どういう刺激に対して、どう反応するかが違う。私は農耕馬や競走馬に触れたことはほとんどありませんが、そこに違いがあるのは想像できます。競走馬は周囲の速度に反応し、速さを目指す動きをするでしょう。それに対し、農耕馬の「触発される力」はむしろ、同じようにゆっくり畑を耕す牛に近い。
 さらに、これは人間を例にとって考えるとよくわかることですが、ある刺激に対してどう反応するかというのは、人によっても異なりますが、それだけでなく、同じ人でも時と場合によって異なります。私は音楽は好きですが、疲れ切っている時にはあまり聴きたくない。けれども調子がいい時は、いい音楽を聴くととてもいい気持になって、活動能力が上がる。人の中にある力というものはかなり大きな振り幅をもって変化しています。だから、刺激に対する反応の仕方も時と場合に応じて大きく変化します。スピノザもそのことを指摘しています。

 異なった人間が同一の対象から異なった仕方で刺激されることができるし、また同一の人間が同一の対象から異なった時に異なった仕方で刺激されることができる。(第三部定理51)

 ここで言う反応、つまり刺激による変化のことを、スピノザは「変状affectio」と呼びます。もう少しスピノザに即して言うと、変状とは、ある者が何らかの刺激を受け、一定の形態や性質を帯びることを言います。
 先にドゥルーズからの引用に出てきた「触発される力」とは、ある刺激を受けて「変状する力」のことです。「変状」は専門的な用語ですが、『エチカ』を読むにあたって最重要の単語の一つですので、押さえておきます。
 変状する力は、コナトゥスを言い換えたものです。たとえば暑さという刺激を受けると、発汗という変状が身体に起こります。これは熱を冷ますための反応であり、それは変状を司るという意味では「変状する力」としてとらえることができると考えればよいでしょう。
 私たちは常にさまざまな刺激を受けて生きているわけですから、うまく生きていくためには、自分のコナトゥスの性質を知ることがとても大切になるわけです。
 スピノザはさらにこの本質としての力を「欲望」とも呼んでいます。

 さてまた欲望は、各人の本質ないし本性がその与えられたおのおのの状態においてあることをなすように決定されたと考えられる限り、その本質ないし本性そのものである。(第三部定理56証明)

 少し分かりにくい文章ですが、次のように読み解くことができます。本質は力です。力ですから、それは刺激に応じてさまざまに変化します。たとえば私の本質は、aという刺激によって、Aという状態になることを「決定」される。そしてそのAという状態は私に、「あることをなすよう」働きかけます。この働きかけが欲望であり、その欲望は本質そのものだと言っているわけです。
 話が循環しているように思われるかもしれませんが、スピノザはここで、本質が力であることを頑張って説明しようとしているのです。
 普通は、不変の本質があって、その上で欲望という移り気なものが働くと考えられています。しかしスピノザは、力としての本質が変化しながらたどり着く各々の状態が欲望として作用すると言っているわけです。
 たとえば他人から嫌味を言われたとする。強い精神の持ち主ならば、軽く受け流す。つまりほんの少しの変状しか起こりません。しかし繊細な精神の持ち主や、活動能力がやや低めの状態にある人であれば、強いショックを受けるかもしれない。すると、その人の変状する力は、嫌みという刺激に対し、精神の不安定という変状をもたらします。力は低下し、外部からのネガティヴな刺激に対してより一層脆弱な状態に置かれるでしょう。
 すると、その不安定な状態を何とか脱出しようという欲望が生れる。しかし、そもそも力が低下しているから、それはなかなかうまくいかないでしょう。スピノザはこうした一連の過程において働いている力が同一の力であると考えているわけです。
 スピノザは力が増大する時、人は喜びに満たされると言いました。するとうまく喜びをもたらす組み合わせの中にいることこそが、うまく生きるコツだということになります。
 世間には必ずネガティヴな刺激があります。これはスピノザの非常に強い確信でもありました。それによって自分をダメにされないためには、実験を重ねながら、うまく自分に合う組み合わせを見つけることが重要になるわけです。そしてそのためには、農耕馬と競走馬の違いを見るような視点が大事になるのです。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.56-67. 

 「変状する力」という表現もなんだかすっと理解できるものではないが、ここに出てくる例で言えば、人から嫌味を言われても、それを軽く受け流して気にしない人もいるけれど、ひどく傷つく人もいる。先日の長野の事件では、いつも近くを散歩していた女性たちが、自分のことを貶めていると感じて殺害を実行した男性がいる。自分を否定する発言を聞いて精神の不安定が刺激され「変状する力」は武器と結びついて殺人という行為に向かうというとき、これが欲望と呼んでいいかは問題だとしても、彼が自分の現状をただの「孤独な馬」と見る「世間のまなざし」に合わせて見るのではなく、独自のコナトゥスにおいて見ることができれば、殺人のような攻撃性ではなく、もっと余裕のある精神がもてたのだろうとは言える。


B.三島論の流行
 平野啓一郎という作家の小説は、読んだことはない。だいたいぼくは、社会学を飯のタネにしていたので、小説というものを日常的に読む習慣がなかった。ただいろいろ気になる小説を見つけたときは、それなりにいきあたりばったりで読んでいるので、小説に無縁な人というわけではない。三島由紀夫の小説もいくつか(「仮面の告白」から「豊饒の海」まで)は読んだ。とくに感動したりはしなかったが、「橋づくし」などの短編、それに「潮騒」などは非常にテクニカルに上手な文章だと感心はした。平野啓一郎という人は、いきなり京大在学中に「日蝕」で芥川賞をもらい注目されたのだそうで、三島由紀夫には特別な関心をもって、ついに「三島論」を書いたという話題が新聞にあった。1975年生まれの47歳という平野氏は、三島が市ヶ谷で死んだ時には、まだ生まれてもいなかったわけだから、僕とは世代的にも接点もないから、どのような三島論なのか想像できないが、ま、そのうち読んでみようか、と思わないでもない。

「原点・三島に向き合い「自分」問うた結晶 執筆23年、平野啓一郎さん「三島由紀夫論」
 虚無から生む価値に共感 死へのプロセスに違和感 
「自分の作家の歩みと並走してやってきた仕事なので、ひとつ肩の荷が下りたような感じがします:。新潮文庫でおなじみの三島作品と似た装丁に仕上げた新著を前に、そう語った。
 本書の起点となったのは、デビュー2年後の2000年に文芸誌に発表した「『英霊の声』論」だ。以来、小説を執筆するかたわら三島作品の読解に長く取り組んできた。「なぜ自分があのとき、あんなに『金閣寺』に感動したのか。それが、いま自分という人間を形づくっている根本のところにある」。三島を論じるということは、すなわち「自分とは何か」を問う行為でもあったと言う。
1975年生まれの自身と三島との共通点を尋ねると、「現実に対する不信感、一種の虚無感みたいなもの」と答えた。三島は戦後の民主主義社会にニヒリズムを感じたが、「僕自身は北九州の出身で、早い時期から高度掲載成長後の『鉄冷え』で製鉄所がすさんでいく様を見ていたし、現実に満たされない感覚は非常に強く持っていた」。
 80年代のバブル全盛期は「空疎な空騒ぎ」をメディア越しに見て東京への不信感を募らせ、京都大に進んだ後は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった世紀末的な出来事が立て続けに起き、「何のために生きているのかを強烈に考えさせられた」と話す。
 そうしたなか、「美」が自分を救済してくれるのかという「金閣寺」の問いに共鳴。「芸術や文学が人間を救済しうるのかどうかを真剣に考えた」結果、作家のキャリアをロマン主義から歩み出すことになった。大学在学中に文芸誌に投稿し、後に芥川賞を受賞した「日蝕」では中世ヨーロッパの錬金術を扱った。
 錬金術は「賢者の石」を手に入れることで卑金属を貴金属に変えられると説く神秘思想。「何でもない日常をいかに価値化するか。世界の無価値さとどう向き合うかという思想運動が錬金術だった。虚無の中からいかに価値を生み出すかに強い関心を持ったという意味では、三島と僕は近い」
 一方で、「ロマン主義的な物語世界に浸っていれば自足できるかというと、そうでもないということにも突き当らざるを得ない」と語る。「フィジカルな身体をもっているかぎり、やっぱりこの世界で生きていかなきゃいけない」
 平野さんは本書で、三島が「何としてでも、生きなければならぬ」(「私の遍歴時代」)、「生きようと私は思った」(『金閣寺』)と何度も記した点を指摘。その上で、あくまで作品の読解をもとに彼が〈何故、あのような死に方をしたのか?〉という〈問い古された疑問〉に向かう。
 「三島の死を考える時には、彼が20代、30代で何とか戦後社会に適応しようとした姿を認識しないといけないと思った」。だが、「自分が抱える虚無感を、天皇という大きな存在にゆだねていこうとする、そうして最終的に死に至るプロセスには違和感がある」とも。「三島を批判的に克服していかなきゃいけない」という課題は、作家としての思想的な柱ともなった。
 本書ではほかに、「『仮面の告白』論」でこれまで同性愛が主題とされてきた作品を〈恋愛指向と性的指向の不一致の物語〉として読み直し、「『金閣寺』論」では金閣を〈絶対者〉である天皇の隠喩として読む可能性を提示。後半では最大の長編に挑む「『豊饒の海』論」を展開した。
 大著を書き上げ、「ひとまず自分の考えはまとまった」と話すが、「この本に収まりきらなかった話もあるので、機会があれば書くこともあるとは思う」と言い足した。「セクシュアリティーや仏教との兼ね合いなど、いままの三島論とはちがうアプローチで論じたところもある。むしろ、ここから活発な議論が広がっていくことに期待しています。 (山崎聡)」朝日新聞2023年5月31日夕刊2面。
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 スピノザ入門を読む 3 善悪のちがいを決めるもの  ジャニーズ・スキャンダル報道

2023-05-28 19:34:37 | 日記
A.スピノザ哲学の核心 
 善悪とはなにによって決まるのか?というのが倫理学のテーマだとすると、普通は善なる行為と悪なる行為を分別分類して、善なる行為を推奨し悪なる行為を禁ずるということになる。しかしその善悪を分ける基準というものは、必ずしもはっきり決まっているとはいえない。犯罪のように法律で決められた禁止行為を破る場合でも、実際は個々の行為ごとにこれはどのくらい悪なのか、どれほどの罰を与えるのか、時間をかけて審査し判定する手続きが必要だ。それでも善悪はわかるはずで、誰でもそれを内面化した良心のようなものを教育を通じて身につけている、と考える人々は多い。
 しかし、スピノザはそのような善悪があらかじめ決まってある、という考えはとらないという。まずは『エチカ』の前半部分の基本にある考え方を、國分氏はこう語る。

「前半は自然界に善悪が存在しないことを述べています。事物は「それ自体で見られる限り」、善いとか悪いとかは言えない。つまり、それ自体として善いものとか、それ自体として悪いものは存在しない。それは自然界に完全/不完全の区別がないのと同じである。興味深いのはその理由を示す後半部です。完全/不完全の考えは、我々が形成する一般的観念との比較によってもたらされるのでした。では、自然界には存在しない善悪の考えが私たちのもとにもたらされるのはどのようにしてでしょうか。
 スピノザはここで、組み合わせとしての善悪という考え方を提案します。例として取り上げられているのは音楽です。
「憂鬱の人」、つまり落ち込んでいる人と音楽が組み合わされると、その人には力が湧いてきます。その意味で落ち込んでいる人にとっては音楽は善いものです。「悲傷の人」というのは、たとえば亡き人を悼んでいる状態にある人のことです。そのような人にとっては、音は悲しみに浸るにあたって邪魔であるかもしれません。そのような意味でその人にとって音楽は悪い。「聾者」、つまり耳が不自由な人には、音楽は善くも悪くもありません。
 音楽それ自体は善くも悪くもない。ただそれは組み合わせによって善くも悪くもなる。つまり、自然界にはそれ自体として善いものや悪いものはないけれども、うまく組み合わさるものとうまく組み合わさらないものが存在する。それが善悪の起源だとスピノザは考えているわけです。
 たとえばトリカブトという植物について考えてみましょう。よく知られているように、トリカブトが人間の中に入ると、人間の肉体組織を何らかの仕方で破壊します。だからトリカブトは「毒」と言われます。しかし、それはトリカブトと人間の組み合わせが悪いということを示しているにすぎません。トリカブト自体はただ一つの完全な植物として自然界に存在しているだけです。トリカブト自体は悪くない。人間とうまく組み合わさることができないだけなのです。
 あるいは、私がよく挙げるのが鼻水の薬の例です。鼻水の薬というのは、鼻水が出て困っている人にとっては、鼻水が止まるので善いものです。この薬によって普段通りに活動できるようになる。けれども、鼻水の薬は涙腺や唾液腺の分泌を抑えることで鼻水を止めています。ですから、鼻水に困っていない人が飲むと、喉が渇いて非常に困ることになる。その人にとっては鼻水の薬は悪いものだということです。
 さて、スピノザはこうして、世間一般で用いられている完全/不完全、善/悪の考え方のどこに問題があるかを明らかにしました。自然界には完全/不完全の区別などないし、それ自体として善であるものも悪であるものも存在しません。
 では、完全/不完全、善/悪といった言葉を使うのはやめようということなのかというと、そうではありません。スピノザは以上を踏まえた上で、これらの言葉を再定義して使い続けることにしようと提案します。
 理由は別に難しいことではありません。
 いまスピノザが考えようとしているのは、いかに生きるべきかという問いです。この倫理学的問いに答えるためには、望ましい生き方と望ましくない生き方を区別することが必要です。もし完全も不完全もないし、善も悪もないというだけだったら、どんな生き方をしても変わりないということになってしまいます。ですから、世間一般でのこれらの用語の用いられ方を一度批判的に検討した上で、やはり善い生き方、悪い生き方を考えなければならないと提案しているわけです。少し別の言い方をすると、もし善いとか悪いとか言うならば、こういう意味でいうべきじゃないかと提案しているわけです。
 では何が善くて何が悪いのでしょうか。スピノザはあくまでも組み合わせで考え続けます。
 先ほどの例に戻ってみましょう。なぜ音楽は「憂鬱の人」にとって善いのでしょうか。それは音楽が落ち込んでいる人の心を癒し、もっていた力を取り戻す手助けをしてくれるからでしょう。つまり力を高めてくれるからです。スピノザはこのことを「活動能力が高まる」という言い方で表現します。第四部ではこのことが次の定理で説明されています。

 我々は我々の存在の維持に役立ちあるいは妨げるものを〔……〕、言いかえれば〔……〕我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。(第四部定理八証明)

 私にとって善いものとは、私とうまく組み合わさって私の「活動能力を増大」させるものです。そのことを指してスピノザは、「より小なる完全性から、より大なる完全性へと移る」とも述べます。完全性という言葉もこのような意味で使い続けようというわけです。
 この考え方は、言うまでもなく、自然界にはそれ自体としては善いものも悪いものも存在しないという考え方と矛盾しません。たとえば胃が丈夫な人にとって、ステーキは元気になって活動能力を高める善い食べ物かもしれませんが、胃弱の人には、お腹が痛くなって活動能力を弱めてしまう悪しき食べ物かもしれません。すべては組み合わせであり、善い組み合わせと悪い組み合わせがあるだけです。
 ここからもう一度、いわゆる道徳とスピノザ的な倫理の違いについて考えることができるでしょう。
 道徳は既存の超越的な価値を個々人に強制します。そこでは個々人の差は問題になりません。
 それに対しスピノザ的な倫理はあくまでも組み合わせで考えますから、個々人の差を考慮するわけです。たとえば、この人にとって善いものはあの人にとっては善くないかもしれない。この人はこの勉強法でうまく知識が得られるけれども、あの人はそうではないかもしれない。そのように個別具体的に考えることを、スピノザの倫理は求めます。
 個別具体的に組み合わせを考えるということは、何と何がうまく組み合うかはあらかじめ分からないということでもあります。たとえばこのトレーニングの仕方が自分には合っているかどうか、それはやってみないと分かりません。その意味で、スピノザの倫理学は実験することを求めます。どれとどれがうまく組み合うかを試してみるということです。
 もともとは道徳もそのような実験に基づいていたはずです。それが忘れられて結果だけが残っているのです。ですから、道徳だから拒否すべきだということにはなりません。ただ、個々人の差異や状況を考慮に入れずに強制されることがあるならば、注意が必要になるわけです。
 スピノザの善悪の考え方は、その感情論と直結しています。簡単に見ておきたいと思います。
 スピノザは感情を大きく喜びと悲しみの二つに分けているのですが、より大なる完全性へと移る際には、我々は喜びの感情に満たされるのだと言っています。反対の場合は悲しみです。『エチカ』では、大きく二つに分けられた感情がさらに細かく分析されます。たとえば愛という喜び、共感の喜びなどです。
 興味深いのはむしろ悲しみの感情の分析のほうで、たとえば、ねたみの分析などは実に見事です。
 スピノザは「何びとも自分と同等でないものをその徳ゆえにねたみはしない」と言います(第三部定理五五系)。たとえば鳥が空を飛んでいるのを見ても私たちは「なんであいつらだけ飛べるんだ!ずるい!」などとは思いません。鳥は自分たちと同等だとは思っていないからです。
 しかし、たとえば自分が同等だと思っていたクラスメートが優遇されたり、自分よりも高い能力を示したりすると、とたんに私たちはねたみの感情に襲われます。同等だと思うがゆえにねたむわけです。「なんであいつだけ……」というわけです。
 スピノザによれば、ねたみは憎しみそのものであり、したがって悲しみの感情です。そうやってねたんでいる時、私たちはより小なる完全性へと向かいつつあり、活動能力を低下させていることになります。つまり自分のもっている力を十分に発揮できない状態です。自分の外側にある原因(ねたみの対象)に自分が強く突き動かされてしまっているわけですから、自分の力を十分に発揮できない、つまり活動能力が低下しているのです。
 スピノザにおける善悪の考え方の基本的なラインを説明しました。まだ疑問に思う点もあるかもしれませんが、関係する論点はこの後、一つひとつ取り上げていくつもりですので、ゆっくりお付き合いください。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.46-54. 

 これを現実の問題、たとえば先日長野県で起こった殺人事件のことで考えてみると、どうなるだろうか。散歩の途中で談笑していた二人の高齢女性を、自分のことを笑っていると感じた31歳の男が路上で刃物で殺害し、通報を受けてやってきた警官二人も猟銃で射殺したという事件。もちろんこの殺人は、どうみても悪であり許しがたい犯罪だけれども、ただこの男を悪人だというだけでは何も説明したことにならない。第一、彼がこの行為をする以前は、何を考えていたにしても、悪人とか犯罪者とか決めつけることは難しい。スピノザ的に言えば、彼が悪人だからこんなことをした、のではなく、彼を取り巻いていた原因(ずっと孤独・・自分が通常の社会関係がもてない人間だと周囲に見られていた、という)に強く突き動かされてこんな行為に至ってしまったわけで、自らの活動能力を低下させた状態にあったゆえに、他者への攻撃に向かったことになる。通常の理解の範囲を超えた行為だけれど、その状況と結びつきを考慮せずに「悪人だから」こんなことをする、という説明よりはずっと納得につながる考え方だろう。



B.ジャニーズの疑惑?
 芸能話題とくに人気タレントのゴシップなどを扱うのは主に女性週刊誌、あるいはスポーツ新聞など大衆向けメディアで、大手の大新聞は興味本位の芸能人記事は載せない、という常識があったことは確かだろう。人気タレントが多く所属する芸能プロダクションとの関係を重視するテレビが、ジャニーズ事務所のスキャンダルを抹殺するということも、あるのかもしれない。しかし、この所属タレントへの性加害という問題は、そうした芸能話題などとは質の違うものだと思う。それを大手新聞メディアがまともに採り上げなかったことは、おおいに反省すべきだった。少なくとも「週刊文春」に対する訴訟でジャニーズ側が敗訴したという事実もあったのに、メディア全体が軽視していた、ということを英国メディアの指摘から気がついた、とすれば迂闊だ。

「ジャニーズ性加害問題 新聞に欠けていたものは :論説委員 田玉 恵美 
 新聞はなぜ報じてこなかったのか。ジャニーズ事務所の創業者ジャニー喜多川氏による性暴力疑惑に注目が集まるなか、厳しい批判の声が耳に届く。
 そう言われるのも当然だろう。疑惑の報道は長きにわたってあった。だが、朝日新聞が本格的に論じたのは、被害を訴える男性が顔を出して実名で記者会見をした4月になってからだ。なぜ見過ごしてきたのか。自分なりに考えてみたい。
  •     *     *  
 調べると、この問題を伝える報道は、週刊誌などで1960年代から散発的に続いていた。大きな転機は、99年から「週刊文春」が手がけたキャンペーン報道だろう。
 喜多川氏による「セクハラ」について匿名の少年たちの訴えなどを14回にわたって伝えたものだ。ジャニーズ事務所と喜多川氏は名誉棄損だと訴えたが、03年の東京高裁判決はセクハラに関する記事の重要部分を真実と認定。04年に最高裁で確定した。
 朝日新聞は一連の判決をすべて報じている。ただ、多くは記者の署名もないベタ記事だ。今思えば、扱いが小さすぎるように思う。事情を知っていそうな同僚やOB・OGらにできる限り聞いたが、そもそも文書の記事の内容や裁判の詳細について当時の状況を覚えている人がいなかった。
 ただ、多くの人が同じ推測をした。この「セクハラ」が性暴力で、深刻な人権侵害にあたるとの認識が欠落していたことだ。女性への性暴力を精力的に取材していた記者でも「男性が被害者になるという感覚を持てていなかった」という。当時の編集幹部は「家庭で子どもの眼にも触れる新聞に、性の話題はふさわしくないという古い考えも根強かったと思う」といった。
 この疑惑は週刊誌が得意とする「芸能界のゴシップ」であり、新聞が扱う題材ではないと頭ごなしに考えてしまったのではないかと省みる人も多かった。芸能界は「そういうこともある」特殊な世界だと思い込んでいたため、ジャニーズ事務所も新聞が監視すべき権力のひとつであるという意識を持てなかった可能性がある。
 ジャニーズがタブーだから報じなかったのではないか。そんな声も聞くが、少なくとも私が知る限り、朝日新聞の取材現場がジャニーズに忖度しなければならない理由はないように思う。実際、真相を探ろうと取材した同僚もいた。
 経済部の男性記者(46)は別の部署にいた08年、複数の元ジャニーズの男性を見つけて話を聞いたが、記事化に至らなかった。「被害者意識を持ち、それを訴えたいという人に会えなかった。その他の取材結果も合わせて検討し、この状況では記事にはできないと当時は判断した。ジャニーズはタブーではなかったし、新聞なら書けると思って取材をした。結果として、記事にできるだけの材料をそろえられなかったのは情けないのだけれど」
  •      *      * 
 テレビがこの問題を取り上げていたら大問題になるはずなので、ジャニーズに入ることはなかったんじゃないか。被害を訴えた男性が会見で発したその言葉は、新聞社で働く自分にも重く響いた。
 私は10~13年に文化部にいた際、ジャニーズの役者に主演ドラマの見どころなどを聞いた記事を5本書いた。「良からぬうわさ」があるのは漠然と知っていたが、具体的に知ろうとしなかった。目を向けていたのは、事務所や放送局に都合のいい華やかな側面だけだ。そのビジネスに組み込まれた重大な疑惑で、新聞こそが取材すべき案件であると考えることができなかった。
 世の中にある問題をくまなく把握して十分に伝えることはとても難しい。メディアはいつだって不完全だ。常になにかを見落としているだろう。でもだからこそ、それをたえず自覚して、いまの常識や価値観に安住していてはいけない。この苦い経験にあらためてそのことを教えられた。」朝日新聞2023年5月27日朝刊、13面オピニオン欄 多事奏論。
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 スピノザ入門を読む 2  神=自然? 哲学のノーベル賞

2023-05-25 15:37:28 | 日記
A.スピノザ哲学の核心 
 名のある哲学者の説については、たいてい分かりやすく要約した解説本があって、難しそうな原著を読まなくても「ああ、そういうことを言ってるのか…」とわかった気になる。でも、そんなに簡単に説明できることなら、もっと広く読まれ通俗化するはずなのに、そうはなっていない。スピノザの『エチカ』も、短くすっきりした定義とその展開という叙述形式は、19世紀のドイツ観念論みたいな長たらしく難解な文章が延々と続くようなものとは正反対ながら、やはりすっと理解できるものではない。そこで、ぼくも安易にこの國分功一郎氏の親切でわかりやすい解説本を読もうとしているわけで、問題はそれが21世紀の現代にどこまで意味のあるものなのか、を頭において解説されているかだと思う。とりあえずスピノザの思想の中心はどこにあるのか、國分氏の説明はわかりやすい。つまりスピノザは「汎神論」だという通俗的説明のわかりやすさではなく、わかりにくさ、「神」というものを通常のキリスト教の「神」と同じものと考えていいか、ということから始まる。

「ではスピノザの思想はいかなるものであったのでしょうか。
 教科書などではしばしば、『エチカ』に見られるスピノザの思想は「汎神論」と解説されています(ちなみに、哲学ではよくあることですが、これは本人によるネーミングではありません)。「汎神論」とは、森羅万象あらゆるものが神であるという考え方です。日本では「八百万の神」のような、多神教的な自然崇拝のイメージが馴染み深いと思いますが、スピノザの「汎神論」では神はただ一つです。
 もしかしたら「神」という言葉が出てきただけで、関心を少しばかり失ってしまった人もいるかもしれません。少しだけ我慢してお付き合いください。
 というのも、スピノザの考える神は、世間一般でイメージされているそれとはずいぶん異なるものだからです。少しずつ見ていきましょう。
 スピノザの哲学の出発点にあるのは「神は無限である」という考え方です。
 無限とはどういうことでしょうか。無限であるとは限界がないということです。ですから、神が無限だとしたら、「ここまでは神だけれど、ここから先は神ではない」という線が引けないということになります。というのも、もし神に外部があったとしたら、神は有限になってしまうからです。というのも、もし神に外部があったとしたら、神は有限になってしまうからです。
 言い換えれば、神には外部がないということです。というのも、もし神に外部があったとしたら、神は有限になってしまうからです。たとえば私たちは有限です。空間的には身体という限界をもっていますし、時間的には寿命という限界をもっています。
 神は絶対的な存在であるはずです。ならば、神が無限でないはずがない。そして神が無限ならば、神には外部がないはずだから、したがって、すべては神のなかにあるということになります。これが「汎神論」と呼ばれるスピノザ哲学の根本部分にある考え方です。
 これはある意味で、世間で考えられている絶対者としての神を逆手にとった論法とも言えます。誰もが神を絶対者と考えている、ならば、それは無限であろうから、すべては神の中にあることになるだろう、というわけです。
 すべてが神の中にあり、神はすべてを包み込んでいるとしたら、神はつまり宇宙のような存在だということになるはずです。実際、スピノザは神を自然と同一視しました。これを「神即自然」と言います(「神そく自然」あるいは「神すなわち自然」と読みます)。
 神すなわち自然は外部をもたないのだから、他のいかなるものからも影響を受けません。つまり、自分の中の法則だけで動いている。自然の中にある万物は自然の法則に従い、そしてこの自然の法則には外部、すなわち例外は存在しません。超自然的な奇跡などは存在しないということです。
 「神」という言葉を聞くと、宗教的なものを思い起こしてしまうことが多いと思います。ですが、スピノザの「神即自然」の考え方はむしろ自然科学的です。宇宙のような存在を神と呼んでいるのです。
 このような神の概念は、意志をもって人間に裁きを下す神というイメージには合致しません。彼の思想が無神論と言われた理由はここにあります。
 もちろんこれはおかしな話です。神を絶対者ととらえるのならば、スピノザのように考える他ないはずだからです。
 しかし、そのような理屈が通用するはずがありません。教会権力が政治権力に勝るとも劣らぬ力をもっていた時代において、スピノザの考え方は人々には受け入れがたいものでした。別の言い方をすれば、それは非常に先進的であったわけです。
  『エチカ』はどんな本か
 以上を踏まえて、『エチカ』の内容を見ていきましょう。
 まず、タイトルの『エチカ』という言葉ですが、これは「倫理学」を意味するラテン語のethicaで、英語だとethicsになります。倫理学とはごく簡単に言えば、どのように生きるかを考える学問のことです。
 エチカの語源はギリシア語のエートス(ethos)なのですが、ここまで遡ると面白いことが分かります。
「エートス」は、慣れ親しんだ場所とか、動物の巣や住処を意味します。そこから転じて、人間が住む場所の習俗や習慣を表すようになり、さらには私たちがその場所に住むにあたってルールとすべき価値の基準を意味するようになりました。
 つまりエチカとしての倫理の根源には、自分がいまいる場所でどのように住み、どのように生きていくかという問いがあるわけです。
 仮に道徳が超越的な価値や判断基準を上から押しつけてくるものだとすれば、倫理というのは、自分がいる場所に根ざして生き方を考えていくことだと言えます。この意味で、人間がどのように生きていくべきかを考えた本のタイトルに、このスピノザがこの語を選んだというのはとても興味深いことです。
『エチカ』という本は書き方がちょっと変わっています。
 それを説明しているのが、「幾何学的秩序によって論証された」というサブタイトルです。まるで数学の本のように、最初に用語の「定義」が示され、次に論述のルールを定める「公理」が来て、それからいくつもの「定理」とその「証明」がひたすら続き、そこに「備考」という補足説明がついて……という形式が繰り返されるのです。
 哲学の本というと長い地の文がずっと続く論文というイメージがあるかもしれませんが、『エチカ』は「定理一」から始まって「定理二」「定理三」と、短い断章のような分が連なってできているのです(補足説明である「備考」がかなり長い文章になっていたり、部の頭に「序言」がついていたりすることもあります)。
 読者がまず驚かされるのはこの形式だと思います。慣れないと読みにくいかもしれません。ただ、自分の気になる短い断章を見つけて、その周辺から読み始めるということもできるので、長い地の文を最初から読まなければならない哲学書よりは実は読みやすいかもしれません。
『エチカ』は全体が五部で構成されています。以下が各部のタイトルです。
  • 神について
  • 精神の本性および起源について
  • 感情の起源および本性について
  • 人間の隷属あるいは感情の力について
  • 知性の能力あるいは人間の自由について 
『エチカ』を手にした人は、おそらくこの本を冒頭から読もうとすると思うのですが、第一部「神について」を見てみると序文もなく、いきなり定義から始まるのです。一つ目の定義は次のようなものです。

 自己原因とは、その本質が存在を含むもの、あるいはその本性が存在するとしか考えられないもの、と解する。(「第一部定義一」)

 最初からこのようなことを言われても、少し困ってしまうかもしれません。これは、神が自己原因であることを説明するために、あらかじめ自己原因という言葉を定義している箇所なのですが、出だしからつまづいてしまう読者も少なくないでしょう。序文もなく、思考の構築のプロセスに突如放り込まれるところから始まる点は『エチカ』を読み始める上での一つの難関かもしれません。
 そこでまずはじめにお伝えしておきたいのは、別にここから読み始めなくてもいいということです。ぱらぱらと本をめくったり、後ろの索引を見たりしながら、気になる定理から読んでみればいいのです。
 定理という断章が連なるこの本はむしろそのような読み方に向いています。なぜなら、どこから読み始めてもある程度理解できるからです。もっと知りたいと思ったら、そこから遡ったり、あるいは読み進めたりすればいい。もしかしたらこれはあらゆる哲学書について言えることかもしれません。
 岩波文庫版だと上下巻で、下巻は第四部から始まっています。私が提案したい読み方は、下巻から読むことです。第四部の序文が、ちょうど『エチカ』全体の序文として読むこともできる内容になっているからです。ここを出発点にすると読みやすいだろうと思います。
 カール・マルクスが『資本論』第二版の後書きで、「叙述方法は画然と研究方法と異なっていなければならぬ」(『資本論(一)』向坂逸郎訳、岩波文庫、31頁)と言っています。スピノザの場合だって、彼が実際に思考を進めた順序と、『エチカ』の叙述の順序は同じではないのです。叙述の順序にこだわるあまり、最初から読み始めてつまづいてしまうのはもったいないことです。
 『エチカ』第四部序言
 実際にその第四部「人間の隷属あるいは感情の力について」に目を向けてみましょう。
 第一部で神が詳しく定義されたあと、第二部では物理学的・生理学的な仕方で人間の「精神」と「身体」が議論されます。続く第三部では「感情」の本質が論じられ、それを引き継ぐのが第四部です。そこでは感情を統御する人間の無能力が「隷属」と呼ばれています。自分の感情の赴くままに動いている人間は、自分のことを自らの力のもとにあって自由だと思っているかもしれないが、そうではないというわけです。
 実際に第四部の序文を読んでいきましょう。ここでは善悪の概念が検討されています。「良い」と「悪い」が独自の仕方で定義されることになります。
 話は「完全」と「不完全」という概念の分析から始まります。私たちはこれらの言葉を日常的に使っています。たとえば建築途中の家を見ると不完全だ、つまり、完成していないと口にする。では、なぜそれを不完全と呼ぶかというと、私たちが完成された家についての一般的概念をもっていて、それと比較しているからです。たとえば、「まだ屋根がついていないから完成していない」という具合です。
 完全/不完全は人間がつくるものだけでなく、しばしば、自然界のものについても言われます。たとえば牛という動物について、牛の一般的観念と一致すれば、私たちはそれを完全と言い、そうでなければ不完全と言う。角が二本あれば完全だけれど、一本だから不完全だという具合です。
 しかしこの一般的観念というのはいわゆる偏見です。これまで何度も見たものに基づいて作られた観念にすぎないからです。それぞれの個体はただ一つの個体として存在しているにすぎません。
 そのことを指摘したスピノザは、すべての個体はそれぞれに完全なのだと言います。存在している個体は、それぞれがそれ自体の完全性を備えている。自然の中のある個体が不完全と言われるのは、たんに人間が自分のもつ一般的観念、つまり「この個体はこうあるべきだ」という偏見と比較しているからであって、それぞれはそれぞれにただ存在しているのである。
このことはいわゆる心身の「障害」にもあてはまります。「障害」というのも、マジョリティの視点から形成された一般的観念に基づいて判断されているにすぎません。個体それ自体は、一個の完全な個体として存在しているのです。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.35-45. 

 スピノザの「神」というのは、ある意思をもって人間や自然の運命を左右する人格神ではなく、いわばあるがままの世界、目の前の自然が神なのだ。人間も動物も、男も女も、障碍を持つ者も持たない者(何が障碍であるかも含め)も、それらは等しく自然であり神の力の発現なのだ。と考えると、ぼくたちの生きている世界は、かなり違った相貌をもって見えてくる。


B.柄谷行人の仕事
 漱石論を中心に文芸批評家としていくつか著作を発表していた柄谷行人という人の本を、ぼくは学生の頃からかなり熱心に読んできたと思う。やがて、文学評論からカント、マルクス、フーコー、デリダ、そしてスピノザなど西洋哲学の核心を論じていくような著作を書き、1990年代になると『世界史の構造』など自らの哲学を展開し、現実の社会的問題にも根源的な視点で発言を続けている。80歳を越えてもその思索と活動は続いて、このたびバーグルエン賞受賞となったのは、たしかに大きなニュースだった。賞金100万米ドル(約1億3300万円)というのも、話題になった。文芸評論家時代の柄谷さんは、ただ頭のよさばかりが目立って、頭の悪い文学業界人には敬遠され揶揄されていたけれど、今となっては、やっぱり凄かったということになる。毀誉褒貶は人の倣い、こういう仕事が日本人から出てきた、ということもまあ二次的なことだ。

「柄谷行人さんにバーグルエン哲学・文化賞 マルクス思想 独創的に解釈
 哲学者の殻内行人さん(81)が4月、米シンクタンク、バーグルエン研究所から2022年の「バーグルエン哲学・文化賞」を贈られた。「哲学のノーベル賞」を目指して創設された賞だが、柄谷さんの思想のどんな点が国際に評価されたのか。
 「民主主義、ナショナリズム、資本主義の本質に迫る。その貢献は世界的な民主主義の危機を迎える今日、とくに訴えるものがある」。バーグルエン賞の審査委員で中国・精華大学人文社会科学学院長の汪暉(ワンフイ)さんは、4月に東京都内で開かれた贈呈式の式辞で、柄谷さんの思想についてこう語った。
 汪さんは柄谷さんの業績を「マルクスの思想の抜本的な再解釈」とした。従来のマルクス主義の考えに大胆に挑戦して、「生産様式」ではなく「交換様式」という独自の概念で歴史の展開を捉えた点を評価した。
 交換様式には、A=互酬(贈与と返礼)、B=服従と保護(略取と再分配)、C=商品交換(貨幣と商品)、A~Cとは次元の異なるDの四つがあると柄谷さんは説く。どの交換様式が支配的かによって社会のありようが決まる。Aなら氏族社会、Bは国家、Cは資本主義、そしてDは「Aを高次元で回復した何か」としてあらわれるという。
 汪さんは「彼は批評家であり続けた。最初は文学、そして建築、哲学、そして最終的には世界史の構造について批評した。彼は批評のための新しいエネルギーを探し続けた」と述べた。
 バーグルエン賞の特徴は何か。受賞者の共通点について社会学者の大澤真幸さんは「リベラルで、今後の社会に希望的な展望をもたらした人が選ばれているようだ」と話す。これまで、カナダの哲学者チャールズ・テイラーさんや、米最高裁判事だった故ルース・ベイダー・ギンズバーグさんらが受賞している。
 哲学はドイツやフランスを中心に発展し、20世紀後半からは英米圏に中心が移り、社会に対して思想を実践する動きが目立ってきた、と大澤さんは言う。
 こうした流れのなかで、柄谷さんがカントやマルクス、フランス現代思想といった西洋哲学の本流を咀嚼し、独創的な思想を展開している点に大澤さんは注目する。「日本の文化的環境からこうした思想が出てきたことは非常に良かった」。柄谷さんはアジア初の受賞だ。
 柄谷さんは、近著「力と交換様式」で、交換様式Dは「“向こうから”来る」と論じた。大澤さんは、「むしろDがやってくるからこそ、僕らは何かをしなくてはいけなくなる」と解釈する。
 受賞によって、海外でも柄谷さんの著作を読む人が増えるだろう。大澤さんは「次の世代の僕たちが、交換様式論を社会に生かせるように考えていかなくてはいけない。思想というのは、前の人の蓄積を次の世代の人たちが受け取ることが重要だ」と語る。(田島知樹、真田香菜子)」朝日新聞2023年5月25日朝刊、27面文化欄。
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 スピノザ入門を読む 1 哲学って?  G7の変質

2023-05-22 17:17:05 | 日記
A.哲学は難しい?でも考える力は必要だ
 西洋の哲学というものがどんなものか、ぼくが最初に学校で習ったのは、高校の「倫理・社会」という科目で古代ギリシャのソクラテス、プラトン、アリストテレスという名前を教わって、そこから中世は暗黒の時代だからすっとばして、一気にデカルトにきて、啓蒙主義からカント、ヘーゲル、マルクスときて、20世紀の実存主義まで、ものすごい駆け足で哲学史のダイジェストを先生が説明するのを聞いた。わかったようなわからんような、とにかく高校生にはなんだか難しいことを考えるのが哲学なのか、と思って終わるのが、おおかたの高校生の記憶だった。「社会科」科目のなかで歴史や政治・経済は受験科目でもあるし、事件や人物という具体性があるのでそんなにわかりにくい話はないが、倫理や哲学というのはそれを知っていても何の役に立つのか、だいたい何が善で何が悪か、何が正しく何が間違いか、なんて考えても簡単に答えは出ない。正解のない問いは試験で得点にならない。ただ、ぼくはそうやってものを考える時間は楽しいと思った。数学は頭の体操で、やはり抽象的に思考実験するような世界だが、数字や記号で考えるのに対して、哲学は「概念」という言葉で考えるわけで、数学とは違う抽象的世界だと思った。
 その後、大学生になっていくつか哲学書なども読み、最新のフランス現代思想がもてはやされた時代には、それなりにフーコーやドゥルーズやデリダなんかも読んでみた。自分が社会学というものを専門としたこともあり、フッサールからシュッツ、あるいはヴィトゲンシュタインというあたりはまじめに読んだ。解説本も含め、哲学者がどういうことを問題にしてきたか、ある程度見当がつくようにはなったが、スピノザという名前は知っていても、汎神論というのは神様の話らしく、それがどうして現代にも意味があるのか、よくわからなくて『エチカ』を読もうとは思わなかった。それが、NHKの「100分de名著」というお手軽解説シリーズの番組が放映された中に、國分功一郎氏のスピノザ「エチカ」というのがあり、これを見て興味をもった。ちゃんと『エチカ』を読むのはどうも大変そうだが、とりあえずこの放送をもとにした新書「はじめてのスピノザ」(講談社現代新書)を見つけたので、お手軽だが読んでみることにした。

「スピノザは17世紀オランダの哲学者です。1632年、アムステルダムのユダヤ人居住区に生まれた彼は、1677年にハーグでわずか44歳の生涯を終えるまで、生前には二冊の本しか出版していません。
 残りの著作は、彼の死後、友人たちの手によって遺稿集として刊行されました。スピノザの思想の核となる部分は、彼が死んでから世に知られるようになったのですが、その核こそ、本書で取り上げる『エチカ』に他なりません。
 生前に匿名で出版した『神学・政治論』が無神論の書として取りざたされたため、スピノザはずっと危険思想家として扱われることになります。死後もスピノザへの攻撃は続きました。
 しかし、その思想が忘れられたことはありませんでした。300年以上を経たいまも、多くの思想家・哲学者に影響を与え続けています。
 「エチカ」とは、倫理学という意味です。しばしば読むのがとても難しい本だと言われています。
 たしかに、スピノザの書き方や思想のあり方は少し変わっています『エチカ』を読み解くためには、何かしらの手引きが必要かもしれません。本書を通して、皆さんに読書の手引きになるお話ができればと思っています。
 それにしてもなぜ、17世紀の本を今読む必要があるのでしょうか。
 スピノザが生きていた17世紀という時代は、歴史上の大きな転換点でした。たとえば、いま私たちが知っているタイプの国家は、この時期に誕生しています。
 この国家形態は「主権」という言葉で特徴づけられますが、私たちが「国民主権」という表現を通じて慣れ親しんでいるこの考え方がヨーロッパではじまるのも17世紀です。
 学問に目を向ければ、デカルト(1596~1650)が近代哲学を、ニュートン(1642~1727)が近代科学を打ち立てるのもこの時期です。ホッブズ(1588~1679)やロック (16321704)の社会契約説も登場しました。
 現代へとつながる制度や学問が出揃い、ある一定の方向性が選択されたのが17世紀なのです。
 スピノザはそのように転換点となった世紀を生きた哲学者です。
 ただ、彼はほかの哲学者たちと少し違っています。スピノザは近代哲学の成果を十分に吸収しつつも、その後近代が向かっていった方向とは別の方向を向きながら思索していたからです。
 やや象徴的に、スピノザの哲学は「あり得たかもしれない、もうひとつの近代」を示す哲学である、と言うことができます。
 そのようにとらえる時、スピノザを読むことは、いま私たちが当たり前だと思っている物事や考え方が、けっして当たり前ではないこと、別のあり方や考え方も充分にありうることを知る大きなきっかけとなるはずです。
 たとえば人間の「自由」についてのスピノザの考え方は、私たちが囚われている常識を覆すものです。
 現代では、「自由」という言葉は「新自由主義」のような仕方でしか使われなくなってしまいました。この経済体制が強いる過酷な自己責任論は多くの人に生きづらさを感じさせています。「自由」の全く新しい概念を教えてくれるスピノザの哲学は、そうした社会を捉え直すきっかけになります。

 ただ、先ほども述べた通り、スピノザは基本的な考え方が私たちと少し違っています。ですから、この哲学を理解するためには多少注意が必要になります。
 私事になりますが、わたし自身もかつて学生の頃、17世紀の政治思想や哲学への強い関心があったにもかかわらず、スピノザにはなかなか手を出せずにいました。その頃スピノザはとても人気がありましたが、ほかの哲学者と違って、読んでもすぐには分からないのです。
 しかし逆にその「わからなさ」が大きな魅力でもありました。どうにかして理解したいと思ったのが、私が20年前、スピノザを研究対象に選んだきっかけです。
 わたしはスピノザ哲学を講じる際、学生に向けて、よくこんなたとえ話をします。
 ――たくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることができる。ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。ところが、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない。なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーティング・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない……。
 「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」と言う時、私が思い描いているのは、このようなアプリの違いではない、OSの違いです。スピノザを理解するには、考えを変えるのではなくて、考え方を変える必要があるのです。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.3-7. 

 スピノザが、どういう人物だったかぼくは何も知らなかった。オランダ・アムステルダム生れの哲学者といっても、ルーツはスペインのユダヤ人だったという。オランダはかつてスペイン領で1568年から始まった独立戦争で、最終的にネーデルラント共和国が1648年のヴェストファリア条約で国際的承認をえるまで80年かかったという歴史がある。カソリック王国のスペインから、プロテスタントの独立共和国へと自立したオランダの歩みと、ユダヤ系家庭に生まれたスピノザの思考形成はひとつの背景として考える理由もあると思う。

「スピノザにはファーストネームが三種類あります。ベントー(bento)、バールーフ(Baruch)、そしてベネディクトゥス(Benedictus)です。三つとも「祝福された者」という意味なのですが、この三つの呼び名はそれぞれが、スピノザの人生の異なった側面を象徴しています。これを手がかりに彼の人物像に迫っていくことにしましょう。
 「ベントー」はポルトガル語の名前です。
 スピノザの祖先はスペイン系のユダヤ人で、15世紀の終わり、スペインでユダヤ人への迫害が強くなった際に一家で隣国ポルトガルに逃れています。貿易商だった父はポルトガルの生まれです。しかしポルトガルでも迫害は激しくなり、一家はフランスを経由してオランダのアムステルダムに移住することになります。
スピノザは、1632年11月、この街のユダヤ人居住区に誕生しました。
彼の肖像画を見ると、髪は黒く縮れ、瞳も黒く、肌の色も浅黒くて、イベリア半島の出身を窺わせます。家庭ではスペイン語とポルトガル語が使われていたためでしょう、オランダ生まれにもかかわらず、オランダ語はあまり得意ではありませんでした。スペイン語とポルトガル語を流暢に話し、フランス語も少し話せたようです。そんな彼の家庭内での呼び名がベントーでした。この名は彼の出自を示しています。
次の「バールーフ」はヘブライ語の名前です。
ユダヤ人家庭といっても、伝統的な立場を重視する保守的で厳格な家から、「懐疑派」と呼ばれるリベラルな家まで多様性があったことは押さえておかねばなりません。スピノザはどちらかというとリベラル寄りの家で育ったようです。
「バールーフ」はつまり、彼の家族の信仰と結びついた名前であるわけですが、この信仰を巡り、彼の人生における最初の重要な事件が1656年の夏に起こります。24歳の誕生日を迎えようとするスピノザが、ユダヤ教会から破門されるのです。
破門の理由とされる「劣悪な意見および行動」の具体的内容ははっきりしません。しかし、スピノザのようなきわめて知的で批判的な精神をもった若者が、伝統に寄りかかるだけの保守的な教会のあり方に疑問をもち、それに対して服従の態度を示すのを拒否するというのは容易に想像できます。教会側としては生意気な若者にちょっとお灸をすえてやろうという程度の軽い「破門」だったようです。
ところがスピノザは悔悛の勧めを受け入れるどころか、自説を擁護する弁明書をスペイン語で書いて教会に送りつけたといいます。とても豪快なエピソードですが、それにより彼は故郷のユダヤ人社会と決定的に袂を分かつことになります。
スピノザがユダヤ人のコミュニティに生まれたことは、彼の哲学者としての人生にとって大きな意味をもちました。
スピノザは幼いころからユダヤ人学校に通ってヘブライ語を学んでいます。ヘブライ語に堪能だったことが、のちに『神学・政治論』という、聖書の批判的読解を行なった本を書くときに役立ちます。これは初めて科学的な研究の立場から聖書を読解した近代聖書研究の出発点とも言われる本です。また友人たちに勧められて『ヘブライ語文法綱要』という語学の教科書も書いています。そこでの文法の説明にもスピノザ哲学の考え方と通ずるものが見いだせます。
この破門事件と関係する印象的なエピソードをご紹介したいと思います。
破門の直後、1656年8月のある夕刻、スピノザは劇場から出てきたところをいきなり暴漢に襲われ、外套の上からナイフで肩口を切りつけられてケガを負います。狂信的な信者による犯行でした。
幸いにして軽傷でしたが、彼は念のために近くに住むファン・ローンという旧知の意思の家に言って診察を受けることにします。
32歳年長のファン・ローンはオランダの画家レンブラント(1606~69)とも親交があったリベラルな人で、のちに若いスピノザの勧めで「レンブラントの生涯と時代」(リュカス/コレルス『スピノザの生涯と精神』渡辺義雄訳、学樹書院所収)という手記を残すことになります(そのファン・ローンの証言についてはその史実性を疑う研究者がいることを念のため申添えておきます)。
スピノザは初め、暴漢に襲われたことを隠し、屋根裏部屋で本を取り出そうとして何かにぶつけて怪我をしたと嘘をつきます。疑問を呈する医師に向かって下手な嘘を重ね、その嘘のぎこちなさに結局二人は顔を見合わせて大笑いします。スピノザは自分の身に起きたことを告白しました。
ファン・ローンが傷の手当てをした後、スピノザにこう言いました。
「裂けた外套を仕立屋で修理しなければなりませんね」
 するとスピノザはこう答えたと言います。
「いいえ、私はこの穴の空いた外套を我が民族の記念として取っておくつもりです。これを最後に彼らは私に何もくれないでしょうから」
 どういうことかお分かりいただけるでしょうか。真理を追究しようとする立場は、必ずしも世間の人々を喜ばせない。それどころかきわめて強い反発すら生み出す。この事件はその証拠であり、「わが民族」が私にくれた最後の教えである。そのことを私は忘れてはならない。だからそれをずっと肝に銘じておくために、穴の空いた外套をそのままにしておこうというのです。
 このエピソードは、哲学者なるものがいかなる存在であるかを端的に教えてくれるものだと思います。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.18-23. 
哲学者というものが、静かな書斎で本を読み考えるだけの人というイメージは、ドイツ観念論あたりからくるのだろうが、スピノザの場合、ある思想を述べるということは、暴漢に命を奪われる覚悟が要るようなことだったのだな。


B.サミットの変貌
 昨日終わったG7広島サミットの報道を見ていて、少々混乱した。平和と安全をたしかなものにするための国家間の協働と団結を謳いながら、その描く構図は、ウクライナ侵攻をやめないロシアとそのロシアを非難しない中国や非同盟国を、仮想敵としてウクライナへの軍事支援を強化する方向に進めるというものだ。かつてのG8サミットは、先進国が互いの違いをとりあえず認めて顔を合わせて話し合う、という妥協の会議だけれどもそれなりに意味はあったと思う。しかし、いまは世界を二分して対立する一方の側に、グローバルサウス諸国を巻き込もうとするイヴェントになってしまったような気がする。東京新聞の社説では「自由主義陣営vs.権威主義陣営」という表現すら使われていた。これは歓迎できない。

「平和外交より軍事力」突出 編集局次長 高山晶一 
G7広島サミットでは、核保有国の米英仏を含む各国首脳や、ロシアの侵攻で核兵器の脅威に直面するウクライナのゼレンスキー大統領が原爆資料館を訪れるなどして、平和への祈りをささげた。歴史的な意義があったのは間違いない。しかし、議論の結果は、平和外交より、軍事力を強化し抑止力を高めて脅威に対抗しようという意識が、突出しているように見える。
 「核なき世界」を目指す理念も後退した印象は否めない。昨年11月、インドネシアで開かれた二十カ国・地域(G20)首脳会議では、すべての核保有国を念頭に「核兵器の使用・威嚇は許されない」と宣言していたが、今回発出した「広島ビジョン」は、「ロシアによる」核の威嚇や使用は許されないと限定的に表現。G7側の安全保障政策で核兵器は、「防衛目的」のために役割を果たすべきものとして容認した。
 今回のサミットは唯一の被爆国である日本で七年ぶりに開催され、被爆地・広島が舞台。議長も、広島が地元で外相経験が豊富な岸田文雄首相だった。際限のない軍拡競争や核の脅威が続く世界の現状に対し、外交力を発揮して難局を転換する千載一遇のチャンスだったが、十分な効果はあっただろうか。」東京新聞2023年5月22日朝刊1面。
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理性の運命 10  新しい哲学も古くなる? ハイデガーとサルトル  官製婚活?

2023-05-19 10:53:20 | 日記
A.実存主義から構造主義へ
 生松・木田対談のここまでの流れをぼくなりに要約すると…フッサールの現象学的認識論から抜け出したハイデガーは、まずフッサールに倣って19世紀の実証主義や合理主義のもとになる形而上学(メタ‐フィジックス)は近代そのものだから否定している。それをより人間的(ヒューマニズム)なものにすると実存(イグジスタンシャリズム)みたいなことを言ったのを、フランスのサルトルたちが実存主義と言い出した。しかし、ハイデガーが主題に据えたのは実存ではなくて存在(ザイン)論だったので、ヒューマニズムにも否定的になる。一方でまだ強い影響力があるマルクス主義に対しては、その史的唯物論や発展段階論は近代主義の形而上学を引きずっているからもとよりダメで、結局その先のハイデガーは、「存在」というわかったようなわからない神秘的な境地に行っちゃった、ということかな。他方でサルトルの方は、ハイデガーとは逆に人間の主体性=ヒューマニズムの解放を、彼なりにマルクス主義の方向に傾いて行った。それには、硬直したスターリニズム的マルクス主義ではうまくいかないので、スターリン批判以後の新左翼的傾向に「経哲手稿」の初期マルクスもヒントにもってきて、ヒューマニックなマルクシズムてなことを出してくる。
 ちょうどそのタイミングで、ぼくなどは無知な高校生だったので、若者の自由を縛り付けようとする体制への反逆こそ、実存主義であり人間性の解放だとサルトルを偶像視した。一緒にやってきたボーヴォワールも、頭のよさそうな美女が女性解放を語る、というイメージで憧れた。しかし、ハイデガーのほうは『存在と無』なんて何を言ってるのか読んでも解らず、やがてヒトラーに接近したナチシンパだと聞いて、すっかり幻滅してしまった。若者は哲学なんてものに、軽薄に取りつかれ、ちゃんと読みもせずに自分勝手に批判する。彼らの文章はややこしいし、日本語訳の文章になるとさらにわけがわからなくなるのも仕方ないのだが。
 ちなみに「スターリン批判」とは、1953年にソ連のトップに君臨したスターリンが亡くなり、1956年のソ連共産党第20回大会におけるソ連共産党第一書記のニキータ・フルシチョフによる秘密報告「個人崇拝とその結果について」(ロシア語: О культе личности и его последствиях)で、スターリンが個人崇拝と反対派の大量虐殺を続けていたことを暴露したこと。これ以後、ソ連中央指導部は集団指導体制に移行し、コミンテルンによる世界革命という理念も変質解体していくことになる。

「生松 そのスターリン批判以後は、マルクス主義陣営の方が四分五烈してくるわけですね。かつての一枚岩的なところがなくなる。
 そのころから、「実存主義かマルクス主義か」という枠組みでは問題が処理できなくなってくるわけですね。
木田 実存主義者の方も、このころから分裂の兆しを見せはじめます。つまり、一方にはサルトルのように終始人間の主体的自由を強調し、ヒューマニズムの線を貫こうとする立場があるのですが、他方に、そうした人間の主体性やヒューマニズムこそが近代のヨーロッパ文明や、その帰結である現代の技術文明の思想的基盤だというので、反(アンチ)ヒューマニズムを説く人たちが出てくる。
 そういった立場をいちばんはっきり打ち出してきたのは、ハイデガーなんですね。サルトルは『実存主義はひとつのヒューマニズムであるか』という例の講演でも、ハイデガーを自分の思想的先駆者に数え入れているんですが、それに対してハイデガーの方は、1947年に「ヒューマニズムについての書簡」という書簡体の論文を書いて、かねて主張しているとおり自分は実存哲学者でもなければ、ましてや実存主義者でもヒューマニストでもない。自分の見るところ、いわゆるヒューマニズムの根底には形而上学があり、自分は形而上学の超克を目指しているのだから、当然ヒューマニズムの克服をも目指していることになる。自分の立場は反(アンチ)ヒューマニズムだ、と言い出すんです。
 ハイデガーは、はじめ『プラトンの真理論』と一緒にされていたこの論文を1949年にそれだけを独立して本にするとき、その署名のBrief über den HumanisumusのBriefを削って、Über den Humanismusにしているんですが、これは『ヒューマニズムについて(ユーバー)』という意味の背後に『ヒューマニズムを超えて(ユーバー)』という意味をひそませようとしたんですね。
 そして、ハイデガーの言うには、自分にとって問題なのは人間ではなく存在(ザイン)である。なぜなら、その時どきの人間のあり様を規定しているのは、存在が自己を開示するその仕方だからである。ところで、存在のその開示は言葉を通してなされる。したがって、人間よりも言葉の方が大事だし先なんだ、ということになるわけです。
生松 かなり神秘主義的になってきますね。いったいその存在とはなにか……。
木田 さあ、神だと読む人もあれば根源的自然だと読む人もいる。たしかに、後期のハイデガーには一種の神秘主義がある。
 それにしても、いわゆる実存主義の全盛期だった40年代には、あまり問題にもされず、その意味もよくわからなかったハイデガーの主張の意味が、50年代の後半になると、なんとなく理解できるようになってきた感があります。
生松 戦後の混乱が一段落し、体制化が進んできて、人間がおのれの主体性などというものをそれほど信用できなくなってきたということですか。核爆発の問題から科学や技術文明への深刻な反省もはじまったわけですしね。
木田 ちょうどそのころから、言語学や人類学の領域で育ってきた「構造」という概念が思想界に紹介されはじめてきた。つまり、話し手や社会の構成メンバーが意識的に作ったわけでもなければ、ふだんは意識することもない、じつに精緻な言語の構造や社会構造があり、むしろ話し手や社会成員は、それによって左右されているのだという考え方ですね。人間は自分では好きなように話しているつもりでも、実は、その構造によってそう話させられているに過ぎない、というわけです。そうした構造は、思考とか知一般に関しても考えることができる。そうした言語の構造、知の構造が、話し手であり思考者である人間とはいちおう無関係に厳然として存立しており、むしろ人間はそれによってそのつどのあり様を決定されているんだという考え方です。
 これが、人間より言葉が先だというハイデガーの反(アンチ)ヒューマニズムと結びついて、いわゆる思想としての構造主義が出てくることになる。フランスで言えば、サルトルやメルロ=ポンティよりも一世代若いミシェル・フーコー(1926~1984)やジャック・デリダ(1930~)といった世代の人たちによって代表される立場です。
生松 旧実存主義陣営がそんなふうに人間主義(ヒューマニズム)か構想主義かというかたちで分裂してくるのに対応して、マルクス主義陣営でも同じようなことが起こる。つまり、スターリン批判以後、科学主義を貫こうとする正統マルクス主義に対して、人間主義的立場に立って主体性を重視する西欧マルクス主義が抬頭してきたわけだけど、60年代に入ると、アルチュセール一派の構造主義的マルクス主義が出てきて、マルクス主義を人間主義的イデオロギーとしてではなく科学的理論としてとらえるべきだと主張しはじめる。つまり、新しい科学主義を説くわけですね、したがってここでも「人間主義か構造主義化」という枠組みが成り立つ。
木田 60年あたりを境にして、それまでの「実存主義かマルクス主義か」という図式が「人間主義か構造主義か」という図式に組み替えられてくる感じです。
生松 その枠組みで考えると、60年代後半の世界的規模での学生叛乱のなかでさまざまに問題になったフランクフルト学派、あれはマルクス主義のなかでの主体性派というかたちで出てきたわけだけれど、あれなんかは人間主義ということになりますかね。
 マルクーゼなどは、実証主義、科学主義というのは現状肯定主義だというので、社会哲学のレベルでヘーゲル哲学のもつ「否定哲学(ネガテイヴエ・フイロゾフイー)」としての力を積極的に評価しようとする。
木田 なるほどね。
生松 マルクーゼの、とくに『一次元的人間』などは一貫して実証主義批判ですからね。マルクス主義のなかでの実証主義はもちろん、論理実証主義も言語哲学も、すべて批判の槍玉にあげられています。
木田 一時廃語になりかけていた「社会哲学(ゾチアール・フイロゾフイー)」という言葉が、フランクフルト学派のなかでよみがえってきているのは面白いですね。やはり科学ならぬ哲学に否定の力を見ようとしているわけでしょうね。
生松 否定の力を失った科学主義や実証主義は思考の疎外態だというわけなんでしょう。
木田 もう一方の構造主義だけれど、これもそう突然あらわれたというわけではないんで、やはり前の世代との関連はあるわけです。
 たとえば、言語学や人類学や精神分析の領域での構造主義、つまり、ソシュールやレヴィ=ストロースやラカン(1901~1981)の仕事をそれらの領域以外に最初に紹介したのはメルロ=ポンティなんですね。もともとメルロ=ポンティは「ゲシュタルト」の概念や、神経生理学における「全体性」の概念を、「構造」という概念によってとらえ直し、その処女作にも『行動の構造』という標題をつけていたくらいなんですが、40年代後半から50年代にかけて、言語学や人類学の「構造」概念をも消化しながら、それにみがきをかけていたところがある。それが次の世代に影響はしているでしょうね。
生松 サルトルとメルロ=ポンティには、その基本的発想に決定的な違いがあるようだけど、メルロ=ポンティの思想には「構造」概念の入りこむ余地が十分にあるというわけですか。
木田 といっても、メルロ=ポンティの構造概念と、ミシェル・フーコーら次の世代のそれとはかなり違ったところはあるでしょうがね。
生松 どうもその両世代の関係がうまく理解できないんですね。
木田 ジャック・デリダが面白いことを書いています。つまり、自分たちにとってもその思想的源泉は前の世代の人たちにとってと同様、ヘーゲルであり、マルクスであり、フッサールであり、ハイデガーなんだけれども、その読み方が違うというんですね。前の世代は、それらをもっぱら人間主義的にしか読まなかった。ヘーゲルなら『精神現象学』を、マルクスなら『経済学=哲学手稿』だけを読み、フッサールにしてもその記述的領域的な研究だけを重視し、ハイデガーのうちにも哲学的人間学ないし実存論的分析しか見ない。ところが、自分たちは、ヘーゲルなら『論理学』を、マルクスなら『資本論』を、フッサールならその超越論的問題提起を、ハイデガーならその反形而上学、反人間主義を読む――正確にこう言っているわけではないんですが、そういう言い方で、世代の差を際立たせていました。
生松 それは面白いですね。サルトルやメルロ=ポンティのもうひとつ前の世代は、まあフランスではどうだかわからないけど、ドイツや日本では、まさにそういう読み方をしていたわけなんで、それをひっくり返して、ヘーゲルやマルクスに人間臭い主体的弁証法を読み込んだところにあの世代の功績があったわけなんでしょうが、それがまた次の世代によってひっくり返される感じですね。
木田 もとにもどるわけではなく、それこそ螺旋状に進んでいるんでしょうが、たしかにそういうところはあります。
生松 どうもいままでの話をふりかえってみると、個別科学の領域での構造主義というのはそう目新しいものではないんじゃないですか。「構造」とか「ゲシュタルト」とか「全体性」とか「システム」とか呼び方は違っていても、個別科学の領域での方法論的改革は一様にそうしたものに目を向けてきているわけだし、その有効性は疑問の余地のないものでしょうからね。むしろ問題は、そうした科学的方法としての構造主義にあるような感じですね。
木田 僕もそう思います。個別科学の領域でのそうした方法論的改革は時間的にはかなり前後していて、半世紀以上にもわたって行われているわけだけれど、そのあいだに「構造」概念がかなり精緻に鍛え上げられた。そうした「構造」概念を足場に、その含蓄を展開するという名目のもとに出てきたのがミシェル・フーコーやロラン・バルト、これは少し違うところもあるけれどジャック・デリダ、といった連中のいわば思想としての構造主義ということになりそうです。
生松 ただ、果たしてそれが「構造」概念の正当な、少なくとも唯一正当な展開かどうかに問題がありそうですね。そして、そこにもっと違った動機がからみあってきていないかどうかも。「構造」概念の含蓄の転回がそのまま反形而上学、反人間主義になるかどうか。
木田 それはなると思います。「構造」概念の含蓄のうちには、分析的理性だけにたよる近代の合理主義への批判があるわけだろうし、近代合理主義というのは形而上学的思考様式なり人間中心主義なりの必然的帰結でしょうからね。
生松 そうか。そういう意味では、構造主義は人間中心主義的なヨーロッパ近代に対する、またその帰結である現代の技術文明に対する批判的視点としては、十分に有効なわけなんですね。
木田 そう思います。ただね、その合理主義批判、人間中心主義批判がそのまま非合理主義になったり、感性や土着性への惑溺になったりしていいのかどうかが問題なんですね。
 個別科学の領域での構造分析の方法が有効だということにはまったく問題がないし、そこでは事実という歯止めがあるから心配はないんだけど、いわゆる思想としての構造主義というのは、一方では悪しき科学主義の再現の方向に向かう可能性をはらんでいるかと思えば、一方では非合理主義に短絡しかねないところがある。しかし、どちらの途もある意味では実験ずみなところがあるわけですよね。だから、構造主義というのが、文明批判の視点としてはきわめて有効なのはわかるのだけれども、どこか危険なところがあるように思うんです。しかも、その危険を充分に計算しての上のことならいいんだけれど、いまのところ、なんとなくモード化し、サロンの話題化しているようなところがある。モードとして扱うには、少し危険が大きすぎはしないかということを僕は言いたいんだけど、余計な心配かな。」生松敬三・木田元『現代哲学の岐路 理性の運命』講談社学術文庫、1996年。pp.239-248. 
 ハイデガーは86歳まで長生きして、教え子ハンナ・アーレントが亡くなった翌年、1976年5月26日に生まれた場所、メスキルヒで亡くなった。分析的理性による近代知への原理的批判が19世紀末から20世紀前半の哲学の大テーマだとすれば、古くはカントの理性批判、そしてフッサールか現象学からハイデガーの『存在と無』が扱う「死」、そして別の角度からは、ヴィトゲンシュタインの言語論とレヴィ=ストロースの構造主義、という配置で20世紀なかばの構図を眺めれば、おおよそ間違いはないというわけか。でも、そのあとどうなったか、ぼくたちは20世紀末までの世界史と思想のなりゆきを一応知っているわけだからね…。ちなみに構造主義のレヴィ=ストロースは、2009年11月、100歳で亡くなった。


B.官製婚活?なんのこと。
 日本の多くの地域社会にとって、もはや目を背けてはなにも語れない「少子化・人口減少」の現実は、国家の将来に致命的ともいえる未来を突きつけていて、政府はずいぶん前から「少子化対策」と称していろんな政策をとってきたが、どれも小手先の補助金程度の話で、なにもできていないどころか、まったく効果なく少子化はものすごい速度で進んでいる。それは地方都市を歩いてみれば、はっきり目に見えて人がいない。岸田首相は、これを「異次元」でなんとかすると口にしているが、その対策なるものは冗談に近い。今出ているのは「官製婚活」だそうである。つまり、若者が結婚するチャンスを拡充するという名目で、コロナで衰弱した結婚情報産業にお金を出すということらしい。なんと見え透いた小手先の弥縫策だろう。効果があるとはとても思えない。

「そこが聞きたい→官製婚活の問題は  多様な家族観の排除に:富山大非常勤講師 斉藤 正美 氏
 岸田政権が「異次元の少子化対策」を打ち出す中、地方自治体が相次いで、支年度予算案に「結婚支援」を盛り込んだ。「官製婚活」の問題に詳しい富山大非常勤講師の斉藤正美さん(社会学)は「幸せのお手伝い」を自認する施策によって「置き去り」にされる住民の存在に無自覚だと指摘する。【聞き手・朝比奈由佳】
――「官製婚活」はどのように広まったのか。
 第2次安倍政権が2013年に結婚と出産を促進する取り組みを提案し、交付金をつけたことで「官製婚活」が広かる契機になった。岸田政権が異次元の少子化対策と言っているが、実際には経済対策だと見ている。行政はお金を出し、実際に事業を行うのは委託された結婚情報産業だ。新型コロナウイルス禍などで経営が苦しくなった業界への支援に、私たちの税金が回っているということだ。
――官製婚活は何が問題か。
 「子ども家庭庁」の23年度予算案では、結婚支援として2億5000万円を計上し、結婚をテーマにしたテレビ番組の製作や電車内の動画広告など、幅広い媒体で結婚の機運醸成がうたわれている。それにより「結婚いいね」「子供を持つのが素晴らしい」という考えを、社会のあらゆるところで目にしたら、子供を持つ可能性がない人や、持ちたいと思っても持てない人、性的少数者で異性との結婚という法制度に入りたくても入れない人にとっては生き地獄ではないか。そういう政策はとるべきではない。結婚というプライベートなことに行政が介入するのは控えるべきだ。
――政府や地方自治体は「あくまで結婚したい人の希望をかなえるだけ」と主張する。
 社会の雰囲気や規範は、その人を縛る。政府が希望出生率1.8を掲げ、自治体が政策として結婚支援をすることは、子供を産めない人や結婚しない人たちをはじくことになる。「子供を持たなきゃいけない」ということを無意識にすり込まれることにもつながる。結婚はしても、しなくてもいいものだ。保守的な右派は「現代は行き過ぎた個人主義で、若者がわがままになって結婚なんかしない」と批判する。だが、私には、子供を持てなかったことが一生のトラウマになり、パニックを時々起こす祖母がいた。祖母の時代には、戦前の良妻賢母教育で「女は子供を持って一人前」という意識が強くあった。現代に「結婚いいね」という空気を行政が作ることで、個人を苦しめるようなことがあってはならない。
――行政はなぜ「結婚」をめぐる多様性への想像力に欠けるか。
「それは自分たちの問題ではない」と考える男性が、行政やメディアの中枢に多いからだろう。妊娠・出産は彼らがすることではないから、どれだけ大変なことかいまひとつピンとこない。「結婚して一人前」くらいに思って育っているような人が、役所やメディアでも中核を占めるのではないか。そういう人たちにとって「結婚支援」は自分の考えとシンクロしやすい。
――国や地方自治体が本来、すべきことは。
 1979年に、国は「家庭基盤充実政策」を打ち出した。女性が子育てや介護で家庭を守ることが国の社会保障財源を考えると一番安上がりだ、というものだ。そうした家族観が今も引き継がれ、政策として家庭重視につながっていると考えている。産む、産まないの決定は個人の権利だ。だがそれが軽視されてきた。「官製婚活」ではなく、「結婚どころじゃない」という非正規労働の人たちの生活の質を底上げし、誰でも無理なく子育てと仕事の両立ができる環境を整えることが必要ではないだろうか。女性にとって結婚が負担となったり、リスクとなったりする状況を変えていくべきだ。
  聞いて一言:
 産む、産まないは、個人の選択なのに、結婚の奨励がなぜ少子化対策なのか。「それが個人の権利であることが軽視されてきたからだ」と斉藤さんは言う。「官製婚活」により取り残される住民はいないか。行政は一度、立ち止まって考える必要がある。」毎日新聞2023年5月16日朝刊、9面オピニオン欄。
 註:希望出生率1.8 ・・若い世代の結婚、妊娠・出産、子育ての希望がかなう場合に想定される出生率。2915年に安倍政権が経済政策の一つとして打ち出した。戦後初めて政府が掲げた出生率目標。厚生労働省によると、21年の合計特殊出生率は1.30。
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