A.エイドス、ではなくコナトゥスで見る
人がこの世に生きてあるということは、空気があり水があり食物があり、住処と健康があることで幸福と自由の追求が可能となる。生物としての人間が安定的に存在するための条件を維持する力、これをコナトゥスと呼ぶとすると、たしかにホメオスタシスを追求する人間という有機体のあり方にかなっている。これに対し、ギリシャ哲学の本質にあるのはエイドス(かたち)だったという。かたちは見ればわかるようなそのものの特徴であって、かたちが似たものは類似したグループとして分類される。ペニスをもつのは男で、それがないのは女だ、二本足で歩くものは人間で、4本足で歩くのは獣、などというのは見た目で決まる問題になる。しかし、スピノザはかたちが似ているからといって同じ能力や同じ考えで動くとはかぎらないから、もっと別の見方ができる、それはその個体がなにを自分の力としてもっていて、それはどういう能力なのかということをみなければ分からない、と言っている。しかし、コナトゥスという概念は、あんまりすっきりと理解できるとはいえないが、ここを突破しないと、スピノザの価値もわからないんだろう。
「たとえばこの音楽は私の活動能力を高めてくれる、この食べ物は活動能力を低めてしまうという風に、活動能力の増減というものに、生きる上での一つの基準を求めたわけです。活動能力というのは、つまりは力です。自分のもつ力が、組み合わせによって上がったり下がったりする。 本章ではいくつか新しい言葉を紹介していますが、最初に見ておきたいのが、ラテン語で「コナトゥスconatus」というスピノザの有名な概念です。あえて日本語に訳せば「努力」となってしまうのですが、これは頑張って何かをするという意味ではありません。「ある傾向をもった力」と考えればよいでしょう。
コナトゥスは、個体を今ある状態に維持しようとして働く力のことを指します。医学や生理学でいう恒常性(ホメオスタシス)の原理に非常に近いと言うことができます。
たとえば私という個体の中の水分が減ると、私の中に水分への欲求が生れ、それが意識の上では「水が欲しい」という形になります。私たちの中ではいつも、自分の恒常性を維持しようとする傾向をもった力が働いています。
コナトゥスを定義した定理が次のものです。
おのおのが自己の有〔引用者注:存在〕に固執しようと努める努力はその者の現実的本質にほかならない。(第三部定理七)
文中の「有」という訳語より、「存在」としたほうがわかりやすいかもしれません。ここで「努力」と訳されているのがコナトゥスで、つまり「自分の存在を維持しようとする力」のことです。
大変興味深いのは、この定理でハッキリと述べられているように、ある物がもつコナトゥスという名の力こそが、その物の「本質essentia」であるとスピノザが考えていることです。
「本質」は日常でもよく使われる言葉ですが、哲学から来ています。「本質」が「力」であるというスピノザの考え方は、それだけを聞いても「ふーん、そうですか」という感じかもしれません。しかし哲学史の観点から見ると、ここには非常に大きな概念の転換があるのです。
古代ギリシアの哲学は「本質」を基本的に「形」ととらえていました。ギリシア語で「エイドス」(eidos)と呼ばれるものです。これは「見る」という動詞から来ている単語で、「見かけ」や「外見」を意味します。哲学用語では「形相」と訳されます。英語ではformです。
物の本質はその物の「形」であるという考え方も、それだけを聞くと特に驚くべきものではないと思われるかもしれませんが、実は私たちの考え方はこれと無関係ではありません。
たとえば競馬場や牧場で見る馬と、アフリカのサバンナにいる野生のシマウマとを、私たちは同じ馬だと考えます。色や模様は違うけれど、どちらも馬の形をしているからです。
でも実際には、両者の生態は全く異なっています。家畜化された馬は人を背中に乗せることができますが、野生のシマウマに乗ることができないそうです。動物は普通、自分の背中を預けるなどという危険なことはしないからです。つまり、家畜化された馬がもっている力と、シマウマがもっている力はその性質が大きく異なっている。
力の性質に注目すると、馬とシマウマはまるで別の存在として現れます。にもかかわらず、私たちはそれらを形でとらえるから、両者を同じく馬だと考えるわけです。
このエイドス的なものの見方は、道徳的な判断とも結びついてきます。人間について考えてみましょう。
たとえば男性と女性というのも、確かにそれぞれ一つのエイドスとしてとらえることができます。そうすると、たとえばある人は女性を本質とする存在としてとらえられることになる。その時、その人がどんな個人史をもち、どんな環境でどんな関係をもって生きてきて、どんな性質の力をもっているのかということは無視されてしまいます。その代わりに出てくるのは、「あなたは女性であることを本質としているのだから、女性らしくありなさい」という判断です。エイドスだけから本質を考えると、男は男らしく、女は女らしくしろということになりかねないわけです。
それに対しスピノザは、各個体がもっている力に注目しました。物の形ではなく、物がもっている力を本質と考えたのです。
そう考えるだけで、私たちの物の見方も、さまざまな判断の仕方も大きく変わります。「男だから」「女だから」という考え方が出てくる余地はありません。
たとえば、この人は体はあまり強くはないけれども、繊細なものの見方をするし、人の話を聞くのが上手で、しかもそれを言葉にすることに優れている。だからこの人にはこんな仕事が合っているだろう……。そんなふうに考えられるわけです。
そして、当然ながら、このような本質のとらえ方は、前章で見た活動能力の概念に結びついてきます。
活動能力を高めるためには、その人の力の性質が決定的に重要です。一人ひとりの力のありようを、具体的に見て組み合わせを考えていく必要があるからです。エイドスに基づく判断(「男だから」「女だから」)は、その意味で実に抽象的であると言うことができます。
ここにも『エチカ』のエートス的な発想が生きていると言えるでしょう。どのような性質の力をもった人が、どのような場所、どのような環境に生きているのか。それを具体的に考えた時にはじめて活動能力を高める組み合わせを探し当てることができる。ですから、本質をコナトゥスとしてとらえることは、私たちの生き方そのものと関わってくる、ものの見方の転換なのです。
前章でも紹介した哲学者のジル・ドゥルーズがこのことを大変印象的な仕方で説明してくれています。引用してみましょう。
たとえば農耕馬と競走馬とのあいだには、牛と農耕馬のあいだよりも大きな相違がある。競走馬と農耕馬とでは、その情動もちがい、触発される力もちがう。農耕馬はむしろ、牛と共通する情動群をもっているのである。(『スピノザ 実践の哲学』前掲、240頁)
「情動」とは広い意味での感情のあり方を指していると考えてください。「触発される力」とは、ある刺激を受けて、それに反応し応答する力のことを指しています。同じ馬でも、農耕する馬と競争する馬とでは、この「触発される力」が大きく違うというわけです。
つまり、どういう刺激に対して、どう反応するかが違う。私は農耕馬や競走馬に触れたことはほとんどありませんが、そこに違いがあるのは想像できます。競走馬は周囲の速度に反応し、速さを目指す動きをするでしょう。それに対し、農耕馬の「触発される力」はむしろ、同じようにゆっくり畑を耕す牛に近い。
さらに、これは人間を例にとって考えるとよくわかることですが、ある刺激に対してどう反応するかというのは、人によっても異なりますが、それだけでなく、同じ人でも時と場合によって異なります。私は音楽は好きですが、疲れ切っている時にはあまり聴きたくない。けれども調子がいい時は、いい音楽を聴くととてもいい気持になって、活動能力が上がる。人の中にある力というものはかなり大きな振り幅をもって変化しています。だから、刺激に対する反応の仕方も時と場合に応じて大きく変化します。スピノザもそのことを指摘しています。
異なった人間が同一の対象から異なった仕方で刺激されることができるし、また同一の人間が同一の対象から異なった時に異なった仕方で刺激されることができる。(第三部定理51)
ここで言う反応、つまり刺激による変化のことを、スピノザは「変状affectio」と呼びます。もう少しスピノザに即して言うと、変状とは、ある者が何らかの刺激を受け、一定の形態や性質を帯びることを言います。
先にドゥルーズからの引用に出てきた「触発される力」とは、ある刺激を受けて「変状する力」のことです。「変状」は専門的な用語ですが、『エチカ』を読むにあたって最重要の単語の一つですので、押さえておきます。
変状する力は、コナトゥスを言い換えたものです。たとえば暑さという刺激を受けると、発汗という変状が身体に起こります。これは熱を冷ますための反応であり、それは変状を司るという意味では「変状する力」としてとらえることができると考えればよいでしょう。
私たちは常にさまざまな刺激を受けて生きているわけですから、うまく生きていくためには、自分のコナトゥスの性質を知ることがとても大切になるわけです。
スピノザはさらにこの本質としての力を「欲望」とも呼んでいます。
さてまた欲望は、各人の本質ないし本性がその与えられたおのおのの状態においてあることをなすように決定されたと考えられる限り、その本質ないし本性そのものである。(第三部定理56証明)
少し分かりにくい文章ですが、次のように読み解くことができます。本質は力です。力ですから、それは刺激に応じてさまざまに変化します。たとえば私の本質は、aという刺激によって、Aという状態になることを「決定」される。そしてそのAという状態は私に、「あることをなすよう」働きかけます。この働きかけが欲望であり、その欲望は本質そのものだと言っているわけです。
話が循環しているように思われるかもしれませんが、スピノザはここで、本質が力であることを頑張って説明しようとしているのです。
普通は、不変の本質があって、その上で欲望という移り気なものが働くと考えられています。しかしスピノザは、力としての本質が変化しながらたどり着く各々の状態が欲望として作用すると言っているわけです。
たとえば他人から嫌味を言われたとする。強い精神の持ち主ならば、軽く受け流す。つまりほんの少しの変状しか起こりません。しかし繊細な精神の持ち主や、活動能力がやや低めの状態にある人であれば、強いショックを受けるかもしれない。すると、その人の変状する力は、嫌みという刺激に対し、精神の不安定という変状をもたらします。力は低下し、外部からのネガティヴな刺激に対してより一層脆弱な状態に置かれるでしょう。
すると、その不安定な状態を何とか脱出しようという欲望が生れる。しかし、そもそも力が低下しているから、それはなかなかうまくいかないでしょう。スピノザはこうした一連の過程において働いている力が同一の力であると考えているわけです。
スピノザは力が増大する時、人は喜びに満たされると言いました。するとうまく喜びをもたらす組み合わせの中にいることこそが、うまく生きるコツだということになります。
世間には必ずネガティヴな刺激があります。これはスピノザの非常に強い確信でもありました。それによって自分をダメにされないためには、実験を重ねながら、うまく自分に合う組み合わせを見つけることが重要になるわけです。そしてそのためには、農耕馬と競走馬の違いを見るような視点が大事になるのです。」國分功一郎『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』講談社現代新書、2020.pp.56-67.
「変状する力」という表現もなんだかすっと理解できるものではないが、ここに出てくる例で言えば、人から嫌味を言われても、それを軽く受け流して気にしない人もいるけれど、ひどく傷つく人もいる。先日の長野の事件では、いつも近くを散歩していた女性たちが、自分のことを貶めていると感じて殺害を実行した男性がいる。自分を否定する発言を聞いて精神の不安定が刺激され「変状する力」は武器と結びついて殺人という行為に向かうというとき、これが欲望と呼んでいいかは問題だとしても、彼が自分の現状をただの「孤独な馬」と見る「世間のまなざし」に合わせて見るのではなく、独自のコナトゥスにおいて見ることができれば、殺人のような攻撃性ではなく、もっと余裕のある精神がもてたのだろうとは言える。
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B.三島論の流行
平野啓一郎という作家の小説は、読んだことはない。だいたいぼくは、社会学を飯のタネにしていたので、小説というものを日常的に読む習慣がなかった。ただいろいろ気になる小説を見つけたときは、それなりにいきあたりばったりで読んでいるので、小説に無縁な人というわけではない。三島由紀夫の小説もいくつか(「仮面の告白」から「豊饒の海」まで)は読んだ。とくに感動したりはしなかったが、「橋づくし」などの短編、それに「潮騒」などは非常にテクニカルに上手な文章だと感心はした。平野啓一郎という人は、いきなり京大在学中に「日蝕」で芥川賞をもらい注目されたのだそうで、三島由紀夫には特別な関心をもって、ついに「三島論」を書いたという話題が新聞にあった。1975年生まれの47歳という平野氏は、三島が市ヶ谷で死んだ時には、まだ生まれてもいなかったわけだから、僕とは世代的にも接点もないから、どのような三島論なのか想像できないが、ま、そのうち読んでみようか、と思わないでもない。
「原点・三島に向き合い「自分」問うた結晶 執筆23年、平野啓一郎さん「三島由紀夫論」
虚無から生む価値に共感 死へのプロセスに違和感
「自分の作家の歩みと並走してやってきた仕事なので、ひとつ肩の荷が下りたような感じがします:。新潮文庫でおなじみの三島作品と似た装丁に仕上げた新著を前に、そう語った。
本書の起点となったのは、デビュー2年後の2000年に文芸誌に発表した「『英霊の声』論」だ。以来、小説を執筆するかたわら三島作品の読解に長く取り組んできた。「なぜ自分があのとき、あんなに『金閣寺』に感動したのか。それが、いま自分という人間を形づくっている根本のところにある」。三島を論じるということは、すなわち「自分とは何か」を問う行為でもあったと言う。
1975年生まれの自身と三島との共通点を尋ねると、「現実に対する不信感、一種の虚無感みたいなもの」と答えた。三島は戦後の民主主義社会にニヒリズムを感じたが、「僕自身は北九州の出身で、早い時期から高度掲載成長後の『鉄冷え』で製鉄所がすさんでいく様を見ていたし、現実に満たされない感覚は非常に強く持っていた」。
80年代のバブル全盛期は「空疎な空騒ぎ」をメディア越しに見て東京への不信感を募らせ、京都大に進んだ後は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった世紀末的な出来事が立て続けに起き、「何のために生きているのかを強烈に考えさせられた」と話す。
そうしたなか、「美」が自分を救済してくれるのかという「金閣寺」の問いに共鳴。「芸術や文学が人間を救済しうるのかどうかを真剣に考えた」結果、作家のキャリアをロマン主義から歩み出すことになった。大学在学中に文芸誌に投稿し、後に芥川賞を受賞した「日蝕」では中世ヨーロッパの錬金術を扱った。
錬金術は「賢者の石」を手に入れることで卑金属を貴金属に変えられると説く神秘思想。「何でもない日常をいかに価値化するか。世界の無価値さとどう向き合うかという思想運動が錬金術だった。虚無の中からいかに価値を生み出すかに強い関心を持ったという意味では、三島と僕は近い」
一方で、「ロマン主義的な物語世界に浸っていれば自足できるかというと、そうでもないということにも突き当らざるを得ない」と語る。「フィジカルな身体をもっているかぎり、やっぱりこの世界で生きていかなきゃいけない」
平野さんは本書で、三島が「何としてでも、生きなければならぬ」(「私の遍歴時代」)、「生きようと私は思った」(『金閣寺』)と何度も記した点を指摘。その上で、あくまで作品の読解をもとに彼が〈何故、あのような死に方をしたのか?〉という〈問い古された疑問〉に向かう。
「三島の死を考える時には、彼が20代、30代で何とか戦後社会に適応しようとした姿を認識しないといけないと思った」。だが、「自分が抱える虚無感を、天皇という大きな存在にゆだねていこうとする、そうして最終的に死に至るプロセスには違和感がある」とも。「三島を批判的に克服していかなきゃいけない」という課題は、作家としての思想的な柱ともなった。
本書ではほかに、「『仮面の告白』論」でこれまで同性愛が主題とされてきた作品を〈恋愛指向と性的指向の不一致の物語〉として読み直し、「『金閣寺』論」では金閣を〈絶対者〉である天皇の隠喩として読む可能性を提示。後半では最大の長編に挑む「『豊饒の海』論」を展開した。
大著を書き上げ、「ひとまず自分の考えはまとまった」と話すが、「この本に収まりきらなかった話もあるので、機会があれば書くこともあるとは思う」と言い足した。「セクシュアリティーや仏教との兼ね合いなど、いままの三島論とはちがうアプローチで論じたところもある。むしろ、ここから活発な議論が広がっていくことに期待しています。 (山崎聡)」朝日新聞2023年5月31日夕刊2面。