gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

女優列伝Ⅳ 原泉1  トランプによる没落

2017-07-21 03:51:57 | 日記
A.女優列伝Ⅳ 原泉1
 日本のテレビの草創期、子ども向けヒーロー活劇の原点は「月光仮面」だった。バイクに乗って現われる白いマントにサングラスの怪人「月光仮面」に、小学生だったぼくは夢中で毎週テレビにかじりついた記憶がある。民放TVが始まった1958年。KRテレビ(現TBS)と宣弘社が制作し、1958(昭和33)年2月から1959(昭和34)年7月まで放映された「月光仮面」の平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)という、今からでは信じられないような人気だった。第1シリーズが「どくろ仮面」篇、第2シリーズが「サタンの爪」篇、さらに「マンモス・コング」と続くこの「月光仮面」は東映がただちに劇場用映画にして、1958年7月公開第1部「月光仮面」、同8月公開第2部「月光仮面 絶海の死斗」、1958年12月公開第3部「月光仮面 魔人(サタン)の爪」とテレビを追いかけるように劇場でも公開されヒットした。ぼくも、映画館に行って見たと思う。
 この映画版で悪役どくろ仮面を演じていたのが、佐々木孝丸という人で、革命歌「インタナショナル」の日本語詞を訳した人であり、戦前の新劇で左翼プロレタリア演劇の中心にいた人だということはずっと後で知った。戦後、数多くの映画やテレビドラマでもっぱら悪役のボスなどを演じて、顔だけは広く知られている。そして、この映画版「月光仮面」でやはり悪役のバテレンお由、そしてマリンのおたきという怖いオババを演じていたのが、原泉さんであった。
 それ以来、いろんな映画やテレビでこの人の顔や姿をみかけるたびに、「こわい老婆」のイメージが定着していた。でも、佐々木孝丸さんと同様、この原泉さんの女優としての、そして人間としてのキャリアは、たんに築地小劇場にはじまる新劇の草創期からの役者のひとりというだけにとどまるものではない。「おばあさん女優」として有名な原泉さんの略歴を書けば、およそ以下のようなものである。

「原 泉(はら いずみ、1905年2月 - 1989年5月)は、島根県松江市出身の女優。旧芸名は原 泉子(はら せんこ)、本名は中野 政野。10歳の時に母と死別し、継母とうまくいかず、17歳で上京。初めは書の才能を生かして書道家の岡本高蔭の弟子となったが、在京している妹の学費を稼ぐために谷中のモデル事務所に所属し、主に彫刻家のモデルになった。端正な容姿やたたずまい、面影が好まれ、平松豊彦、堀江尚志などの彫刻家に採用された。
その後、プロレタリア演劇研究所に入所。1928年に東京左翼劇場に合流し、旗揚げメンバーとなる。同志であり生涯の盟友でもあった作家・詩人の中野重治とは1930年に結婚し、一人娘の卯女がいる。1934年に新協劇団の創設に参加、『夜明け前』や『火山灰地』などの舞台に出演した。当時は原泉子という芸名を名乗っていたが、この芸名はかつて付き人をした花柳はるみに付けてもらったという。1940年8月19日の新劇弾圧では治安維持法違反で村山知義や滝沢修らとともに逮捕された。同劇団はその後強制解散させられた。1946年、村山らの第2次新協劇団に参加するが、1950年に退団し以降はフリーとなった。同年に原泉へ改名している。映画・テレビドラマなどで、北林谷栄・毛利菊枝・浦辺粂子らと並んで老け役の名手として活躍した。
上品な老婦人・偏執狂的な姑・果ては祈祷師や霊媒師といった妖気漂う不気味な役までをこなした。特にアクション系や伊丹十三作品では謎の妖婆をコミカルに演じることもあった。1940年にNHKの実験放送として製作された日本初のテレビドラマ『夕餉前』には母親役で出演した。
1989年5月21日死去。84歳没。」(Wikipediaより)

映画の出演作は数多いが、いくつか代表作をあげてみると、阿部豊監督・真船豊原作「太陽の子」1938東宝(絹子)、今井正監督「ひめゆりの塔」1953東映(大城婦長)、木下恵介監督「女の園」1954松竹(三輪教授)、小林正樹監督「人間の條件」第3部望郷篇・第4部戦雲篇1959松竹 (沢村婦長)、木下恵介「笛吹川」松竹1960 老女、今村昌平監督「神々の深き欲望」日活1968(竜ウナリ)、寺山修司作・監督「田園に死す」ATG 1974(幻婆)、伊丹十三監督「タンポポ」東宝 1985(カマンベールの老婆)、同「マルサの女2」東宝 1988(教団の老婆)など。
HNKの連続テレビ小説にも、「あしたの風」(1962年)、「おはなはん」(1966年)、「本日も晴天なり」(1981年)などに出演している。
 しかし、原さんの名はもうひとつ、中野重治の妻、という特別な位置にある。中野重治が何者であるか、知らない人ももう多くなっているから、多少の説明は要るかもしれない。

「中野重治と結婚しないか、という話があったのは、泉子が、俳優の演技というものが少しずつわかってきて、一作一作自分なりの工夫ができるようになり、自分でもそれなりに芝居というものの面白さがわあかりはじめた頃のことである。
 中野重治といえば、この年(昭和五年)の一月に、高円寺の林房雄の家でやった左翼劇場の新年会でかなりの酒を飲んだあと、妹の鈴子と暮らしている中野のところへ中村栄二たち劇団の二、三人の仲間と、寄ったことがある。夜遅かったということもあったけれど、中野は、病気で臥せっているという風情で床についていた。中野がおとなしく臥せっていては、そこでまた酒を飲んだり議論をしたりというわけにもいかないので、男たちは帰っていった。その時、泉子は一人だけ泊めてもらったのだった。鈴子と一緒の部屋に寝かせてもらった翌朝、朝ご飯を食べながら、隣の部屋で横になったままでいる中野に、どこか悪いのかと尋ねると、今まで泉子が聞いたこともない「神経性心悸亢進症」という病気だという。中野はそれがどういう病気か説明し、そのあと、今度は中野の方から、左翼劇場のことなど演劇に関わる質問をしてくる。その質問がまたツボにはまっていることに泉子は内心驚きを感じた。そんな雑談を交わしたのはつい正月のことだった。その時は結婚相手として考えるなんてことは小指の先ほどもなかったのに、今は中野と結婚しないかという話なのだ。
 ちょうどその頃の中野重治は、泉子の後輩にあたる左翼劇場の研究生のある女性に〈ねらわれ〉ていて、ちょいちょい彼女の呼び出しを受けては、ついて出て行くという状態だった。その人はたいへんなべっぴんさんだけれど、まあいってみれば、中野にはふさわしくない面があったので、中野をよく知る『驢馬』時代からの友人の西沢隆二やそれよりもっと前からの文学仲間でもある窪川鶴次郎らが心配して、早く中野をちゃんと結婚させた方がいいと、ひとはだ脱いでくれることになったのだそうだ。
 泉子のところへは、西沢がやってきた。中野のところへは窪川が話にいったということだ。
 西沢隆二は、すでに女房持ちだったからなのかも知れないが、泉子に対しては、前から遠慮のない口を利いていた。この度も「おいハラセン、お前、独身主義者じゃあるめえ、結婚しろよ」という調子だったから、泉子はなんだか、即座に「イヤよッ」と反抗的に返事をした。中野重治の名前を出してから「ワレナベにトジブタだと思うけどな」などと言うので、泉子は負けずに「あたしの方にはキズがついた記憶はありません」と言い返しもした。これは、売り言葉に買い言葉の口で、別に中野重治その人がいやだということではないのはもちろん、また結婚しないときめているわけではなく、単に二十五歳の今日になったにすぎない。でも、「結婚しろよ」と言われたからといって急に「結婚」という気持ちになれるものでもない。「あたし、結婚したからって、芝居をやめるのはいやよ」と、とりあえずの条件を出してみると、西沢は「それは向こうと話し合ってくれ」という。――そんなことで、急に結婚を前提に、中野と直接会って、話し合うことになったのだった。
 中野は泉子の六畳一間のアパートにやってきた。泉子が「家庭の中に閉じ込めるようならば、結婚することはやめたいと思います。結婚しても、演劇運動を続けることを認めてほしいのです」と少し切り口上で言うと、中野はちょっと鼻白んで、「俺がいつそんなこと言った、そんなこと言うはずないじゃないか」と、さも心外だという勢いで言い、泉子の意志は歓迎する、尊重するという。泉子はこれまで中野を信頼するに価する人、と思ってきてはいたけれど、だからといって、好き、という感情を抱いていたわけではなかった。それでも、この時の話し合いで、この人とならやっていけるかも知れない、という心持になり、結婚を承諾することにした。
 結婚の通知状は、一九三〇(昭和五)年四月十六日の日付けにする。前年の四月十六日、またしても共産党員が全国的に一斉大量検挙されたので、その四・一六に抵抗する二人の共同の意志表明の意味合いを含ませたのだ。
 「中野重治・原泉子
  右両人このたび結婚いたさせ候
                 窪川鶴次郎
                 西沢隆二」
 という文面だ。この文面は、中野、泉子の二人で考え、宛名書きも発送も二人でやった。文面の名義が窪川、西沢になっているのは、一つにはそれまで結婚しそびれていた二人を結びつけるのに骨折ってくれたことへのお礼の気持ちを表したのであり、またこうした通知状を出すことがテレ臭かったからでもあった。
 また、あとで知ったのだが、中野重治のつれあいにふさわしい女性は誰かいないか、というときに、原泉子の名前をもちだしたのは、窪川(佐多)稲子だった。稲子は『驢馬』では、中野と同人仲間だったわけだし、一方で、泉子とは、稲子が無理に引っぱり出されて芝居の端っくれに出演した時からの知り合いでもあった。稲子は泉子のなかになにかしっくりするものを感じとっていたのだった。」藤森節子『女優原泉子 中野重治と共に生きて』新潮社、1994.pp.65-68.



B.トランプはアメリカを没落させる最悪の大統領になるのか?
 なんだかんだ良いことも悪いことも含め、アメリカは世界の超大国で、経済的にも軍事的にも巨大な力を持っている。地球上の国家と人類の命運に多少なりとも関心が及ぶ人なら、そのトップにいる大統領の言動には注目せざるをえない。しかし、アメリカはかつて1950年代、1960年代のような西側先進国の盟主、ソ連の社会主義圏と対抗するポジティヴで高らかな理念と、傲慢ともいえる武力を背景としたリーダーシップを発揮した時代はもう過去のものとなった、という見方も強まっている。単独行動主義といわれた独善的な世界戦略も、アメリカこそが世界の秩序を守るために行動するのだ、というヒロイズムとおせっかいが、それなりに多くの国には利益をもたらし尊敬される側面もあったと思う。とくに、かつての敵国で占領下に社会改造まで行われた日本では、アメリカには絶対に逆らえないという思い込みが、指導者と官僚に浸透して今に至っている。
 しかし、そういう常識的米国観はもう通用しないのかもしれない。

「弱まる世界への影響力「アメリカ第一の皮肉」:時事小言 藤原帰一
 トランプ政権が発足していから半年が経った。その間に明らかになったのは、トランプ大統領の下におけるアメリカが国外への影響力を失いつつあることである。
 その一面は、アメリカ政府の自発的な行動の結果である。「アメリカ第一」を掲げるトランプ政権は、政権発足直後に環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱し、二つの首脳会議、G8とG20においてアメリカ以外の諸国が反対を明示したにもかかわらず、環境保護に関するパリ協定からも離脱した。各国がアメリカを追い出そうとしたわけではないから、アメリカが意図的に退いたわけだ。
 だが、アメリカが抜けた後にも国際的制度や機構は揺らいでいない。日本は欧州連合(EU)と経済連携協定について大枠合意に達し、TPPについてはハノイでアメリカ抜きのTPP11実現を目指す閣僚会合が開かれた。パリ協定についても、アメリカを除くG8・G20諸国は支える方針で一致している。貿易でも環境保護でもアメリカの撤退はアメリカなき国際合意への道を開いたのである。もしアメリカ政府が、アメリカが国際協定から離脱すれば各国が動揺し、国際協定の再交渉に合意するのではないかと期待していたとすれば、その期待は裏切られた。
◎         ◎          ◎ 
 国内政治の動揺がアメリカの対外的影響力をさらに押し下げている。トランプ政権はオバマ政権のもとで実現した医療保障制度オバマケアに代わる新たな制度の実現を最優先課題としてきたが、その目的から作られたヘルスケア法案の審議はまだ続いており、上院が可決する可能性は少ない状況である。そして、このヘルスケア法案の審議を最優先したことから、トランプ政権の求める減税も、大規模な公共投資を求める予算案も議会を通過する公算はたっていない。共和党が上下両院の多数を占めているにもかかわらず、議会と政府のあいだに軋みが続いているのである。
 スキャンダルも深まる一方だ。ロシア政府が大統領選挙に工作を加えたという疑惑については、トランプ氏の長男トランプ・ジュニアに加え、現在上級顧問としてホワイトハウスに加わっている女婿ジャレッド・クシュナー氏がロシア政府とつながりのある複数の人物との会合に加わっていたことが明らかとなった。ロシア政府による選挙工作をトランプ陣営が承知していた、もっと露骨にいえばロシア政府を使って大統領選挙に勝とうとしていたという疑いである。この件では連邦捜査局(FBI)の操作も続いているだけに、政権に与える影響は少なくない。
 政権のなかでは極右サイトのブライトバートを主宰したスティーブン・バノン主席戦略官やスピーチライターも務めるスティーブン・ミラー補佐官らがパリ協定離脱などアメリカ第一という立場を訴える一方、レックス・ティラーソン国務長官やクシュナー氏がより穏健な対外政策を求めるなど、政策対立も伝えられている。スキャンダアルに加え、内部対立がトランプ政権を弱め、それがアメリカの対外的影響力をさらに引き下げる結果を招いている。
◎       ◎       ◎ 
 トランプ氏の前任者オバマ大統領は対外介入に慎重な姿勢を続け、混乱を続けるシリアなどでも地上軍の投入を避けてきた。力の行使に消極的なオバマ政権の姿勢に対し、オバマはアメリカを弱くしてしまったという批判が起こり、大統領選挙においてトランプ氏がクリントン元国務長官を破る一因となった。
 そのトランプ氏のもとでアメリカの影響力が弱まってきたのだから皮肉というほかはない。ISIS、いわゆる「イスラム国」の手からモスルを奪回しながら、イラクにおけるイランの影響力が拡大する結果となっている。中国を誘い込んで北朝鮮を圧迫する政策も効果はなく、逆にミサイル実験を続ける北朝鮮を前にして中国とロシアが共同でアメリカの北朝鮮政策の転換を求めるという事態となってしまった。オバマ政権の8年のどの時期をとっても、ここまでアメリカ外交の失態が続き、ワシントンの存在が軽くなった時代はなかったといっていい。
 このままトランプのアメリカは地盤沈下を続けるのだろうか。ティラーソン国務長官やマクマスター安全保障担当補佐官は対外的にもそれなりに信頼されているだけに、彼らが主導権を握るなら日本やEUなどとの関係にも展望が見えてくる。問題は、トランプ氏が政策遂行を専門家に任せようとしないことだ。この情勢が変わらない限り、つまりトランプ氏がトランプ氏であり続ける限り、アメリカの後退は続き、日本もEUも、アメリカ抜きの国際体制を作ることを強いられる。トランプ氏はアメリカを弱くした指導者として歴史の中で記憶されることになるだろう。(国際政治学者)」朝日新聞2017年7月19日夕刊3面文化欄。

 まあ、ドナルド・トランプ氏は政治家としての技能と資質に欠ける人物だとは、初めから言われていたのだから、それを選んだ米国民の選択をあれこれ批判してもしようがない。たとえロシアの陰謀を利用した結果だとしても、そんなことで伝統あるアメリカの大統領が決まってしまったこと自体、この国の変質・衰弱は表面化したというべきだろう。問題は、とりあえず日本政府が個々の政策をよく吟味して、トランプに頭から依存して致命的なリスクを負う道を避けられるかどうか、だろう。それは、練習問題としての沖縄基地問題で試されている。複雑なことは考えないトランプの最大の関心は、アメリカの企業と富裕層が効率よく儲かるかどうかなのだから、その基準からみて沖縄に米軍基地がある方が得か、なくてもど~にでもなる話だと思うかどうか。
 北朝鮮の核脅威は気になるけれど、中国と手を結んでいれば深刻な事態にはならない、と踏んでできれば東アジアの米軍は最小限にして、日本が心配なら強力自衛隊で自力防衛できるはずだろ、と安倍ちゃんにエールを送る。トランプの頭は米国内の民主党リベラルや共和党反対派をたたいて、自分の改革者イメージを強化することにあって、はっきりいえば遠い外国なんて知ったことではないようだ。利己的な世界で、ぼくたちはアメリカが衰弱しようが混乱しようが他人事だと思うのだが、われらの安倍首相が相変わらず米政府のご意向を忖度して、日本のために米軍が血を流してくれると期待しているとしたら、甘い!というしかない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 女優列伝Ⅲ 菅井きん3  猛... | トップ | 女優列伝Ⅳ 原泉2  文化の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事