A.ジャン=リュックの「女に逃げられるという才能
日本における映画研究の第一人者と目される四方田犬彦氏は、1953年西宮市生まれだそうであるから、ぼくより四つほど若い人になる。もとより『月島物語』などの多くの著作は有名で、ぼくも少しは読んでいたし、映画にかんして著作から教えられること多大なものがあった。実はこの間まで四方田氏はぼくと同じ大学の教員だったので、学内でたまに見かけたけれども直接話したことはない。そして一昨日近くの図書館に行って、たまたま書棚に『ゴダールと女たち』(講談社現代新書、2011.8刊)という小さな書物が隠れているのを発見し、さらに、『無明 内田吐夢』(河出書房新社、2019.5刊)という新刊もあるのに気づき、借りてきた。少し読んでこれはじっくり読みたいと思い、貸出期間内では読み切れないので、書店にあったら買おうかと大きな本屋に行って探したが、『無明』は新しいからあったが、新書の『ゴダールと女たち』はどこにもなかった。
ゴダールの映画をちゃんと見た人は、もうみな高齢者だろうし、今時ジャン=リュック・ゴダールと聞いてもそれに興味を持てる人は稀だろうから、この本も再版は難しいのだろう。仕方なく、この新書のほうから少し引用させていただく。
「女は俺の成熟する場所だった」という名言を吐いたのは、日本の近代批評の神様といわれる小林秀雄である。小林がヌーヴェルヴァーグについて、また映画一般についてどの程度の見識をもっていたのか、残念ながら筆者はそれを語るべき立場にはないが、スイス人の映画監督であるジャン・リュック・ゴダールについて考えるとき、この言葉はなるほどと人を納得させるだけの重みをもっている。
ゴダールと同時代を生き、遠く極東の地にありながらその優れたライヴァルであった大島渚は、次のように書いている。
「ゴダールはよほど自己変革してゆくことを重んじている人間にちがいない。アンナ・カリーナに続いてアンヌ・ヴィアゼムスキーもまたゴダールのもとを去ったと聞いて、私はああ女房に逃げられる才能をもつということもあるのだと言って感嘆したのだが、この一見自己変革しそうな顔付をした二人の美女は、自己変革を迫るゴダールのしつこい目付に耐えきれなくて逃げ出したのであろうと思う」
大島は1970年代初め、ゴダールの二番目の妻であったアンヌ・ヴィアゼムスキーが毛沢東派の学生と駆け落ちしたというごシップを耳にした上で、こうした体験を一度ならずわが身に引き寄せてしまうゴダールに、ある逆説的な才能を見ている。TV番組『女の学校』で長らく司会を務めたこの監督の人間観察に、しばらく耳を傾けてみることにしよう。
「(自己変革がー引用者註)到底不可能な女に、自己変革しろと迫るのがゴダールの趣味なのかも知れない。どうもゴダールにはそういう不可能へ寄せる情熱のようなものがある。そして美女たちは結局逃げ、ゴダール自身はそのことによって必然的に自己変革を迫られるという、ゴダール自身にとってはある意味でなかなか都合のいいシステムが出来上がっていて、だから私は、女房に逃げられるという一種の才能もこの世の中にはあると感嘆したのである」(「解体と噴出—-ゴダール」『大島渚著作集第四巻――敵たちよ、同志たちよ』、現代思潮新社)
ううむ、これは凡百の作家論ではない。ゴダールをめぐってはこの四〇年にわたって洋の東西を問わず、さまざまな映画オタクがノスタルジックな賛辞を重ね、記号学から脱構築批評まで最新流行の方法論を勉強した映画学者が緻密な分析的論文を発表してきた。いうまでもなく、筆者もまたその端くれであった。だがそのうちの誰一人として、大島渚のように大摑みではあるが彼の本質を射抜くがごとき表現を口にできた者はいなかった。どうして大島にのみそれが可能であったか。簡単にいってそれは、彼だけがあまたの映画オタクや学者とは違い、強い自己変革の意志をみずからに課してきたからだ。大島だけが手法や主題は違えども、つねにみずからを変革していこうとする意志をもったゴダールの姿を、時代を同じくする同志として懸命に見つめてきたからである。
ゴダールの人生
ゴダールは1930年、富裕な銀行家の孫としてパリに生まれた。パリ大学で人類学を学び、徴兵制度から逃れるためスイス国籍を取得した。映画雑誌に短文の評を執筆したり、配給会社の宣伝部員として働きながら、1955年、24歳のときに短編『コンクリート作戦』で監督としてデビュー。だが彼の名声を決定的にしたのは、新人男優ジャン=ポール・ベルモンドを主役に据えた『勝手にしやがれ』(1960)である。このフィルムは文字通り従来の映画の文法を一新させるだけの強烈な衝撃力を持っており、ゴダールの名はこのフィルムの監修者のクロード・シャブロール、脚本のフランソワ・トリュフォーらとともに、フランス映画の新しい波、つまりヌーヴェル・ヴァーグの旗手として世界中に鳴り響いた。1960年代を通じてゴダールは映画の最前線を生き抜き、『女と男のいる歩道』や『気狂いピエロ』といったフィルムを通して世界中の映画ファンを文字通り圧倒した。まだ世界がフランス映画の一挙一動に関心を抱いていた、よき時代の出来事である。
1968年、パリが五月革命を迎えたとき、ゴダールは革命的に変貌した。彼は映画をめぐる規制の制作・排球・上映体制を根源的に解体しようと目論み、すでに生ける伝説と化していた自分の名前を捨て、ジガ・ヴェルトフ集団という匿名の共同体の名のもとに映画を撮り出した。スクリーンには視線を拒否する黒画面が続き、マルクス・レーニン主義的闘争を語る声が延々と続く。だが革命の昂揚はいつまでも続かず、1973年に男臭いジガ・ヴェルトフ集団は解散する。ゴダールは喧騒のパリを離れ、グルノーブルへ、さらにスイスの小さな村ロールへと隠遁する。彼はそこに小さなスタジオを設け、辺境に位置しながら家族と子どもを主題にする、ミニマルな作風に切り替えた。1980年に『勝手に逃げろ/人生』で商業映画に回帰してからは、ほぼ1年に1作の割で話題作を提供し、自演もいとわぬ活躍ぶりを続けて現在にいたっている。1998年には四時間22分に及ぶ大作『映画史』を完成。これは世界でこの百年の間に制作された無数のフィルムのなかから好きなショットだけを自由に引用し、それを注釈付きで組み合わせるという手法のもとに成った高次レヴェルの作品である。ゴダールはこの『映画史』によって、いまだに世界の映画状況にあって最前線に立っていることを立証した。2011年、この原稿を私が執筆している時点で八〇歳にいたった彼は、新作『フィルム・ソシアリスム』(邦題は『ゴダール・ソシアリスム』)に次ぐ新作を構想中である。
ゴダールの監督としての生涯をこう書き出してみると、もはや彼に匹敵する芸術家は20世紀においてはピカソかシェーンベルクくらいしか存在しないのではないかという、眩暈のような感覚に襲われてくる。この二人の画家と作曲家は長命であったばかりか、たえずみずからに自己変革を要請し、次々と主題とスタイルを変化させていった。ゴダールもまたしかり。映画への初々しい情熱に溢れた初期から、革命的映画のあり方を問うジガ・ヴェルトフ時代。家族と子どもにヴィデオカメラを向けることに夢中だった1970年代中期。そしてより複合的な視座のもとに西洋美術史や新約聖書、オペラにまで物語の素材を求めた1980年代。個人映画と世界映画史の境界を自在に越境するにいたった1990年代。さらにより自由闊達なスタイルのもとにヨーロッパ文明と映像の諸問題を論じる2000年代と、どの時代を取ってもその作品という作品はつねに瑞々しい活力に溢れ、尽きせぬ映画的魅力を湛えている。
他者としての女たち
だが問題はここからである。ゴダールの芸術的生涯を区切るこうした複数の時代は、つねにある特定の女神(ミューズ)によって特徴づけられているのだ。彼が長編デビューをするにあたってその霊感の源泉となったのは、アメリカ人のジーン・セバーグである。60年代中期にその画面を飾ったのは、デンマーク人のアンナ・カリーナだった。ジガ・ヴェルトフ時代は亡命ロシア貴族の裔にあたるアンヌ・ヴィアゼムスキー。そして70年代以降のゴダールの遠心力を制御し、フェミニズムと家庭の政治へと収斂させていったのは、アンヌ=マリ・ミエヴィルというスイス人であった。ゴダールはこうして、いかなる時代にあっても正統的なフランス性から逸脱した血筋を持つ女性たち、いうなればフランス社会における〈他者としての女〉に導かれ、彼女たちから霊感を与えられたことで新しい世界へと進展していったのである。一人の女性が去ると次の女性が現われ、これまで彼が知らなかった世界への入口を指し示す。ゴダールはそうして導かれるままに自己変革を重ね、現在にいたっているのだ。
大島渚の炯眼をもたなくとも、これを稀有の幸運な才能だと呼んでどうしていけないことがあるだろう。こんな真似が吉田喜重やフェリーニにできるか。またブリジッド・バルドーと結婚し、ジェーン・フォンダとも結婚したとしても、いっこうに自己変革とは縁がなかったロジェ・ヴァディムにできるか。もちろん大島本人にもできない。パゾリーニにはもとからできない。そう考えてみると、世界映画史、というより世界男性史のなかでのゴダールの偉大さが、際立ってわれわれの前に屹立して見えるのである。
本書はそうしたゴダールの足跡を、もっぱら彼のミューズであった女性たちの物語を通して描き出そうと試みたエッセイである。ゴダールが契機となってヌーヴェルヴァーグのアイドルになったものの、黒人解放運動に関わって破滅の人生を歩んだジーン・セバーグ。ゴダールと訣別した後も逞しく女優業に邁進し、やがてヨ-ロッパ的な規模の大女優と化したアンナ・カリーナ。映画女優など若気の至りと思い切り、作家としてデビュー、いつしかフランス文壇のなかに確固たる位置を占めるにいたったアンヌ・ヴィアゼムスキー。ゴダール映画で一度は主演を務めながらも、彼からの容赦のない罵倒の標的となったジェーン・フォンダ。そして誰よりも長くゴダールと生活をともにし、彼と豊かな共同作業を続けてきながらも、けっして人前には現われず、依然として謎の存在であり続けるアンヌ=マリ・ミエヴィル。この五人が出揃ったとき、ゴダールをめぐる女性たちの星座が完成する。
ゴダールがその死に際して「日本という枠を抜きにしてもっとも偉大な映画監督の一人であった」と追悼の辞を綴った溝口健二に、敗戦直後に撮られた『歌麿をめぐる五人の女』というフィルムがある。その顰にならって、本書を「ゴダールをめぐる五人の女」の物語としてお読みいただければ幸甚である。」四方田犬彦『ゴダールと女たち』講談社現代新書、2011、pp.5-12.
たぶん、この企画は新書一本分を書く際の、四方田氏の思い付きから始まっているのだろう。五人の女といっても、その重みはゴダールにとってそれぞれまったく違う。それは、それぞれに割いたページ数に反映していて、ジーン・セバーグが36P、アンナ・カリーナが104P、アンヌ・ヴィアゼムスキーが33P、ジェーン・フォンダが9P、そしてアンヌ=マリ・ミエヴィルは64Pである。比重としてはジェーン・フォンダが非常に軽く、アンナ・カリーナが一番大きいが、現在も続いている関係として実像のよく見えないアンヌ=マリ・ミエヴィルのもつ意味は重いのだろう。
B.インチキでも罷り通ると思ったら終わりだな
森友・加計問題の時、あれだけデタラメと隠蔽が明らかになったのに、結局その中枢である安倍内閣は選挙で負けることはなく、なんとなく事は曖昧なまま令和の改元や即位の礼だとか、台風災害だとか、オリンピック騒ぎだとかに紛れてうやむやになるのに、自民党はまるごと自信をもってしまったのだろう。もう国会でアホな野党が何を騒ごうが、へたなボロを出さなければへいちゃらだからとにかく論点をずらし、やりすごせばいいという悪習がますます蔓延っている。そこで、今回は「さくらを見る会」をめぐって証拠隠滅で切り抜けようというお粗末だが、さすがに語るに落ちる。
「そらし ずらし 押し切る 正面からの議論回避 安保法制や共謀罪でも
安倍首相は以前から、真向からの議論を避けてきた。例えば、安全保障関連法案に関する議論。2015年5月の衆院平和安全法制特別委員会では、野党から「自衛隊の活動範囲が広がり、リスクが増すのではないか」と問われた際、正面から答えずに「訓練を重ねてリスクを低減する」と論点をずらした。
16年10月の衆院予算委でも似た場面があった。国連平和維持活動(PKO)で陸上自衛隊が派遣された南スーダンの情勢について「民間人を乗せた車両が襲撃され、二十一人が死亡したと発表された。リスクの可能性を認めるべきではないか」と質問を受けても、「もちろん永田町と比べれば、はるかに危険な場所だ」とまともに取り合わなかった。
17年1月の衆院予算委では共謀罪をめぐる議論で「テロ対策は現行法で可能だ」と指摘されたのに、実際に可能かどうかの議論に応じず「テロ対策の穴を埋めなくても五輪を開けばいいという考えは取らない」とやはり話をずらした。
成蹊大の高安健将教授(比較政治)は「政治家は通常、丁寧な説明を求められると渋々ながらも応じる。そうしなければ、選挙で不利になったり、党内で評判が落ちたりするからだ。しかし安倍政権の場合、説明責任を果たさなくても支持率が下がらず、選挙でもマイナスに働いていない。そうした状況から国会での説明や議論が軽んじられているのではないか」と話す。
高安氏は、こうした姿勢の根底には第一次安倍政権の経験があるとみる。当時は閣僚の相次ぐ辞任で任命責任を認めざるを得ず、短命で終わった。
「現政権は『強さ』をキーワードにし、非は認めず自らの考えを押し通すことに重きを置く。議論は避けつつ、明快さを感じさせる言葉を用いる。それが有権者には分かりやすく見える。しかし、現実が首相の言葉と矛盾した時には、隠蔽や改ざんといった問題が起きる」
かたや野党も「問題が政権にあり、批判一つ一つはまっとうでも、『あなたたちは政権を担う代わりになりうるか』という疑問を常に突き付けられ、批判すること自体が否定されてしまう」(高安氏)。
首相は「印象操作」という言葉を好んで使う。具体例の一つが、今年七月の参院選に合わせて開かれた主要政党の党首討論会。選択的夫婦別性などへの賛否を聞かれた際に挙手せず、「単純化はやめた方がいい。印象操作はやめてもらいたい」と述べた。
名古屋外国語大の高瀬淳一教授(情報政治学)は「『印象操作だ』という訴えは、『作為的な情報発信はやめるべきだ』と印象付けるメッセージ」と述べる。自身への批判をかわす姿勢を顕著に表しているのが、この四文字のようだ。
首相が批判を嫌い、議論を避ければ、そのツケは国民に回ってくる。様々な問題の検証が進まないだけではない。
駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「議論は民主主義の根幹を成す。議論の過程で幅広く意見をくみ上げることで、様々な立場の人に配慮した社会の仕組みができる。税金の使い道もそう。逆に言えば、首相が議論を避ければ、おのずと首相に近い人の利益ばかりが大切にされるようになる。いわゆる『お友達優遇』だ」と語る。
山崎氏は「不健全な状況に対し、私たち市民は口をつぐんではいけない」と呼び掛ける。「黙っていれば『今のままで良い』となる。駄目なものは駄目だと声を上げ続けないといけない。ツイッターなどでもいい。現状に対する不満を可視化することが必要だ」東京新聞2019年11月16日朝刊、23面特報欄。
でも、次々現れる愚劣な失態を告発して留飲を下げているだけでは、この国の権力を握っている『お友達たち』には反省の契機すら与えない、みたいだ。
「本音のコラム:核兵器禁止にむけて 鎌田慧
最近、この国の史上最長宰相は、「美しい国」と我田引水風にいうこともなく、公費をふんだんにつぎ込んだ「桜を見る会」も、私利私欲風だと批判されてやめると宣言。自分に都合が悪くなると、官僚に命じて隠したり改竄したりで、振る舞いは美しくない。
そのこともあって、世論調査では「首相発言信頼できない」が69.2%。「他にいないから首相」も、「さくら散る」の様相を帯びてきた。ときたかもローマ教皇が来日。ヒロシマ、ナガサキの痛手を、いまなお負い続ける日本の内閣が世界の趨勢にそっぽをむいているのに驚かれたようだ。
「核軍縮と核不拡散の原則にのっとり、あくことなく迅速に行動し、訴えていく」と、強めのメッセージを発した。「何百万という子どもや家族が人間以下の生活を強いられる一方で、武器製造や改良、維持、商いに材が費やされ、築かれ、武器は日ごとに破壊的になっている。とてつもないテロ行為だ」
トランプ米大統領に追随して、米国産兵器を爆買いする安倍首相への直接的な批判ではないが、武器輸出を狙う日本への警告も含まれている。
核兵器は最大の環境破壊兵器であり、大量殺害兵器であるその被害を受けながらも、禁止を主張しない被爆国。教皇ならずとも不思議に思われて当然だ。 (ルポライター)」東京新聞2019年11月16日朝刊、23面特報欄。
ローマ教皇フランシスコのメッセージは、正面からまともな正義を訴えている。「核兵器で人類が平和になることはない、むしろ人類の破滅の危険があるから即やめるべきだ」「武器兵器の生産保有をしながら平和を語るのは偽善だ」それに「死刑制度は廃止すべきだ」と述べる。この呼びかけを素直に受け取るなら、日本政府は核廃絶のために「不拡散条約」を批准しなければいけないし、死刑廃止に向けて動かなければいけない。しかし、安倍首相はそんな気はさらさらないとしか思えない。