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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

ゴダールと女優 1 教皇の誠実 宰相の不誠実

2019-11-28 02:09:58 | 日記

A.ジャン=リュックの「女に逃げられるという才能 

 日本における映画研究の第一人者と目される四方田犬彦氏は、1953年西宮市生まれだそうであるから、ぼくより四つほど若い人になる。もとより『月島物語』などの多くの著作は有名で、ぼくも少しは読んでいたし、映画にかんして著作から教えられること多大なものがあった。実はこの間まで四方田氏はぼくと同じ大学の教員だったので、学内でたまに見かけたけれども直接話したことはない。そして一昨日近くの図書館に行って、たまたま書棚に『ゴダールと女たち』(講談社現代新書、2011.8刊)という小さな書物が隠れているのを発見し、さらに、『無明 内田吐夢』(河出書房新社、2019.5刊)という新刊もあるのに気づき、借りてきた。少し読んでこれはじっくり読みたいと思い、貸出期間内では読み切れないので、書店にあったら買おうかと大きな本屋に行って探したが、『無明』は新しいからあったが、新書の『ゴダールと女たち』はどこにもなかった。

 ゴダールの映画をちゃんと見た人は、もうみな高齢者だろうし、今時ジャン=リュック・ゴダールと聞いてもそれに興味を持てる人は稀だろうから、この本も再版は難しいのだろう。仕方なく、この新書のほうから少し引用させていただく。

「女は俺の成熟する場所だった」という名言を吐いたのは、日本の近代批評の神様といわれる小林秀雄である。小林がヌーヴェルヴァーグについて、また映画一般についてどの程度の見識をもっていたのか、残念ながら筆者はそれを語るべき立場にはないが、スイス人の映画監督であるジャン・リュック・ゴダールについて考えるとき、この言葉はなるほどと人を納得させるだけの重みをもっている。

 ゴダールと同時代を生き、遠く極東の地にありながらその優れたライヴァルであった大島渚は、次のように書いている。

「ゴダールはよほど自己変革してゆくことを重んじている人間にちがいない。アンナ・カリーナに続いてアンヌ・ヴィアゼムスキーもまたゴダールのもとを去ったと聞いて、私はああ女房に逃げられる才能をもつということもあるのだと言って感嘆したのだが、この一見自己変革しそうな顔付をした二人の美女は、自己変革を迫るゴダールのしつこい目付に耐えきれなくて逃げ出したのであろうと思う」

 大島は1970年代初め、ゴダールの二番目の妻であったアンヌ・ヴィアゼムスキーが毛沢東派の学生と駆け落ちしたというごシップを耳にした上で、こうした体験を一度ならずわが身に引き寄せてしまうゴダールに、ある逆説的な才能を見ている。TV番組『女の学校』で長らく司会を務めたこの監督の人間観察に、しばらく耳を傾けてみることにしよう。

「(自己変革がー引用者註)到底不可能な女に、自己変革しろと迫るのがゴダールの趣味なのかも知れない。どうもゴダールにはそういう不可能へ寄せる情熱のようなものがある。そして美女たちは結局逃げ、ゴダール自身はそのことによって必然的に自己変革を迫られるという、ゴダール自身にとってはある意味でなかなか都合のいいシステムが出来上がっていて、だから私は、女房に逃げられるという一種の才能もこの世の中にはあると感嘆したのである」(「解体と噴出—-ゴダール」『大島渚著作集第四巻――敵たちよ、同志たちよ』、現代思潮新社)

 ううむ、これは凡百の作家論ではない。ゴダールをめぐってはこの四〇年にわたって洋の東西を問わず、さまざまな映画オタクがノスタルジックな賛辞を重ね、記号学から脱構築批評まで最新流行の方法論を勉強した映画学者が緻密な分析的論文を発表してきた。いうまでもなく、筆者もまたその端くれであった。だがそのうちの誰一人として、大島渚のように大摑みではあるが彼の本質を射抜くがごとき表現を口にできた者はいなかった。どうして大島にのみそれが可能であったか。簡単にいってそれは、彼だけがあまたの映画オタクや学者とは違い、強い自己変革の意志をみずからに課してきたからだ。大島だけが手法や主題は違えども、つねにみずからを変革していこうとする意志をもったゴダールの姿を、時代を同じくする同志として懸命に見つめてきたからである。

 ゴダールの人生

 ゴダールは1930年、富裕な銀行家の孫としてパリに生まれた。パリ大学で人類学を学び、徴兵制度から逃れるためスイス国籍を取得した。映画雑誌に短文の評を執筆したり、配給会社の宣伝部員として働きながら、1955年、24歳のときに短編『コンクリート作戦』で監督としてデビュー。だが彼の名声を決定的にしたのは、新人男優ジャン=ポール・ベルモンドを主役に据えた『勝手にしやがれ』(1960)である。このフィルムは文字通り従来の映画の文法を一新させるだけの強烈な衝撃力を持っており、ゴダールの名はこのフィルムの監修者のクロード・シャブロール、脚本のフランソワ・トリュフォーらとともに、フランス映画の新しい波、つまりヌーヴェル・ヴァーグの旗手として世界中に鳴り響いた。1960年代を通じてゴダールは映画の最前線を生き抜き、『女と男のいる歩道』や『気狂いピエロ』といったフィルムを通して世界中の映画ファンを文字通り圧倒した。まだ世界がフランス映画の一挙一動に関心を抱いていた、よき時代の出来事である。

 1968年、パリが五月革命を迎えたとき、ゴダールは革命的に変貌した。彼は映画をめぐる規制の制作・排球・上映体制を根源的に解体しようと目論み、すでに生ける伝説と化していた自分の名前を捨て、ジガ・ヴェルトフ集団という匿名の共同体の名のもとに映画を撮り出した。スクリーンには視線を拒否する黒画面が続き、マルクス・レーニン主義的闘争を語る声が延々と続く。だが革命の昂揚はいつまでも続かず、1973年に男臭いジガ・ヴェルトフ集団は解散する。ゴダールは喧騒のパリを離れ、グルノーブルへ、さらにスイスの小さな村ロールへと隠遁する。彼はそこに小さなスタジオを設け、辺境に位置しながら家族と子どもを主題にする、ミニマルな作風に切り替えた。1980年に『勝手に逃げろ/人生』で商業映画に回帰してからは、ほぼ1年に1作の割で話題作を提供し、自演もいとわぬ活躍ぶりを続けて現在にいたっている。1998年には四時間22分に及ぶ大作『映画史』を完成。これは世界でこの百年の間に制作された無数のフィルムのなかから好きなショットだけを自由に引用し、それを注釈付きで組み合わせるという手法のもとに成った高次レヴェルの作品である。ゴダールはこの『映画史』によって、いまだに世界の映画状況にあって最前線に立っていることを立証した。2011年、この原稿を私が執筆している時点で八〇歳にいたった彼は、新作『フィルム・ソシアリスム』(邦題は『ゴダール・ソシアリスム』)に次ぐ新作を構想中である。

 ゴダールの監督としての生涯をこう書き出してみると、もはや彼に匹敵する芸術家は20世紀においてはピカソかシェーンベルクくらいしか存在しないのではないかという、眩暈のような感覚に襲われてくる。この二人の画家と作曲家は長命であったばかりか、たえずみずからに自己変革を要請し、次々と主題とスタイルを変化させていった。ゴダールもまたしかり。映画への初々しい情熱に溢れた初期から、革命的映画のあり方を問うジガ・ヴェルトフ時代。家族と子どもにヴィデオカメラを向けることに夢中だった1970年代中期。そしてより複合的な視座のもとに西洋美術史や新約聖書、オペラにまで物語の素材を求めた1980年代。個人映画と世界映画史の境界を自在に越境するにいたった1990年代。さらにより自由闊達なスタイルのもとにヨーロッパ文明と映像の諸問題を論じる2000年代と、どの時代を取ってもその作品という作品はつねに瑞々しい活力に溢れ、尽きせぬ映画的魅力を湛えている。

 他者としての女たち

 だが問題はここからである。ゴダールの芸術的生涯を区切るこうした複数の時代は、つねにある特定の女神(ミューズ)によって特徴づけられているのだ。彼が長編デビューをするにあたってその霊感の源泉となったのは、アメリカ人のジーン・セバーグである。60年代中期にその画面を飾ったのは、デンマーク人のアンナ・カリーナだった。ジガ・ヴェルトフ時代は亡命ロシア貴族の裔にあたるアンヌ・ヴィアゼムスキー。そして70年代以降のゴダールの遠心力を制御し、フェミニズムと家庭の政治へと収斂させていったのは、アンヌ=マリ・ミエヴィルというスイス人であった。ゴダールはこうして、いかなる時代にあっても正統的なフランス性から逸脱した血筋を持つ女性たち、いうなればフランス社会における〈他者としての女〉に導かれ、彼女たちから霊感を与えられたことで新しい世界へと進展していったのである。一人の女性が去ると次の女性が現われ、これまで彼が知らなかった世界への入口を指し示す。ゴダールはそうして導かれるままに自己変革を重ね、現在にいたっているのだ。

 大島渚の炯眼をもたなくとも、これを稀有の幸運な才能だと呼んでどうしていけないことがあるだろう。こんな真似が吉田喜重やフェリーニにできるか。またブリジッド・バルドーと結婚し、ジェーン・フォンダとも結婚したとしても、いっこうに自己変革とは縁がなかったロジェ・ヴァディムにできるか。もちろん大島本人にもできない。パゾリーニにはもとからできない。そう考えてみると、世界映画史、というより世界男性史のなかでのゴダールの偉大さが、際立ってわれわれの前に屹立して見えるのである。

 本書はそうしたゴダールの足跡を、もっぱら彼のミューズであった女性たちの物語を通して描き出そうと試みたエッセイである。ゴダールが契機となってヌーヴェルヴァーグのアイドルになったものの、黒人解放運動に関わって破滅の人生を歩んだジーン・セバーグ。ゴダールと訣別した後も逞しく女優業に邁進し、やがてヨ-ロッパ的な規模の大女優と化したアンナ・カリーナ。映画女優など若気の至りと思い切り、作家としてデビュー、いつしかフランス文壇のなかに確固たる位置を占めるにいたったアンヌ・ヴィアゼムスキー。ゴダール映画で一度は主演を務めながらも、彼からの容赦のない罵倒の標的となったジェーン・フォンダ。そして誰よりも長くゴダールと生活をともにし、彼と豊かな共同作業を続けてきながらも、けっして人前には現われず、依然として謎の存在であり続けるアンヌ=マリ・ミエヴィル。この五人が出揃ったとき、ゴダールをめぐる女性たちの星座が完成する。

 ゴダールがその死に際して「日本という枠を抜きにしてもっとも偉大な映画監督の一人であった」と追悼の辞を綴った溝口健二に、敗戦直後に撮られた『歌麿をめぐる五人の女』というフィルムがある。その顰にならって、本書を「ゴダールをめぐる五人の女」の物語としてお読みいただければ幸甚である。」四方田犬彦『ゴダールと女たち』講談社現代新書、2011、pp.5-12.

 たぶん、この企画は新書一本分を書く際の、四方田氏の思い付きから始まっているのだろう。五人の女といっても、その重みはゴダールにとってそれぞれまったく違う。それは、それぞれに割いたページ数に反映していて、ジーン・セバーグが36P、アンナ・カリーナが104P、アンヌ・ヴィアゼムスキーが33P、ジェーン・フォンダが9P、そしてアンヌ=マリ・ミエヴィルは64Pである。比重としてはジェーン・フォンダが非常に軽く、アンナ・カリーナが一番大きいが、現在も続いている関係として実像のよく見えないアンヌ=マリ・ミエヴィルのもつ意味は重いのだろう。

 

B.インチキでも罷り通ると思ったら終わりだな

 森友・加計問題の時、あれだけデタラメと隠蔽が明らかになったのに、結局その中枢である安倍内閣は選挙で負けることはなく、なんとなく事は曖昧なまま令和の改元や即位の礼だとか、台風災害だとか、オリンピック騒ぎだとかに紛れてうやむやになるのに、自民党はまるごと自信をもってしまったのだろう。もう国会でアホな野党が何を騒ごうが、へたなボロを出さなければへいちゃらだからとにかく論点をずらし、やりすごせばいいという悪習がますます蔓延っている。そこで、今回は「さくらを見る会」をめぐって証拠隠滅で切り抜けようというお粗末だが、さすがに語るに落ちる。

 「そらし ずらし 押し切る 正面からの議論回避 安保法制や共謀罪でも

 安倍首相は以前から、真向からの議論を避けてきた。例えば、安全保障関連法案に関する議論。2015年5月の衆院平和安全法制特別委員会では、野党から「自衛隊の活動範囲が広がり、リスクが増すのではないか」と問われた際、正面から答えずに「訓練を重ねてリスクを低減する」と論点をずらした。

 16年10月の衆院予算委でも似た場面があった。国連平和維持活動(PKO)で陸上自衛隊が派遣された南スーダンの情勢について「民間人を乗せた車両が襲撃され、二十一人が死亡したと発表された。リスクの可能性を認めるべきではないか」と質問を受けても、「もちろん永田町と比べれば、はるかに危険な場所だ」とまともに取り合わなかった。

 17年1月の衆院予算委では共謀罪をめぐる議論で「テロ対策は現行法で可能だ」と指摘されたのに、実際に可能かどうかの議論に応じず「テロ対策の穴を埋めなくても五輪を開けばいいという考えは取らない」とやはり話をずらした。

 成蹊大の高安健将教授(比較政治)は「政治家は通常、丁寧な説明を求められると渋々ながらも応じる。そうしなければ、選挙で不利になったり、党内で評判が落ちたりするからだ。しかし安倍政権の場合、説明責任を果たさなくても支持率が下がらず、選挙でもマイナスに働いていない。そうした状況から国会での説明や議論が軽んじられているのではないか」と話す。

 高安氏は、こうした姿勢の根底には第一次安倍政権の経験があるとみる。当時は閣僚の相次ぐ辞任で任命責任を認めざるを得ず、短命で終わった。

 「現政権は『強さ』をキーワードにし、非は認めず自らの考えを押し通すことに重きを置く。議論は避けつつ、明快さを感じさせる言葉を用いる。それが有権者には分かりやすく見える。しかし、現実が首相の言葉と矛盾した時には、隠蔽や改ざんといった問題が起きる」

 かたや野党も「問題が政権にあり、批判一つ一つはまっとうでも、『あなたたちは政権を担う代わりになりうるか』という疑問を常に突き付けられ、批判すること自体が否定されてしまう」(高安氏)。

 首相は「印象操作」という言葉を好んで使う。具体例の一つが、今年七月の参院選に合わせて開かれた主要政党の党首討論会。選択的夫婦別性などへの賛否を聞かれた際に挙手せず、「単純化はやめた方がいい。印象操作はやめてもらいたい」と述べた。

 名古屋外国語大の高瀬淳一教授(情報政治学)は「『印象操作だ』という訴えは、『作為的な情報発信はやめるべきだ』と印象付けるメッセージ」と述べる。自身への批判をかわす姿勢を顕著に表しているのが、この四文字のようだ。

 首相が批判を嫌い、議論を避ければ、そのツケは国民に回ってくる。様々な問題の検証が進まないだけではない。

 駒沢大の山崎望教授(政治理論)は「議論は民主主義の根幹を成す。議論の過程で幅広く意見をくみ上げることで、様々な立場の人に配慮した社会の仕組みができる。税金の使い道もそう。逆に言えば、首相が議論を避ければ、おのずと首相に近い人の利益ばかりが大切にされるようになる。いわゆる『お友達優遇』だ」と語る。

 山崎氏は「不健全な状況に対し、私たち市民は口をつぐんではいけない」と呼び掛ける。「黙っていれば『今のままで良い』となる。駄目なものは駄目だと声を上げ続けないといけない。ツイッターなどでもいい。現状に対する不満を可視化することが必要だ」東京新聞2019年11月16日朝刊、23面特報欄。

 でも、次々現れる愚劣な失態を告発して留飲を下げているだけでは、この国の権力を握っている『お友達たち』には反省の契機すら与えない、みたいだ。

 「本音のコラム:核兵器禁止にむけて 鎌田慧

 最近、この国の史上最長宰相は、「美しい国」と我田引水風にいうこともなく、公費をふんだんにつぎ込んだ「桜を見る会」も、私利私欲風だと批判されてやめると宣言。自分に都合が悪くなると、官僚に命じて隠したり改竄したりで、振る舞いは美しくない。

 そのこともあって、世論調査では「首相発言信頼できない」が69.2%。「他にいないから首相」も、「さくら散る」の様相を帯びてきた。ときたかもローマ教皇が来日。ヒロシマ、ナガサキの痛手を、いまなお負い続ける日本の内閣が世界の趨勢にそっぽをむいているのに驚かれたようだ。

 「核軍縮と核不拡散の原則にのっとり、あくことなく迅速に行動し、訴えていく」と、強めのメッセージを発した。「何百万という子どもや家族が人間以下の生活を強いられる一方で、武器製造や改良、維持、商いに材が費やされ、築かれ、武器は日ごとに破壊的になっている。とてつもないテロ行為だ」

 トランプ米大統領に追随して、米国産兵器を爆買いする安倍首相への直接的な批判ではないが、武器輸出を狙う日本への警告も含まれている。

 核兵器は最大の環境破壊兵器であり、大量殺害兵器であるその被害を受けながらも、禁止を主張しない被爆国。教皇ならずとも不思議に思われて当然だ。 (ルポライター)」東京新聞2019年11月16日朝刊、23面特報欄。

 ローマ教皇フランシスコのメッセージは、正面からまともな正義を訴えている。「核兵器で人類が平和になることはない、むしろ人類の破滅の危険があるから即やめるべきだ」「武器兵器の生産保有をしながら平和を語るのは偽善だ」それに「死刑制度は廃止すべきだ」と述べる。この呼びかけを素直に受け取るなら、日本政府は核廃絶のために「不拡散条約」を批准しなければいけないし、死刑廃止に向けて動かなければいけない。しかし、安倍首相はそんな気はさらさらないとしか思えない。

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演劇の可能性 8 演劇の政治的意味  ある舞台女優

2019-11-25 15:57:10 | 日記

A.なにが「政治的」か

 一般大衆に向けて公開し、商品として大きな興行収益を期待して作られる映画やテレビなどのドラマ作品は、「政治的」表現を極力避ける。その際の「政治的」表現というのは、観客のマジョリティにとって娯楽の楽しみを妨げ、自分のなじんだ安定した世界にとって異物であり、ときには不愉快や反発を招くものとなるものである。そういうものが含まれていると、制作は忌避される。それでは作品の大ヒットは望めず、場合によっては一部から非難やクレームを呼ぶという、面倒臭い事態が予想されると製作者側が考えてしまうからだろう。でも、なにが「政治的」であるかは、そのときどきの社会に支配的な政治的言説の布置状況、端的にいえば政治権力を握る勢力とそれに対抗し批判する勢力の力関係によって、大きく左右される。そのこと自体がきわめて「政治的」なのであって、あるドラマ作品がいかなる意味で「政治的」とみなされて問題になるのかは、その社会を統御している政治権力が弱体で、反政府勢力が強力に拮抗しているような状況よりも、一党支配のような強力な政治権力が反対派の意見を少数に抑え込んでいるような状況のほうが、典型的に示されると思う。

 一見弱体で不安定な政権のほうが、反対派や批判的な表現を神経質に弾圧すると思うかもしれないが、一般大衆の支持を得ていない状況で、へたに言論表現の弾圧などをすれば政権基盤は危うくなると賢い政治家なら思うだろう。国民の支持は盤石で反対勢力はごく一部にしか影響力を持てないような状況に自信を持った権力者は、気に入らないアートを片っ端から「退廃芸術」「偏った反社会性」「非国民的」だとして告発し、そのさいの理由が「政治的中立を逸脱している」つまり「政治的に誤った主張をしている」というのが常である。しかし、政治的主張というものにほんらい中立性などはありえない、とわかっていれば、権力による反対派の弾圧こそきわめて「政治的」なのだ。

 大衆娯楽で利益を上げるのを目的とした映画やテレビなら、「政治的」表現を忌避するのはやむをえないが、ごく少数の料金を払って劇場に来る人に見せる演劇の場合は、「政治的」表現のない芝居など笑えない漫才以上に、つまらない。演劇はただの一夜の娯楽で終わらないことを誇りとしてきたし、「政治的」意味をこめた作品こそ他悪評価されてもきた伝統だ。ただし、演劇は政治的主張の道具、プロパガンダの手段ではない。かつての社会主義政権下の演劇のような、国家に検閲され政治に利用されるような形で作品をつくれば、それは堕落する。今のヨーロッパの現代演劇について、ハンス=ティース・レーマン「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」続きを読む。

 「Ⅴ この点についてもう一度確認しておこう。これは今議論されている西ヨーロッパの事情だけに関係し、他の地域の現実にも当てはまると主張するものではない。第一に、政治的なものは、演劇においては、間接的にのみ、比喩的にいえば斜めの角度でのみ現れうる。また第二に、政治的なものが演劇において効果を持つのは、それが現実社会の政治的言説の論理、統語法、概念に翻訳することも訳し戻すこともできないときであり、またそのときのみである。こうして第三に、一見逆説的な定式が生まれる。すなわち、演劇の政治的なものは、政治的なものの再現としてではなく、政治的なものの中断として思考しなければならない。こうしたコンセプトがあれば、演劇による政治的なものの「中間休止」がどのようなかたちと側面を持つか、記述を試みることができる。政治的であるのは、――古代ギリシャからそう言われ、たとえばジュリア・クリステヴァも論文「文学の政治性」で繰り返しているように――言語から法、権利、義務に至るまで、何か共同の尺度を与え、共同性を構成する規則を与え、潜在的な合意のために規則の場を与えるものである。だとすれば、政治的な演劇とはまさにそうした規則の一実践としてではなく、例外の実践として理解されねばならない。規則の例外、規則の中断だけが規則を可視化し、規則に対して、間接的ではあるが、たえず適用されるなかで失われた根底的な不確かさを再び付与するのである――自然との対比における驚異、律法との関係における恩寵、日常との差異におけるハプニングを考えてほしい。定められた規則の場は、いかなるものであれ、別の規則の場との少なくとも仮想的な衝突を避けられない。ひとつにはその起源において、なぜなら、政治の規則はかつて別の規則との抗争の末に創設されたのであり、その合法性は法を制度化した行為に基づくが、その行為自体は措定行為であって法ではありえなかったのである。政治的衝突は、規範と規則――つまり法律――で保たれる関係に安定してきたのだ。それゆえ法的関係の正面壁には隙間が空いていて、その背後に隠れている抗争を抑えられなくなる傾向があるのである。

 他方で衝突は、法のシステムにも内在している。カール・シュミットによってその基礎カテゴリーを友と敵の区別と定められた政治的なものは、法の姿に固まっても抗争的性格を失わない。とはいえそれは、ますます目に見えず、かたちを持たず、把握できないものとなる。私たちが政治的なもろもろの力についてある程度正確な知識を有していても、それはきわめて現実的だが、同時に感覚では把握できないままである。政治的な力は、行政文書や諜報文書、石油利権とソフトウェア利権、政治家たちの演説、メディア・プロパガンダ(人権を根拠とするプロパガンダを含む)、必要次第の政治的殺人、そして広範な地政学的、帝国的、あるいは帝国主義的戦略の間のどこかに自らの「場所」を持っている。要するに、政治的な力はかたちを持たず、音を立てず、顔がない。人格ではなく構造であり、アイデンティティではなく関係性なのである。それは再現できるような政治的内容も姿も与えない。ハイナー・ミュラーはかつてのスペイン内戦の戦士が社会主義の官僚機構の中で発狂しつつある様子を以下のように描いている、「それはなかば叫びだった それはなかばささやきだった 与えてほしい/私に銃を 示してほしい 私に敵を/いわば書類戦争の犠牲者……」(『ヴォロコラムスク幹線路3』)。

 Ⅵ  私たちは逆に、公共の言説においては、途切れることない戦略的なイメージ化、人格化、可視化を体験し続ける。誰もが知るように、政治的なものは日々その形を変えられ、歪められ、ドラマになり、擬似ドラマ的衝突になり、ドラマの登場人物になっている。だが政治的現実は別のどこかにある、友と敵はもはやまったく人物ではないのだ。演劇による「政治的なものの中断」は、こうした条件のもとでは、習慣を揺さぶる形式をとり、さらにまた、いわゆる政治的現実を日常体験に似せてドラマ化しそのシミュラークルを舞台上に観たいという願望を裏切る形式をとることが多い。こうして定式1と2(政治的なものの中断、例外の実践)に定式3が加わる、すなわち、ドラマ的シミュラークルの解体。政治生活においては反対に、今や溶解しつつある敵対のカテゴリーがしばしば強制的に捏造され、生産され、再生産される。イデオロギーや宗教、民族や経済に動かされる数多くの戦闘集団や権力組織が、現在も「敵」と自らの徹底的な区別とほぼ変わらない仕方で結束を生み出している。だからこそ演劇は、人物化と結託した道徳化を揺さぶるときに政治的になる。演劇における政治的シミュラークルの解体あるいは脱構築とは、何より道徳の罠を避けることだ。公共の言説は曖昧でひどく腐敗し、とりわけ真正な身ぶりの価値を平然と奪う。そうしたなかでは、やむなく新たな道徳主義的態度が広まり、個人に自然が湧き上がるという道徳心の応用で政治の問題が理解されてゆく。だが「自然な」道徳感情のようなものへの回帰ほど疑わしいことはない。政治のより厳密な理解は曖昧に遮られてしまう。さらに悪質なのは、それが自然で集団的な反応に訴えかけることだ。こうした集団的反応は、かつては健全な民族感情と呼ばれ、別の前史から不名誉な結果を生んだのだし、今日では人権を根拠とするプロパガンダとなってあらゆる介入を正当化する許可証を与えている。

 道徳主義はあまりに不確かな善悪の区別に訴えかける。だが演劇から見た道徳主義的言説への決定的批判は、それが観客を裁判官にしてしまい、観客に――これが美的言説の本来の可能性なのだが――自らの判断の不安定な前提を経験させないことである。演劇は――他のあらゆる芸術団体――実際には「不可能」かもしれない正義を問う。規則を中断する実践としての演劇は絶対の権利を要求し、例外を、反覆不能なものを、経産不能なものをつくる。芸術の使命とは「現実を不可能なものにする」ということであるというミュラーの言葉がそのラディカルさを表現している。視野が狭く、豊富な情報もうわべだけのプラグマティズムの理性は、やはりカタストロフィへと至った。それに抗して、例外の美的実践は、法の無根拠性を指し示し、定められたあらゆるものの無根拠性を指し示し、そうして――これが演劇の知覚の政治学の核心だ――例外に対する感覚を研ぎ澄ます。よりよい政治の規則のためでなく、よりよいと言われ、あるいは本当によりよいかもしれない道徳のためでなく、ありうる法のうち最良の法のためでなく、研ぎ澄まされる視線は、どんな規則においても例外であり続けるもの、見捨てられたもの、すくい上げられていないもののためである。それらは消えずに残っていて、だからこそ求める、歴史における想起を、現在における逸脱を。

 Ⅶ 今日では、ギー・ドゥボールとシチュアシオニストたちが「スペクタクルの社会」として予見したものが完成している。その本質的部分に観客としての市民という定義がある。市民にとって、公的、政治的生活のすべては演劇と化す。だからこそ、政治的なものとの真の関係を迎え入れることができるのは、何かしらの規則を揺さぶる演劇ではなく、演劇自体の規則を揺さぶり、見世物としての演劇を中断する演劇だけである。その方法は、観る行為の偽りの無垢を乱し、破り、問いに付す状況をつくり出すことだ。重要なのは、演劇内部の特殊な美学ではなく、演劇的なものを問い直す美学に(政治的に)取り組み、観客の存在が構造的に含むもの、つまり演劇的瞬間への観客の潜在的な共同責任を明るみに出すことである。根本規定は、演劇芸術に規則形成を義務づける試みとは鋭く対立する。真の行為にはなりえないという美的「行為」独自の性格に規則形成の実践はそぐわない。

 今やいつくかの例を挙げることもできるだろう。アイナー・シュレーフ、フランク・カストルフ、クリストフ・シュリンゲンジーフにふれ、演劇グループ・ホランディアの『石灰の粉』のような上演や、ルネ・ポレシュなどの劇作家や演出家を論じることもできるだろう。だが私は独特のあり方で時間を打破する演劇を求めるあるテクストを想起したい。それはサラ・ケインの『ブラスティッド』だ。悪評を被ったが、当時の騒動が思わせるよりも複雑な作品である。

—-主だった所だけ振り返ろう。リーズの高級ホテルの一室。男がいる、イアン、四十五歳、重病、煙草を吸い、咳をし、酒を飲み、痙攣を起こして身をよじる、もう長くは生きられない。彼のかつての恋人、ニ十一歳のケイト、聖女かもしれない、子どもっぽく、興奮すると叱るか発作を起こして気絶する。彼は彼女に会いたかった、彼女は来た。彼は性的関係を欲している、彼女は愛情を欲している。彼は彼女を強姦する。彼はリヴォルヴァーをもっていて、たえずシャワーを浴びたがり、自分の悪習を嫌悪している、咳をし、唾を吐き、外国人憎悪を撒き散らす。人種差別的な罵倒の言葉――wogsや conkerや coonやレズ――が殴打のように口から落ちる。彼女は愚直で、ほとんど白痴に近く、親指をしゃぶっている。いつも空腹だが、肉は食べない。イアンはおぞましい殺人や血腥い事件のことを新聞に書いている。彼が電話口で記事を口述すると、その病的な光景と社会の現実が透明に重なる。彼はジャーナリストではなくスパイだ。「イアン・ジョーンズ、占領地のジャーナリスト」は、もはや占領された社会のことしか報道できない。社会はすでに暴力とセンセーションに占領されている。とっくに戦争のただなかにある。個人の心理、言葉、感情、理念もまた戦争の舞台だ。ケインの戯曲は、戦争状態にあるこの社会の現実を作品にしているが、やがてすでに浸食されている現実の大地を離れていく。突然、ホテルの部屋にひとりの兵士が現れ、ケイトもいつの間にか消える。迫撃砲が爆発し、場面は瓦礫の混沌と化し、潜在的悪夢としての戦争が明白に具現化する。人間の欲望の恐ろしく歪んだ暴力が戯れ合い、常軌を逸した耐えがたい光景が生まれる。それは兵士が死に、イアンの目がつぶれて終わる。最後に再びケイトが現れる、戦争が吹き荒れる外から赤ん坊を連れてくる。彼女はイアンに食べ物の残りを食べさせる。—-彼女はイアンの口にジンを注ぐ。—-彼女はイアンに食べさせるのをやめ、離れて座り、温まろうと身を丸くする。—-彼女はジンを飲む。彼女は親指をしゃぶる。—-静寂。雨が降っている。イアン:ありがとう。—-暗転」。五つのシーンは筋書きのドラマトゥルギーではなく、螺旋を描きつつエスカレートしてゆくテロの幻影の論理に従っている。つまり、まだかろうじて想像可能だが細部はすでにハイパーリアルに思える光景から、次第に殺人、殺害、倒錯がグロテスクに重なり、突然不条理に状況が変化して戦争の光景と化す。性と、暴力のイメージと、生への憧憬がほとんど耐えがたく混じり合う。日常的動作の細かい描写は、かろうじて演劇の伝統を感じさせつつ、性的また心理的暴力の可能性を匂わせるが、テクストはそこから突然、全面戦争と啓示のはざまの超現実的、幻覚的世界へ入り込む。それはドラマの、見世物としての演劇の、「政治的」分析のラディカルな中断だ。死後に公表された『4・48サイコシス』に至るまで、ケインはこの中断をますますレディカルに表現し続け、次第に視覚的要素の配列は放棄するようになった。「ブラスティッド」は1995年1月12日に初演され、90年代英国演劇最大のスキャンダルを巻き起こした。当時の英国批評界の反応は、すべてを作者の病理に収斂させる言説だった。私はそれを放棄する。この小論がささやかなエピローグとして確認したいのは以下のことだ、すなわち、示されたものと言われたことへの公的な憤慨や、あるいはそののち、批評が自らの本性を公的に暴露したことにおいてではなく、この戯曲が「いかに」表現しているかにおいてこそ、政治的なもの、政治的効果、政治的本質は求められるべきなのである。例外状態が、狂気が、隠れた規則である心の「安定」の喪失が、社会的コミュニケーションを支配する尺度が示されていることが重要なのだ。その戦慄は消化できない、なぜなら戦慄は、極端な人々を襲っているのではなく(「さまざまな苦境」)、極端さの助けを借りて社会の核心そのものを暴いているのである。政治的に計算可能で表現可能なものを中断することで、政治の合理性と言説性の持つ深淵が明らかになる。戦争――それはテレビのなかのボスニアではない(都市の貧困にあえぐ者たちの日常だけでもない)――戦争はここにある。観て、見て、聞く、ここにある。そのようにしてこのテクストにおける「現在の破砕」は生じている。政治的な演劇実践はまずはここに追いつかねばならない。すなわち、死にゆくドラマ構造において、意識を爆破すること。

」ハンス=ティース・レーマン「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」(林立騎訳)F/Tユニバーシティ・早稲田大学演劇博物館編『ポストドラマ時代の創造力』白水社、2014 pp.234-241.

 翻訳のせいもあって、レーマンの言うことがすんなり頭に入ってこなかったが、最後の「ブラスティッド」という芝居の具体例が出てきて、なるほど演劇の「政治性」というより「政治的」である演劇とはどういうものかをイメージできそうな気がする。

 

B.戦う女優

 突然亡くなった木内みどりさんの訃報は、新聞やテレビで直ちに大きく報道された。ぼくも、今年春の統一地方選で応援に来てくれたご本人と会っているので、驚き残念に思った。だが、大手メディアがこの人のことをとりあげていたのは、主に映画やテレビに出て多少は名の知られた女優が、他方で脱原発や憲法問題で積極的に発言していたことを結びつけているだけだった。ネットで画像検索したら、若い頃の画像として別人のアイドル「木之内みどり」と混同されているほどだった。ぼくにはまず、島尾敏雄の『死の棘』を映画化した小栗康平作品(1990年)の中で、敏雄の愛人役で松坂慶子と取っ組み合う木内さんの場面が浮かんだ。

 「女優木内みどりさん ゆかりの人ら悼む声 脱原発、反戦尽力 恐れず発信、驚く行動力

 女優の木内みどりさんが18日、69歳で亡くなった。数々の名作を脇役として支えながら、2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の後は、脱原発や戦争反対などの活動に力を注いだ。ゆかりの人たちからは悼む声が相次いだ。(大野孝志)

 自由愛した本物の表現者  木内さんは1950年、名古屋市で生まれた。劇団四季を経て、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」、ドラマ「熱中時代」などで活躍。バラエティ―番組でも親しまれた。「ひとりで作る」と始めたwebラジオ「小さなラジオ」ノプロフィル編では、自身を「偏屈、頑固、わがまま、自分勝手、猫好き」などと評している。

 そんな彼女は、「11年3月11日」に変わったという。16年5月、本紙の記事でこう語っている。

「京都大学原子炉実験所助教(当時)の小出裕章さんがラジオで『国が原発は安全だと宣伝してきたから仕方ないが、だまされた国民にも責任がある』と言った。それを聞いて私も責任を痛感した」「『女優なのに何をやっているんだ』という批判も受けるが、無自覚でいることが一番いけないと原発事故で気付かされた」。そして、安全保障法制の危うさを指摘。「無関心はもうやめにしましょう」と呼び掛けた。

 小さなラジオのサイトで「なぜだまされたのか。大きな新聞やテレビ・ラジオもほんとうではないことを報道することがあるし、大きなスポンサーが展開するものには『うそ』と『ほんと』が入り混じっていることにも気がつきました」とも記している。ラジオでは憲法を取り上げ、沖縄の基地問題で政府を批判した。

 初回のゲストだった小出氏は、訃報に「あまりに突然で、頭の整理がつかない」と明かした。小出氏が、原発事故後の「さようなら原発全国集会」で登壇した際の司会が木内さん。以後、夫で元参院議員の水野誠一さんを含めて木内さんと親しくしてきたという。

 小出氏が出演し、原発事故を発生直後から積極的に報道した大阪のラジオ報道番組「たね蒔きジャーナル」が12年9月に終了する前、木内さんは存続運動に携わった。カンパを基に新たなラジオ番組を始め、それを引き継ぐ形で始めたのが小さなラジオだった。

 「素直で曲がったことが嫌いで、思い付いたらすぐにでも実行する人だった」と小出氏。「小さなラジオの初回は、確か(小出氏の居住地の)長野県松本市まで一人で収録しに来たんじゃないかな。驚くほどの行動力。普通、一人でラジオを始めようなんて思わないでしょう」

 木内さんは7月の参院選の際、比例代表で二議席を獲得しブームを起こした「れいわ新選組」の演説会でも司会を担当。山本太郎代表はツイッターで「世の中が変わっていく姿を見て欲しかった。自由を愛する本物の表現者。感謝しかありません」とたたえた。

 ラジオに二回出演した弁護士の河合弘之氏は、原発事故後の集会で初めて会い、意見と波長が合って親しくなったという。

 「名の通った女優で、原子力ムラに忖度せず、恐れず、脱原発と自然エネルギー推進を発信する。その勇気に敬意を表していた。自分の意見を堂々と言うというのは、ほかの人がやらない。貴重な存在だった」と悔やむ。印象に残っているのは「あの原発事故を見て、まだ原発推進なんて気が知れない」と何度も言っていた姿。河合氏は「それが彼女の率直な思いだったのでしょう」としのんだ。」東京新聞2019年11月23日朝刊26面こちら特報部。

 女優木内みどりはもともと舞台の女優だった。ぼくが彼女の存在を知ったのは、1980年代の山崎哲が劇団「転位・21」を結成して、『勝手にしやがれ――克美しげるトルコ嬢殺人事件』(79年)に始まる「犯罪フィールド・ノート」(『うお傳説――立教大助教授教え子殺人事件』(80年)、『漂流家族――「イエスの方舟」事件』(81年)、『異族の歌――伊藤素子オンライン詐欺事件』(82年)、『子供の領分――金属バット殺人事件』(83年)、シリーズを発表上演していた頃だった。これらの作品で、山崎哲は「舞台をロマンから撤退」させ、唐十郎のようにロマンチックに高揚する響きを削りとり、「コトバ自体が豊かなイメージをもつような、そんなコトバをできるだけ排除していくような書き方」(扇田昭彦『日本の現代演劇』岩波新書)を採用した。なめらかに「歌う」せりふ回しではなく、俳優が「舌の上に転がして、石っころを噛むように」、せりふを「異物」として語り出すような得意なせりふ術を編み出した。違和感を解消するのではなく、逆に「異化の全体性を生きる身体」を強調する演技である。彼が描いた犯罪や事件の荒涼感によく見合っていた。その舞台で活躍していたのが木内さんだった。

 Facebookともだちになって、時折いろいろな発言を見るにつけ、テレビや映画や芸能の世界で生きる人たちは、大衆に愛される存在であろうとして、安易に「政治的」であることを避け、それが当然のように振る舞うことでこの社会の無意識の抑圧に協力しているのだが、小劇場の舞台演劇という世界で生きてきた人には、そういう制約や自己規制を自由に超えて、「政治的に生きる」のではなく「生きることは政治的」なのだと自覚する能力と資質をもった人がある。木内さんもそういう人だったと思う。

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演劇の可能性 7 ポストドラマ演劇って? 香港と台湾 

2019-11-22 12:54:53 | 日記

 

A.演劇の重み・ドイツ

 素人のぼくはよく知らなかったのだが、現代演劇でホットな話題だという「ポストドラマ演劇」という言葉は、ハンス=ティース・レーマンが書いた『ポストドラマ演劇』という本に始まるらしい。ポストドラマ演劇とは、テクストや劇場の否定ではなく、演劇の歴史、思想、古典を学んで演劇の理念を現代に更新することだということらしい。つまり「演劇」概念の拡張になる。レーマンという人の略歴を見ると、1944年ドイツ生まれの演劇理論家で、フランクフルト大学名誉教授。1999年に公刊された『ポストドラマ演劇』は、現在18カ国の国語に翻訳されて、世界の演劇界に影響を与えているという。82年にアンジェイ・ヴィルトによるギーセン大学応用演劇学科の創設に参加、リミニ・プロトコルやルネ・ポレシュなど多くの才能を輩出。2002年にはフランクフルト大学大学院にドラマトゥルギー課程を設立するなど、教育者としても高い評価を受ける。F/T11に際して来日し、三回の特別講演を行った。ここでは、演劇における「政治的」なものというテーマの文章。

 「演劇における政治的なものが、政治的なものの中断でしかありえないのはなぜか

Ⅰ 演劇における政治的なものについての問いは、あまりに明白に思えて視界からこぼれるような考察から始めるのがよい。

 演劇は、何よりもまず人間の特殊な振る舞いであり(演戯する、観る)、ついでひとつの状況であり(ある種の集会)、それからようやく芸術であり、そして芸術の制度である。したがって、演劇の美学や政治学を論じるなら、単に演劇的表現の研究にとどまらず、振る舞いとしての演劇や状況としての演劇を表現と関連づけねばならない。

 振る舞いとしての演劇、そして共同体の特殊な状況としての演劇は古くからあり、人類と固く結びついているので、近い未来にも存在しつづけるだろう――だが今日の演劇制度が存続するかは分からない。よって現在支配的な演劇の制度化の諸問題は、私の問いには関係しない。同様に、芸術に関する特定の答えを押しつけることもしない。理論とは、指示(プログラム)を与えるものではなく、演劇はどこへ進むかという流行りの問答に与するものでもない。理論はむしろ、芸術が行なうこと(ときに行ないそこなうこと)のあとを追い、それを省察し、概念で語ろうと試みる。理論の希望とは、そうしたためらいがちな歩みが、芸術の潜性的ゆえにアクチュアルな問いについて、昨晩の上演の即座の評価や酷評よりも多くを捉えることである。

 ヘニング・リッシュピーターが提案してくれた「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」というタイトルに賛成したのは、この問いをきっかけに、いわばそれを徐々に解きほぐすことで、大切な赤い糸が見つかる機会を得られるからだった。あるものが「いかに政治的か」という問いには複数の答えがあるだろう。以下から選べ、「きわめて政治的」「かなり政治的」「どちらかといえば非政治的」「まったく非政治的」というわけだ。だがどうやって測るのか?また何を測るのか?もう少し議論しやすい問いにしよう。「いかに演劇は、たとえばポストドラマ演劇は、政治的か?」どのようなあり方で、いかなる条件と前提のもとで演劇は、政治的でありうるのか、政治的になりうるのか?この問いも依然もつれたままで、あまり実りのない議論を生みかねない。というのも、そもそも「政治的」という概念をどう考えるべきか、まったく不明なままだからである。

Ⅱ よくある「政治的」な演劇のイメージは、演劇が公的に議論されているテーマを取り上げ、あるいは自ら議論を提起し、そうして(少なくとも)啓蒙的効果を持つことだ。さて、啓蒙と(理想的には)議論深化の演劇が政治的にアクチュアルな問題を舞台上に再現することについては、それに対する批判自体がひとつのテーマになるだろう。批判は以下の認識とともに始まる。すなわち、現実の中で政治的と定義されたことをただ従順に口まねする危険にはじめからさらされている。そして政治的効果を狙う演劇は、まさに政治的効果を狙うがゆえに、すでにかたちづくられているもしくは歪められている観客の知覚の習慣に迎合し、それを追認せざるをえないのではないか?今や政治的な問いをうわべだけ日々絶え間なく示すことで、現在の社会の規範やコミュニケーション形式に関する根本的議論がシステマテックに排除され、正確かもしれないが型にはまった言説へとますます堕落するなか、すべては、政治的なものが普段はまったく知覚されない場所に政治的なものをかぎつける能力にかかっている。しかしながら、たとえこうした概念を無視しても、いわゆる「政治的」な演劇の問題は何も解決されない。ヴァルター・ベンヤミンはこう問いを立てた。現実の政治から娯楽的効果を引き出す手法はきわめて疑わしく、実際には非政治化に資するのではないか?ベンヤミン自身、(政治とは別のカテゴリーだが切り離せない)道徳領域の諸問題を表現に写しとることについて疑っていたのではなかったか?こうした問題を前にすると、演劇における実際の政治的効果はむしろ、狙いや意図がない方がまだ可能なように思われる。演劇は政治的教養の補講機関ではありえない。

 反論の余地がないのは、実際的で明白な以下の事実だ。即ち、演劇がかつての政治的な場をすべて失ったことは明らかなので、それだけを理由としても政治志向の言説は虚しい。演劇は、共同体が衝突を明確化し克服する中心として政治的なものを表現することもなく(古代ギリシャのポリス)、国民国家のアイデンティティ形成機関の役割も保持しなかった(ドイツにおける演劇の政治的機能とは長く国民国家の代替だった)。演劇はもはや階級闘争や他の政治的プロパガンダの手段にもなりえず、なるつもりもなく(政治演劇の黄金時代だった1920年代にとってさえそれが効率的だったかどうかは疑わしい)、今後試みることもありえない、プロパガンダの画策者たちは当然他のメディアを頼るから、政治的テーマの戯曲が書かれ、編集者の手が入り、印刷され、劇場が企画を立て、稽古がなされ、上演されるまで待っていては、政治的効果をもつには遅すぎることは明らかだろう。他方でしかし、よくあるように、演劇は遅れてくるが、その分なんらかの意味で「より深く」、より根本的に問題を表現できると言って自分たちを慰めるなら、それも自己欺瞞にすぎない。演劇はその瞬間そのものだ。『アンティゴネー』と『ハムレット』は、権力、法、歴史について、きわめて政治的な(そして政治的にきわめて現在的な)省察を表現しているが、その深い奈落は、2500年もしくは数百年を経た今では、我慢強い思考と研究なしには見えず、一晩の上演にそれはできない。

Ⅲ 政治やその類が一般に受け、社会参加しているように見えるからと言って、政治的なものについて大雑把に快適におしゃべりすることは慎まねばならない。だが反対に、厳密な区別で空気を薄くして、政治的なものを蒸発させてもならない。「なんとなく」私たちは知っている、どうあれ演劇は何か特別なあり方をしていて、直接的に政治的ではないが、しかしその成立と制作において、上演と観客の受容において、すぐれて「社会的」で共同体に関わる。政治的なものは演劇に書き込まれている、どこまでも、構造的に、演劇の意図さえ無関係に。いかにーそれが問題だー刻み込まれているこの碑銘を「展開」できるだろう?問題は、政治的なものを迎え入れることで演劇自身が変わることではなかろうか?より正確には、自らを「周縁化」することではないか?――レース・ボスハルトが指摘するように、私たちは「周縁から」よりも「周縁へ」の運動についてより多くを語るべきなのだ。思考すべきは、分りやすい政治的内容の演劇ではなく、政治的なものとの真の関係を迎え入れる演劇である。それが可能になる方法は、たとえば、「演劇を通じて何かを生じさせること」と、しかし再現せず、模倣せず、別のどこかで生じた政治的現実を舞台に持ち込まず、それはせいぜい主義主張を際立たせるにすぎないから、そうではなく、政治あるいは政治的なものを演劇の構造の中に到来させること、つまり、現在さえも破砕すること……」。昨年[2000年]十一月、ナンテール市のアマンディエ劇場におけるジャン=ピエール・ヴァンサンとベルナール・シャルトルーの演劇プロジェクト『カール・マルクス、未刊の演劇』に寄せて、インターネット・ジャーナル「ツェズーレン[中間休止]」第一号掲載のエッセイ「マルクス、それは誰か」にこう書いたのは、ジャック・デリダである。

 「現在を破砕する」とは、演劇においては別の声たちが聞かれねばならない、ということである(具体的にはフランスの不法滞在者たち、いわゆる「サン・パピエ」の安全を脅かされた状況が問題になっていた)。デリダは同じ関連でさらに言う、私たちは演劇の根源的な再政治化を必要としているのかもしれない。ただもちろん、そうした「演劇的挑発」は、伝統的な再現の秩序に適応してはならず、むしろ「演劇的出来事の形式、時間、空間を変化させる」――自らの政治的責任を追及することで美的境界を切り開く演劇、つまり、聞かれることなく、政治の秩序において代表されることもない異質な声たちを招き入れ、演劇の場所を開いて政治の「外」をつくること――「そのためには無論、演劇は単に集いの場になるのではなく、彼方へ進み、自らの演劇的使命を追求しなければならない」

Ⅳ 政治的なものを問うには、演劇を二つの証明に照らして思考することが重要である。一方で演劇は、視覚的要素と聴覚的要素の配列であり、それが一連の意味的、感情的、知覚的内容をもたらす。他方で演劇は、すでに指摘した通り、ひとつの特殊な状況である。すると以下のように推測できる。すなわち、政治的なものが関わるのは、状況の側面を探求することで視覚的要素と聴覚的要素の配列が乗り越えられるではないか――これがポストドラマ演劇美学の本質的な一側面である。だが実際には、まさに今、「伝達」としてしか演劇を理解できず、観客との(偽りの)一体感を配慮しすぎるあまり、多くの若い演劇人が形式的にありふれた演劇に回帰しつつある。いわゆる「リアリズム」へのこの新たな傾向(もちろんかつてのリアリズムが有したイデアリズムの芸術に対する挑発的な鋭さはまったく失われている)は、延々と続く形式の破壊にうんざりしていると言われる観客が一息つくにはいいかもしれない。けれども、そうして受け容れられようとする演劇は、真にリスクを負うことを恐れるあまり、演劇の政治的または芸術的可能性に届かないだろう。 

 政治的な演劇について問う場所がこうして名指されたので(だが決して答えが口にされたのではない)、答えになりうるものに着目して一本の線を引くことができるだろう、すなわち、教育劇におけるきわめてラディカルな試みによって演劇の形式を開き、演劇以外の言説的実践を軽やかに招き入れたブレヒトに始まり、時間の枠組みを打破して新たな出会いの状況を生んだり、不均質な複数の空間を開くことで演劇的状況をつくり出した演劇形式を経て、うまくいった場合は終始一貫した決断不可能性によって無意味と政治の深刻さの間(無‐意味の政治学)で演劇の使命と政治的行動を結びつけるシュリンゲンジーフのアクションへと至る線である。このようにリスクを負って演劇を開き(それが成功したか否かは個別に論じる価値があるし、また論じなければならない)、知覚と言論の潜在的可能性を変革した試みと比べると、単に作家や演出家の政治的見解や態度や気分を伝える演劇は、厳密な意味では非政治的なのである。しかも、演劇の形式自体に手を付けていなければいないほど、非政治的なのだ。「芸術における真に社会的なものは形式である」と若きルカーチは知っていた。

 出発点として単純な事実を確認しよう。演劇と芸術はさしあたり政治ではなく、政治とは別のものである。ここをめぐってこそ、政治的なものとその美的実践のありうるかもしれない関係についての問いが生まれる。いわゆる実験的演劇における政治的なものをつかむために、主題化すべきは「いかに」である。そうした演劇は、しばしばポストモダンと呼ばれ、実験的演劇とか、いまだにアヴァンギャルド演劇とか、ポップ演劇、視覚演劇、パフォーマンス的演劇、ポスト叙事演劇、あるいは具体演劇と呼ばれる。これらの用語はそれぞれ新しい演劇の特定の性質を示しているが、より包括的な述語である「ポストドラマ演劇」に分類できる。ポストドラマ演劇とは、ドラマの伝統に対する新たな演劇の反発と論争であり、1920年代の歴史的アヴァンギャルドと50~60年代のネオ・アヴァンギャルドに始まったドラマに対する「具体的否定」の数々として理解すべきものである。

 さて、よくある非難は、ポストドラマ演劇の欠陥は政治的なものの欠如だというものである。それは形式主義にすぎず(ヤン・ファーブル)、単に美的などうとでもとれる遊戯であり(ロバート・ウィルソン)、上演が成功しても洗練された抒情性しかなく(ヤン・ロワース)、そうでなければ楽しくポップに、醒めつつふざけているにすぎない(ルネ・ポレシュ)――だが政治的なものは――そしてまた啓蒙も、道徳も、責任も(古典の上演に関しても)—-まったくない、と。しかしこの主張は一方的なものにすぎない。ここには明らかに誤った、少なくとも疑わしい決めつけと、また誠実な要求という(常に疑問の余地ある)身振りがある。こうした非難では「政治的」という言葉が思慮なく用いられ、うわべだけの分かりやすいしるしとして機能する。だが重要なのは次の事実だ。すなわち、倫理的あるいは道徳的問題をふさわしい筋書きにして舞台上で討議するからといって、その演劇が倫理的あるいは道徳的になるわけではないのである。政治的被抑圧者たちが舞台上に現れるからといって、その舞台が政治的になるわけではない。ある演出から演出家個人の政治的態度が見てとれるなら、つまり演出家が公的に立場を表明するなら、それはそれで賞賛に値するが、本質的には他の職業でもできることをしているにすぎないのである。」ハンス=ティース・レーマン「ポストドラマ演劇はいかに政治的か?」(林立騎訳)F/Tユニバーシティ・早稲田大学演劇博物館編『ポストドラマ時代の創造力』白水社、2014 pp.226-234.

 ドイツでは演劇というアートの存在は、創造的文化の重要な一角を占めていると思う。映画やテレビドラマなどに比べても演劇への関心は高そうだ。学校教育の中でも演劇は正規に位置づけられ、大学には演劇学科があって研究教育も盛んである。その要素の重要なひとつが「政治的」なものをどう扱うか、「政治的」なものをタブー視する傾向のある日本の状況と比べてかなり違うのだろうと思う。日本も戦前から戦後のある時期まで、演劇が政治運動と結びついていた時代があったけれども、80年代以降は娯楽性を前面化した作品が、小劇場演劇にも広がった。レーマンの「ポストドラマ演劇」が問題にしているのは、あくまで演劇がほんらい追求してきたアートとしての創造的な作品から、「政治性」を排除するのではなく、安易に導入するのでもなく、演劇の歴史の中でできあがってしまったドラマという型を更新し枠を破って蘇らせる試みなのだろう。

 

B.香港と台湾

 今香港で起きている若い学生たちを中心にした抗議活動は、警察の強圧的な力で大量逮捕、死者も出るような事態になっている。日本のメディアは、中国政府の圧力を背後にした香港政庁への抗議に一定の視線を注ぎながら、人民解放軍のソフトな介入なども入れて中立性を保とうとしている。ぼくたち日本の多数派庶民は、なんだか学生が過激な運動をして政府に抑え込まれる騒動ぐらいにしか受け取らず、「一国二制度」の由来や香港が中国なのか、中国ではないのか、よくわかっていない。それは英国の植民地であったことが大きな遠因で、その意味では日本の植民地であった台湾の場合と、共通する面と異なる面がある、という基本的なことをまず理解しないと考えることすらできない。日本には関係ない、といっていられるだろうか?

「香港ナショナリズム 〔インタビュー〕台湾・中央研究院台湾紙研究所副研究員 呉(ウー)叡人(ルイイン) さん 

150年の英国統治下 培った共同体意識 運動通じて政治化

 香港市民の大規模な抗議運動は、本格化して5カ月を過ぎてもやむ気配がなく、激しさを増している。香港と同様、中国の大きな圧力に日々さらされる台湾から、この運動に強い関心を寄せてきたのが呉叡人さんだ。そこに見て取れるのは、英国の植民地だった歴史の中で培われた「香港ナショナリズム」であると指摘する。

――香港の現状について積極的に発言していますが、関わり始めたのは最近のことなんですね。

 「始まりは2012年。中国国民としての愛国心を育てる『国民教育』の導入に反対する運動が香港で起きました。そこで香港の月刊誌に頼まれ、ナショナリズム論の視点から文章を書きました」

 「中国が近代の国民国家として形成される過程で、肝心な時期は19世紀末から1945年までです。だがこの間、台湾は日本の植民地、香港は英国の植民地で、中国ではなかった。中国からみると両者は『遅れてきた中国人』。『中国人性(チャイニーズネス)』が足りない、改造の必要があると。そこで香港では、上からの国民形成として国民教育を施そうとした。そんな視点を示しました」

 —-でも、中国への帰属意識が強まったわけではなく……。

 「2014年初め、香港大学学生会の雑誌『学苑』の特集タイトルを見て驚きました。『香港民族 命運自決』だったのです。私の研究対象は歴史上のナショナリズムでしたが、これは、新たに生まれつつある香港ナショナリズムです。後に私自身も『学苑』に寄稿し、それを含むいくつかの論文を集めた『香港民族論』が香港で同年9月に出版されました。行政長官の普通選挙を求めた雨傘運動が同じ時期に起こって、爆発的に売れました」

 —-つい20年ほど前まで植民地だったのにナショナリズム?

 「植民地の境界は列強の覇権争いの結果で不自然なものです。アフリカの多くの国境が直線でしょう。でも、植民地が長く続けばその中でアイデンティティーが形成されます。香港も同じ。150年の英国統治が一つの共同体を形成しました。そして近年の運動が共同体意識を政治化したわけです」

 —-香港という共同体ですか。

 「英国は香港に、高水準の自治権を与えました。独自の通貨があり、パスポートを発行し、国際組織に加盟できる。唯一欠けていた要素は市民の参政権です」

 「英国は1950年代、香港を参政権がある完全な自治領に移行させようとしました。ところが中国が反対し、周恩来首相は香港を攻めると警告した。97年の中国への返還直前になって英国は香港の民主化に着手し、区議選を導入しましたが、遅すぎました。返還後は香港基本法のもとで厳しく制限された選挙になっています。未完のネーションなのです。若者がネーションを意識するのは偶然ではありません。以上が香港ナショナリズム出現の長期的要因です」

 ――では、短期的な要因は。

 「中国の強引なやり方です。一国二制度のもとで香港市民がイメージしていたのは連邦制でした。外交と国防は北京に任せ、ほかは自分が統治すると。しかし北京には容認できない。中央が全てを管理統制し、香港をもっと統合する方向です。だから強い反発が香港側から出てきた。今の運動のきっかけになった逃亡犯条例改正案は法律上の中国との統合。最後の一押しですね。香港の法治が崩れるとの危機感が噴き出した」

 —-ナショナリズム形成過程を台湾と比べるとどう違いますか。

 「台湾は80年代の民主化を経て、参政権の行使を通じてアイデンティティーを強めました。自分の運命は自分で選ぶという意識です。香港は参政権がないので、闘争を通じてアイデンティティーを固めていきます。雨傘運動もそうした自己決定権の追求です。それが香港ネーションというパズルの最後のピースなのです」

 「私の香港ネーション論は、香港の学者から人種主義だと批判されました。若者と違って40~50代の学者には受け入れ難かった。ただ、これは人種主義じゃない。自由、法治、多元主義などの価値を認めれば『香港人』です。もっとも、5年経った今は香港人という言葉をみな口にしていますよ」

 —-この5年間にも香港社会に変化があったわけですね。

 「香港ナショナリズムが広がると同時に、中国への態度が変わりました。香港の学連(大学生の団体)はもともと、中国の民主化が香港民主化の条件で、両者は一体だと考えていました。しかし雨傘運動の後、学連は急速に香港独立派へと変容します」

 —-だから天安門事件の集会に参加しなくなったのですね。中国への関心がなくなった?

 「絶望したのです。さかのぼれば1980年代、香港の知識人は中国共産党内のリベラル派にかけていた。天安門事件で失望しても中国の民主化運動を支援し続けました。ただその後、中国の民主化はどうも見込みがなさそうだ、という考えが浸透してきたのです」

 「日常生活での摩擦もあります。中国からの新移民が100万人を超え、香港の人口の1割以上です。彼らが公営住宅の割り当てや公的医療サービスを圧迫していると非難されている。中国からの買い物客が香港で日用品、食品を買い占め、問題化している。二つの異質な社会を無理やり融合させる動きと、それへの反発が生じているわけです」

 —-台湾での香港問題への強い関心も以前はなかったことです。

 「この4カ月は過去40年を合わせたより関心が強い。台湾はオランダ、清、日本、そして戦後に大陸から来た国民党と、言わば外来政権が統治した数百年の歴史を持ち、民主化で一つの解決をみました。とはいえ民主化は経済発展を保証しない。冷戦期にあった米国の保護もない。台湾経済の未来は中国にありました。当時の李登輝政権が抑えようにも台湾企業は中国の強い磁場に吸い込まれ、中国に依存する構造ができました」

 「その後の中国は経済力で台湾政治に影響を及ぼしています。中国資本が入り、抵抗も起きた。2016年の総統選で民進党の蔡英文氏が勝利するまでの流れは、明らかに中国への反発が背景にある」

 —-だからこそ、香港の現状にも共感しうるわけですね。

 自由への闘い 台湾社会全体の意識も変えた

 「2014年は台湾で対中接近策に反対するひまわり学生運動があり、すぐ後に香港で雨傘運動がありました。中国の圧力に直面して運命を共にする意識は当時、学生や市民団体に限られましたが、今、香港の自由への闘いは台湾社会全体の意識を変えています。香港警察の暴力はとても見ていられない。台湾でも大規模デモが2回あり、各大学には香港を応援するレノン・ウォール(応援のメッセージの貼り紙をする壁)ができた。香港の運動の前線が台湾まで延びて来ているように感じます」

 —-結局は中国とどう向き合うか、という問題ですね。

 「中国への幻想を諦めるべきです。『香港に真の一国二制度を』とよく言いますが、幻想です。中国は中央集権を志向する。分権につながる方向はありえない」

 「二つ目は経済の幻想。簡単に金儲けできる時期は終った。中国経済は下り坂です。三つ目は『中国は覇権を唱えない』という幻想。そんなわけはない。資本を蓄積すれば必然的に外へのドライブがかかる。政治的要因もあります。19世紀末の欧州は労働運動が起きて内部に対立を抱え、対外膨張で矛盾を緩和しました。中国もその古典的な道をたどっている。民主政治でないため国内矛盾を解決する方法がなく、抑圧するしかない。治安維持費が国防費を上回っている状況です。だから外へ向かう。それが『一帯一路』です。でも日本の中国観には戦後の親中メンタリティーが残っているでしょう?」

 —-いや、それはもう少数派だと思いますけどねえ。

 「どうでしょう。共産党の革命を高く評価し、東アジア現代史を中国の視点で見ていませんか。台湾もその視点で見ていませんか。『中国の脅威』は右派言論がつくる虚構だと思っていませんか。日本の、特にリベラル派は中国に対する自前の理論、新たな論述を打ち出さなくては。欧州や米国の中国観は変わっています。国際政治とは、難しい現実に直面し、選択を迫られるものなのです」 (聞き手 起動特派員・村上太輝夫)」朝日新聞2019年11月21日朝刊、13面オピニオン欄。

 最後の部分は、耳が痛い。さらに言えば、中国(中華人民共和国と中国共産党)を敵視し、台湾を中国の正当と認めていた日本が、台湾を捨ててニクソン政権の米中接近にならって田中角栄政権が国交回復をした1972年9月から、毛沢東と周恩来が死んだ1976年までの4年間、パンダ人気で日本が一気に中国ブームになった時代、文化大革命でぼろぼろだった中国を助け、まもなく復活した鄧小平の改革開放路線と手を組んで金儲けに利用した日本資本主義の功罪を、すっかり忘れて右翼の感情的中国非難に顔をしかめるだけでは、覇権国を追求する中国に対する独自のスタンスを立てることはできない。ただ突っ張るだけの安倍政権は、韓国とも中国ともまともな関係は築けそうもない。どうすればいいか、百年単位の東アジアの歴史を見直さないと…。

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演劇の可能性 6 ドキュメンタリー演劇? 無電柱化はできる?

2019-11-19 23:28:40 | 日記

A.リミニ・プロトコル

  2009年2月に東京で上演されたという『Das Kapital』という演劇をぼくは見ていないから、それがどういうものか想像するしかないのだが、これは、3人からなるアートプロジェクト・ユニット、リミニ・プロトコルの2人、ヘルガルド・ハウグとダニエル・ヴェツェルによる構成・演出の作品。そこで手法とされる「リミニ・プロトコル」は舞台公演の準備段階での調査や登場人物の選定が作品創作の2/3を占めるというもので、現実を演劇的に描くのではなく、ある現実をそのまま舞台上にあげるという手法を特徴とする。

小劇場レビューマガジン「ワンダーランド」の劇作家、第二次谷杉氏の観劇記によれば、『資本論 第一章』と題した作品は、「舞台上に巨大な本棚(天地3間×左右7間/目測)が設置され、出演者の何人かはその棚の中に収まっている。整然とした本棚ではなくお祭りの夜店のような照明もついており雑然とした印象だ。登場人物たちが次々と語り始める。中央のレコードプレーヤーには古いLPがかけられ、全盲のDJが音楽を流す。ときおりパチンコやスロットマシンの音がする。話にあわせ、棚に置かれたビデオカメラで写真や図版が撮影されモニターに映し出される。撮影位置がおかしかったり写っている物がちがっていたりすると撮影している出演者に他の出演者が指示していたりする。字幕も舞台上の出演者によって操作されており、シーンによってはその場で文言がタイプされスクリーンに映し出される。このあたりのゆるいインタラクティブさはちょっと演劇的でおもしろい。文庫版の『資本論』が出演者(と会場係)によって観客全員に配られる。指定されたページをみるとマーカーでチェックされている。」(https://www.wonderlands.jp/archives/12503

演技経験のない者を役者として舞台にあげるのは新しい事ではない。タデウシュ・カントルは『死の教室』で老人たちに思い出を語らせ、寺山修司は『ハイティーン詩集 書を捨てよ町へ出よう』で若者たちを舞台にあげた。『Das Kapital』では出演者の体験を本人が主にモノローグ形式でしゃべる。役者同士の対話はほとんどない。

なるほどと思うが、この制作を行なったハウグとヴェッツェル氏が自作を語るインタビューがあったので引用する。

 

「ドキュメンタリー演劇の新たな潮流として、世界を席巻するリミニ・プロトコル。その特徴のひとつは好奇心旺盛な実験精神にある。日常生活を観察して演劇性を発見したら、そのまま舞台上にあげて様子を見たり、作品が成功してもそこにとどまらず、さらに手を加えて試してみたりするというのが、彼らの基本的なスタンスなのだ。このレクチャーでは、フェスティバル/トーキョー(F/T)09春で『カール・マルクス:資本論、第一巻』東京版という実験を成功させたヘルガルト・ハウグとダニエル・ウェッツェルが、電話、アンケート、テレビを用いた過去の実験について語る。

 ウェッツェル 今日は、私たちがどういう活動をしているか、その全体像をお見せしたいと思います。今回のF/T09春では『カール・マルクス:資本論、第一巻』をご覧いただきましたか、ここではそれ以外の作品について紹介していきます。

 まず、2008年の四月にベルリンとチューリヒとマンハイムという三つの都市で同時に初演された「コール カッタ・イン・ア・ボックス」という作品について、映像をお見せしながら紹介しましょう。

 最初に観客が予約した日時にひとりで受付に行く。そこで地図を受け取り、たどり着いた建物の一室に入る。部屋の中を見ると、テーブルの上に携帯電話が置いてある。その携帯電話にインドのカルカッタにあるコールセンターから、電話がかかってくる。そして、観客は印度にいる相手といろいろな会話をするという構成になっています。

ハウグ 最初はコールセンターの人が会話をリードしていますが、話していくうちに、電話の指示に従って自分でお茶を入れたり、パソコンの画面を通じてコールセンターの人と一緒に踊ったりもしますから、観客もいわばパフォーマーになっていきます。そうした電話越しの一期一会の出会いによって、一回限り、ひとり限りの作品ができあがっていくという構造になっています。

 初演以来、世界のさまざまな都市でこのプロジェクトを行ないましたが、大事なのは、都市同士がつながること以上に、電話をかける人間と受ける人間のつながりによって世界がネットワーク化されていくことです。また、一対一の関係ですから、多くの人が一度に同じ舞台を見る従来の演劇とは異なるということにもなります

 プロの俳優が参加しないことも、私たちリミニ・プロトコルの作品が通常の演劇と違うところです。俳優の代わりに特定の専門化を選び、一緒に作品をつくっていくという手法をとっています。

 『コール カッタ・イン・ア・ボックス』の場合は、コールセンターのオペレーターが、その専門家にあたります。その中でも特に、電話で外国人と会話をする能力に長けた人、英語はもちろん、フランス語やドイツ語といったほかの外国語もできて、さらに会話がうまい人を選びました。観客の中には、なかなかこのゲームになじまない人もいますから、オペレーターには会話をリードする能力が求められるわけです。

 インドのコールセンターに注目したのは、アウトソーシングについて考えたことがきっかっけです。ゲーテ・インスティトゥートという、ドイツ語の教育とドイツ文化の国外紹介をする機関が、カルカッタで何かプロジェクトをやってみないかと提案してきたのが始まりでした。そこでいろいろな調査をした結果、題材としてコールセンターが浮上してきました。現在、欧米諸国の多くの企業が、コスト削減のためにさまざまな業務を開発途上国や新興国にアウトソーシングしています。そうした状況のなかで、インドにおいてコールセンターが非常に大きな産業の一分野になっているのです。

 コールセンターは一種の演劇装置だと考えています。そこでは、労働者は俳優として演じているのです。たとえばアメリカの大企業と契約しているコールセンターであれば、オペレーターにはアメリカ風の名前が与えられ、その日のアメリカの天気、スポーツの結果などもすべて頭に入れて、世間話ができなければなりません。電話口のオペレーターはアメリカにいる、と相手に思わせるように演じているわけです。

 次の作品は2008年に上演した『100%ベルリン』です(F/T13でその東京版である『100%ト-キョー』を上演)。私たちはベルリンに事務所を構えていますが、同じベルリンにヘッベル劇場(HAUI)という劇場があって、そこがちょうど100周年を迎えるのに合わせて、記念の作品をつくってくれないかと依頼されたんです。それなら「100」にこだわってみようと、ちょうど100人が舞台に登場する作品をつくりました。

 100人のうちの1人目として、ベルリン市の統計局に勤めている公務員を選びました。彼の仕事は、ベルリン市民の生活を調査するために、各家族を訪問して、その暮らしぶりについてアンケートを実施し、統計にまとめていくというものです。残りの99人を集めるにあたっては、一人目の彼とともに、性別、年齢、婚姻関係(既婚・未婚・離婚)、国籍、居住区という五つの基準を設けて、ベルリン市の統計に合わせて分類することに決めました。つまり、選んだ100人がベルリン市の縮図になるようにしたのです。

 たとえばベルリン市の人口を性別で見ると、女性が51%、男性が49%ですから、女性が51人、男性が49人、同じように、国籍別ではドイツ国籍の人が90人、トルコ国籍の人が4人、それからポーランドなど、その他の国籍の人が6人ということになりました。あくまで国籍であり、出身ではありません。トルコ系の人々がベルリン市の人口に占める割合は4%より国籍であり、出身ではありません。トルコ系の人々がベルリン市の人口に占める割合は4%よりずっと多いのですが、その中には国籍はドイツ人である人も多いからです。

 このようにして大枠の人数をまず決め、具体的な顔ぶれを決めるにあたっては、ひとりの参加者を決めたら、その人が二十四時間以内に次の参加者を探してくるという方法をとりました。最初の公務員が次の人を指名して、その使命された人がまた次の人を指名するという具合です。先ほどの五つの基準を考慮し、ベルリン市の縮図になるように選んでいくわけです。たとえば、最初の公務員は自分の娘を指名したので、性別は女性、年齢は6歳から12歳、婚姻関係は未婚と、ひとつずつチェックを入れて、残る人数枠がひとり減っていくというかたちになります。

 したがって、最初のうちは人を探すのも簡単なのですが、残り10人くらいになると、条件に合う人を見つけるのが非常に難しくなっていきます。それでもとにかく100人を集めました。ベルリン社会の縮図ができたのです。そして、その100人全員に同じ舞台に立ってもらい、質問形式によるゲームを行ないました。観客席の後ろにあるスクリーンに質問が映し出されると、舞台上の100人はそれを見て、「はい」の人は右へ移動、「いいえ」の人は左へ移動するといった感じで質問に答えていきます。それを観客はゲームとして見るわけです。そして、私たちつくり手の側では事前にこの100人と一人ひとり面談しているのですが、彼らのプロフィールを一冊の本にまとめ、公園前に観客に配ってあります。ですから、観客も、舞台の100人の中に興味を引く人がいたら、その本で調べられる仕組みになっています。

ヴィッツェル 今、ご覧いただいている場面では「1989年以降、つまりベルリンの壁の崩壊後に東ベルリンから西ベルリンに移り住んだ人はいますか」という質問がされています。ほとんどの人が左側の「いいえ」へ移動したので、壁崩壊以降に東から西に移住した人はほとんどいないことが分かります。そこで次は「89年以降に西ベルリンから東ベルリンに移り住んだ人はいますか」という逆の質問を出してみます。すると今度は「はい」の人が少し増えました。

ハウグ 「政治活動をしていますか」という質問では、三名の方が「はい」でした。確かこの三人はどこかの政党の党員でした。つまり正式な政治活動を行っているわけです。それで今度はもう少し大まかに「政治的な運動をしていますか」という質問に変えてみます。そうすると人数が変わりました。

 このように次々と質問をしていくわけです。「教会には定期的に行きますか」、「この100人と一緒に大笑いしたいですか」、「この100人とはもう会いたくない、帰りたいですか」、「昨日の夢を思い出せますか」、「夢を覚えている場合、起きてからその夢に関連した行動を何かしましたか」などです。ちなみに今、映っている赤ちゃん、この生後三か月の子も100人のうちのひとりです。この作品の中でいちばん若い「俳優」です。

 今、出ている質問は「これまで合唱団で歌ったことがありますか」ですね。そうすると、「はい」の人々が素晴らしいコーラスを聞かせてくれます。

ヴィッツェル 第一部では、私たちつくり手の側が用意した質問に参加者が答えるのですが、第二部では、参加者自身がその場で即興的に考え出した質問にみんなが答えたり、一人ひとりが簡単な自己紹介をしたり、いろいろなゲームを行なったりしました。今、映っているのがちょうど即興的な質問の場面です。「クヌートに会いに行ったことはありますか」と子どもが叫んでいます。ベルリン動物園に「クヌート」という有名な白熊がいて、とても人気なんです。その場で決めると、こういうかわいい質問が出てくることもあって、面白くなるわけです。「お風呂の中で歌を歌いますか」という質問もかわいいですね。

ハウグ 「ベルリン・テンペルホーフ国際空港の存続に賛成ですか」。これは市民投票が行われたほど、ベルリンの重大な問題です。

ヴェッツェル 「浮気をしたことはありますか」という質問が出ていますが、舞台の上にはカップルが何組もいるので、ベルリンの統計的な数値とは誤差が生じるかもしれません。冗談はさておき、これまでは「はい」か「いいえ」の二者択一でしたが、もう少し選択肢の多い質問もあります。今、映っている場面では、「たった一人の人を愛しているという人」が黄色のパネルを前に出し、「複数の人を愛している人」が赤で、「誰も愛していないけれど、また誰かを愛したいという人」が青ということになっています。ここでもごく日常的なことについていろいろなかたちで質問するのは変わりません。

 参加者1 即興的な質問はともかく、あらかじめ用意した質問については、参加者がどのように答えるか、制作側は事前に把握していたのでしょうか。

ヴェッツェル 把握していません。10回やれば10回ともすべて異なる結果が出てくるものだと思ってやっています。演劇とは、「これが真実だ」という答えを出すためのものではなくて、自らを表現する機会であると私たちは考えています。映像を見れば分かると思うのですが、質問をされてから答えるまでの一人ひとりのアクションが面白いんですね。「どうしようかな」と迷う人もいれば、あるいは多数派に迎合してついていってしまう人もいるなど、答えに至るまでのこうした過程が作品の楽しさを生み出していると思います。

 また、質問の組み合わせや順番によっても、面白み、発見が生まれます。「女性恐怖症の人はいますか」という質問をすると、男性が三人おずおずと「はい」の方に行った。その後、「では世界を支配したい人はいますか」と質問したら、同じ三人がそこに残っていた、ということもありました。

 参加者2 舞台上に犬が二匹いましたが、それもベルリン市の縮図を意図したものですか。

ハウグ 一匹に関しては、どうしても飼い主から離れてはいられない犬だそうです。参加を指名された人が犬と一緒でもいいならという条件を出してきたので許可したんです。そして、もう一匹はなんとなく飼い主が連れてきたようです。しかしあらためて考えてみると、ベルリンは非常に犬が多い都市ですから、ベルリンの縮図としての表象の中に犬がいるのは全然おかしなことではありません。それに、犬のふんの始末などが社会問題になっている面もありますから、結果的には二匹の犬のおかげでベルリンの現実をよりよく再現できたと思います。」ヘルガルト・ハウグ&ダニエル・ウェッツェル「アンケート調査とテレビ番組」(F/Tユニバーシティ・早稲田大学演劇博物館編『ポストドラマ時代の創造力 新しい演劇のための12のレッスン』白水社)2014.pp.32-41.

 なるほど、何をやろうとしているのかだんだんわかってきたぞ。しかも、アンケート調査の手法を舞台上でやってしまうみたいだが、社会調査でいえば、サンプル抽出の選択を標本調査の無作為抽出ではなく、全体の縮図を作るために「割り当て法」と「雪だるまサンプリング」で、やっているようだ。ただ、いくつぐらいの基本属性を統制条件にするかで統計的な意味は変わってくるので、ここは統計上の厳密さなどより100人がいかなる行為をとるかの結果を、舞台を見る観客に感知させればいいわけだ。脚本家が台本を書いて演出家が俳優に指示を与えて演劇をつくる、という方法がかなりな部分否定的に扱われ、作者は俳優でない人間をどうやって選んで舞台に上げるか設計することが仕事なのだ。しかし、それで何が達成されたのか?舞台を見ないとわからないな。

 

B.できなさそうなことをやれる人

 政治的な決断が世の中を中長期的に大きく変えるということは、いくらでもあると思うが、その政治家に権力を与えるのは誰か?民主主義と選挙制度で特定の政治家や政党に権力を期限付きで委任するという政治システムをとっている以上、ぼくたちは投票によって選出された政治家が、何を考え、何を優先的にやろうとするかを見て未来を予測しなければならない。それはかなり変数が多いので難しいことなのだが、選択肢とコストが明示されているなら、Aという決断か、Bという決断かのどちらがとるべき策であるかは理性的に判断できると思う。長期政権の記録を伸ばす安倍政権の、基本的な考え方が政策にどのように反映しているかは、もう言うまでもない。たとえば国民の税金1兆円を何に使うか?

 「災害から考える:列島をあるく 「無電柱化」広がる議論 防災に強み 費用減試みも

 この秋、相次いだ大型台風で停電などの被害が長期化し、電線を地中に埋める「無電柱化」をめぐる議論が広がっている。電柱の10倍に上る工事費用のため国内では普及が進まなかったが、コストダウンの試みも出始めた。(菅沼栄一郎)

 9月に千葉県を襲った台風15号。県内では電柱約2千本が倒壊し、2週間以上停電が続いた地域もあった。ただ、成田空港からも近い印西牧の原駅(同県印西市)周辺に広がる新興住宅地は停電被害と無縁だった。この地区は造成時から地中化されて電柱がない。ベビーカーを押していた主婦(25)は「あの頃はまだ暑くて、エアコンが止まったら大変なことになっていたと思う」と話した。

 電柱のない場所は増えているが、日本は圧倒的な後進国だ。パリやロンドンの街並みには一切電柱がないが、日本では最も進んだ東京23区でも無電柱化率は8%に過ぎない=グラフ。

 そんな日本で無電柱化の旗振り役を務める一人が東京都の小池百合子知事だ。

 衆院議員だった2015年に社会経済学者の松原隆一郎・東大教授(当時)とともに著した「無電柱革命」によると、日本でも電線を地下に埋める発想は復るからあったという。東京の一部では大正時代、電線は地中に埋められ電柱のない風景が広がっていた。ところが戦争で焼け野原となり、低コストで電力供給を急ぐため、電柱が一斉に立てられたのだという。

 その後、無電柱化はもっぱら「空が広い街並み」などと景観をアピールするために活用されてきた。それが近年になって、災害によって電柱が倒れる例が相次いだことで、災害への強さの点からも関心を集めるようになった。

 無電柱化推進法は16年に議員立法で制定され、東京都も翌年に推進条例を定めた。都の主催で8日に開かれた無電柱化を呼びかけるシンポジウムで、小池知事は「大規模な停電で、いよいよ無電柱化が必要だとの理解が広がったと思う」と訴えた。

 無電柱化を阻んできたものは「コストと時間」だ。

 都建設局によると、工事費は1㌔あたり5億3千万円に上り、幸喜は住民との調整も含めて400㍍の区間で平均約7年かかる。無電柱化の完成時期は都も見通せていない。シンポに参加した松原氏は「現状の国の計画だと完成まで1500年かかる。加速するには新たな電柱建設を禁止する条例を市町村に広げるべきだ」と主張した。

 電力会社もようやく動き始めた。東京電力は3年前、関連会社内に「無電柱化推進グループ」を立ち上げた。電線だけを収容する共同溝や、電線地中化に伴って配置する地上用変圧器を小型化して、大幅なコストダウンを図ろうとしている。」朝日新聞2019年11月19日朝刊20面、第2東京欄。

 今千葉の幕張メッセで開かれている国際武器見本市で展示され取引される先端技術の武器はたいへん高価なものだが、安倍政権は自衛隊の装備を充実高度化するという理由で、年々悪名高い海外の軍需産業から爆買いを強めている。そこに使うカネと、無電柱化に必要なカネとは費用計算の比較が可能で、どちらがどこまで緊急性と必要性があるかは、国民生活という視点で判断できると思う。武器はそれをどういう場合にどういう風に使うかは、あくまで仮定の想定、北朝鮮がミサイルを撃ったらとか、中国が尖閣諸島に軍隊を上陸させたらとかいう、いっけん具体的だが政治状況次第でいくらでも変化する、場合によっては妄想で膨らむ想定であって、これに比べれば日本の都市の電線地中化は、日々の国民生活の安全のために必要なことであり、政治家が決断すればできることだと思う。どっちが優先されるべきか?

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演劇の可能性 5 アートへの公的資金補助の意味

2019-11-16 14:23:20 | 日記

A.演劇は21世紀をどう生き残るか? 

 演劇と一口にいっても、日本では伝統的な能狂言や歌舞伎もあれば、西洋の近代劇を輸入した新劇から派生した小劇場演劇、商業的大衆演劇にも喜劇演芸もあれば宝塚を含むミュージカル、人形劇や朗読劇など多種多様なものがある。東京にいれば日々あちこちの劇場で芝居が上演されているように思えるが、演劇活動を継続していくのはかなり厳しい環境でもある。劇団四季のような自前の劇場運営組織を確立した大劇団もあるけれど、新しい作品をつくり出している大半の小劇団は、財政的に助成金なしでは公演が打てないのが実態で、ヨーロッパ諸国のように演劇への公的な資金と人材の援助が確保されているとはいいがたいようだ。それは今に始まったことでもないし、劇場や稽古場などの基盤や公的補助は、昔よりは少し改善されているのかもしれない。だが、1980年代のバブル経済の頃、大手企業がメセナという文化支援に手を染めた時代は、あっという間に終わり、国や自治体の財政も余裕がなくなって、ごく一部の有名な俳優が出る客の呼べる作品にしか資金が回らないようになったようだ。ただ、そういう状況が続けば、実験的で創造的な作品が舞台にあがるチャンスが先細る。

 この辺も含めDiscussion 平田オリザ+相馬千秋で現状と可能性が語られている。

 「――ここまで、演劇の創造や需要の場、現代社会と表現のあり方などについてうかがってきました。より具体的な劇団や劇場の運営法、その環境については、今どのように考えていらっしゃいますか。

相馬――稽古の仕方にかんしては、どんどん変わっていく気はします。演出家の理念を俳優がその通りに体現するのではなく、みんなで話し合いながらつくる劇団も増えてきているし、作品が作られる構造自体を問題にする若いつくり手は確実に増えているように感じます。そのアウトプットの形が最終的に「作品」や「舞台」じゃなくても、もはやいいのかもしれないとさえ思います。

けれど、結局多くの劇団は助成金という制度の中にもいるので、最終成果物が「劇場で何日間公演して、チケット収入がいくらでした」みたいなフォーマットを最初から与えられている。そのフォーマットが、新しい演劇的発明を阻害する危険性もあります。

平田――創造環境としては、少しずつよくなっていると思います。例えば、城崎国際アートセンターのアーティスト・イン・レジデンスは作品をつくらなくていい。短期的な成果を問われず、さぼることも大事なので。さぼっているように見えているけど、「考えています」っていう(笑)。

 うらやましいのは、フランスの太陽劇団は数年に一回しか作品をつくっていないのに、毎年数億円の予算が降りて、作品をつくっていない間も取材と称してみんなでベトナムに遊びに行ったりしていること。アーティストにとっては、それはとても大事なことなんです。日本の場合は制度も新作至上主義なので、再演やレパートリー化が難しく、作品づくり自体が自転車操業になっている。これは非常に問題ですよね。演劇以外にも言えることなんですけど、フローを回していくことによってストックを少しずつ積み上げていくのが経営なのに、日本の芸術家はフローしかない。ストック、つまり財産がないんです。

相馬――止まっちゃうと終わっちゃうんですよね。ずっと走っていないと死ぬというのは恐ろしい状況です。

平田――日本の演劇界では、新作しか評論の対象にならない。新聞劇評はほとんどそうです。それは、ひとつには評論家の質が低いから。台本の批評しかせず、せいぜいテーマがきちんと伝えられているしか見ていない。俳優の演技をきちんと批評できる人は、非常に限られています。

それから、メンタリティのこともあると思います。日本は、他の国に比べて新製品がすごく売れる。しかも1億2千万人という、衰えたとはいえ大きなマーケットを持っているので、その中でぐるぐる回してどうにかなったんですよね。ただ、これからは若者の人口が減るので、そうもいかなくなってくるだろうと思います。

相馬――システムの話で言うと、文化庁の「トップレベルの舞台芸術創造事業」(2016年度から「舞台芸術創造活動活性化事業」に移行)の助成金は、年間主催公演数が何本以上という規定があるので、年間を通して助成金をもらおうと思うと、かなりのスピードで新作と旧作を混ぜながら、ずっと公演をし続けなければならないというのが現実です。それを可能にする器用な演出家やプロデューサー、制作者がいる劇団は耐えうるけれど、そのスピードを五年も10年も続けられるかというと、なかなかきびしいと思います。

例えば、平田さんがさっき挙げられた太陽劇団に匹敵する規模と歴史のある維新派は、毎年一本のペースで劇団主催の野外公演を打つそうですが、チケット収入が七割ほどを占めていて、助成金が芸術文化振興基金の数百万円しかもらっていないそうです。これは維新派が芸術性と興行的成功を両立していてすごい、という話であると同時に、日本を代表する劇団が、毎回経費の三割にも満たない少額の助成金をプロジェクトごとに申請して興行しなければならないのか、という話でもありますよね。維新派は、主宰である松本雄吉さんの特異な才能と求心力があるからすごい作品をつくり続けているけれど、若い人たちが真似しても絶対続かないだろうなと。

平田――演劇は複製が難しい最後の芸術ジャンルなので、世界中どこでも貧乏なんです。ストレートプレイで食っていけるのはヨーロッパの大陸だけで、イギリスでさえも、ずいぶん前の統計ですが、俳優の約八割は他のアルバイトをしている。

ただし、ヨーロッパ大陸の国々の場合は、社会構造も違います。20歳くらいまでにエリートを選抜して育てるので、それ以外の人は参画できない、ある意味排除のシステムが働いている。この間ベルリンの演劇学校に行ったら、就職はほぼ100パーセントで、そこの大学を出ていれば新卒で地方の劇場にいきなり就職できるんです。でも、そこまでの淘汰がある。これにはよし悪しがあると思います。ヨーロッパだったら三〇代で演劇を始めたり、飴屋法水さんみたいに、一線を退いてから再開するような人はなかなか存在できないかもしれない。

また、ヨーロッパでは公的な支援がある程度ないと、少なくとも教育とか若手の育成にかんしては、絶対に成り立たないシステムになっています。では逆に、ニューヨークのように完全にマーケットの中の自然淘汰でやるのか。ニューヨークでは、どういうレッスンを受けているか、誰に習っているかなどがオーディションの結果を大きく左右するので、そのお金のためにみんなバイトをしている。日本は、その中間くらいで、うまい落としどころを探していくのがよいと思います。ただそのためには、やはり多少の競争と淘汰は今よりは必要です。日本では誰でも演劇を始められるし、しかも二〇代であればバイトがしやすい。コンビニのように、ニ四時間やっているお店がヨーロッパにはあまりないですから。

相馬――日本で、若い人たちがどうプロフェッショナルな演劇人になっていくかは、時代によって変遷しています。大学教育から才能が出てくるという流れが出てきたのは、たかだかこの10~15年ぐらいのことで、太田省吾さんがいらした京都造形芸術大学とか、平田さんが教えていた桜美林大学から逸材がたくさん出てきました。その前は、演劇の実践を教える大学がなかったので、学生劇団やサークルで演劇を始めたり、別のことをやっていてたまたま演劇に出会った、みたいな人が多かった。そこでは、偶然の運の良さみたいなものも重要でしたが、今はむしろ大学でしっかり演劇を学んだ人が小劇場界を支えています。とはいえ、芸術系の大学に行けるかどうかは親の経済力の問題もあるので、はじめからふるいにかけられてしまう面もあります。もっと差異があいまいなところから予測不能な才能が出てくるように、うまくいろんなものが自生してくるような、ゆるいけど継続できるシステムが理想ですよね。

平田――制作者が行政に何かの政策提言をするときって、ともすれば「みんな食わせろ」みたいな話になりがちですが、「こういう選抜基準があるからこういう風に食べさせてください」みたいにセットで提案しないかぎり、夢物語として門前払いになっちゃうんです。すごく絞って確実に食わせるのか、完全にオープンにするのか。どこにどういう枠組を設けるのかということを、現実的に提言し、ちゃんと話していけばいい。

――そのときには「なぜ演劇なのか」ということも問われますよね。同じ芸術文化とされるものの中でも、例えばアニメなど、もっとわかりやすい経済効果を生むジャンルもあります。

相馬――オリザさんはこれまで「広場」というキーワードでずっと演劇活動をされていて、こまばアゴラ劇場という場所自体も、「広場」を理念的にも具体的にも体現していると思います。

もし演劇が、見る側にひたすらコンテンツや情報を提供してメッセージを発していくだけのものであったら、それは別のメディアにだってできるという話になってしまいます。演劇はむしろ、そこに居合わせた人たちに何らかの形で演劇的な経験をしてもらう「広場」のような場所、器のようなものなのではないか。その器の中で個々人が、内的な、個人の中の小さな革命を経験できるのではないか。演劇は、そのためのスイッチあるいはリマンダーみたいなもので、そこにはない他者や他所の存在を想起させるきっかけを提供するものではないか。そういう経験を組織することが、翻って演劇という行為なのではないか、というようなことを最近はぼんやり考えています。

現実世界というのは実際ものすごく複雑であるにもかかわらず、それを他者と交換可能なものに圧縮しようとすると、どうしても単純化、パッケージ化してしまう。演劇の場合は、その圧縮率がわりとゆるい気がするんです。もっと厳密にやりたかったら、完全にフレーミングできる映画とか、時間を完全にコントロールできる別のメディアでやった方がいいですよね。演劇は不確定要素も多いし、目の前に観客がいることで不利に働くこともあるけれど、それを逆手にとることもできます。複雑な現実を二重化、三重化したり、メタ化したr、あるいは宙づりにして、ネジをギュッとしめすぎないまま提示されたときに、観客の中でものすごい内的革命が起きることがある。そういうことを可能とする、とてつもない才能をもつ演出家が、日本にはちょっといる(笑)。だから私も演劇を続けられているのですが、でも、そのちょっといる貴重な才能を、公共=最大公約数みたいな論理に絡めとられないように、ゆるやかな「広場」をどう増やして継続していくか。これは本当に大事なことだと思います。

平田――私は高校生や大学生に、「問題の解像度を上げる」とよく言うんです。普段の生活で見えていない、あるいはぼんやりしている問題について解決策を示すのが演劇とか芸術の仕事ではなくて、「この問題はどうなっているんだ」ということを、声や色やかたちにして示すのが芸術の役割だと思うんです。

福島県にある、ふたば未来学園高校で毎月授業をしているんですけど、生徒たちはあまり演劇を見ていないから、やはりちゃんとした作品をつくろうとするんですよ。でも、どう見ても福島の復興は進んでいないから、「復興が進んでいます」とかプロパガンダのお芝居をつくる必要はないんです。それから彼らには、「悪者をつくらない」というルールも課しています。東京電力とか経済産業省を悪者にするのは簡単ですが、それでは解決しない。それに、じっさいに接触する人間って、だいたいはいい人たちですよね。だから、「どうしてみんな善意があるように見えるのに復興が進まないのか」をそのまま劇にするというのが課題なんです。そういうことを描くのに、演劇は向いています。

劇作家の卵たちによく言うのは、悪いことをやっている人を批判するのはジャーナリズムの仕事だけど、どんなひどい残虐行為をした軍人でも、家に帰ったら孫を抱きかかえて、普通のおじいちゃんの顔に戻る。そっちを描くのが、多分演劇の仕事なんです。鈴木忠志さんもよく言うんだけど、一家皆殺しのような残忍な事件が起きたときに、「これもでも人間か」と書くのがジャーナリズムで、「これでも人間だ」と書くのが芸術だと。もしかしたら「これこそ人間だ」と。そう書くからこそ、私たちは自分の問題として、ある社会的な事柄を扱えると思うんです。そこに、パンとサーカス的な、与えられた芸術と自ら選択する芸術との差があると思うんです。

相馬――ドラマを担うものとしての演劇は、21世紀もずっとあり続けると思います。人間はドラマを欲する生き物だから、何らかの形でそれを受容し消費するという意味において、演劇は滅びない。とはいえ、単にドラマを担うメディアだったらマンガでもテレビドラマでもいくらでもあって、逆に演劇じゃなくてもいい、ということになってしまう。演劇は無限に観客を拡大できないから、そこにもリミットがあります。平田さんは、ドラマを担うものとしての演劇以外の可能性についてはどう考えていますか。

平田――まず、チケットを買って劇場に演劇を見に行くシステムは、30~50年以内にはなくなるでしょうね。これは近代が生んだもので、普遍的なシステムではないから、多分なくなると思う。

でも、人間が人間の前で何か変なことをやるとか、できるだけうまく面白く伝えるとか、そういう人間の社会が持っている根源的なあり方は、多分あまり変わらない。人類が人類として誕生した三万年くらい前から、人間は群れと家族との最低二つの共同体に属さなければならないという特殊な生物なんですよ。どの生物も、一つの共同体しか属さないですよね。ゴリラは家族単位で動くし、チンパンジーは群れ単位で動く。人間だけが二つ以上の共同体に属するので、伝えなければいけない。「今日こんなでかいマンモスに会ってさ」とか、狩りに行くときに「うちの女房が今うるさくて」とか。

おそらく過渡期としては、こまばアゴラ劇場がやっている支援会員制度みたいなものが普及するでしょうね。単体でチケットを買って劇場に行くシステムではなく、いわばスポーツジムみたいなもの。かつては見るだけだったものが、だんだんやるようにもなり、今はスポーツとさえ意識せずにスポーツジムで運動するようになっている。そういうものに変わっていくのではないかと。そうすると、演劇の形式自体も、スイッチ総研(スイッチを押すと何かが起こる、3~30秒の小さな演劇「スイッチ」を上演する団体)みたいなものも含めたいろんなものが演劇として扱われるようになるんじゃないか。じっさい、美術のインスタレーションと区別がつかないものも増えていますしね。劇場の機能も変わって、朝から晩まで楽しめるようにもなっていかざるを得ないし、通勤前に30分だけ劇場に行くみたいなものも、当然想定されると思います。

それから人工知能の問題。多分、小説よりも戯曲のほうが、早くサポートシステムはできると思います。例えば、その人向けのカスタマイズされた演劇とか、そういうのは多少出てくるでしょうね。こういうことを石黒先生と一緒に研究しています。

私自身は演出家よりも劇作家としての側面が強いので、うまい劇を書きたいという単純な欲求があるんです。名人芸みたいに「これはうまいな」と思わせるような。面白いのは、解析技術が発達して、そういう匠の技みたいなものをある程度までデータ化したり分析できるようになってきている。生半可な批評よりも、学術的な言語分析のほうがより的確だと思うので、批評の側面も変わってくると思います。新しい光をアートに充てることができて、教育にも還元できる。

相馬――もしかしたら、大文字の演劇や劇場はこれから消えていくかもしれないけれど、むしろすべてが演劇になっていくようなことはあるかもしれないですね。演劇のコミュニケーションのあり方や現実の見方が、社会の中で機能として活用されることが当り前になっていくのではないか。それはむしろ、いい展開かもしれません。平田さんがおっしゃったスポーツジムの例えは、演劇の21世紀的な展開としてとても面白いと思います。

一方で、制度やジャンルとしての演劇は残っていくかもしれないけど、それを支える必然性がなくなったら、消えていってしまう可能性もある。例えば今、日本のコンテンポラリーダンスはそういう危機にあるかもしれません。よくも悪くも多方面に拡散してしまって、それがそれとしてある必然性が消失している。演劇はそこまではいっていないけれど、拡散していく方向はありえます。じっさいスイッチ総研とかPort Bは、いい意味で演劇自体を見えなくするような活動ですよね。

平田――演劇は変数が多いから、これが演劇って決められないところが魅力ですよね。無限に拡散していくんですよ、おそらく。 (2016年3月24日、こまばアゴラ劇場にて収録。聞き手:鈴木理映子+編集部)」(鈴木理映子+編集部『〈現代演劇〉のレッスン 拡がる場、越える表現』フィルムアート社、2016.pp.138-149.

 これまでのような、観客が公演情報から自分で探してチケットを買い、劇場に行って芝居を見るという方式は、限界に来るのかもしれない。ネットで情報は拡散するとしても、逆に演劇に対する関心自体がきわめてマイナーなものでしかない日本では、好きなときにDVDやU-tubeで見られる映画やTVドラマに比べて、演劇舞台は敷居が高い。関係者は一生懸命宣伝に努めていることは、実際の舞台公演の入口で、分厚い他劇団の公演予定のチラシをどさっと渡されることでもわかる。しかし、安くないチケットを買って劇場に足を運ぶ人だけをターゲットにしている状況は、縮む日本では先細ってしまうだろう。どうすればいいだろう。

 

B.アートの役割と価値

 反省するのだが、ぼくたちが収めた税金から、創造的なアート活動に援助資金を提供することの意味について、じつはぼくは今まであまり真剣に考えたことがなかった。仮に自分が才能とやる気のあるアーティストだったとして、国や自治体からお金をもらったりすると、お上に批判的な作品は作りにくくなりそうな気がしていた。自分のつくる作品に自信があれば、補助金などもらわない方が自由に創作活動ができると思っていた。だが、演劇や映画のような多くのスタッフを抱え、費用が多額にかかる創作では、個人でなんとかなる条件はまずない。そして、まず社会的に意味のあるアートを生み出すのは、国家や共同体への貢献が第一目的ではない、ということなのだ。大きく言えば、アート作品の価値はいま現在の多数派や権力のある人たちが信じる常識を超えたものであり、50年百年後に理解されるものだと考えればいい。だとすれば、アーティストは市民の力に期待し、公的な援助資金をもらう権利があるということだ。なるほどと思い直した。

 「公的援助 多様性のために:「表現の不自由展」から考える  野田邦弘

 先日閉幕した「あいちトリエンナーレ2019」。会期中、日本軍慰安婦を象徴する少女像や、昭和天皇のコラージュを燃やす動画を含む作品について、河村たかし名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじるもの」と再三発言してきた。

 この意見は、多数の国民に支持されているようにみえる。産経新聞社とFNNの合同世論調査が、元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やすような場面を含む映像作品などを「展示されるべきアートと思うか」とたずねたところ、「思わない」(64%)が「思う」(23.9%)を上回った。そこで、公的援助を受ける芸術作品とは、国民の多数が容認する者に限られるべきなのか、考えたい。

 市場性より可能性

 文化経済学の通説では、芸術を「準公共財」と位置づけ、公的支援の根拠をこう考える。「文化的創作物は、市場性がある場合(興行的に採算がとれるもの)は市場にまかせ公的援助は不要だが、時代に先駆けており多数には理解されず、市場性がない作品は、専門家が優れていると判定すれば公的支援すべきだ」という考え方である。そのような作品は次世代の芸術享受能力を開発する。現在の多数意見は、必ずしも未来の社会を切り開くエンジンとして働くとは限らないという、冷めた認識がある。これは芸術に限らず、人間の知的活動全般についてもいえることだ。

 天動説が支配的な時代に地動説を主張して弾劾されたガリレオ、人が空を飛ぶ夢を前進させたライト兄弟、月に人類を降り立たせたアポロ計画。これらはすべて当初「妄想」「夢物語」として軽視や無視、侮蔑され、迫害すらされた。その歴史的事実があるからこそ、表現の自由を含む、知的活動の自由は完全に保障されなくてはならない。人類の文明・文化を発展させる前提条件だからである。

 今年九月、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が助成金の交付要綱を改正した。「公益性の観点から不適当と認められる場合」、交付の内定や決定を取り消せるようにした。これは、自民党の憲法改正案の先取りといえる。

 表現の自由は、「国家や一部の人々を傷つけたり、驚かせたり、又は混乱させたりするようなものにも、保障される」(欧州人権裁判所の判決)と、その絶対性が認められている。しかし、自民党の憲法改正案では、21条(表現の自由)で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」(現行とほぼ同一)とした上で、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、ならびにそれを目的として結社をすることは、認められない」と第2項を新設した。「公益」「公の秩序」による制限が明記され、規制当局の裁量を拡大する内容となっている。

 「美的」価値の拡張

 次に「少女像」について、「政治的な表現物であって芸術ではない」という意見も広範にみられる。芸術とは俗世間を超越した「美」を表現した普遍的なもので、現実の社会や政治とは無縁だという考えである。しかし現代アートの世界では、従来の「美的」価値は大きく拡張され、社会問題を取り上げた作品やあえてタブーに挑戦する作品も多く制作・展示されている。たとえば、アメリカでは十字架のキリスト像を作家自身の小便に沈めた写真作品が連邦政府の資金助成で行なった展覧会に出品され、大きな物議を醸した。

 表現の自由を守ることは、社会の多様性を認めることである。特定の価値観を押しつけたかつてのソ連など旧社会主義国やナチスなどの独裁国家は、歴史的に大きな過ちを犯してきた。その反省から、先進国は表現の自由を人の基本的人権の最も重要な権利として位置づけ守ってきたのだ。2005年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)で採択された「文化多様性条約」を、日本はやっと来年批准する。真に多様性を尊重する社会の形成に向けた努力を怠ってはならない。(のだ・くにひろ=鳥取大特命教授、文化政策論・創造都市論)」東京新聞2019年11月13日夕刊、5面。

 表現の自由とは、ただ自分の思ったこと、言いたいことをその場限りで訴えることではない。じっくり考え、それを見てくれる人のことも良く考え、覚悟を決めて創作に励むなかから作品が生まれ、それを公開し提示するチャンスを広く平等に与えることだ。そのためにお金を使うことに反対するのはおかしい。しかし、今までぼくが思っていたような、お金をもらったら文句を言ったり逆らったりしにくい、という感覚は、まさに「忖度」であり権力への盲従だったんだな。

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