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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

成績評価と音楽アート・・バレエの説得力は身体性そのものか

2017-01-30 03:09:56 | 日記
A.レポート
 この時期、ぼくの授業を取っている学生に成績をつけなければならず、この週末、昨日も今日も試験の答案を採点し、定期試験の方はなんとか終わったのだが、レポートの方は朝から夜まで読んでいるのだが、まだ片付いていない。ま、教師の仕事として締めくくりの義務だから毎度やってきたのだが、学生に点数をつけるのはいつも悩む。試験やレポートというものは、自分が毎週学生に話したことを学生たちがどこまで理解したか、こちらの意図した内容がちゃんと伝わったかを確認するためにあるので、君はよしよし80点、君は50点で落第!ということが目的ではない。しかし、答案やレポートを読むと、そもそもこの子たちは、何かを理解しようとか、何かを考えようとか思っているのだろうかと疑わしくなるものがあり、結局「単位」をもらえればそれ以上のものは期待していないとしか思えないものが多い。
 試験答案の最後にこの授業への感想・意見を書いてくれ、何を書いても成績評価には無関係だといつも聞くのだが、昨日見た答案には、「眠くならないような授業をしてください」と書いてあった。たぶんパワーポイントを使った授業で、教室が暗くなり人数が多くてちょっと暑いので後半30分は学生の半分以上が明らかに眠っていた。ぼくはそれなりに画面を工夫して「眠くならないように」話していたつもりだが、それでは寝ちゃう授業と認定されたわけだ。
 大学の授業も、テレビの娯楽番組のように一秒も観客の目を逸らせないように、愉快なギャグと当意即妙なリアクションで興味をつなぐお笑い芸人のような才能を求められるのか、と思ったら愕然とした。ぼくの出したレポート課題は次のようなものだ。以下の曲とアーティストのどれかを選び、それが作られた時代と作者について、社会学的に考察したレポートを作成すること。授業の中でキーワードとした「西洋近代」「調性音楽」「音楽の商品化」などの問題に触れるのが望ましい。ネット等の記述をコピペしただけのものは、単位認定の対象としない。
 この25曲は、どれも教室で一部だが実際に流して聴かせたものである。

1.エリック・サティ(1866-1925) Je te veux「君が欲しい」1900. 
2.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971) バレエ音楽「ペトルーシュカ」1911
3.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)バレエ音楽「春の祭典」le sacre du printemps 1913.
4.バルトーク・ベーラ(1881-1945)「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」
5.ルイ・アームストロング(1901-1971) 「聖者が街にやってきた」When the saints go marchin’in.
6.デューク・エリントン(1899-1974) Take the A train「A列車で行こう」
7.B.B.キング(1925-) Don’t answer the door「扉には答えない」
8.セロニアス・モンク(1917-1982) Blue Monk
9.マイルス・ディビス(1926-1991) My funny valentine
10.ビル・エヴァンス(1929-1982) Someday my Prince will come
11.ジョン・コルトレーン a love supreme「至上の愛」
12.エルヴィス・プレスリー(1935-1977) Jewelly Rock
13.ザ・ビートルズ All my loving
14.ローリング・ストーンズ Like a Rolling Stones
15.レッド・ツェッペリン Rock & Roll ’
16.ディープ・パープル Black Night
17.キング・クリムゾン 21th century sckyzoyd man
18.ピンク・フロイド IF (アルバム「原子心母」より)   
19.ジミ・ヘンドリックス(1942-1970) Red House
20.ボブ・マーレイ(1945-1987) I shot the sheriff「俺はポリ公を撃った」
21.南インド・タミルナードゥ Barata Nahteyam
22.ハレド 「オラン・マルセイユ」O’rlean Marceil
23.トルコ南部民謡 「コンヤリ」Konyali
24.アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-95) 「デサフィナード」Desafinado
25.武満徹(1930-1996) 「弦楽のためのレクイエム」1957 

 さて、その結果出てきたレポートの選んだ曲数は、第1位がビートルズ「All my loving」、第2位がルイ・アームストロング「When the saints go marchin’in.」、第3位はストラヴィンスキーとデューク・エリントン、次にプレスリーだった。それはまあいいのだが、中身はネット検索で出てきた解説のコピペにちょっと手を加えた程度のしろもので、音楽における「近代」「調性」「商品化」という、ぼくの授業で核になるテーマに少しでも触れたレポートは微々たるものだった。さほど期待はしていなかったが、なんのために5か月資料を作り、毎回CDやMDを聴かせ、ピアノで旋律やコードの解説までしたのか、少々脱力感が襲う。結局寝ていたどころか、60数名の履修者のうち出席を取らなかったので実際に常時教室にいたのは、20名くらいでそれも途中で消えていった。この子たちは、アートには関心はないし、教室には来ないで10分でコピペ・レポートを書いて2単位がもらえれば、「いい先生」なのだろう。
 ぼくは自分の趣味や興味を、若い学生に無理やり押しつけるつもりはない。大学の授業科目としてやる以上、特定の立場に偏することも避けている。なるべく初歩的な基礎知識からはじめて少しでも興味を感じてもらえるように、努力したつもりだった。でも、「眠くなる授業」だったのかと、心は痛んだ。お笑い芸人は、命を懸けて人の注目を自分だけに集める技を鍛えている。でもぼくは、お笑い芸人にはなれない。では、試験・出席・単位という制度の強制力をフル稼働して、怠惰な学生の尻を叩くべきだろうか。ぼくにはそれができないのだ。



B.ダンスのメタフィジック
クラシック・バレエの世界は、あまり知らない。でも、息子の一人が、バレエを習っていたので、青山にあった「ロシア・バレエ」教室に息子を連れて行ったりした。バレエは、日本では「女子のお稽古」の筆頭で、たくさんの女の子が習っているが、男子は圧倒的に少数である。クラシック・バレエは、基本的に男女で踊り、プリマはヒロインだが、それを支える屈強な男子が必ず必要で、ぼくは思った。日本では、女の子のバレリーナは履いて捨てるほどいて食えないが、踊れる男の子は希少なので絶対に食える。でも、バレエのアート市場は限りなくマイナーで、食うための権威を得るには世界の中心、つまりフランスかロシアに行ってトップのプリマドンナかプリンシパルになる必要がある。ここが大変である。フランスかロシア、どちらも舞踊芸術については高いプライドと歴史を有しているわけだから。

「ダンスとはおそらく形而下的(フィジック)な秩序ではなく形而上的(メタフィジック)な秩序の問題、すなわち精神的な姿勢である。この意味では、ダンスは正確にはスペクタクルではないかもしれない。第一に、とりわけ人間の身体の筆舌に尽くしがたいものを見せる、あるいは身体をまぎれもない芸術作品、輝かしい身体に変貌させるものを見える形にすることが問題となる。二十世紀まで、この見解はユダヤ=キリスト教的道徳を典拠とし、神に似せて形づくられた人間という教義を強化してきた。この考え方は、原罪によって分裂させられた人間像を、信仰の中に定着させる。すなわち、腐敗してゆく身体という肉の外皮は、人間の神々しい本質、つまり魂を含み、その本質は精神による物質の支配、精神による肉体の支配によって明らかになる。両者の完全な統一は、死と贖罪と……魂の復活とともに起こるのであり、復活は「浄化された」身体という宗教上公式の比喩によって表現される。振付は、分断されながらも崇高なこの人間の完成態を身体に刻み込み、終局とされる死を拒むための戦略構築に役立つ。したがって、われわれが思い描くようなダンスは、身体ではなく、むしろ身体の本質的な不朽性を表現するためにある。ダンスとは生成される身体であり、この身体の存在感、さらに言えば「すべての瑞々しい影であり、そのようなものとして神話から受け継がれた」ものによって攪乱された像なのである。
 中世のスコラ学から受け継がれたこの規範は、政治権力の交替によって反復されてきており、現在のわれわれのダンスに対するヴィジョンに痕跡を残している。とりわけ、この規範の痕跡はダンサー自身の精神の中にあり、彼らにとってダンスは、スポーツとしての身体的消耗、あるいはスペクタクルのための単なる準備というよりは、精神的苦行として実践される日常的な鍛錬に等しい。ダンサーは、身体に及ぼされた作用を通して、自分が身体に根を降ろした精神であると思い込み、そしてダンスは思考の動きとなる。そのうえ、モダン・ダンスひいてはコンテンポラリー・ダンスの振付は、こうした観念的なダンス観に対立するどころか、多くの点でこれを強固なものにする。踊ることとは、思い切って鏡を通り抜け、それによってありふれたものごとを変貌させ、創造者と被造物を比類なき夢想の中で結合させることなのである。
 観客の視線は、人を変質させる他者の身体への侵入として、踊る身体の構成要素をなすものであり、その踊る身体は、見られたいという欲望であると同時に不可視のものを見せたいという欲望でもある。
 非凡な身体というものは、数世紀にわたって、聖なるものが宿る場所として教会法の下で舞台へ載せられた。ポール・ヴァレリーの『魂と舞踊』〔1923年〕というタイトルの根底にあるものに相当する。別の言い方をすれば、ダンスは、神性の体現とそれに最も適した表現、「ことばは肉となった」の王道だった。このように、正しいキリスト者に倣った正しいパ〔バレエを構成する基本的な運動単位〕を区別するような厳密なレトリックに従って、言葉に尽くしがたいものを身体に語らせねばならなかった。場違いな動作をしてはいけない。身体は、ことに踊るときには制御されていないと、文字通り悪魔に取り憑かれてしまう。狂(サバト)宴への誘惑があたりをうろついているのである。典礼全体は以上の点に要約されるが、これは儀式の慣行に関するだけでなくダンスの秩序にも関わる。「神懸かり(アントウージアスム)状態」に対して、カトリック教会は道徳に適った身振りを樹立しようと努める。指摘しておかねばならないのは、中世を通して、とりわけ「激しい欲情を解放するダンス」に現れるような異教的慣行を、完全に根絶することが重要であったということだ。したがって身振りを規格化することになる。キリスト教の教義は、身体的なものを経て、自分の信仰を表面化させる正しい方法を決定する。これは中世に限ったことではない。植民地開発において、人々は正しい手順を教え続けるが、それは西洋化されるために「従うべき手順」でしかなく、つまり課された権力を受け入れ、十分にしつけられた正しき臣民として、われわれ西洋人の審理によって認められるための手順なのである。カトリック教会は、魔術的行為と迷信にもとづいた祭儀の痕跡がまだ残る、ありうる限りの身振りのカオスの中に秩序を打ち立てるようになり、これが振付への第一歩となる。
 したがって、聖務の様式は徐々に明確になり、その一方で古くからの大衆的な遺産であるダンスは怪しいままなのだ。ダンスに適用される禁止制裁や教皇教令がこの点に関する証拠として挙げられる。トレド公会議(587年)での異端排斥、「ダンスあるいは輪舞(カロル)の淫らな動きに対する」教皇ザカリアスの教令(774年)、「教会内での女性によるダンス」を非難した教皇レオ五世の説教は、トリエント公会議(1562年)において聖なる場所での輪舞と聖務の間のダンスが禁じられるようになるまで繰り返された。
 中世の人々が持っていた身体に対する認識は、われわれのものとはきわめて異なる。実際に、公共のサウナや共同のベッドなど、雑居状態は避けられないものであり、社会階層にかかわらず身体の下部には無頓着であった。それに対して、最も重要となる頭部の象徴は、あらゆる身振りと表現体系に指標を与える。神学法規はこの見解を採用し、教会の構造に似せて、レトリックの高低に従って身体を階層化するようになる。頭部が四肢を指揮し、その一方で腕は行政あるいは軍隊を表現し、心臓は勇気の、腰は欲望の、足は耕地の座を占める。言い換えれば、「お頭」が的確な動きを四肢に命じ、四肢はそれらを足、あるいは下っ端の歩兵隊に伝達する、というようにおおむね厳密に対応している。そもそも垂直型の序列は身体の細分化を示すのだが、さまざまな国家の図式が生みだしていく空間に身体が組み込まれることで、この序列が繰り返されていく。1220年頃にラテン語のstrareから作られた「国家(État)」という語は、政治構造を表わす前に、まず存在の仕方、背丈、立って姿勢を意味するということを思い出そう。つまり、姿勢の取り方、動き方というのは社会的序列の構成要素なのである。王あるいは司祭が立ち、祈禱者と財務官が非ざまづく、その一方で、横たわった姿勢は極限の痛悔、完全な自棄、あるいは死を喚起する。頭部を傾ける所作とお辞儀の所作はすべてそこに由来する。身体の序列はゆっくりと形成されるのだが、俗なるものとされる民衆的身体の価値を下げることで、自己支配へと駆り立てる種々の身振りの実践をより崇高なものとする考えを、教育によって伝達し、繰り返すことでその序列は定着する。まず、凶暴な身体を従順な身体に変えようとする文明伝達のプロセスが問題となるが、その一方で集団的感性が個人化していく。ダンスは徐々に万人向けの教育の手段となり、身体を矯正することで身振りを神聖視しようとする。豊穣で華々しい身体という原理に、魂の器としての身体にふさわしい作法が対置される。聖と俗の相違というのは、キリスト教のしるしを見てはっきりとそしてほぼパブロフの犬のように見分けられるような、学習する対象なのである。宗教典礼には、無秩序な輪舞の代わりに、いかなる接触も必要としないトリプディウムという非常にゆったりとした三拍子のダンスが据えられた。
 同時期に、カペー朝の到来とともに国家の中央集権化が始まり、王はほとんどの権限を掌握しようとした。中央集権化が志向されることで、政治、宗教、文化の領域において同じ象徴体系を投影した一つの国家的特質の形成が試みられた。そこからフランスの典型的な政治権力の聖化が始まり、しだいに貴族と俗衆の境界線が設置され、そこに身体が追随することで決定的なものとなる。
 農民的なダンスの価値の低下が少しづつ進んでいく間に、さまざまな階級間の隔たりが深まった。洗練された人々は「変化する構造」をもつダンス様式を作り出した。構成、すなわち「形式のための形式」の重要性が富裕層において広まり、彼らは踊る人の肉体に刻まれた階層化を利用したのだった。カトリック教会および後の君主制は、振付をもとにして、合法的な偶像や権力の表現と表裏一体の肖像を持つ政体を作り上げる。これら偶像や肖像は(ほとんど)これだけで機能し、万人にすぐさまものを言う、というメリットがあるのだ。」アニエス・イズリーヌ『ダンスは国家と踊る フランス コンテンポラリー・ダンスの系譜』岩下綾・松澤慶信訳、慶應義塾大学出版会、2010.pp.10-15.

 さまざまなアートの領域のうち、バレエあるいは舞踊はもっとも肉体・身体に依存した表現技術である。絵画は眼、音楽は耳、文学は言語、演劇は身体も使うが言葉の役割も大きい。ダンスは視覚的基礎の上に人と人の身体位置の関係、筋肉・神経・骨格の動的表現にどこまで緊張を持続できるか、という挑戦である。これには、鍛えられたダンサーと協働する振付の役割はきわめて大きい。
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大統領選挙は、ジェンダーの喧々諤々だったのか?

2017-01-28 03:18:12 | 日記
A.メディアの責任
 トランプ大統領という現実に、アメリカも世界もまだ戸惑っている。想定外の事態が起きて、世界の大国のトップがこれから何をするのか、予測は難しいと思っているうちに、どんどん大胆な大統領令は署名されている。それが良いか悪いかはすぐに判断できないが、とにかく2020年までトランプは権力の座にあり、世界の構造配置がかなり変わる。いろんな予測はできるが、日本という場所から考えて保守派が一番困るのは、かつてのニクソンショックのように、対立していたはずのアメリカと中国が手を結び、さらにプーチンのロシアとも手を結んでしまうことだろう。EUヨーロッパはがたがた揉めて域外に手を出す余裕がない。
 もしトランプが自分勝手な論理で、これまでの「世界の警察」から撤退し、強大な軍事力を自国の利益だけに使うと決めたら、日本などど~でもいいと思っても仕方がない。なにしろ、ドナルドは日本人も中国人も朝鮮人も区別がつかないのだから。

 「アメリカから見ると、日本のジャーナリズムは、まるで十年一日のごとく変化に乏しく、隔世の感がある。ここでは、産業側からの視点に分けて述べておきたい。
まず、産業側について。オンライン・ニュースやソーシャル・メディア利用という話の流れとなれば、日本のジャーナリズムのオンライン化の遅れやソーシャル・メディアの利用の特徴について指摘するのが一般的かもしれないが、ここではあえて、日本のジャーナリズムがテクノロジーに留まらない「足踏み状態」にあることを指摘したい。
  まず、日本の新聞業界は、基本的に自由市場であるにもかかわらず、倒産や買収という言葉とはほとんど縁がない。日本の新聞業界の「競争」とは、大抵の場合、同じメンバーの間で、同じパイのシェア(部数)を競い、同じニュースの速報を競ってきた。それはある意味で、安定した光景であり、とつぜん新聞社がなくなったり、新聞とは縁のない経営者がオーナーになったりするアメリカに比べて、よいことでもあろう。しかし、他方で、こうした環境では変革や革新は起こりにくい。日本では、同じメンバーが同じ場所の縄張り争いをしている結果、ジャーナリズムの内容やフォーマット、視点などにも大きな変革が見られない。記事のオンライン化も、各社似たりよったりの状況で、争点はいまあるコンテンツをオンラインに移すかどうかで、その内容やフォーマットの革新にまで話が及ぶことはない。なにより記者たちは、いったん就職してしまえば競争もさほど厳しいものではないから、前例踏襲型に陥りがちだ。これでは、変化の激しい現代社会の状況に敏感に反応するアンテナを立てそこない、日本の言論空間の劣化を招くのも無理はない。
   なぜ私がこのような指摘をするかというと、今回のアメリカ大統領選挙では、「ジェンダー」が激しい争点のひとつだったからだ。トランプ氏の女性蔑視、ヒラリー氏の女性としての大統領の資質など、アメリカではテレビもラジオも新聞もネットも、ありとあらゆるメディアでこの点に話題が集中していたといっても過言ではない。しかし、日本の主要な報道では、私が見た限りであるが、ジェンダーを問題にした記事は少なく、争点をはずしているものが多かったと感じる。おそらく、日本の新聞の大統領選報道は、政治部や外報部の男性記者の視点が伝統かつ規定値になっており、そうした論争が視野に入ってこないのだろう。記事に引用される日本の専門家たちも「女性性」や「ジェンダー」を論点に挙げる人は少なかった。
   実際、表に示すとおり、日経テレコンで1016年1月1日からの報道のキーワード検索をしてみると、朝日、読売、毎日、産経、共同、時事、NHKで「トランプ&ジェンダー」「クリントン&ジェンダー」で検索して現れた記事は、前者15本、後者10本のみで、両者の大部分は重なっており、ほとんどが「トランスジェンダー」という言葉として使用されていた(ちなみに、「トランプ」だけで検索すると9313本、「クリントン」だけで検索すると5230本に上った)。公共放送NHKに至っては、「ジェンダー」という言葉は一度も登場しなかった。まさに「ジェンダー・フリー」である。また、関連すると考えられる「女性」および「女性&差別」でも検索したが、ヒット件数の割合は高いとは言えない。「ジェンダー」および「女性性」をめぐって侃々諤々に闘わされた選挙中のあの大議論を、日本のメディアは、「ジェンダー」という言葉をまったく使わずに報道してきたのかと思うと、正直、いったい何を伝えたのかと激しい脱力感に襲われる。
日本のメディアには、「ジェンダー」という言葉は使わないという約束でもあるのだろうか(しかし、同期間で「ジェンダー」のみでキーワード検索すると、いちおう462本の記事が現れる)。実際、この言葉は英語圏でも難しくてわかりにくい。しかしながら「ジェンダー」はアメリカだけでなく、いまや国際的な争点となっており、毎年「ジェンダー・ギャップ指数」なるものも発表されている。日本でも「ウーマノミクス」といった言葉は使われているのに、二〇〇〇年代のバックラッシュのせいなのか、「ジェンダー」という言葉に消極的である。しかし、「男性らしさ、女性らしさは社会的な権力関係の中でつくられていく」ことを表現する「ジェンダー」という概念は、ジャーナリズムの王道である「権力監視」機能と関係が深い。その論争も含めて、今後メディアが積極的に使って社会的に定着させなければ、新たな時代の報道はできないのではないだろうか。これは日本のジャーナリズムが現代社会に向けた問題提起力を失っていることを示す、一つの典型例である。」林香里「ソーシャル・メディアに翻弄されるアメリカ‐トランプ大統領誕生と日本のジャーナリズムの課題」岩波書店『世界』2017.1月号。pp.111-113.

「ジェンダー」という用語は、社会学で子を産む生殖としてのセックスとは別の、男らしさ、女らしさという文化的セクシャリティーを意味する概念だった。それが1960年代以後のフェミニズム運動の中で、ジェンダーを意識形成する男性優位の文化を徹底的に批判する形で噴出した。それは欧米でひとつの哲学として定着した。しかし、日本ではただの表層の流行に終わったのかもしれない。

「日本ではソーシャル・メディアをニュース源とすると答える人の割合はさほど高くない。ロイター・インスティチュートによると、ソーシャル・メディアをニュース源にすると答えている割合は、30%以下である。しかし、オンラインでニュースを読むことは若者の間ではすでに定着しており、NHK放送文化研究所の2015年の調査では、「一番目に欠かせないメディア」として、テレビ50%(55%)、インターネット23%(14%)、新聞11%(14%)となっており(カッコ内は2010年の数字)、インターネットが新聞の二倍以上となった。新聞や放送がオンライン上にどのように進出するかどうかとは関係なく、市民の側はオンラインを情報源として頼りにする時代がすでに到来している。他方で、日本人の中で、オンライン上でニュースのシェアやコメントの書き込み、「いいね」をクリックするなどの活動をする割合は、国際的に見て低い。先のロイター・インスティチュートによる調査では、40%が書き込みなどの活動をすると答えているが、これは対象国26か国の中で最も低い割合であった(アメリカは71%)。
他方、同じ調査で、日本は26カ国中、「娯楽ニュース(ソフトニュース)」に興味があると答えた割合が最も高く、とくに若者と女性が答える割合が高かった。読者は、この数字をどのように読むだろうか。日本全体が政治、経済、国際ニュースに興味を失っていると同時に、とくに若者や女性にその傾向が強い。これは、日本人の政治への当事者意識の低さを物語るとともに、政治に興味を示さなくてもよいという規範意識の薄れとも受け止められる。とくに、女性や若者たちが政治から排除されている、あるいは政治を他人事と受け止めていると考えられるのである。
今後、これまで以上に多くの若者たちが、オンライン上からますます多くの情報を得る日が来る。そのとき、他者と積極的に情報交換をせず、娯楽情報が主流となっているオンラインでの情報行動が定着していくならば、政治に無関心の層がさらに拡大し、日本の政治的言論空間はますます先細りになるおそれがある。これは、メディアの責任でもあり、私たち大人の責任でもある。
大統領選が終わって、日本のメディアでは多くの知識人が「アメリカ社会は分断している」と論評している。しかし、日本社会もまた、違う意味で、政治と市民との間に深い亀裂が入っていると感じている。アメリカのキャンパスや街角で「トランプ大統領反対」のプラカードをもって座り込む学生たちを見ながら、あらためてそう考えるのである。」林香里「ソーシャル・メディアに翻弄されるアメリカ‐トランプ大統領誕生と日本のジャーナリズムの課題」岩波書店『世界』2017.1月号。pp.113-114.

どのような文化、どのような国にとっても、未来への希望は子どもたちである。その若い子どもたちが、新聞は読まない、テレビもあははの娯楽番組以外はあんまり見ない。政治に関心を持つこと自体を危険な病原菌のように忌み嫌っている。それはこの国を破滅に導くだろう。



B.ジジェクの本の最後
 スラヴォイ・ジジェクの「ポストモダンの共産主義」を読んできた。原題は”First as Tragedy, then as Farce ”で日本語版ではそれが副題になっている。いまどき共産主義という用語で何かを語るのは、ひどく時代遅れで嘲笑しか呼ばない話題である。しかし、そういう安倍晋三や石原慎太郎の類の人々が、世界を見ている視点が恐ろしいほどの半世紀前のステレオタイプの「反共」イメージなのが不思議なくらいだ。それは、左翼共産主義者は、愚かな大衆を扇動して安定した秩序を破壊し、優美な伝統を貶める言説をまき散らす悪魔である、という単純な思想である。考えてもみてほしい。日本という国があの西欧列強の草刈り場となった幕末維新の危機を、ぼくたちはどうして主体的に乗り切ったのか。国を閉じきる尊王攘夷は、自国の優位を軍事力でなんとかなると考えた近視眼的判断だと気づいた人間が、やがて20世紀にあれほどの愚かな戦争をしたにもかかわらず、日本という国家を存続させた賢い知恵だった。

「一九六八年の革命に関して、積極性と消極性との対立としてみる見方がある。すなわち、唯一ほんとうに「本物」の政治的立場は永久に説教的に参加することであり、「疎外」の原初形態は、私を代表してくれる行為者へ活動を転移するという消極的立場であるとする考えだが、この対立の見立ては誤っており、捨て去るべきである。この見立ての背景には、左派を古くから魅了してきた考え、単なる代表制とは一線を画す「直接」参加型民主主義――「ソヴィエト」、評議会――の夢が漂っている。
 哲学の分野においてはサルトルが『弁証法的理性批判』で、積極的な集団活動がいかに形骸化して「実践的惰性態」の組織構造になるかを分析した。ところが逆に、あらゆるレディカルな解放運動の試金石となるのが、激しい闘争がひとたび終息して人民が普段の生活に戻ったとき、その運動がどれほど、日常レベルで主導権をもつ「実践的惰性態」の組織慣行へと変容できるかどうかなのだ。革命の成否は、その興奮の極みの高さよりも、反乱後にこの大きな〈出来事〉が日常レベルにもたらす変化で評価すべきである。
 これこそ、待望久しいラディカルな社会改造を起こせる新たな革命行為者の到来を待ち焦がれていた、左派知識人たちに対する唯一の正しい回答である。これは、ホピ族の古い言い伝えにヘーゲル主義の実態から主体への驚異的なひねりを加えた表現だ。「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」(マハトマ・ガンジーの金言「見たいと思う世界の変化に自分自身がなれ」の変種ともいえる)。
 誰かが成功するのを待つことは自らは活動しないことの理屈づけにすぎない。しかし、ここで避けるべき罠は、倒錯した自己の道具主義化である。「われわれこそ、われわれが待ち望んでいた存在である」とは、われわれがどうして運命(歴史的必然)で定められた使命を遂行する行為者であるのかを発見せよ、ということではない。まったく逆の意味、つまり依拠すべき〈大文字の他者〉の不在である。
 「歴史は人類の味方」だった古典派マルクス主義(プロレタリアートが全人類の解放という宿命的な使命を果たす)とは対照的に、現代では、〈大文字の他者〉はわれわれの敵であると位置づけられている。歴史的発展の内なる強制力は、そのまま放っておけば、大惨事へ、破滅へと向かっていく。そのような災厄をくい止められるのは、純粋な主意主義、つまり歴史的必然に対抗する自由意志だけだ。
 ある意味、ボルシェビキも一九二一年の内戦の終結に際して同様の窮地に陥っていた。レーニン死去の二年前にあたる。ヨーロッパ全土へ革命が広がる兆しはなく、ロシア一国による社会主義建設という考えがばからしいことが明らかになったとき、レーニンはこう記した。

  状況にまったく希望が持てないからこそ、労働者と農民の努力を10倍にまで高めて、西ヨーロッパ諸国とは異なるやりかたで文明の基本的必要条件を創造するチャンスが与えられるのではないか。(v.I.Lenin, Collected Works, Vol.33, Moscow : Progress Publishers 1966, p.479.)

 これはボリビアのモラレス政権が、ハイチのかつてのアリステッド政権が、ネパールのマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)政権が、落ちった苦境ではないか?彼らは、反乱ではなく「公正な」民主的選挙によって権力の座についたのだが、ひとたび実権を握ると(少なくとも一部には)「非国家」的にその力をふるった。党・国家の代表ネットワークを飛ばして草の根の支持者たちを直接に動員したのだ。
 彼らの状況は「客観的に」見て、望みがない。歴史の大きな流れに逆行していて「客観的傾向」には頼れない。せいぜい急場をしのぐしか、絶望的な状況でもできることをするしかないのだ。にもかかわらず、このことが彼らに特異な自由を与えていないだろうか。
 ここに、「~からの自由」と「~のための自由」という古い区別をあてはめたくなってしまう。これらの国の〈大文字の歴史〉(歴史の法則や客観的傾向)からの自由が、創造的実験のための自由を支えているのではないか。彼らは政治活動において、支持者たちの集団意志だけに依拠できるのである。
 この闘争は意外なところに盟友が見つかる。一九四四年、ニューヨーク滞在中に亡命し、その後ベストセラーとして有名になる回想録『私は自由を選んだ』を書いたソ連の外交官ヴィクトル・クラフチェンコの運命について、ここで言及する価値があるだろう。
 彼の本は、スターリニズムの恐怖をはじめて一人称で語る重要な報告だった。冒頭には強制された集産主義とウクライナの大飢饉が詳述されている。一九三〇年代の初頭には、著者自身がまだ心からこの制度を信じており、人民に集産主義を強いる立場にいた。
 クラフチェンコについてのもっと広く知られた話は、一九四九年のパリ、ソ連側からの告発者と争った大きな裁判に勝ったときに終わる。ソ連側は元妻まで連れてきて、クラフチェンコの堕落ぶりやアルコール依存、家庭内暴力の記録を証言させた。
 そして、これはあまり知られていない話だが、この勝利の直後、冷戦の英雄として全世界の称賛を浴びながらも、クラフチェンコがマッカーシズムの赤狩りのことをひどく心配して、あんな方法でスターリニズムに対抗していてはアメリカ自身がその敵に似てしまう危険を冒すばかりだと、警告するようになった。リベラル民主主義の不正義もいよいよ見過ごせなくなって、西欧社会の変革を見てみたいという彼の願いは、ほとんど強迫観念と化していった。
 前作と比べてまったく不人気となる『私は正義を選んだ』という意味深長なタイトルの本を書き上げたのち、クラフチェンコは搾取の少ない新しい生産社会を求める改革運動を開始した。そうしてボリビアへ赴き、全財産をなげうって、貧農を組織し新たな衆参体制を築こうとした。この真摯な試みの失敗に打ちのめされたクラフチェンコは、孤独の殻に閉じこもって、ついにはニューヨークの自宅で拳銃自殺におよぶ。自殺は彼自身の絶望によるものであり、KGBに脅迫されたりした結果ではなかった――クラフチェンコのソ連への非難は、ひたすら不公正に抗議する行為だったことの証左である。
 今日、アメリカからインド、中国、日本まで、中南米からアフリカまで、中東から東西ヨーロッパまで、世界じゅうで、第二、第三のクラフチェンコが登場してきている。この雑多な人たちは、ばらばらの言葉を話すのだが、思っているほど少なくはない。そして支配者がもっとも恐れるのは、この人たちの声が互いに響きあい、支えあい、連帯していくことだ。破滅へ向かいつつあると認識しながらも、彼らは、いかなる困難にも立ち向かう覚悟を固めている。二十世紀のコミュニズムに幻滅して「そもそもの始まりからはじめ」、新しい土台の上にコミュニズムを再構築しようとしている。敵からは、危険なユートピア主義者とけなされながらも、いまなお世界の大半をおおっているユートピア的な夢から実際に目覚めたのは彼らだけだ。二十世紀の〈現実に存在した社会主義〉へのノスタルジーではなく、彼らこそわれわれの唯一の希望である。
 ドゥルーズが死の直前までマルクスについての本を執筆中だったという事実は、もっと大きな潮流を示唆している。キリスト教世界では、自堕落な暮らしを送った人たちが年老いてから安全な避難所である教会へ戻り、神と和解して天に召されるのは、かつては普通のことだった。同様のことが現代の多くの反(アンチ)コミュニスト左派にも起こっている。晩年を迎えて、下劣な裏切りの人生ののちに、コミュニズムの〈大文字の概念〉と和解して天に召されたい、と望むのだ。後年になっての転向は、昔のキリスト教徒と同じメッセージを送っている。むなしい反抗に人生を費やしてきたが、心の奥底ではずっとそれが真実だと知っていたということだ。
 クラフチェンコのような偉大な反(アンチ)コミュニストでも自分の信ずるところへある意味で戻れるのだから、今日のわれわれのメッセージはこうあらねばならない。恐れるな、さあ、戻っておいで!反(アンチ)コミュニストごっこは、もうおしまいだ。そのことは不問に付そう。もう一度、本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!」スラヴィイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(栗原百代訳)ちくま新書、2010.pp.252-258.

 これが最後のジジェクの文章の締めくくりだ。ポストモダンの若いコミュニストを取り込もうという主張は、かろうじて新しい可能性を模索するだろう。
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右と左でバランスをとる時代は終わって、右が真ん中にきて左に転落する綱渡り。

2017-01-26 23:29:29 | 日記
A.右か左かなんて・わかんない?
 欧州各国の右翼政党の幹部が先日、ドイツ西部の町コブレンツに集まったというニュースがあった。EU=ヨーロッパ連合を批判する右派や極右政党の関係者や支持者、数百人が集結。今年大統領選挙を控えたフランスからは、「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首が、議会選挙が予定されるドイツからは極右「ドイツのための選択肢」のペトリ党首、さらにオランダから極右政党「自由党」のウィルダース党首が、そろって出席した。3党首はスピーチで、アメリカでトランプ新大統領が就任したことについて、「アメリカ国民がみずからの利益を守る政治を取り戻そうと決断した結果だ」などと歓迎した。ウィルダース党首は「きのうアメリカが生まれ変わった。次はヨーロッパだ」と述べ、気勢を上げたという。またルペン党首は、ドイツのメルケル首相がシリアなどからの難民を積極的に受け入れてきたことについて、「難民や移民の受け入れは市民を危険にさらすものだ」と厳しく批判し、会場から大きな拍手を受けたという。
これに対し、集会に反対する抗議デモも行われ、警察側の発表でおよそ5000人が参加したと伝わる。以前の欧州右翼政党といえば、移民・外国人の排斥、極端なナショナリズムの主張で一般市民からはファシズムを肯定する過激な少数派とみられていたはずだった。しかし、ファナティックな極右思想は抑えて国民への浸透を図り、いまや既成の政治への反発、EUと政府の特権層に対する不満を吸収して、第二党進出、あるいは大統領選挙での勝利をうかがうまでに膨らんでいる。彼らには、トランプ勝利は自分たちに共通する動向に見えるのだろう。

「仏大統領選のリスク:頼みは急進左派ポピュリスト ピケティコラム
4か月もしないうちにフランスに新しい大統領がうまれる。「トランプ」や「プレグジット(英国のEU離脱)」に続き、世論調査はまた間違うかもしれない。マリーヌ・ルペン氏が率いる右派ナショナリストが勝利に近づいている可能性も排除できない。激変は回避できても、その次の大統領選では、ルペン氏の政党がフランスのリベラル右派勢力に唯一対抗できる位置に立つリスクは、もはや現実のものだ。かたや急進左派は、ジャンリュック・メランション氏の勝利が期待されているが、悲しいかなありえそうにない。ルペン氏とメランション氏には共通点がある。2人ともEUに関する条約をやり玉に挙げ、国や地域同士が激しく競い合う今の体制を疑問視する。その姿勢がグローバリゼーションから取り残された人びとをひきつける。本質的な違いもある。メランション氏は、物言いが物議を醸し、世界の見方は不安を抱かせるが、国際主義的かつ進歩主義的な発想をする。
 この大統領選のリスクは、他の全ての政治勢力――第メディアも――が両候補を酷評し、「ポピュリスト」のレッテルを貼ってそれでよしとすることだ。この新手の侮辱表現は米大統領選でのバーニー・サンダース氏やメランション氏のような急進左派――を頼りにするしかない。さもないとナショナリズムと排外主義のうねりにさらわれかねない。
 リベラル右派勢力(フランソワ・フィヨン氏)と中道勢力(エマニュエル・マクロン氏)は残念ながら庶民層の現実を無視する戦略を取ろうとしている。2人とも(財政赤字をGDPの0.5%以内に抑える目標などを定めた)2012年のEU財政協定を維持する立場だ。驚くにあたらない。フィヨン氏は協定の交渉にあたった当人で、マクロン氏は施行した張本人だ。あらゆる世論調査で確かめられるように、2人に魅力を感じるのはグローバリゼーションの勝ち組だ。保守的カソリック教徒はフィヨン氏、都市部の富裕ボヘミアン層はマクロン氏支持という興味深い違いはあるが、社会的な問題では大差ない。
 2人とも道理をわきまえた層の代表を自認する。いわく「フランスが労働市場の自由化、財政出動や赤字の削減、資産税廃止、付加価値税の増税で、ドイツやEU本部、市場の信頼を取り戻せば、財政緊縮や債務問題でフランスのために動いてくれるよう求めることができる」と。
  「道理にかなっている」というこの論法の問題点は、まったく道理にかなっていないとこだ。この財政協定がとんでもない間違いだ。ユーロ圏は将来への投資ができなくなり、致命的なわなにはまりこんだ。この規模の公的債務を削減するには例外的措置をとらざるをえない。何十年にもわたってプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化し続けしかないが、あらゆる投資能力に延々と負担がかかり続ける。
 英国は1815年から1914年まで1世紀をかけて巨額の黒字を捻出し、これにより年金を支給し、仏革命戦争で負ったGDPの200%もの債務を減らした。この選択は不幸ももたらした。教育への過小評価につながり、英国が後に失速する原因となった。

 対照的に、1945年から55年まで、仏独は同様の債務から迅速に解放された。それは債務取り消し、インフレ、民間資本への特別な課税が併せてあったからだ。これで両国は成長に投資することができたのだ。同じことが今なされなければならない。「ユーロ圏議会」発足をドイツに認めさせて民主的手続きを踏んだうえで債務を軽減するのだ。さもないとイタリアで起きている投資の遅れと生産性の低下がやがてフランス、ユーロ圏全体に広がるだろう。
 歴史を深く読み込むことで、現在の行き詰まりも打開できる。「Histoire mondiale de la France(フランスの世界史)」(パトリック・ブシュロン編、2017年)の著者たちがそう思い起こさせてくれたところだ。同書はアイデンティティーの問題にいらだつフランスにとって真の解毒剤だ。それに比べれば面白くも楽しくもないが、「政府系左派」の候補者指名争いも追いかけねばならない。政府系左派と呼ぶのは、彼らが急進左派と合同の指名争いを行うことができなかったからだ。そのせいで、長い間、政権の座は遠のくかもしれない。
大切なのは、EUルールに本質的な疑問を提起する候補を指名争いで選ぶことだ。マニュエル・バルス氏やバンサン・ペイヨン氏より、ブノア・アモン氏とアルノー・モントブール氏がこの路線に近いようだ。この2人もベーシックインカムと「メイド・イン・フランス」にこだわるだけでなく、EU財政協定に代わる具体的な提案をする必要がある。最初のテレビ討論ではほとんど触れられなかった。おそらく全員が5年前、協定に賛成したためだろう。だからこそ具体的対案を示し、事を明白にすることが急務だ。右派ナショナリストの国民戦線が権力につくことを望まないのであれば、「万事休す」と言わないまでも、事態は切迫している。(©Le Monde, 2017)(仏ルモンド紙、2017年1月15-16日付、抄訳)」朝日新聞2017年1月25日朝刊オピニオン欄。

今のヨーロッパが抱える政治問題は、1990年代以来拡大EUという大枠でまがりなりにも一つの通貨、一つの秩序で経済成長を図るという合意が、各地で反旗を翻されるような事態が表面化している。それは従来の右翼―左翼というとらえ方ではうまく説明しにくい。移民や難民は社会の底辺にいるのだが、これを排除しろという右翼の主張は、同じく社会の下層にいる本国人の憎悪を煽り立てることで勢力を増す。しかし排外主義で国境を閉じれば、経済的にはマイナスで結局国内の階層分化がさらに進んでしまい、行きつく先は内部分裂を深める。しかし、従来の左派リベラルの方もこれに有効な対抗軸を示せない。左派の基盤としていた組織された大衆はあやふやな揺らぎの中で衰弱し、従来の権力秩序からおこぼれの利益を得ているだけの特権層とみなされて軽蔑される。これはヨーロッパの話だけとは言えない。



B.ポストモダン状況に対して何が可能か。
 
「ワールド・ワイド・ウェブのような分野では、生産、交換、消費が不可分に絡みあって同一化さえしかねない。この私の著作物はたちまち流通して、他人によって消費される。様相を帯びるが、これが再考されねばならない。
 「非物質的労働」では、「人と人との関係」が「客観性のうわべに隠蔽されることなく、関係そのものが日常の搾取の対象となる」から、もはやルカーチ理論による「物象化」について語ることはできない。この流動する社会の関係性は、目に見えないどころか、市場取引および交換の直接の対象である。「文化資本主義」のもとで売買されるのは文化的・感情的経験を「もたらす」ものではなく、そうした経験そのものなのだ。
 ネグリがこの重要問題を把握していることは認めざるをえないが、彼の答えは不適切に思われる。出発点としているのは、マルクス『経済学批判要綱(グルントリッセ)』における「固定資本」の地位の急激な変化についての主張である。

 固定資本の発展が示しているのは、一般的な社会的知識が、どの程度まで直接的な生産力になったか、したがって、社会的生活家庭の諸条件そのものが、どの程度まで一般知性の制御のもとに入り、この知性にもとづいて改造されたかということだ。社会的生産力が、知識という形態においてのみならず、どの程度まで社会的実践の、現実の生活過程の直接的器官としても生産されたかということだ。

 つまりこういうことだ。一般的な社会的知識の発達とともに「労働の生産力そのものが最大の生産力」となっており、「直接的生産過程の観点から、それは固定資本の生産と見なすことができる。この固定資本とは人間自身なのである」。
 そしてまた、資本は、生きた労働と対立する「固定資本」として現われることで搾取をおこなうのだから、固定資本の主な要素が「人間自身」「一般的な社会的知識」となった瞬間に、資本主義の搾取の社会基盤は突き崩され、資本の役割はひたすら寄生的なものに変わるというわけだ。
 ネグリ的見解では、今日のグローバルな双方向メディアにおける独創的な発明はもはや個人のものではなく、直接に集団化され「コモンズ」の一部となっているので、著作権を主張してその発明を私有化しようとすると問題が生じる。「所有とは盗みである」という言葉は、ここにきていよいよ文字どおりの意味になってきているのだ。
 では、まさにこうしたこと――認知労働に携わる想像力あふれる特異な能力集団を組織して、その協働成果から搾取すること――をしているマイクロソフトのような企業はどうなのだろうか。そこでいまや残された唯一の課題は、認知的労働者がどうやって「経営者を追い払うか」を想定することのようだ。「なぜなら、認知労働者への産業統制など、まったくの時代遅れで通用しないのだから」。
 新しい社会運動が示しているのは「賃金労働の時代が終わり、対立構造が賃金をめぐる労働と資本の闘いから、市民所得の回復についてのマルチチュードと国家の闘いへと移行しつつあること」だ。そこには「今日の社会の革命的な変化」の基本特性がある。「共有財の重要さを資本に気づかせる必要があるし、もし理解しようとしないのなら強制しなければならない」ということだ。ネグリがここで厳密に述べていることに注意したい。資本を「廃する」ではなく、資本に共有財の重要さを理解するよう「強制」すると言っている。つまり、資本主義の内側にとどまったままなのだ。ユートピア的発想というものがあるとすれば、これがそうにちがいない。
 ネグリは以下に、マルチチュードが要求する直接的生産への、現代の生政治(ビオポリティーク)的資本主義の接近について記している。

 その未来図とは、あるいは商品の流通、情報網、継続する運動、そしてラディカルな労働者の遊動と、これらの活力の無残な搾取……しかし同時に、不断にして無尽蔵の過剰。マルチチュードの生政治力の過剰と、支配制度の構造的な統制力についての過剰だ。ありったけのエネルギーが労働に注がれ、社会が労働に捧げられる。(……)この搾取された総体と労働命令のなかに、鎮めようとする支配力に屈することのない、目的語なしの自由がある。たとえ自由がそれ自身と衝突しようと、(……)このジレンマにはまだ逃走線が用意されている。苦難はしばしば生産的ではあるが、けっして革命的ではない。革命的なのは、過剰、超過、そして力である。

 ここにみられるのは、いかにもポストヘーゲル主義的な構図である。」スラヴィイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(栗原百代訳)ちくま新書、2010.pp.229-233.

 生‐政治(ビオ・ポリティーク)というのは、ネグリ&ハートが「帝国」で出している概念で、これをジジェクはいちおう認めながら、さらに一歩を進める。

「ここでマルクス弁証法的フェティッシュ化の教訓を思い出すことが、いよいよ重要である。人と人との関係の「物象化」(「物と物との関係」として現れること)はかならず、一見したところ逆のプロセス、客観的な社会過程の偽りの「人間化」(「心理学化」)によって強化される。
 早くも一九三〇年代に、フランクフルト学派の第一世代の理論家たちは、グローバルな市場関係が強大な支配権をふるい、当人にはどうしようもない市場サイクルによって個人生産者の成否が決まりだしたとき、カリスマ的「商才」という概念がいかにして、自分の成否をわけのわからないものに委ねながらも「内発的な資本主義イデオロギー」のなかで自己を再主張したかに関心を向けていた。そしてわれわれの生活を統べる市場関係の抽象化が極点へ達しつつある現在、いっそう同じことがあてはまるのではないか?
 書店には、どうすれば成功するか、仲間や競争相手をしのげるかを伝授する心理マニュアルがあふれている。早い話が、成功にふさわしい「態度」が成功の決め手なのだという。
 そこで、ある意味、マルクス主義の定理を逆転させたい気にさせられる。現代の資本主義では、客観的な市場の「物と物の関係」は偽りの人格化をほどこされた「人と人との関係」という形で現れがちである、と。そしてハートとネグリはこの罠に陥ったように見える。彼らが直接の「生の生産」と称揚するものはこの種の構造的な幻想なのである。
 しかし「人と人との関係」に置き換わることの「疎外化」作用をむやみに嘆く前に、そこに解放化という逆の効果もあることを銘記したい。「物と物との関係」へのフェティシズム的置換によって、フェティシズムの対象ではなくなった「人と人との関係」は「形式的」自由と自律を得られるのだ。
 市場経済における「私」は事実上依存的な存在でありつづけるが、それでもこの依存は私と他者のあいだの「自由」な市場交換に規定された「文化的」なものであって、隷従や強制によるものではない、作家アイン・ランドを嘲笑することはたやすいが、彼女の小説『肩をすくめるアトラス』に出てくる有名な「お金をたたえる歌」には一片の真実がある。

 お金があらゆる善の根源だと悟らないかぎり、あなたがたは自ら滅亡を招きます。お金が相互取引の道具でなくなるとき、人間はほかの人間の道具になる。流血、鞭打ち、銃をとるか、それともドルか。どちらか選びなさい――ほかはない。

 商品経済においてどのように「人と人との関係が物と物との関係を装う」かに関してのマルクスの論述の趣旨と似てはいないだろうか。市場経済では、人と人との関係は相互に認められた自由と平等の関係として現われうる。支配は、もはや直接にはおこなわれず、支配のようには見えない。問題は、ランドの作品に内在する前提である。直接ないしは間接の支配関係か搾取のいずれかしか選べないとしている点だ。
 では、人を欺いて自由と思わせるから直接の隷属よりなお悪いという、おなじみの「形式的自由」批判はどうか。この重要な指摘への答えにはマルクーゼの古い金言「自由とは解放の状態をいう」があてはまる。「実質的自由」を要求するためには本来の自由を経験していなければならない。そうしてはじめて実質的隷属を、人間の状態が損なわれていることだと感じられるのだ。この自由と隷属されている現状という敵対性を経験するには、形式的に自由であることを認識せねばならない。つまり資本主義の発展において〈資本〉下の生産過程の形式的包摂が、物質的包摂に先行するのとまったく同様に、形式的自由が前提となって実質的自由の条件を整えるのである。
 有機的な「生」世界を解体するこの抽象化の力は、同時に、解放をめざす政治の源泉にもなっている。この抽象化の現実的地位のもつ哲学的意義は重要である。それによって、歴史の修正や文脈づけによる主観化が斥けられ、「抽象的」デカルト的主体(コギト)が今日のいかなる文化の自己経験の形式をも内側から侵食することになる。どれほど深く特定の文化にコミットしていようと、グローバル資本主義に参加した瞬間にその文化は非帰属化され、抽象的でデカルト的主体にたまたま特有のひとつの「生活様式」と化す。
 われわれはいかにして、このような抽象化が支配力をもつ新しい段階に達したのか?一九六八年の抗議行動の焦点は、資本主義の三本柱(とされたもの)に対する闘争だった。工場、学校、家庭である。結果として、この各領域はのちに脱工業化型へ変容をとげた。工場労働はどんどん外注化され、先進国ではポストフォーディズム的な非階層・双方向型共同作業に改編されている。公的な義務教育に代わって私的でフレキシブルな終身教育が増え、伝統的な家庭に代わって多様な性的関係が生じている。
 左派はまさに勝利の瞬間に敗北した。目前の敵は倒したものの、いっそう直接的な資本主義支配の新しい形態が出現したのである。「ポストモダン」資本主義においては市場が新たな範囲に、教育から刑務所、法と秩序などの国家の特権とされた領域にまで侵入した。
 社会関係を直接に生産すると称揚される「非物質的労働」(教育、セラピーなど)が、商品経済の内部で意味することを忘れてはならない。これまで対象外とされていた新しい領域が商品化されつつあるのだ。困ったことがあれば、友だちに相談するのでなく、精神科医やカウンセラーに金を払って問題を解決してもらい、子どもは両親が世話するというより、有料の託児所や子守に任されるようになっている。こうして、時代は新たな社会の私有化の、新たなエンクロージャーの過程のさなかになる。
 この新たな私有化を理解するためには、マルクスの一連の概念の大幅な修正を迫られる。マルクスは「一般知性」の社会的側面を無視したので、「一般知性」自体が私有化される可能性を予見できなかったのだ。そして、これこそ「知的所有権」をめぐる争いの中心にあるものである。ネグリはこの点で正しい。この枠組みのなかでは古典的マルクス理論でいう搾取はもはや存在しえないから、直接の法的措置という非経済的手段によって搾取がおこなわれることになる。
 このために今日、搾取はますますレント(超過利潤)の形をとるようになってきている。カルロ・ヴェルチェローネの言うとおり、ポストインダストリアル資本主義は「生成する超過利潤」に特徴づけられる。それゆえ直接権限が必要とされる。超過利潤を引き出す(恣意的な)法的条件、もはや市場で「自然」発生しない条件を課すための権限が。
 おそらくここに今日の「ポストモダン」資本主義の根本的な「矛盾」がある。理論上は規制緩和や、「反国家」、ノマド的、脱領土化を志向しながらも、「生成する超過利潤」を引き出すという重要な傾向は、国家の役割が強化されることを示唆し、国家の統制機能はこれまで以上にあまねく行きわたっている。活発な脱領土化と、ますます権威主義化していく国家や法的機関の介入とが共存し、依存しあっている。
 したがって現代の歴史的変化の地平に見えるものとは、個人的な自由主義と享楽主義が複雑に張り巡らされた国家統制のメカニズムと共存する(そして支えあう)社会である。」スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(栗原百代訳)ちくま新書、2010.pp.234-239.

 資本主義も工業生産の社会においては、生産手段と技術の制約の中で労働力商品をいかに効率的に搾取するか、という原価計算的分析でよかった。しかしモノの生産流通が富を生みだすのではなくなった現代では、「一般知性」(俗には知識情報と呼ばれる)が私有化されるので、超過利潤は国家と法的機関が介入してさらに空虚に回転する富を生成する、というわけか。
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ダンスはできないが・・ダンスを語ってみることはできる。

2017-01-24 04:02:01 | 日記
A.とりあえず考えていること
 二〇一七年も、はや一か月が経とうとしている。時の過ぎ行く速度が年々加速しているような感覚に襲われる。今の職場での仕事は、あと1年ほどで終わる。ゴールが設定されると、人は急にそこにむけて時間を無駄にしないように、いろいろ身辺整理をして計画的に日々を使おうとするものかもしれない。でも逆に、今まで未来にはただなんとなく刺激に乏しい日常がだらだらつづくような無自覚な時間感覚が、振り返れば迂闊というか、まだ何もやっていないという焦りにも似た感情もわいてくる。あと1年おれに何ができるのか?
 昨年の秋からはじめたぼくの講義は、今まで一度もやったことのない「アートと社会」というテーマの特講で、とりあえず美術・絵画visual artと音楽musical artについて、西欧近代を中心に「美意識」の合理化過程を200年ほど辿るという構想でやってみた。やってみると、かなり面白い発見もあって、それなりに自分では毎週達成感はあったのだが、聞いている学生諸君にはどこまで響いたか、かなり心もとない。なにしろ夕方の時間帯で、出席を取らない授業だから学生は50人くらい履修しているはずだが、実際に教室に出てくるのは20人くらいでそれも途中で熟睡するか、いなくなる。結局、最後まで何とか聞いていたのは10人くらいだろう。絵画編はパワポで画像を映写し、音楽編はCDやピアノで曲を聴かせてみたのだが、どうも反応はぼやっとしか返ってこない。
  今の20歳くらいの世代には、絵画も音楽もあまり興味関心を惹く話題ではないようで、唯一ジャニーズとAKBにだけはびっと反応した。彼ら彼女らには、音楽はJ-ポップに尽きるようだ。きわめて狭い世界に生きている。

 「どのような身体が表現の対象になるのか、また、人は身体を提示するだけで何を表現しようとするのか?
 西洋社会においてしばしばダンスはマイナー芸術、さもなければ娯楽として考えられ、人類学的あるいは社会学的な問題とは相容れないように思われている。ダンスは政治には関係がない、また同様に聖なるものと馴染みがないとみなされている。大部分の歴史書は、いわゆる西洋的なダンスと原始的とされるダンスとを分けて、一方に形式への関心を付与し、他方に神々を讃えるための儀式、非理性的思想のシステムに結びついた祭儀を割り当てて、一線を引こうとする傾向がある。確かに、われわれのユダヤ=キリスト教世界はきわめて強くデカルト的合理主義精神に根づいており、理性が情念の優位に立つよう強く命じられ、ダンスは、人間と神々の結合を表現するものではなく、同様に何らかの神話を語るわけでもない。少なくとも表面上は。しかし実際には、われわれの信仰体系、とりわけわれわれが西洋社会において人間とその身体に割り当てる場所のしるしとして、ダンスは現れるのである。
 そういうわけで、起源となる国に応じたさまざまな民主主義の理想、ユートピア、イデオロギーは、政治的な身体観との関係の中で特定のダンスを生産し優遇してきた。したがって必然的に、ダンサーの崇高な身体の演出は、われわれに現行のイデオロギーを教示するのである。
 コンテンポラリー・ダンスを培うさまざまな流れはこうした考え方に由来し、それらと適合し、あるいは対立していく。このようにして、今日われわれが目にすることができるスペクタクルは、ダンスへのある観点を明らかにし、要約するのであり、それをわれわれは解読しなければならない。」アニエス・イズリーヌ『ダンスは国家と踊る フランスコンテンポラリー・ダンスの系譜』岩下綾・松澤慶信訳、慶応義塾大学出版会、2010.pp.9-10.

 というわけで、4月からはじめる新しい講義の準備のために、いくつか書籍を仕入れた。テーマは舞踊・ダンスと、演劇である。どちらも古代からの歴史のあるアートだが、現代社会の文化状況の中では、つねに片隅のマイナー芸術としか扱われていない。なんだか可哀想である。



B.ポピュリズムと選挙
 ドナルド・ダックではなく、ドナルド・トランプが遂に米国大統領になった。はじめは悪い冗談であったはずが、現実の事態になった。選挙という制度が、民主主義の質を保証するというのはどうも嘘らしい。しかし、トランプが出てくるにはそれなりの理由はあるわけだ。スラヴォイ・ジジェクのこの文章は、2009年に書かれているわけだが、今を予言しているようにも読める。

  「ドイツのポストヒューマニズム哲学者ペーター・スローターダイク(断じてわれわれの味方ではないが、まったくの愚か者でもない)は、百年後に銅像が立つ人物をひとり挙げるなら、リークアンユーだと発言した。このシンガポールの指導者が、いわゆる「アジア的価値観をもつ資本主義」を創出し実現したのである。こうした独裁的な資本主義のウイルスは、ゆっくりと、だが確実に地球上に広がっている。
  改革に着手する前にシンガポールを訪問した鄧小平は、国を挙げてこれを手本とすると絶賛した。この展開には世界史的な意義がある。これまで資本主義と民主主義は不可分と考えられてきた。むろん、ときには直接の独裁制へ逆戻りすることもあったが、十年、二十年もたてば民主主義がまた幅を利かせてきたものだ(チリや韓国の例を思い出そう)。ところが、いまや民主主義と資本主義の絆はぷっつりと断たれてしまった。
現代中国の資本主義の爆発に直面したアナリストたちは、資本主義が「自然に」政治で達成するはずの民主性はいつ実現するのか、と何度も問うている。だが、もっとつぶさに見れば、この希望はたちまち消し飛んでしまう。独裁制の涙の谷のあとに約束されていた民主制の第二段階が、もしやってこなかったら?
  おそらくはこれが今日の中国で不穏な点である。中国の独裁制資本主義は、われわれの過去の名残り、十六世紀から十八世紀のヨーロッパで積み重ねられた資本主義プロセスの反復というだけでなく、未来の予兆でもあるのではないか。もし「アジアの鞭打ちとヨーロッパの株式市場という悪しき組み合わせ」(トロツキーの帝政ロシア描写)のほうが、リベラル民主主義より経済効率がよいと証明されたらどうする?われわれの知っている民主主義がもはや経済発展の条件や推進力よりむしろ障害だと示されたりしたら?
  文化大革命と毛沢東主義の遺産は一般に抑制なき資本主義への対抗力として、際限ない行き過ぎを妨げ、最低限の社会的連帯を保っているなどと言い張る無邪気な左派もいる。しかし、もし現実はそれとは正反対だったとしたら?故意でなく、そのためにいっそう残酷なまでに皮肉な「理性の狡智」により、過去の伝統を跡形もなく消し去ってしまった文化大革命は、その後に資本主義が勃興する条件を生みだす「ショック」だったのではないのか。自然災害、戦争被害、社会の激変によって新たな資本主義の勃興の地ならしをされた国のナオミ・クラインのリストに、中国を加えるべきだとしたら?
  歴史の皮肉の最たるものだが、伝統的な社会組織を破壊することによって中国の資本主義の急速な発展のイデオロギー的条件を整えたのは、毛沢東その人であった。毛が文革で人民に、とりわけ若者に求めたこととは何だったのか?他人から命令されるのを待つな、謀反にこそ正しい道理がある!だから自分の頭で考えて行動せよ。文化遺跡を破壊し、人民公社を組織せよ!そして毛の要求は聞き届けられた。
   その後はあらゆる権威を失墜させることへの熱狂がわきたって、ついには毛自身が軍を招集して秩序を回復せねばならなくなった。逆説めくが、文革で重要だったのは、共産党組織とその仇敵との戦いではなく、軍と党の争いであった。このいずれも毛自身が生みだしたものだった。
もちろん、ここでは資本主義の進歩のために民主主義を放棄せよと言いたいのではなく、議会制民主主義の限界を直視すべきだということだ。ノーム・チョムスキーがその限界をみごとに言い表している。「国民参加という脅威を克服してはじめて、民主制についてじっくり検討することができる」。チョムスキーはそこに、議会制民主主義を民衆の直接政治の自己組織化とは相容れないものにしている。「受身化」の核心を認めたのだった。
    二十世紀アメリカを代表するジャーナリスト、ウォルター・リップマンは、アメリカの民主主義の自己認識に重要な役割を果たした。政治上は革新派であったリップマンだが、背筋が寒くなるような公共メディア論を唱えていた。彼の造語である「合意の捏造」は、のちにチョムスキーによって世に知らしめられるが、当人としては肯定的な意味のつもりだった。
  著書『世論』(1922)にリップマンは、「支配階級」は困難に立ち向かわなければならないと記した。彼はプラトンと同様に、大衆を「局所的な意見の混沌」のなかであがく一匹の巨大な獣か、迷える獣の群れとみなしていた。だから市民の群れは「地域の利害を超えた関心をもつ特殊な階級」によって統制されなければならない。このエリート階級は民主主義の最大の欠点をカバーする知識機関であり、「全能の市民」という信じがたい理想の働きをする。
   民主主義は実際こうして機能しているのだ――われわれの合意のもとに。リップマンの述べていることには何の不思議もない。明白な事実だ。不思議なのは、われわれがそうと知りつつ、このゲームをつづけていることだ。あたかも選択の自由があるかのようにふるまいながら、(「言論の自由」を守るふりをして発せられる)隠された命令によって行動や思考を指図されることを黙って受け入れるばかりか、命令されることを要求すらしている。マルクスが大昔に指摘したとおり、秘密はその形式自体にある。
   この意味で民主主義においては一般市民の誰もが、いわば王である。とはいえ、それは立憲民主主義の王、形式だけの意思決定を下す君主であって、行政官から渡された法案に署名するだけの役目しか担っていない。この点で民主主義の形式にまつわる問題は、立憲君主制の大きな問題と一致する。つまり、王の権威をどうやって守るか、現実はちがうと誰もが知っているのに、意思決定しているのは王だと、どうやって見せかけつづけるかだ。
     したがって、トロツキーの議会制民主主義に対する非難は大筋で正しかった。すなわち、この制度は教育のない大衆に力を与えすぎることなく、むしろ大衆を受身化して、国家権力機構の支配にゆだねるものだ(労働者階級が集結し権力を行使する「ソヴィエト」とは対照的に)。
  だから、いわゆる「民主主義の危機」が訪れるのは、民衆が自身の力を信じなくなったときではない。逆に、民衆に代わって知識を蓄え、指針を示してくれるはずのエリートを信用しなくなったときだ。「(真の)玉座は空っぽだ」と、いまや決めるのはほんとうに自分たちなのだと悟って、不安に襲われるときだ。このために「自由競争」にはからなず最低限の丁重さがある。権力者は丁重に、じつは権力者ではないふりをして、彼に権力を与えたいかを自由に決めるよう国民に求める――拒まれることを意図する身ぶりの真意を鏡像化して示すように。
  このことを〈大文字の意志〉の観点から表せば、代表制民主主義はその概念からして民衆の〈意志〉の受身化を伴い、意思しないことへと変えてしまう。民衆は自らの意思を代表する媒介者へ意志する意欲まで譲渡してしまうのだ。民主主義を蝕んでいるとの非難を浴びると、人はいつも、マルクスとエンゲルスが同じ非難を受けて(コミュニズムが家族制度、財産、自由などを損なっていると)『コミュニスト宣言』で応えた言葉を援用する。つまり、そんなものはすでに支配体制が破壊してきたし、今も破壊しつつある。
  (市場の)自由が自らの労働力を売る者にとっては不自由であり、合法的売春としてのブルジョア家庭が家族制度を損なっているように、民主主義は、大衆の受身化をもたらす議会制という自らの形態と、高まる一方の非常事態の論理に伴う行政者の権力増大によって突き崩されている。
  バディウは、民主主義における腐敗を二つのタイプ(というよりレベル)に分けた。そこで実地に経験される腐敗と、政治を私益の交渉事に還元してしまう、民主主義という形式自体による腐敗である。この差異は、たとえば誠実な「民主的」政治家が、実際上の腐敗と戦う一方で、形式にかかわる腐敗の領域を支える存在となってしまう、といった珍事例に見られる(当然ながら、経験的には腐敗した政治家が「徳の独裁」をめざして民主主義の形式と戦う、という逆のケースもある)。
  ベンヤミンの『暴力批判論』の区別でいえば、ここで扱っているのは実態として違法である「法維持的」腐敗と、民主政体という形式そのものの「法措定的」腐敗である。

 民主主義が代表制という意味であるならば、それはとりもなおさず、その形式を負う一般システムの代表であるだろう。言い換えれば、選挙制民主主義とは何よりまず、現在は「市場経済」と名を改めた資本主義が認めたかぎりで代表制であるにすぎない。このことが制度に内在する腐敗である。

   この一節はごく厳密に先験的な意味で受けとるべきである。むろん経験的なレベルでは、複数政党によるリベラル民主主義は、多様な異なる意見を、党が提出した政策や候補者についての国民の考えを「代表」――反映、表示、評定――している。だが、この経験的なレベル以前にもっと根本から「先験的」な意味で、複数政党からなるリベラル民主主義は、社会・政治とそこで個人が担う役割のある種のビジョンを「代表」――例示――している。選挙戦に勝って立法・行政機構を掌握した政党による政治を内に抱え込んだ社会生活のビジョンを「代表」している。
この「先験的な枠組み」がけっして中立ではないこと、特定の価値観や慣行を優遇することを忘れてはならない。こうした非中立性は、危機に際してや無関心が広がったとき、民主制が国民の本当の望みや考えを代表できないことが実感されるときに、あらわになる。
  国民を代表することの不可能性は、二〇〇五年イギリス総選挙のような異常な現象が示している。当時の首相トニー・ブレアの人気は落ちる一方だった(国内でもっとも不人気な人物にたびたび選ばれていた)にもかかわらず、そうした不満は政治的に有効な表現に結実しなかった。そこでは何かが明らかに間違っていた。国民は「何が望みなのかを自覚していなかった」というより、シニカルなあきらめから、行動に移さなかったのだ。その結果、考えたことと実際の行動(投票)とのあいだに奇妙な隔たりが生じたのだった。
   プラトンはこの第二の形態の腐敗について十分認識したうえで民主制を批判した。同じ批判はジャコバン派による〈徳〉の特権化にもはっきり認められる。複数の私益を代表し交渉するという意味で、民主制には〈徳〉の存在する余地はない。だからこそ民主主義はプロレタリア独裁に取って代わられねばならない。
   民主選挙については、軽視すべき理由はない。ただ強調しておきたいのは、それが本質的に〈大文字の真実〉を表わすものではなく、逆に、ヘゲモニーを握ったイデオロギーに決定づけられる支配的なドクサ(臆見)を反映しがちだということだ。
  これは問題なく好例だと思うが、一九四〇年のフランスでのことだ。フランス共産党の指導者だったジャック・デュクロも私的な会話で認めたのだが、当時もしフランスで自由選挙がおこなわれたならば、ヴィシー政権の元首フィリップ・ペタンは九〇パーセントの票を得て勝っていただろう。そんなとき、ドゴールがドイツへの降伏を拒否し、ヴィシー政権ではなく自分こそ真のフランスを(「フランス人の多数派を」ではなく!)代弁していると主張したことは、歴史上名高い行為だった。ドゴールの言い分は、たとえ「民主主義的には」正当化されておらず、フランス人の多数の意見に明らかに反していても、つくづく真実であった。」スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(栗原百代訳)ちくま新書、2010.pp.218-227.

 多数派がつねに賢明で正しいということなどありえない。しかし、選挙によって正当化される民主主義とは、多数派の支持をお題目にして専制的権力の暴虐も可能にするシステムなのだ。とはいえ、それではこの選挙による民主主義を否定してさらにベターな制度はあるのか?安倍晋三氏がしばしば口にする「同じ価値観を共有する国家」とは、どんなに自分勝手で偏狭なイデオロギーに依拠していても、選挙と国民の多数派が支持しているというお墨付きで、歴史に汚点を残すことが可能な価値観なのだ。トランプと安倍が同じ価値観に立っているなどと、これこそ悪い冗談だが、人としての性格は似ているかも・・・。

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「30代独身女性」の悩みのるつぼにどう答える?難民問題とは違うな・・

2017-01-22 16:21:33 | 日記
A.人生相談の救済機能
 新聞ジャーナリズムが日本で定着したはじめから、読者相談欄は人気で、たんにいろんな疑問質問に実用的にお答えするだけでなく、ちょっとど~しょ~もない個人のお悩みに、経験豊かな識者が答えるという人生相談は続いてきた。活字メディアの衰退がいわれる21世紀の現在も人生相談欄は賑わっているようだ。朝日のこの欄は、かつて1990年代に中島らも氏が担当した「明るい悩み相談室」が中島氏の死で終わって、日曜版に回答者が交代で担当する形で新たに始まった人生相談である。今は上野千鶴子、金子勝、美輪明宏、岡田斗司夫の諸氏が答えているが、しばらく前に亡くなった作家の車谷長吉も回答者だった。
人生相談は身の上相談と呼ばれたこともあるが、回答者を指定した投稿もあり、当たり前の回答では読者も満足しない。回答者は真正面から受け止めるよりは、少し視点を変えてみたりひねったりうがったりであははと笑わせもするが、このやり方で大阪エンタメ名人中島らも氏の右に出るのは難しい。そこで金子氏は小説なんかを持ち出すが、上野氏、美輪氏の確信に満ちたお言葉には、はは~っと納得し、岡田氏は一見実務的にしかし愛情を滲ませて回答している。人生相談で問題が解決するわけではないにしろ、当たり前では思いつかない意見を聞いてみたいと思う読者はかなりいるんだろうな。

「悩みのるつぼ:完璧同士の結婚がうらやましい 相談者 女性30代 
 30代の独身女性です。
 私は周りで、収入、ルックス、性格全てそろっている男性と結婚した方がうらやましくてしたかありません。
 こういう方と結婚したら一生ずっと幸せなのだろうな、大変なことがあってもきっと乗り越えていけるのだろうな、と思ってしまいます。
 実際の夫婦生活はわかりませんが、とても家庭的で、奥様はとても幸せだろうな、私にはもうそういう人とは巡り合えないんだろうな、と思うととても悲しくなります。
 結婚への焦りから、いわゆる婚活をしておりますが、そんな方に巡り合わないので周りの完璧なご主人がうらやましくて仕方ありません。
 また、活動をすればするほど、恋愛結婚をすることはもうないだろうと思ってしまいます。やはり、自然な出会いではないからなのでしょうか。そう思うとまた悲しくなります。
 完璧そうにみえる夫婦でも、いったん生活を共にすれば、完璧ではない部分や不満もあるのでしょうか。
 また、どんなに完璧な人と結婚したとしても、いつまでも永遠には、大好きな気持ちは続かないものなのでしょうか。
 友人には、完璧な人と結婚したから幸せというわけでもないと言われますが、どうも納得できません。よろしくお願いいたします。」朝日新聞2017年1月21日Be on saturday 10面。

「回答者 評論家岡田斗司夫:いままでいろんな人に相談しましたよね?でも、「普通の答え」では納得できなかったでしょ?なので「普通じゃない答え」を考えてみました。
 つまり裏ワザというか奇策を提案します。
 周囲に、特にあなたの思う「完璧な結婚」をしている夫婦に、「もう結婚はあきらめた」と公言してください。婚活もすっぱり、表面上は止めること。
 理由は「いま、完璧な結婚をしているカップルの離婚待ち」です。
 政府の人口動態統計によると、毎年、離婚件数は結婚件数の3割ほどになります。「同居をやめた時の年齢別の離婚率」を見ると、30~34歳の女性の高さが目立ちます。
 わかりますよね?あなたがうらやましくてたまらない「完璧なカップル」でも結婚数年で、一定数が破綻するというのが現実なんです。
 そして離婚すると一般に女性はサバサバして「しばらく結婚は必要ないかな」となり、逆に男性は不安になって「すぐに再婚できる相手を探す」傾向があるそうです。
 狙い目はここ。悪く言えばハイエナ作戦です。
 ポイントは、結婚相手を探している、とにおわせないこと。表面上は、結婚に興味が無い、つまり他人の夫と話してても大丈夫な女になる。完璧な結婚であっても、人間だから不満もでます。そのグチ相手に徹してください。
 決して不倫関係にならないように、細心の注意を払って、です。あせっては絶対にダメ。あなたから離婚をすすめてもダメ。完璧な夫婦が別れてから、はじめて声をかけましょう。
 この方式、利点が二つあります。一つ目は「すでに完璧さを保証された物件のみ」ターゲットにすれば良い、というコスパの良さ。もう一つは、あなたの思い込んでいる「完璧な夫婦」の実像がわかることです。
 「理想の夫婦は、離婚なんてするはずがない」と思い込んでるでしょ?彼らの親しく付き合って調査してみてください。びっくりするぐらい、双方からグチが出てきますから。
 ちなみに、男性から見た「理想の妻」とは、当たり前に欠点のある自分でも「理想の夫」と持ち上げてくれる女性です。
 完璧な人と出会うことを夢見るより、目の前の普通の人を「完璧に仕立て上げる能力」を鍛えるのが近道かもしれませんよ。」朝日新聞2017年1月21日Be on Saturday10面。

 「30代の独身女性」という自己規定自体が、「完璧な結婚を実現したい」という強い願望を感じさせるが、当然のことながら「結婚」というものの実態を知っている人ならば、そもそも「完璧なカップル」も「完璧な結婚」も妄想に過ぎないことは知っている。だから「イイ男との結婚」を狙っている相談者に、岡田氏は「イイ男」なんてどうせ離婚するはずだからじっと待てばチャンスはあるよ、というアドヴァイスをする。でも、よく考えるならば、結婚に「完璧」を求める基本姿勢に変化がなければ、結婚はできても「完璧な結婚」などほど遠い。それをさりげなく気づかせようという岡田氏の意図はわかるが、果たして「30代独身女性」は納得するであろうか?



B.難民問題への視点
 かつて植民地宗主国であった国の「白人」は、20世紀を通じて過去の搾取と差別的植民地支配の責任を問われ続けてきた。それを倫理的な心の問題としてではなく、政治の具体的な問題、たとえば難民受け入れの問題として問うとき、「左派」はどう振る舞うのか?そして、資本主義とナショナリズムと労働者階級とは相互に矛盾する主張で混迷する。それが今の状況か。

「植民地主義に対し甘いと非難されるはずがない人といえば、フランツ・ファノンである。ファノンの解放をめざす暴力論は、多くの政治的に正しいポストコロニアル理論研究者の困惑の種であった。しかし精神分析医で明晰な思想家だったファノンは、早くも一九五二年に、植民地主義者の罪悪感につけこむことを拒む痛烈な表明をおこなっていた。
 
 私はひとりの人間だ。私が取り返さなければならないのは、世界の過去の総体だ。サント・ドミンゴ(サン・ドマング)の奴隷の反乱だけに対して責任があるのではないのだ。ひとりの人間が精神の尊厳の勝利に資するたびに、ひとりの人間が同胞を奴隷化する企てにノンと言うたびに、私はその行為との連帯を意識してきた。私はけっして、黒い肌をした民の過去から私本来の使命を引き出すべきではない。不当にも無視されてきた黒人文明の再興にこの身を捧げることは、断じてすべきではない。私はいかなる過去の手先にもならない。
 この黒い肌は、黒人特有の価値の容れものではないのだ。
 この私には、一七世紀の黒人の復讐をする以外にこの世でなすべきことがないのだろうか?
 黒人である私は、わが人種の過去に対する罪悪感が白人のうちに結晶化することを願う権利をもたない。黒人である私は、旧主人のプライドを踏みにじる方法を探し求める権利をもたない。隷属させられた祖先たちへの償いを要求する権利も、義務もない。黒人の使命はない。白人の重荷はない。
私は黒い世界の「はかりごと」の犠牲になりたくはない。
 現代の白人に十七世紀の奴隷商人の責任をとることを要求しようとするだろうか?
 あらゆる手段を尽くして白人の心に罪悪感を植えつけようとするだろうか?
 私は父祖を間化した奴隷制の奴隷ではない。
 紀元前三世紀の黒人の文学や建築を発掘するというなら大いに興味がわくだろう。
黒人哲学者とプラトンとのあいだに交流があったことを知れば大喜びもしよう。だが私たちには、その事実が、マルティニーク島やグアドループ島のサトウキビ畑で働く八歳の子たちの人生をどう変えうるのか、まったくわからないのだ。
この世界に生きていて私がもっているとわかる権利はひとつだけ。他者に人間らしいふるまいを求める権利である。
同じ文脈で「許可証なき人たち」(「不法」移民)に正当な滞在許可証を与えようとしているフランス左派へのサドリ・キアリの辛辣な批判に、批判的に向きあいたい。

 白人の左派は「許可証なき人たち」にも甘い。それは紛れもなく、そういうものはそもそも存在しないからだ。そして、いくらかでも存在したければ左派に助けを求めざるをえないのだから。許可証なき人など存在しないというのは、その人は存在するために、自らの存在を消すと周囲を脅かす必要があるからだ。私の存在証明とは、私が死にかけていることだ、と彼は言って、食物を口にしなくなる。すると左派は、ここぞとばかりに右派を非難する。「許可証を与えないと、食事を拒否して自殺してしまうぞ!」許可証を得れば、その人はもはや許可証なき人ではなく、許可証をもっているときに許可証なき人として存在しないならば、結局その人は存在しないわけである。まったく、進歩派が聞いてあきれる。

根底にあるロジックは明白でもっともらしいものだ。つまり「許可証をもたない」移民労働者には法的地位がないから、存在に気づかれたとたん、国民生活に対する外部からの脅威となる。だが、いったん許可証を得て地位が認められると、これまた正当な存在であることができなくなる。特殊な状況におおい隠されてしまうからだ。ある意味、法的地位が認められたら、なおさら存在が見えなくなる。その人はもはや脅威ではなく、完全に同化され、識別できない市民の群れに埋もれてしまうのだ。
しかし、キアリの主張には欠けていることがある。「許可証を」手に入れた人には、政治上の自己組織化と活動へのさらなる地平が開かれることだ。「許可証」を得た人には政治的な流動化および圧力を起こしうる大きな可能性が与えられる。もはや「わが国」の合法な市民である以上、外界からの脅威として排除されることはない。
もっと言えば、反移民政策やあの手この手の移民排斥について論じるとき、念頭に置くべきは、反移民の政治が資本主義や資本家の利益に直接にはつながらないということだ。むしろ労働力の自由な流通こそ、巨大資本の利益にかなう。安価な移民労働者が「国内」労働者にプレッシャーをかけ、低賃金を受け入れさせるからだ。またアウトソーシングもいまや反転した移民労働者の雇用形態ではないだろうか。
移民に対する抵抗は、国内の労働者階級に最初に生じる自然な防御反応だ。彼らは移民労働者を(まんざら不当にでもなく)新手のスト破り、つまり資本家の味方だと見なしている。早い話が、もともと多文化主義で寛容なのがグローバル資本である。
不法移民の権利を無条件に擁護する者にありがちなのが、国家レベルでは反対の主張が「正しい」かもしれないと認めながら(国が無制限に移民を受け入れられないのは当然だ、移民は国内雇用を脅かす競争力になるし治安の危険をもたらしそうだ)、まったくちがうレベルで擁護論を展開することだ。現実の需要に直結したレベル、Qui est ici est d’ici(ここにいる人間がここの人間だ)とわれわれが無条件に主張できる、主義の政治のレベルである。
しかし、この主義にもとづく主張はあまりに単純で、きれいごとだけで満足してはいないか?自分の主義は押しとおし、現実の任務は国に任せておく……そんなやりかたでは移民の権利をめぐる政争の決定的要因が抜け落ちてしまうのでは?その要因とは、移民に反対する労働者に戦う相手をまちがえていると納得させること、そして新しい政治の実行可能な形を示すことだ。「不可能」(=移民の受け入れ)を可能にしなければならない。これこそ真の政治的出来事になるはずだ。
だが、なぜ移民は社会へ受け入れられることに満足しないのか?そうなったら自己のアイデンティティを主張できず、圧制者の基準に適応せざるをえなくなるからだ。たとえ受け入れられても、実際与えられるのは二義的な役割にすぎない。圧制者の言説によってアイデンティティが規定される。
ここでストークリー・カーマイケル(ブラック・パワーの提唱者)の綱領の声明を思い起こしたい。「われわれは、自分自身を定義し、社会との関係を規定する言葉を生みだす権利のために戦わねばならない。その言葉が認められるために戦わねばならない。これは自由人の最初の要求であり、あらゆる圧制者に拒否される最初の権利でもある」。
問題は、どうやるかだ。すなわち自己を規定するために、神話めいた、まったく外的なアイデンティティ(「アフリカ人のルーツ」とか)を参照したくなる誘惑にどう抗うか。こうしたアイデンティティは「白人」文化とのつながりを断ち切って、被圧制者たちから闘争のための重要な知的ツール(平等主義と奴隷解放論の伝統)と潜在的な協力者をとりあげてしまう。
だから、ここでカーマイケルの言葉を少し訂正すべきだ。圧制者が心から恐れる移民の自己規定は、白人文化とつながりのない神話めいたものではなく、「白人版」平等主義・解放論の伝統の主要素を流用して、この伝統を再規定したものだ。言葉にされたことより言葉にされないことの観点からこの規定を転換する、つまり、平等主義の領域から事実上黒人を排除した暗黙の資格要件を消し去ることで定義しなおした、移民の自己規定だ。
言い換えれば、支配的な白人の伝統の外で自己規定する新しい言葉を見つけるだけでは充分ではない。もう一歩先へ進んで、白人にしか自身の伝統を規定できないという独占状態を終わらせることだ。」スラヴォイ・ジジェク『ポストモダンの共産主義―はじめは悲劇として、二度目は笑劇として』(栗原百代訳)ちくま新書、2010.pp.160-1

 う~む。「移民に反対する労働者に戦う相手をまちがえていると納得させること、そして新しい政治の実行可能な形を示すこと」は正論だが、シリア難民が大挙してヨーロッパに押し寄せる状況の現在では、さらにこの課題を実現させるのは難しいな。
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