A.レポート
この時期、ぼくの授業を取っている学生に成績をつけなければならず、この週末、昨日も今日も試験の答案を採点し、定期試験の方はなんとか終わったのだが、レポートの方は朝から夜まで読んでいるのだが、まだ片付いていない。ま、教師の仕事として締めくくりの義務だから毎度やってきたのだが、学生に点数をつけるのはいつも悩む。試験やレポートというものは、自分が毎週学生に話したことを学生たちがどこまで理解したか、こちらの意図した内容がちゃんと伝わったかを確認するためにあるので、君はよしよし80点、君は50点で落第!ということが目的ではない。しかし、答案やレポートを読むと、そもそもこの子たちは、何かを理解しようとか、何かを考えようとか思っているのだろうかと疑わしくなるものがあり、結局「単位」をもらえればそれ以上のものは期待していないとしか思えないものが多い。
試験答案の最後にこの授業への感想・意見を書いてくれ、何を書いても成績評価には無関係だといつも聞くのだが、昨日見た答案には、「眠くならないような授業をしてください」と書いてあった。たぶんパワーポイントを使った授業で、教室が暗くなり人数が多くてちょっと暑いので後半30分は学生の半分以上が明らかに眠っていた。ぼくはそれなりに画面を工夫して「眠くならないように」話していたつもりだが、それでは寝ちゃう授業と認定されたわけだ。
大学の授業も、テレビの娯楽番組のように一秒も観客の目を逸らせないように、愉快なギャグと当意即妙なリアクションで興味をつなぐお笑い芸人のような才能を求められるのか、と思ったら愕然とした。ぼくの出したレポート課題は次のようなものだ。以下の曲とアーティストのどれかを選び、それが作られた時代と作者について、社会学的に考察したレポートを作成すること。授業の中でキーワードとした「西洋近代」「調性音楽」「音楽の商品化」などの問題に触れるのが望ましい。ネット等の記述をコピペしただけのものは、単位認定の対象としない。
この25曲は、どれも教室で一部だが実際に流して聴かせたものである。
1.エリック・サティ(1866-1925) Je te veux「君が欲しい」1900.
2.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971) バレエ音楽「ペトルーシュカ」1911
3.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)バレエ音楽「春の祭典」le sacre du printemps 1913.
4.バルトーク・ベーラ(1881-1945)「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」
5.ルイ・アームストロング(1901-1971) 「聖者が街にやってきた」When the saints go marchin’in.
6.デューク・エリントン(1899-1974) Take the A train「A列車で行こう」
7.B.B.キング(1925-) Don’t answer the door「扉には答えない」
8.セロニアス・モンク(1917-1982) Blue Monk
9.マイルス・ディビス(1926-1991) My funny valentine
10.ビル・エヴァンス(1929-1982) Someday my Prince will come
11.ジョン・コルトレーン a love supreme「至上の愛」
12.エルヴィス・プレスリー(1935-1977) Jewelly Rock
13.ザ・ビートルズ All my loving
14.ローリング・ストーンズ Like a Rolling Stones
15.レッド・ツェッペリン Rock & Roll ’
16.ディープ・パープル Black Night
17.キング・クリムゾン 21th century sckyzoyd man
18.ピンク・フロイド IF (アルバム「原子心母」より)
19.ジミ・ヘンドリックス(1942-1970) Red House
20.ボブ・マーレイ(1945-1987) I shot the sheriff「俺はポリ公を撃った」
21.南インド・タミルナードゥ Barata Nahteyam
22.ハレド 「オラン・マルセイユ」O’rlean Marceil
23.トルコ南部民謡 「コンヤリ」Konyali
24.アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-95) 「デサフィナード」Desafinado
25.武満徹(1930-1996) 「弦楽のためのレクイエム」1957
さて、その結果出てきたレポートの選んだ曲数は、第1位がビートルズ「All my loving」、第2位がルイ・アームストロング「When the saints go marchin’in.」、第3位はストラヴィンスキーとデューク・エリントン、次にプレスリーだった。それはまあいいのだが、中身はネット検索で出てきた解説のコピペにちょっと手を加えた程度のしろもので、音楽における「近代」「調性」「商品化」という、ぼくの授業で核になるテーマに少しでも触れたレポートは微々たるものだった。さほど期待はしていなかったが、なんのために5か月資料を作り、毎回CDやMDを聴かせ、ピアノで旋律やコードの解説までしたのか、少々脱力感が襲う。結局寝ていたどころか、60数名の履修者のうち出席を取らなかったので実際に常時教室にいたのは、20名くらいでそれも途中で消えていった。この子たちは、アートには関心はないし、教室には来ないで10分でコピペ・レポートを書いて2単位がもらえれば、「いい先生」なのだろう。
ぼくは自分の趣味や興味を、若い学生に無理やり押しつけるつもりはない。大学の授業科目としてやる以上、特定の立場に偏することも避けている。なるべく初歩的な基礎知識からはじめて少しでも興味を感じてもらえるように、努力したつもりだった。でも、「眠くなる授業」だったのかと、心は痛んだ。お笑い芸人は、命を懸けて人の注目を自分だけに集める技を鍛えている。でもぼくは、お笑い芸人にはなれない。では、試験・出席・単位という制度の強制力をフル稼働して、怠惰な学生の尻を叩くべきだろうか。ぼくにはそれができないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2a/4bbfd1e9a27269682811bd462b618973.jpg)
B.ダンスのメタフィジック
クラシック・バレエの世界は、あまり知らない。でも、息子の一人が、バレエを習っていたので、青山にあった「ロシア・バレエ」教室に息子を連れて行ったりした。バレエは、日本では「女子のお稽古」の筆頭で、たくさんの女の子が習っているが、男子は圧倒的に少数である。クラシック・バレエは、基本的に男女で踊り、プリマはヒロインだが、それを支える屈強な男子が必ず必要で、ぼくは思った。日本では、女の子のバレリーナは履いて捨てるほどいて食えないが、踊れる男の子は希少なので絶対に食える。でも、バレエのアート市場は限りなくマイナーで、食うための権威を得るには世界の中心、つまりフランスかロシアに行ってトップのプリマドンナかプリンシパルになる必要がある。ここが大変である。フランスかロシア、どちらも舞踊芸術については高いプライドと歴史を有しているわけだから。
「ダンスとはおそらく形而下的(フィジック)な秩序ではなく形而上的(メタフィジック)な秩序の問題、すなわち精神的な姿勢である。この意味では、ダンスは正確にはスペクタクルではないかもしれない。第一に、とりわけ人間の身体の筆舌に尽くしがたいものを見せる、あるいは身体をまぎれもない芸術作品、輝かしい身体に変貌させるものを見える形にすることが問題となる。二十世紀まで、この見解はユダヤ=キリスト教的道徳を典拠とし、神に似せて形づくられた人間という教義を強化してきた。この考え方は、原罪によって分裂させられた人間像を、信仰の中に定着させる。すなわち、腐敗してゆく身体という肉の外皮は、人間の神々しい本質、つまり魂を含み、その本質は精神による物質の支配、精神による肉体の支配によって明らかになる。両者の完全な統一は、死と贖罪と……魂の復活とともに起こるのであり、復活は「浄化された」身体という宗教上公式の比喩によって表現される。振付は、分断されながらも崇高なこの人間の完成態を身体に刻み込み、終局とされる死を拒むための戦略構築に役立つ。したがって、われわれが思い描くようなダンスは、身体ではなく、むしろ身体の本質的な不朽性を表現するためにある。ダンスとは生成される身体であり、この身体の存在感、さらに言えば「すべての瑞々しい影であり、そのようなものとして神話から受け継がれた」ものによって攪乱された像なのである。
中世のスコラ学から受け継がれたこの規範は、政治権力の交替によって反復されてきており、現在のわれわれのダンスに対するヴィジョンに痕跡を残している。とりわけ、この規範の痕跡はダンサー自身の精神の中にあり、彼らにとってダンスは、スポーツとしての身体的消耗、あるいはスペクタクルのための単なる準備というよりは、精神的苦行として実践される日常的な鍛錬に等しい。ダンサーは、身体に及ぼされた作用を通して、自分が身体に根を降ろした精神であると思い込み、そしてダンスは思考の動きとなる。そのうえ、モダン・ダンスひいてはコンテンポラリー・ダンスの振付は、こうした観念的なダンス観に対立するどころか、多くの点でこれを強固なものにする。踊ることとは、思い切って鏡を通り抜け、それによってありふれたものごとを変貌させ、創造者と被造物を比類なき夢想の中で結合させることなのである。
観客の視線は、人を変質させる他者の身体への侵入として、踊る身体の構成要素をなすものであり、その踊る身体は、見られたいという欲望であると同時に不可視のものを見せたいという欲望でもある。
非凡な身体というものは、数世紀にわたって、聖なるものが宿る場所として教会法の下で舞台へ載せられた。ポール・ヴァレリーの『魂と舞踊』〔1923年〕というタイトルの根底にあるものに相当する。別の言い方をすれば、ダンスは、神性の体現とそれに最も適した表現、「ことばは肉となった」の王道だった。このように、正しいキリスト者に倣った正しいパ〔バレエを構成する基本的な運動単位〕を区別するような厳密なレトリックに従って、言葉に尽くしがたいものを身体に語らせねばならなかった。場違いな動作をしてはいけない。身体は、ことに踊るときには制御されていないと、文字通り悪魔に取り憑かれてしまう。狂(サバト)宴への誘惑があたりをうろついているのである。典礼全体は以上の点に要約されるが、これは儀式の慣行に関するだけでなくダンスの秩序にも関わる。「神懸かり(アントウージアスム)状態」に対して、カトリック教会は道徳に適った身振りを樹立しようと努める。指摘しておかねばならないのは、中世を通して、とりわけ「激しい欲情を解放するダンス」に現れるような異教的慣行を、完全に根絶することが重要であったということだ。したがって身振りを規格化することになる。キリスト教の教義は、身体的なものを経て、自分の信仰を表面化させる正しい方法を決定する。これは中世に限ったことではない。植民地開発において、人々は正しい手順を教え続けるが、それは西洋化されるために「従うべき手順」でしかなく、つまり課された権力を受け入れ、十分にしつけられた正しき臣民として、われわれ西洋人の審理によって認められるための手順なのである。カトリック教会は、魔術的行為と迷信にもとづいた祭儀の痕跡がまだ残る、ありうる限りの身振りのカオスの中に秩序を打ち立てるようになり、これが振付への第一歩となる。
したがって、聖務の様式は徐々に明確になり、その一方で古くからの大衆的な遺産であるダンスは怪しいままなのだ。ダンスに適用される禁止制裁や教皇教令がこの点に関する証拠として挙げられる。トレド公会議(587年)での異端排斥、「ダンスあるいは輪舞(カロル)の淫らな動きに対する」教皇ザカリアスの教令(774年)、「教会内での女性によるダンス」を非難した教皇レオ五世の説教は、トリエント公会議(1562年)において聖なる場所での輪舞と聖務の間のダンスが禁じられるようになるまで繰り返された。
中世の人々が持っていた身体に対する認識は、われわれのものとはきわめて異なる。実際に、公共のサウナや共同のベッドなど、雑居状態は避けられないものであり、社会階層にかかわらず身体の下部には無頓着であった。それに対して、最も重要となる頭部の象徴は、あらゆる身振りと表現体系に指標を与える。神学法規はこの見解を採用し、教会の構造に似せて、レトリックの高低に従って身体を階層化するようになる。頭部が四肢を指揮し、その一方で腕は行政あるいは軍隊を表現し、心臓は勇気の、腰は欲望の、足は耕地の座を占める。言い換えれば、「お頭」が的確な動きを四肢に命じ、四肢はそれらを足、あるいは下っ端の歩兵隊に伝達する、というようにおおむね厳密に対応している。そもそも垂直型の序列は身体の細分化を示すのだが、さまざまな国家の図式が生みだしていく空間に身体が組み込まれることで、この序列が繰り返されていく。1220年頃にラテン語のstrareから作られた「国家(État)」という語は、政治構造を表わす前に、まず存在の仕方、背丈、立って姿勢を意味するということを思い出そう。つまり、姿勢の取り方、動き方というのは社会的序列の構成要素なのである。王あるいは司祭が立ち、祈禱者と財務官が非ざまづく、その一方で、横たわった姿勢は極限の痛悔、完全な自棄、あるいは死を喚起する。頭部を傾ける所作とお辞儀の所作はすべてそこに由来する。身体の序列はゆっくりと形成されるのだが、俗なるものとされる民衆的身体の価値を下げることで、自己支配へと駆り立てる種々の身振りの実践をより崇高なものとする考えを、教育によって伝達し、繰り返すことでその序列は定着する。まず、凶暴な身体を従順な身体に変えようとする文明伝達のプロセスが問題となるが、その一方で集団的感性が個人化していく。ダンスは徐々に万人向けの教育の手段となり、身体を矯正することで身振りを神聖視しようとする。豊穣で華々しい身体という原理に、魂の器としての身体にふさわしい作法が対置される。聖と俗の相違というのは、キリスト教のしるしを見てはっきりとそしてほぼパブロフの犬のように見分けられるような、学習する対象なのである。宗教典礼には、無秩序な輪舞の代わりに、いかなる接触も必要としないトリプディウムという非常にゆったりとした三拍子のダンスが据えられた。
同時期に、カペー朝の到来とともに国家の中央集権化が始まり、王はほとんどの権限を掌握しようとした。中央集権化が志向されることで、政治、宗教、文化の領域において同じ象徴体系を投影した一つの国家的特質の形成が試みられた。そこからフランスの典型的な政治権力の聖化が始まり、しだいに貴族と俗衆の境界線が設置され、そこに身体が追随することで決定的なものとなる。
農民的なダンスの価値の低下が少しづつ進んでいく間に、さまざまな階級間の隔たりが深まった。洗練された人々は「変化する構造」をもつダンス様式を作り出した。構成、すなわち「形式のための形式」の重要性が富裕層において広まり、彼らは踊る人の肉体に刻まれた階層化を利用したのだった。カトリック教会および後の君主制は、振付をもとにして、合法的な偶像や権力の表現と表裏一体の肖像を持つ政体を作り上げる。これら偶像や肖像は(ほとんど)これだけで機能し、万人にすぐさまものを言う、というメリットがあるのだ。」アニエス・イズリーヌ『ダンスは国家と踊る フランス コンテンポラリー・ダンスの系譜』岩下綾・松澤慶信訳、慶應義塾大学出版会、2010.pp.10-15.
さまざまなアートの領域のうち、バレエあるいは舞踊はもっとも肉体・身体に依存した表現技術である。絵画は眼、音楽は耳、文学は言語、演劇は身体も使うが言葉の役割も大きい。ダンスは視覚的基礎の上に人と人の身体位置の関係、筋肉・神経・骨格の動的表現にどこまで緊張を持続できるか、という挑戦である。これには、鍛えられたダンサーと協働する振付の役割はきわめて大きい。
この時期、ぼくの授業を取っている学生に成績をつけなければならず、この週末、昨日も今日も試験の答案を採点し、定期試験の方はなんとか終わったのだが、レポートの方は朝から夜まで読んでいるのだが、まだ片付いていない。ま、教師の仕事として締めくくりの義務だから毎度やってきたのだが、学生に点数をつけるのはいつも悩む。試験やレポートというものは、自分が毎週学生に話したことを学生たちがどこまで理解したか、こちらの意図した内容がちゃんと伝わったかを確認するためにあるので、君はよしよし80点、君は50点で落第!ということが目的ではない。しかし、答案やレポートを読むと、そもそもこの子たちは、何かを理解しようとか、何かを考えようとか思っているのだろうかと疑わしくなるものがあり、結局「単位」をもらえればそれ以上のものは期待していないとしか思えないものが多い。
試験答案の最後にこの授業への感想・意見を書いてくれ、何を書いても成績評価には無関係だといつも聞くのだが、昨日見た答案には、「眠くならないような授業をしてください」と書いてあった。たぶんパワーポイントを使った授業で、教室が暗くなり人数が多くてちょっと暑いので後半30分は学生の半分以上が明らかに眠っていた。ぼくはそれなりに画面を工夫して「眠くならないように」話していたつもりだが、それでは寝ちゃう授業と認定されたわけだ。
大学の授業も、テレビの娯楽番組のように一秒も観客の目を逸らせないように、愉快なギャグと当意即妙なリアクションで興味をつなぐお笑い芸人のような才能を求められるのか、と思ったら愕然とした。ぼくの出したレポート課題は次のようなものだ。以下の曲とアーティストのどれかを選び、それが作られた時代と作者について、社会学的に考察したレポートを作成すること。授業の中でキーワードとした「西洋近代」「調性音楽」「音楽の商品化」などの問題に触れるのが望ましい。ネット等の記述をコピペしただけのものは、単位認定の対象としない。
この25曲は、どれも教室で一部だが実際に流して聴かせたものである。
1.エリック・サティ(1866-1925) Je te veux「君が欲しい」1900.
2.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971) バレエ音楽「ペトルーシュカ」1911
3.イゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)バレエ音楽「春の祭典」le sacre du printemps 1913.
4.バルトーク・ベーラ(1881-1945)「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」
5.ルイ・アームストロング(1901-1971) 「聖者が街にやってきた」When the saints go marchin’in.
6.デューク・エリントン(1899-1974) Take the A train「A列車で行こう」
7.B.B.キング(1925-) Don’t answer the door「扉には答えない」
8.セロニアス・モンク(1917-1982) Blue Monk
9.マイルス・ディビス(1926-1991) My funny valentine
10.ビル・エヴァンス(1929-1982) Someday my Prince will come
11.ジョン・コルトレーン a love supreme「至上の愛」
12.エルヴィス・プレスリー(1935-1977) Jewelly Rock
13.ザ・ビートルズ All my loving
14.ローリング・ストーンズ Like a Rolling Stones
15.レッド・ツェッペリン Rock & Roll ’
16.ディープ・パープル Black Night
17.キング・クリムゾン 21th century sckyzoyd man
18.ピンク・フロイド IF (アルバム「原子心母」より)
19.ジミ・ヘンドリックス(1942-1970) Red House
20.ボブ・マーレイ(1945-1987) I shot the sheriff「俺はポリ公を撃った」
21.南インド・タミルナードゥ Barata Nahteyam
22.ハレド 「オラン・マルセイユ」O’rlean Marceil
23.トルコ南部民謡 「コンヤリ」Konyali
24.アントニオ・カルロス・ジョビン(1927-95) 「デサフィナード」Desafinado
25.武満徹(1930-1996) 「弦楽のためのレクイエム」1957
さて、その結果出てきたレポートの選んだ曲数は、第1位がビートルズ「All my loving」、第2位がルイ・アームストロング「When the saints go marchin’in.」、第3位はストラヴィンスキーとデューク・エリントン、次にプレスリーだった。それはまあいいのだが、中身はネット検索で出てきた解説のコピペにちょっと手を加えた程度のしろもので、音楽における「近代」「調性」「商品化」という、ぼくの授業で核になるテーマに少しでも触れたレポートは微々たるものだった。さほど期待はしていなかったが、なんのために5か月資料を作り、毎回CDやMDを聴かせ、ピアノで旋律やコードの解説までしたのか、少々脱力感が襲う。結局寝ていたどころか、60数名の履修者のうち出席を取らなかったので実際に常時教室にいたのは、20名くらいでそれも途中で消えていった。この子たちは、アートには関心はないし、教室には来ないで10分でコピペ・レポートを書いて2単位がもらえれば、「いい先生」なのだろう。
ぼくは自分の趣味や興味を、若い学生に無理やり押しつけるつもりはない。大学の授業科目としてやる以上、特定の立場に偏することも避けている。なるべく初歩的な基礎知識からはじめて少しでも興味を感じてもらえるように、努力したつもりだった。でも、「眠くなる授業」だったのかと、心は痛んだ。お笑い芸人は、命を懸けて人の注目を自分だけに集める技を鍛えている。でもぼくは、お笑い芸人にはなれない。では、試験・出席・単位という制度の強制力をフル稼働して、怠惰な学生の尻を叩くべきだろうか。ぼくにはそれができないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/2a/4bbfd1e9a27269682811bd462b618973.jpg)
B.ダンスのメタフィジック
クラシック・バレエの世界は、あまり知らない。でも、息子の一人が、バレエを習っていたので、青山にあった「ロシア・バレエ」教室に息子を連れて行ったりした。バレエは、日本では「女子のお稽古」の筆頭で、たくさんの女の子が習っているが、男子は圧倒的に少数である。クラシック・バレエは、基本的に男女で踊り、プリマはヒロインだが、それを支える屈強な男子が必ず必要で、ぼくは思った。日本では、女の子のバレリーナは履いて捨てるほどいて食えないが、踊れる男の子は希少なので絶対に食える。でも、バレエのアート市場は限りなくマイナーで、食うための権威を得るには世界の中心、つまりフランスかロシアに行ってトップのプリマドンナかプリンシパルになる必要がある。ここが大変である。フランスかロシア、どちらも舞踊芸術については高いプライドと歴史を有しているわけだから。
「ダンスとはおそらく形而下的(フィジック)な秩序ではなく形而上的(メタフィジック)な秩序の問題、すなわち精神的な姿勢である。この意味では、ダンスは正確にはスペクタクルではないかもしれない。第一に、とりわけ人間の身体の筆舌に尽くしがたいものを見せる、あるいは身体をまぎれもない芸術作品、輝かしい身体に変貌させるものを見える形にすることが問題となる。二十世紀まで、この見解はユダヤ=キリスト教的道徳を典拠とし、神に似せて形づくられた人間という教義を強化してきた。この考え方は、原罪によって分裂させられた人間像を、信仰の中に定着させる。すなわち、腐敗してゆく身体という肉の外皮は、人間の神々しい本質、つまり魂を含み、その本質は精神による物質の支配、精神による肉体の支配によって明らかになる。両者の完全な統一は、死と贖罪と……魂の復活とともに起こるのであり、復活は「浄化された」身体という宗教上公式の比喩によって表現される。振付は、分断されながらも崇高なこの人間の完成態を身体に刻み込み、終局とされる死を拒むための戦略構築に役立つ。したがって、われわれが思い描くようなダンスは、身体ではなく、むしろ身体の本質的な不朽性を表現するためにある。ダンスとは生成される身体であり、この身体の存在感、さらに言えば「すべての瑞々しい影であり、そのようなものとして神話から受け継がれた」ものによって攪乱された像なのである。
中世のスコラ学から受け継がれたこの規範は、政治権力の交替によって反復されてきており、現在のわれわれのダンスに対するヴィジョンに痕跡を残している。とりわけ、この規範の痕跡はダンサー自身の精神の中にあり、彼らにとってダンスは、スポーツとしての身体的消耗、あるいはスペクタクルのための単なる準備というよりは、精神的苦行として実践される日常的な鍛錬に等しい。ダンサーは、身体に及ぼされた作用を通して、自分が身体に根を降ろした精神であると思い込み、そしてダンスは思考の動きとなる。そのうえ、モダン・ダンスひいてはコンテンポラリー・ダンスの振付は、こうした観念的なダンス観に対立するどころか、多くの点でこれを強固なものにする。踊ることとは、思い切って鏡を通り抜け、それによってありふれたものごとを変貌させ、創造者と被造物を比類なき夢想の中で結合させることなのである。
観客の視線は、人を変質させる他者の身体への侵入として、踊る身体の構成要素をなすものであり、その踊る身体は、見られたいという欲望であると同時に不可視のものを見せたいという欲望でもある。
非凡な身体というものは、数世紀にわたって、聖なるものが宿る場所として教会法の下で舞台へ載せられた。ポール・ヴァレリーの『魂と舞踊』〔1923年〕というタイトルの根底にあるものに相当する。別の言い方をすれば、ダンスは、神性の体現とそれに最も適した表現、「ことばは肉となった」の王道だった。このように、正しいキリスト者に倣った正しいパ〔バレエを構成する基本的な運動単位〕を区別するような厳密なレトリックに従って、言葉に尽くしがたいものを身体に語らせねばならなかった。場違いな動作をしてはいけない。身体は、ことに踊るときには制御されていないと、文字通り悪魔に取り憑かれてしまう。狂(サバト)宴への誘惑があたりをうろついているのである。典礼全体は以上の点に要約されるが、これは儀式の慣行に関するだけでなくダンスの秩序にも関わる。「神懸かり(アントウージアスム)状態」に対して、カトリック教会は道徳に適った身振りを樹立しようと努める。指摘しておかねばならないのは、中世を通して、とりわけ「激しい欲情を解放するダンス」に現れるような異教的慣行を、完全に根絶することが重要であったということだ。したがって身振りを規格化することになる。キリスト教の教義は、身体的なものを経て、自分の信仰を表面化させる正しい方法を決定する。これは中世に限ったことではない。植民地開発において、人々は正しい手順を教え続けるが、それは西洋化されるために「従うべき手順」でしかなく、つまり課された権力を受け入れ、十分にしつけられた正しき臣民として、われわれ西洋人の審理によって認められるための手順なのである。カトリック教会は、魔術的行為と迷信にもとづいた祭儀の痕跡がまだ残る、ありうる限りの身振りのカオスの中に秩序を打ち立てるようになり、これが振付への第一歩となる。
したがって、聖務の様式は徐々に明確になり、その一方で古くからの大衆的な遺産であるダンスは怪しいままなのだ。ダンスに適用される禁止制裁や教皇教令がこの点に関する証拠として挙げられる。トレド公会議(587年)での異端排斥、「ダンスあるいは輪舞(カロル)の淫らな動きに対する」教皇ザカリアスの教令(774年)、「教会内での女性によるダンス」を非難した教皇レオ五世の説教は、トリエント公会議(1562年)において聖なる場所での輪舞と聖務の間のダンスが禁じられるようになるまで繰り返された。
中世の人々が持っていた身体に対する認識は、われわれのものとはきわめて異なる。実際に、公共のサウナや共同のベッドなど、雑居状態は避けられないものであり、社会階層にかかわらず身体の下部には無頓着であった。それに対して、最も重要となる頭部の象徴は、あらゆる身振りと表現体系に指標を与える。神学法規はこの見解を採用し、教会の構造に似せて、レトリックの高低に従って身体を階層化するようになる。頭部が四肢を指揮し、その一方で腕は行政あるいは軍隊を表現し、心臓は勇気の、腰は欲望の、足は耕地の座を占める。言い換えれば、「お頭」が的確な動きを四肢に命じ、四肢はそれらを足、あるいは下っ端の歩兵隊に伝達する、というようにおおむね厳密に対応している。そもそも垂直型の序列は身体の細分化を示すのだが、さまざまな国家の図式が生みだしていく空間に身体が組み込まれることで、この序列が繰り返されていく。1220年頃にラテン語のstrareから作られた「国家(État)」という語は、政治構造を表わす前に、まず存在の仕方、背丈、立って姿勢を意味するということを思い出そう。つまり、姿勢の取り方、動き方というのは社会的序列の構成要素なのである。王あるいは司祭が立ち、祈禱者と財務官が非ざまづく、その一方で、横たわった姿勢は極限の痛悔、完全な自棄、あるいは死を喚起する。頭部を傾ける所作とお辞儀の所作はすべてそこに由来する。身体の序列はゆっくりと形成されるのだが、俗なるものとされる民衆的身体の価値を下げることで、自己支配へと駆り立てる種々の身振りの実践をより崇高なものとする考えを、教育によって伝達し、繰り返すことでその序列は定着する。まず、凶暴な身体を従順な身体に変えようとする文明伝達のプロセスが問題となるが、その一方で集団的感性が個人化していく。ダンスは徐々に万人向けの教育の手段となり、身体を矯正することで身振りを神聖視しようとする。豊穣で華々しい身体という原理に、魂の器としての身体にふさわしい作法が対置される。聖と俗の相違というのは、キリスト教のしるしを見てはっきりとそしてほぼパブロフの犬のように見分けられるような、学習する対象なのである。宗教典礼には、無秩序な輪舞の代わりに、いかなる接触も必要としないトリプディウムという非常にゆったりとした三拍子のダンスが据えられた。
同時期に、カペー朝の到来とともに国家の中央集権化が始まり、王はほとんどの権限を掌握しようとした。中央集権化が志向されることで、政治、宗教、文化の領域において同じ象徴体系を投影した一つの国家的特質の形成が試みられた。そこからフランスの典型的な政治権力の聖化が始まり、しだいに貴族と俗衆の境界線が設置され、そこに身体が追随することで決定的なものとなる。
農民的なダンスの価値の低下が少しづつ進んでいく間に、さまざまな階級間の隔たりが深まった。洗練された人々は「変化する構造」をもつダンス様式を作り出した。構成、すなわち「形式のための形式」の重要性が富裕層において広まり、彼らは踊る人の肉体に刻まれた階層化を利用したのだった。カトリック教会および後の君主制は、振付をもとにして、合法的な偶像や権力の表現と表裏一体の肖像を持つ政体を作り上げる。これら偶像や肖像は(ほとんど)これだけで機能し、万人にすぐさまものを言う、というメリットがあるのだ。」アニエス・イズリーヌ『ダンスは国家と踊る フランス コンテンポラリー・ダンスの系譜』岩下綾・松澤慶信訳、慶應義塾大学出版会、2010.pp.10-15.
さまざまなアートの領域のうち、バレエあるいは舞踊はもっとも肉体・身体に依存した表現技術である。絵画は眼、音楽は耳、文学は言語、演劇は身体も使うが言葉の役割も大きい。ダンスは視覚的基礎の上に人と人の身体位置の関係、筋肉・神経・骨格の動的表現にどこまで緊張を持続できるか、という挑戦である。これには、鍛えられたダンサーと協働する振付の役割はきわめて大きい。