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戦争の終わらせ方 7 ドイツ電撃戦  これからが難題だな

2022-05-28 21:39:52 | 日記
A.戦争における技術
 ウクライナの戦争をめぐってさまざまな報道を目にする中で、ちょっと気になることがある。日本のテレビ・ワイドショーなどで、防衛省防衛研究所の軍事専門家という人物が登場し、ウクライナの戦場での戦況をみる上での軍事技術・兵器の解説と、コメンテーターたちがそれについて述べるやや無責任な「どうやったらロシアに勝てるか」みたいな論議の危うさである。ロシアの戦車の能力とか、対戦車ミサイルや迫撃砲の威力とかといった、もっぱら戦争のための武器兵器テクノロジーは、ハイテク化して日進月歩なのだろうが、戦争をそういう技術レベルの話にしてしまうことが、問題の本質とは別のものであることも考えておくべきだろう。「机上の空論」とはまさに、戦争をゲームのように考える点で専門家も素人も、実は大差ないのかもしれない。
日本は、敗戦で軍が消滅してから、軍事に関して具体的に知り議論することが乏しく、ぼくたち一般の市民が武器を手にすることなどありえない、と思ってきたから、戦争のリアルを今度のウクライナではじめて感じたことは、むしろよいことだと思うが、戦争の現場については、自衛隊に任せる以外になんのイメージももてないのが現実だ。でもその自衛隊員にしても、現実の戦闘を経験している人は少数だろう。戦争とは、いろいろ準備して作戦を立て、軍備を整えてやるものだとしても、やってみなければ誰にもその帰趨はわからない。現場では、過酷な破壊と殺人が行われているわけで、その中で戦うということは、人間の平常の神経では耐え難いことだと想像する。

 「一般的な歴史書等では、往々にして、「電撃戦」とは、戦車と航空機を集中して戦線を突破、敵軍を包囲する戦法であると解説する。表層的には間違いではないが、事の本質をあいまいにする定義であるというほかない。そもそも、すでに述べたような意味で、「電撃戦」を規定したドクトリンなど、ドイツ軍にはなかったのだ。この点について、1940年の西方作戦研究の古典となった『電撃戦という幻』を著したドイツの軍事史家カール=ハインツ・フリーザーは、「電撃戦」という単語自体、第二次大戦前半の一連の戦役ののちに、外国のジャーナリスト、あるいはプロパガンダ当局が用いはじめたもので、軍事用語ではなかったことを解明している。
 それでは、1940年のベネルクス三国およびフランスへの侵攻、1941年のバルカン作戦や対ソ戦序盤において猛威を振るった、ドイツ軍の作戦・戦術の核心は、いかなるものだったのだろうか。
 多くの軍事史家は、「電撃戦」の起源は、第一次世界大戦中に完成された「浸透戦術」にあったとしている。これは、機関銃や火炎放射器、大型手榴弾などで武装し、自主独立の行動が取れる指揮官に率いられた「突進部隊(シュトーストルッペ)」が、敵陣地に突入後、側背を顧みずに突進、指揮、通信、兵站上の要点を覆滅、相手の交戦能力をマヒさせたところで、後続の通常部隊に残存する敵部隊を撃滅させるという戦術だ。ドイツ軍は、第一次世界大戦末期には、かかる戦術を作戦次元に拡張し、「突進(シュトース)」部隊として指定した師団により敵陣地を蚕食、混乱した敵を通常師団で撃滅するという方策も取っている。
 この浸透戦術は、近代以降、巨大化し、迅速充分な通信・補給能力を不可欠とするようになった軍隊の弱点を突く戦法であった。たとえるなら、いかなる巨人であろうとも、神経や血管を断たれれば、存分に腕力を振るうことはあたわぬ。軍隊も同様で、通信線や補給線を切られたなら、兵力としては存在していても、戦力として有機的に機能することは不可能となる。
 こうした用兵思想を受け継いだドイツ国防軍が、戦車や航空機を応用し、より強大な効果を得られるようにしたのが、「電撃戦」と呼ばれる作戦様態だった。ドイツ軍は、戦車や航空機のために新しいドクトリンを開発したのではなく、時代に先んじた用兵思想に、それら、新時代の装備を組み込んだ。つまり、第一次世界大戦の浸透戦術における突進部隊の代わりに装甲・自動車化歩兵師団を用い、敵部隊の撃滅や敵地占領は、やはり通常の歩兵師団の任であるとしたのである。
 その結果は、世界を瞠目させることになった。陸軍大国フランスをはじめとする各国の軍隊は、ドイツ軍装甲部隊の「突進」によって、指揮や補給のインフラストラクチャーを覆滅され、マヒしたところを、各個撃破されていった。
 独ソ戦緒戦のソ連軍も例外ではない。しかし――万能の処方箋であったはずの「電撃戦」は、ロシアの大地においては、必ずしも決定打とならないことが、しだいにあきらかになる。
  ロシアはフランスにあらず 
 すでにみたように、「バルバロッサ」作戦の構想を練るにあたり、ヒトラーと国防軍指導部は、ある一点において、完全に一致していた。それは、可能な限り独ソ国境の近く、ヨーロッパ・ロシアの西部において、ソ連軍主力を撃滅し、奥地への撤退とそこでの抵抗を許さないということである。たとえば、ロスベルク・プランには、「対ソ戦役の目標は、西部ロシアに有るソ連の大軍を撃滅し、戦闘能力ある部隊がロシアの奥深く撤退するのを阻止することになる……」と記されている。
 ごくわずかな例外を除き、ドイツ軍の将校たちは、さほど難しい課題とは思っていなかった。ソ連軍もまた、1940年のフランス軍同様に、ドイツ軍装甲部隊によって寸断され、通信・兵站線を切られてマヒし、後続の歩兵に手もなく撃滅されてしまうにちがいない。フランスに対する電撃的勝利によって、彼らは自らの能力を過信するようになっていた。また、第一次世界大戦の緒戦でロシアの大軍を殲滅したタンネンベルク会戦以来の質的優位の確信、いわゆる「タンネンベルク神話」も、ドイツ国防軍将校の傲慢とさえいえる認識をつよめるのに一役買っていた。
 だが、ドイツ軍将兵は、「バルバロッサ」作戦が開始された直後から、ロシアはフランスではないと思い知らされることになる。指揮系統を混乱させられ、補給路を断たれても、現場のソ連軍部隊はなお頑強に戦いつづけたのだ。開戦初日、6月22日付のドイツ第三装甲集団戦時日誌をみよう。「敵が現れたところでは、彼らはすべて頑強かつ勇敢に、死に至るまで戦っている。いかなる地点においても、脱走兵や降伏を申し出る者があったとの報告はない。ゆえに、この戦いは、ポーランド戦や西方戦役よりも厳しいものとなろう」。
 ドイツ中央軍集団に所属する第43軍団の長、ゴットハルト・ハインリーチ歩兵大将も、6月24日付の家族宛指針で、こう洩らしていた。「〔ソ連兵〕は、フランス人よりもはるかに優れた兵士だ。極度にタフで、巧緻と奸計に富んでいる」。
 事実、包囲され、取り残されたソ連軍の抵抗や反撃は無視できないレベルのものだった。たしかに、そうした攻撃は、いずれも小規模かつ散発的であったし、多くの場合、大損害を出して撃退されるようなものではあったが、ドイツ軍はそれらに対応せざるを得ず、そのぶん進撃は遅れた。加えて、ドイツ軍の損害も、個々の戦闘ではわずかな程度にとどまっていたとしても、ひっきりなしの小競り合いによって積み重なっていけば、とうてい看過できない規模に達する。
 早くも開戦三日目に、ハルダー陸軍参謀総長は、損害は「耐えられる程度」としながらも、「将校の損失は著しく多い」と日記にしたためている。こうした困難は、機動力の差から、装甲。自動車化歩兵部隊と歩兵部隊のあいだにギャップが生じるにつれて、いよいよ増大した。
 加えて、地勢もドイツ軍には不利に働いた。「電撃戦」を可能としてくれるはずの道路は、ドイツ軍の予想とは裏腹に、ロシアでは劣悪きわまりなかった。フランスのように四通八達した舗装道路もなければ、給油を可能としてくれる自動車交通用のガソリンスタンドも、ほとんどなかったのである。
 ドイツ中央軍集団に属するもう一つの装甲集団、第二装甲集団の線区における状況は、そうした事情の一典型といえた。同装甲集団は、奇襲によって、独ソ国境となっていたブク川にかかる複数の橋を占領したが、ロシアの道路は、装甲部隊の大縦隊の移動に耐えられなかった。第二装甲集団麾下にあった第47装甲軍団の長は、重量級の車輛の通行によって、橋に通じる道路が文字通り湿地に沈んでしまったと報告している。第二装甲集団の右翼に位置する第24装甲軍団においても、割り当てられた道路が「壊滅的な状態」にあり、ほとんど使えなかったために大渋滞を起こし、80キロ前進する予定が18キロしか動けないというありさまだった。
 これらの諸事象は、もちろん従来の研究書にも記されていたことである。が、ドイツ軍前線部隊の文書を精査したオーストラリアの研究者デイヴィッド・ストーエルは、さらに議論を進めて、「バルバロッサ」作戦開始から7月のスモレンスク戦に至るまでのあいだ、ドイツ軍は表層的には勝利を重ねつつも、戦略的な打撃を与える能力を失いつつあったとする、画期的な新説を打ち出した(『バルバロッサ作戦と東方におけるドイツの敗北』)。本節も、おおむね、このストーエルの研究に依拠して記述している。
 ストーエルによれば、「バルバロッサ」作戦初期段階でのドイツ軍の前進はめざましいものとみえたが、彼らが達成すべき戦略目標からすれば、なお不十分だった。加えて、緒戦の大勝利の時期にあっても、ドイツ軍の損害は軽微なようで、しかし、累積していくと、実は戦略的攻勢の遂行を不可能にしかねないものだった。
 こうしたストーエルの視点からすれば、中央軍集団が達成した最初の包囲殲滅戦、6月下旬のミンスク包囲戦も、たとえ33万余の捕虜を得たとしても、ソ連軍部隊の多くに、戦闘力を残したままでの東方脱出を許し、かつ、出してはならぬ損害を出したということで、戦略的には「空虚な勝利」であったと断じられる。
 興味深いのは、前線のドイツ軍司令官たちも、このような事態を認識し、焦りを深くしていたという指摘だ。ここでは、第二装甲集団司令官ハインツ・グデーリアン上級大将の例を引こう。戦後の回想録では、彼は、ミンスク包囲戦は大勝利だと誇っている。しかし、1941年6月27日付の夫人への書簡、すなわち、一次資料においては、「敵は、勇敢に激しく抵抗している。ために、戦闘はきわめて厳しい。誰もがただ、それに耐えるだけだ」と本音を吐露していたのである。こうした認識は、続くスモレンスク戦において、ベルリンの上層部も共有することになっていく。
 いずれにせよ、国境に近い地域でソ連軍主力を撃滅し、それによって、モスクワなどの重要地帯を守る戦力を奪うという所期の目的が達成されたなかったことはあきらかだった。だとすれば、ドイツ軍としては、次善の策であるにしても、ソ連軍のつぎなる防衛線になるであろうドヴィナとドニエプルの二つの大河を可及的速やかに渡り、そこで彼らに決定的な打撃を与えなければならない。敵に堅固な陣地を作ることを許さず、打撃力を維持して、今度こそ、真の意味での包囲殲滅戦を遂行するというのがドイツ東部軍で最大の兵力を有する中央軍集団首脳部の考えだった。
 ところが、彼らの麾下部隊は、すでにミンスク戦で消耗していた。6月29日付の視察報告によれば、第三装甲集団の保有する戦車のうち、7月2日までに戦闘に使用することが可能となるものは総数の70%にすぎなかったという。より酷使されていた第二装甲集団所属の装甲師団の場合はもっと深刻だった。やや後の数字になるが、同装甲集団の7月7日付戦時日誌の記載をみると、第10装甲師団がいちばんましで、戦闘可能な戦車は保有数中80%、だが、第四と第17装甲師団は60%に過ぎず、第三と第18装甲師団に至っては、35%でしかなかった。
 さらに、前線の派手な戦闘ほどには眼を惹かないものの、政戦レベルにおいては重要な意味を持つ事態も生じていた。初期の段階から、ドイツ軍首脳部は、補給を維持できるだけの充分な準備を整えていなかったのである。その結果、ドイツ軍諸部隊は補給不足に苦しみ、それを補おうと略奪の挙に出た。前出のハインリーチ将軍の嘆きを聞こう。早くも6月23日の時点において、彼はこう書いていた。「あらゆるところで、われわれの仲間が荷馬を探し、それらを農民から奪い取っている。村々では動揺と失望がみられる」。こうして、ドイツ軍は現地住民の憎悪の対象となっていった。やがて、彼らの多くは、パルチザンの供給源となっていくのである。」大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』岩波新書、2019年、pp.47-55. 

 独ソ戦の開始時の戦場は、ポーランド(当時はドイツに占領されていた)とソ連の国境をドイツ軍が、ワルシャワや今のウクライナ西部のリヴィウから侵攻する「電撃戦」だった。広大な平野を戦車の大軍が一気に攻め込んで制圧する。しかし、ソ連軍を撃破し、途中の都市を占領しても大地に点在する村々を面として押さえるには、後続部隊と補給路の確保がなければ先頭部隊は分断孤立してしまう。地元民から掠奪を行えば、反感が高まって反独パルチザンを生む。コサックの伝統を持つウクライナという場所は、不幸にも戦争に慣れていた。自分の土地を侵略する外敵に対して、武器を取って戦うのは男たちにとって至極当然な行為だと思うのは、いわば伝統になっているのだろう。


B.“本質的対処”とは?
 国際社会が合意するルールからすれば、ロシアのウクライナ侵攻は、あきらかな違反であり、これによって国境や領土が変更される結果になれば、今後世界中で紛争や戦争を止めることが難しくなる。それは誰でもわかる。しかし、ではウクライナを軍事的に支援して、ロシア軍を追い出す完全勝利は可能だろうか。「正義」を唱えてロシアと戦力対決を進めれば、事態は良い方へではなく悪い方へ動くリスクも高まる。そこがジレンマでもある。この戦争をどういう形で決着させるかは、当事者のロシアとウクライナだけの問題ではなく、いわば世界中が大きな安全保障上の脅威をかかえることになる。

 「規範揺らぐ今 本質的対処を :市原 麻衣子 (一橋大学教授・国際政治学)
 ロシアのウクライナ侵攻は、国際秩序の根幹をなす「国家主権」と「人権」という二つの規範に、直接・間接の打撃を与えている。直接的にはウクライナが今まさに主権国家として存続の危機にさらされ、人々が生命を奪われている。それと同時に、副次的には欧米とアジア・アフリカなどの非欧米諸国の間で対ロ姿勢に温度差が生じることで、国際社会の規範に脆弱性が生じ始めている。
 ウクライナ及び支援する欧米諸国が侵攻当初からこれまで一貫して妥協しない姿勢を強く示してきたことには理由がある。非人道的行為や武力による現状変更を容認しないという国際社会の原則を維持するためには侵略の結果がロシアの利益であってはならないし、また、ロシアは「力の論理」に敏感だからである。
 しかし、オースティン米国防長官によるロシア弱体化を望む発言のように欧米側からの発信にタカ派的な内容が含まれ、この戦争が権威主義対民主主義の文脈で語られると、一部の非欧米諸国に居心地の悪さを与えた。ただでさえロシアとの関係維持を望む国々に、偽善的かつイデオロギー的なにおいを感じ取らせてしまったためである。自由な選挙で選ばれたウクライナのゼレンスキー政権を転覆させようとするプーチン氏の侵略に対する抵抗は、普遍的価値としての自由をかけた実存的な戦いであるにもかかわらず、である。
 ロシアを非難する国連総会決議や同国の国連人権理事会理事国としての資格停止案に反対や棄権を選択する国々が出たことも、東南アジア諸国連合(ASEAN)が停戦を求める声明においてロシアを名指しすることを避けてこの戦争全体を問題視したことも、侵攻側と被侵攻側の区別をあいまいにしてしまっている。
 ロシア批判を控える国々は自由のみならず国家主権の侵害にも間接的に加担する結果となっていることは皮肉である。植民地支配の経験から、これらの国々は大国の帝国主義的行動に反対の立場をとってきたはずだ。途上国内で深刻な人権侵害が見られる場合にも、先進諸国が批判しつつも介入を控えてきたのは、これらの国の国家主権を尊重し、内政不干渉原則重視の姿勢に理解を示してきたためだ。しかし現在多数の非欧米諸国が取っている姿勢は、主権規範の重大な侵害国を批判しないという点で自己矛盾を抱えている。
 今後、規範侵害の常態化を防ぐ上で重要なことは、ロシアに譲歩しない姿勢は保ちつつも、非欧米諸国を遠ざけないよう留意して足並みの揃った理解と参画を取り付けていくことである。そのためには、我々はこの戦争を権威主義対民主主義の構図で語るべきでない。そして、この戦争が自由に突きつける問題に実態的かつ本質的に対処することを通して、自由の唱導がイデオロギー的なものではないことを示すべきである。
 たとえば、この戦争による経済的打撃も難民の増加も、中長期的にはポピュリズムの伸張と民主主義の弱体化を予感させる。日本にとっても決して他人事ではない。各国は国内の弱者救済を急ぐとともに、ポピュリズムに脆弱な若い民主主義国に対する支援を強化しておくべきだ。
 ウクライナ難民の受け入れが集中しているポーランドやモルドバなどから難民受け入れの負担を各国で分担することも重要である一方、ウクライナ以外の難民問題に同じ基準で対処する公正さも求められる。ウクライナ難民支援が、ミャンマーなどで弾圧・殺害の危機に直面する人々の目にも救済の希望として映るようでなければ、人種差別主義的な白人尊重とのそしりは避けられない。
 単なる軍事的な勝利のみならず、自由主義の維持を一貫した基準と論理で求めていることが理解されなければ広い賛意は得られない。足並みが乱れるアジアの中核的な民主主義国である日本が、率先してこうしたイニシアティブを取ることを望む。」朝日新聞2022年5月26日朝刊13面オピニオン欄“あすを探る”。
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9 コメント

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サムライプロの魂 (ジャパングリーン)
2023-08-05 09:09:19
ルパン三世のマモーの正体。それはプロテリアル安来で開発されたSLD-MAGICという高性能特殊鋼と関係している。ゴエモンが最近新斬鉄剣と称してハイテン製のボディーの自動車を切り刻んで、またつまらぬものを斬ってしまったと定番のセリフ言いまくっているようだ。話をもとにもどそう、人工知能の解析などを通じて得た日本経済におけるものづくりの摩耗の正体は、炭素結晶の競合モデル/CCSCモデルとして各学協会で講演されているようだ。
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SLD-MAGIC設計思想 (マルテンサイト研究者)
2023-12-15 23:17:06
最近では久保田博士の材料物理数学再武装ってのが数理哲学として受けているようですね。人工知能のアルゴリズムについて書いてあるのだが、ここに出てくる関数接合論は、KPI競合モデルともよばれ経営学のセミナーなどでも出てくるらしい。要はストライベック曲線(工学分野、トライボロジー、摩擦学)から国富論の神の見えざる手(経済学)まで、分野横断的な全体的に関する方法で目からウロコの簡単な手法であるらしい。まずは博士のFacebookをのぞくといい。
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神はサイコロ遊びをする (千年ダイス鋼)
2024-07-24 20:47:18
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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女神の奇跡か (ジャパンラブ)
2024-07-27 09:46:01
トランプ元大統領の暗殺が未遂に終わったが打ち出された銃の弾丸の弾道解析から耳たぶだけに損傷を与えるという角度はものすごく狭くもしもあれがやらせであったとしたならば神の見えざる手によってコントロールされていたとしか考えられないといくつかのアメリカ有力メディアは伝えている。
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鉄の道のハイブリッド数理 (文系数学好き)
2024-08-27 20:29:25
「材料物理数学再武装」か。関数接合論ですね。
1/h^n=1/f^n+1/g^n、
第一式おもしろい着想ですね。マクロ経済学のホットな話題として財政均衡主義と現代貨幣理論(MMT)の競合モデルの方程式や関数なんてものはできないのでしょうかね。
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科学と宗教の文明論的ダイナミクス (歴史国際政治学関係)
2024-12-01 23:24:01
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどによりギリシャ・ローマの古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
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アニメ文化の世界的広がり (元鉄鋼商事関係)
2024-12-01 23:25:44
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、国生み・神生みの女神イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。私の場合ジブリアニメ「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「天空の城ラピュタ」などのの感想を海外で日本の先進的な科学技術との関連をよく尋ねられることがあった。やはり多神教的雰囲気が受けるのだろうか。
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国際連合敵国条項削除を (抜刀隊リスペクト)
2024-12-01 23:28:49
日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、
 「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」

 と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。
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グリーンスチール (リサイクルエンジニア)
2024-12-08 19:50:59
やはりグローバルサウスとどう向き合うかかな?
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