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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

三浦つとむ「芸術論」8でおわり。官僚の愚!

2019-03-31 13:30:46 | 日記
A.潮の変わり目がどこだったか?
 三浦つとむ『芸術とはどういうものか?』を読んでみたのだが、このへんで次にいこうと思う。とりあえず、区切りとして感じたことは、この本が書かれた1965年は、日本の思想的潮流が大きく変わった転換点だったのかもしれない、ということだ。当時は「民科」(民主主義科学者協会)という組織があって、これはマルクス主義の立場にたち共産党を前衛とする運動を、学者科学者としてすすめる人びとで作られていた。三浦もそこに加わっていたが、1950年に出たスターリンの言語論を批判した言語学者時枝誠記を擁護したために、教条的なマルクス主義者たちの攻撃にさらされ、論文の掲載を拒否されたり共産党を除名されたりした。三浦はもともと大学には行っていない独学の人で、彼はこの孤立から独自の言語学・芸術学・哲学・マルクス学を構築した。
「戦後」と呼ばれる時代をどこまでにするかによるが、1950年代は冷戦構造を背景に、国内でも日米安保に頼る保守政権と、ソ連を盟主とする反米左翼が政治的にも思想的にも対立を深めていた。今ではとても考えられないが、ソ連の指導者スターリンがなにか発言すると、それがただちに世界の共産党の方針を左右し、左翼運動家は一生懸命「学習」してそれを支持しないと、「異端」「反革命」のレッテルを貼られて排除されるという状況が蔓延していた。このことの病理性は、政治運動一般にありうるだろうが、日本の戦後の場合は、なぜマルクス主義左翼が一定の力をもてたのかを考える時、敗けた戦争への人びとの記憶が強く働いていたことを抜きにできない。つまり戦争中のさまざまな悲劇的出来事を体験した圧倒多数の日本人は、戦後の時代をどう生きるかをゆっくり考える余裕はなく、とにかく生き延びるために働いた。少し生活の先が見えるようになった50年代に提示されていた未来へのプログラムが、「社会主義革命」だった。
  なにしろ戦前に唯一戦争に反対して獄中非転向を貫いたのは共産党だけだったし、世界のあっち側にはソ連を中心に東欧や中国など社会主義国がひろがって、新しい実験を進めている。日本も近いうちに社会主義革命が起こって、貧困や社会の矛盾が解決されるはずだ、という宣伝に心を奪われる人は少なくはなかった。それは大学生やインテリ層に多かったけれど、今よりはおおきな広がりがあった。しかし、ソ連が発する世界革命の方針は、各国の実情を無視していたし、スターリンが死ぬと大幅に変わった。日本の共産党はこの路線変更に振り回され、内部対立から次々と離反者を出し、1960年ごろには左翼の中心とはいえなくなっていた。左翼を信じていた人々も、社会主義よりも資本主義の経済成長のほうが生活の未来を明るくするかもしれないと思い始めた。それでもまだ、1960年代は思想的にマルクシズムが「あるべき未来」のプログラムでありえた、ということを三浦つとむの本は示している。それから半世紀以上が経って、これが日本の歴史のある特殊な時代の遺物のようにも思えるが、いまの左翼のあまりに無残な消滅は、使い古されたテクノロジー・イノヴェーションによる経済成長以外になんの選択肢もなく、日本人の「来たるべき未来像」を考えることすら放棄した現在を、逆照射するように思える。

 「分化ということは、綜合芸術でなくても起りうる。ジャズの演奏家がダンスの伴奏をいやがって、甘いムードの音楽ばかりやらされるのはかなわない。もっとつめたい自分の表現したいことを独立した音楽として演奏しようという気持ちになるのも、やはり一種の分化の出発点である。連歌の発句が独立して俳句になるとか、前句付の中で一句でも鑑賞の対象になりうるものを選んで川柳が生れるとか、既成の形式がそれこそ分裂して新しい芸術の形式が出現することも起りうるのである。けれども、これまでは独立して用いられた形式が綜合されるとか、これまでは綜合して用いられた形式が分化し独立するとかいう場合には、とくに『伝統を破壊するもの』として大きな問題にされる傾向があった。綜合芸術へ参加するときには、独立を放棄して他の芸術に屈従し隷属する邪道を進むものであるかのように解釈されたり、分化を目ざすときには、これまでの協力を放棄して独善的に異端の道を志すかのように解釈されたりした。もちろん、世にもてはやされようとして目さきの変わったものを追っていく、邪道とか異端とかいう非難のあてはまる芸術家もないではないが、誠実な芸術家が精進を重ねる中で新しい道を切り開こうと苦闘する場合にも、頭のかたい先入観念にとりつかれている人たちはいっしょくたにして非難したり嘲笑したりしたのである。しかも、イデオロギー的な立場からの反対だけでなく、物質的な利害関係から仲間や先輩や師匠などがこれを敵視し妨害することもあったのである。
 芸術の歴史は、芸術における「綜合性」を一面的に礼賛することのまちがいと、おろかさを教えている。未来の社会においては、人間が人間としての自由をとりもどし、個性がそののぞむ方向に十分に発揮できるとすれば、自分の表現したいことを思うがままに表現する独立した作品がきわめて豊富かつ多彩にあらわれると予想してさしつかえない。綜合か分化かではなく、綜合も分化もともに発展して、芸術の華は生活のあらゆる面に咲きほこるにちがいない。
 現在の社会では、芸術家にアマとプロという区別がある。プロは芸術の創造に全生活をささげることができるから、自分をきたえて能力を高めるのに必要な時間にもめぐまれているし、必要とする道具や機械も十分にそろっている。アマチュアにはこのような条件が欠けているから、意欲があり才能があってもプロの巨匠といわれる人たちをしのぐ仕事をすることはむずかしい。全体として見ればやはりアマよりプロのほうがすぐれた作品をつくり出しているわけである。
 未来の社会を社会科学的に考えていくと、一定の職業についてその仕事に対して生活費を受けとるということはなくなると見なければならない。どんな労働をする人でも同じように生活が保障され、労働のありかたと生活費とが無関係になり、一生それにしばられる職業というもの自体が姿を消すと見なければならない。人間が頭とからだを使って働くのは、自分のやりたいことをやるときには楽しいし、また健康のためにも欠かせないけれども、自分のやりたくないことをやらせられたのでは苦痛であるばかりか、健康のためにも有害である。社会の階級分裂が克服され、物質的な生産力が飛躍的に高まっていくと、人間一人の労働時間は非常に短くてすむことになる。それゆえプロの芸術家であっても、散歩やレクリエーションのつもりで一人前の労働をすることができる。反対に、アマの芸術家であっても、これまでの職業のほうの時間が非常に短くなって、プロと同じように芸術創造のための時間にめぐまれ、必要とする道具や機械も手に入ることになる。それゆえ、現在の芸術家に見られるアマとプロという区別は、職業としても作品の質的なちがいとしても未来の社会では消滅すると考えなければならない。」浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011.pp.249-252.

 ここに語られている未来社会は、いまから見れば空想のユートピアにみえるが、マルクスを信じる三浦つとむからすれば、きわめて現実的唯物論的未来なのである。『芸術とはどういうものか』を読むと、「戦後左翼」が人民大衆に向けてきわめて明るい、楽観的な未来像を提示し、自分でもそれを信じていたように思える。しかも、それは当時の文化状況の最先端、現代の映画や演劇や美術に目配りしながらそれらを横断し「綜合化」する視野をもっていたと思う。ただし、三浦にはまだストレートでナイーフなマルクス理論の理解がいたるところで顔を出し、現実政治の光と闇を凝視するリアリズムには欠けるような気がする。その点で、補足的に、三浦と同時代同世代の評論家・作家の花田清輝をちょっと参照してみたい。花田は京大生の若い時から政治に関わり、戦後はマルクス主義左翼の理論家として前衛芸術論や文化運動をリードし、多くの評論や小説を書いた人である。三浦とは対照的ともいえる、博識多彩・饒舌技巧の煮ても焼いても食えない曲者だった。でも、花田の文章については次回。



B.嘆くほかない
 もうじき新元号が発表され、天皇も替わって、なんとなく新しい時代がやってきたような気分を、メディアは大宣伝するだろうが、昭和が終わった時のえもいわれぬ感慨にくらべ、今回はなにもとくに変るわけではないようにみえ、しかし、何かが変わっているようでどこが変わっているのかよくみえない、といった曖昧さがある。ただ、かつてこの国を支えているのは、政治家でも企業経営者でもなく、優秀な国家官僚だと言われていたことがあった。政治家は選挙があるのでせいぜい4、5年先しかみておらず、企業経営者はもっと短期の利益しか考えないのに対し、官僚は国家百年を見すえて冷静な政策と行政実務に徹する態度と能力を持っているなどと言われた。中央官僚の供給源は、東京大学など一流トップ大学の成績上位者で、広い教養と識見を備えたエリートだと外からは思われていた。それは今でも多少はそう思う人もいるだろう。しかし、先頃ときどき表面化する官僚の目に余る愚劣な発言や行為は、もはや官僚が優秀どころか、人間として愚劣に劣化しているとしか思えない。これは安倍長期政権で促進されたのか?

 「官僚劣化どこから? モラル喪失、差別的行為…新元号の発表が迫り、「新時代」を演出する政権の足元で、国政を支える官僚たちの暴走が目に余る。統計不正で揺れる厚生労働省の武田康祐元賃金課長は韓国・金浦空港で「韓国人は嫌い」と暴言を吐き、職員を蹴るなど大暴れ。日本年金機構世田谷年金事務所の葛西幸久所長は匿名でツイッターに「韓国人ひきょう」などと差別的投稿を繰り返していた。上が上なら下も下なのか。官僚たちの暴走はなぜやまないのか。(中山岳、大村歩)
 まずは今月十九日に韓国の金浦空港で起きたトラブルが記憶に新しい。私用で渡航していた厚労省の武田康祐賃金課長(当時)が空港職員に暴行したとして、現地の警察に現行犯で逮捕された。
 現地メデイアなどによると、搭乗口近くで職員が、武田氏から酒の臭いがしたとして搭乗を待つよう要請。すると同氏は英語で「韓国人は嫌いだ」とわめき、物を投げたり制止しようとした職員を蹴ったりするなどしたとされる。だがもっと驚かされるのは、逮捕された十九日、自身のフェイスブックに「なぜか警察に拘束されています。殴られてけがをしました。手錠をかけられ五人に抱えられ。変な国です」などと投稿したことだ。
 さらに二十日は「酔ってない。暴れたが相手には当たってない。韓国人が嫌いだと言ったのは政治的意図ではなく職員への怒り」と更新。釈放されて帰国した。厚労省は同日付の人事異動で官房付きとし事実上更迭した。
 ちなみに武田氏は、渡航前にも物議を醸していた。七日に最低賃金の全国一律化を目指す自民党議連の会合で、四月から外国人労働者受け入れ拡大の対象となる十四業種で一律化を目指す意向を突然、表明。直後に菅義偉官房長官が全面否定し、厚労省幹部が「労使で決めること」と釈明する事態になった。
 一体どんな人物か。賃金課長の前は、2015年から二年間、内閣官房一億総活躍推進室などにいた。そこで、安倍晋三首相が旗を振る「一億総活躍プラン」や「働き方改革実行計画」を策定。18年の厚労省の「総合職入省案内」にも登場し「安倍総理の強い想いを実現するため、厚労行政に深い経験・知識をもった厚労省の出身者と、新たな発想を持った他省庁の出身者が十分に議論し、実現可能かを厚労省の同僚と議論した」と語っていた。
 厚労省絡みなら、厚労相から委託を受けて年金行政をしている日本年金機構で今月下旬、発覚した「人種差別」も見過ごせない。世田谷年金事務所の葛西幸久所長(当時)が、匿名でツイッターに韓国人について「属国根性のひきょうな民族」「在日一掃、新規入国拒否」などのつぶやきを繰り返していた。野党議員については「いるだけで金もらえるタカリ集団」と投稿。発覚後、同氏も更迭された。
 暴走は差別的行為に限らない。今月中旬、さいたま市のJR武蔵浦和駅のエスカレーターで、女子高生のスカート内を盗撮したとして、農林水産省園芸作物課係長の池田秀一容疑者が埼玉県迷惑行為防止条例違反の疑いで現行犯逮捕され、釈放された。県警浦和署によると容疑を認めている。
 *デスクメモ:六年前、総務省から復興庁に出向していた元参事官によるツイッターヘイト事件は衝撃的だった。原発被災者らに「クソ左翼」と匿名で中傷していた。当時同省は勤務中のSNSを禁止したが、他省庁にはよそ事だった。だがあの時、すでにネトウヨは官僚の世界にまん延していた。(直)」東京新聞2019年3月30日朝刊26面特報欄。

 「人事権握る政権に忖度:内閣法制局長官 野党に侮辱発言 即おわび:高慢な「お上意識」表面化
 官邸のイエスマン増 進む「政治化」
 官僚の暴走は今に始まったことではない。少しさかのぼっても、森友・加計学園問題、財務省の公文書改ざん、財務次官セクハラなど数え切れない。だが、三月はあまりにも続く。
 政治評論家の森田実氏は、六日にあった参院予算委員会での内閣法制局・横畑裕介長官の発言が「官僚たちの堕落を示す事例でも特にひどい」とみる。
 委員会では、立憲民主党会派の小西洋之氏が「国会議員の質問は内閣に対する監督機能の表れ」という政府答弁があるのかと確認したのに対し、横畑氏が、「声を荒らげて発言することまで含むとは考えていない」と答えた。小西氏の質問姿勢を批判したことに野党側が反発。横畑氏はその後「おわびして撤回する」と陳謝した。
 「憲法の番人」である内閣法制局の長官とは思えない。「政権の番人ではないか」と批判も出た。森田氏は「国会議員を真っ向から侮辱し、注意されれば保身のため撤回する。モラル喪失と言うのも上品すぎるくらいの堕落だ。政権の番人ですらなく、ただのゴマすり、虎の威を借るキツネのようだ。安倍首相がすぐにクビにしないのもおかしい」と手厳しい。
 どうして官僚たちの「高慢と偏見」はここまで強まり、表面化するようになったのか。
 明治大の西川伸一教授(官僚分析)は「そもそも重要閣僚が絶対ありえないヘイト発言をする安倍政権下であり、しかもしれが倒れない。『なんだ大丈夫なのか』という空気が官僚に伝播するのは当たり前で、厚労相課長らのような意識の官僚や公務員は多いのかもしれない」と指摘する。
 1990年代から2000年代に続いた官僚バッシングを経験したことで、官僚の中には鬱々とした意識が滞留していった。だが、官僚主導から政治主導への政治改革をうたった民主党政権が失敗し、官僚バッシングが弱まる一方、安倍政権は長期政権化して行政全体が『お上化』した。「官僚も公僕意識がなくなり、以前の反動から、高慢なお上意識が表面化しているのだろう」と話す。
 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏も「官僚には怖いものがなくなった」と指摘する。「良くも悪くも、昔は自民党内に怖い族議員がいた。その意向が強い時代には官僚たちは首相案件の政策であっても、首相だけに忖度することはできなかった。今は族議員が弱くなり、自民党内も安倍一強体制なので『官邸の威光』を持ち出せば、センセイたちも黙ると官僚は高をくくっている。当然、世論の後押しが弱い野党議員など論外。国会を軽視し、その背後にいる国民も軽視する。だからこそ平気でデータや記録をねつ造する」と語る。
 今年二月に「官僚たちの冬~霞が関復活の処方箋」(小学館新書)を出した元財務官僚で明治大教授の田中英明氏(政治学)は「日本の官僚制度は、法律・制度上は政治的中立性が厳しく求められている英国型の公務員制度だが、実態は『政治化』が進んでいる。政治家との個人的コネクションによって出世する独・仏型の官僚制度に近くなってきた」と指摘する。
 官僚の政治化とは、文字通り政治家との距離が近く、その政治的影響を直接受けていることはもちろん、官僚や省庁が自身の利害を持ち、その追求を図っていることも含む。田中氏は、安倍政権下では、14年に設置された内閣人事局に代表される新たな幹部公務員の任免制度によって、政権への忖度がさらに進んでいるとみる。
 「国家公務員法が規定する通り、本来は公務員は政治的中立性を持ち、いい情報も悪い情報もすべて政治家に提供し、政治家が決断するという姿にすべきだが、首相官邸に異を唱えるような官僚は更迭されたりして、イエスマン化せざるを得ない。首相の側近官僚が分析を超えた政策決定に関与しているのも問題だ」として提言する。「幹部官僚を公募しつつ、政治家は間接的にしか関与できないオーストラリアの制度などを参考に改革すべきだ」
」東京新聞2019年3月30日朝刊27面こちら特報部欄。

 ぼくは、中央官庁の高級官僚という人に個人的に知り合いはいないし、話したこともないので、メディアの報道やテレビなどで見るだけなのだが、少なくとも20世紀のうちは、汚職や政治家がらみの事件で官僚が逮捕されるような事件はたまにあった。けれども、外国の空港で酔って暴行とか、駅で盗撮とか、匿名でヘイトスピーチとか、まともな常識ある大人ならばかばかしいはずの行為をする官僚公務員などいなかったと思う。要するに普通の社会人としてふさわしくない、問題のある人間が官僚になっているというわけで、国家公務員試験自体、あるいは大学教育自体が問題になってしまうほどの事態かも知れない。
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三浦つとむ「芸術とはどういうものか」7 ディズニー・アニメ考 

2019-03-29 22:12:22 | 日記
A.分断的にみるか横断的にみるか
  三浦つとむの『芸術とはどういうものか』が、あまたある芸術に関するジャンル別の書物に対して特異なものに見えるのは、時間と空間を広くとってその中にあるあらゆる芸術を、とにかくどこからきてどこへいくのかという視点で考える態度にあると思う。それは今は誰も無視しているマルクス主義の唯物弁証法を基礎にして出てくるとはいうものの、個別の芸術作品に言及するときは、教条的理論にあてはめて分析するのではなく、あくまでごく普通の生活を送っている人民大衆にとっても芸術の意味を語り、頭でっかちなインテリに対して何かを言う気はない態度を貫く。それがどのくらい幅があるかは、後半第Ⅲ部の現代の芸術の小見出しを見てみればわかる。

 1 映像芸術の空間と時間・・機械と表現/作者の見方と機械の見かた/画面は「枠」を持っている/認識にも「枠」がある/なぜ文学には「枠」がないか/表現が固定している場合の「枠」/エイゼンシュテインの日本芸術論/映画と演劇のちがい/演劇の「枠」と映画の「枠」/「動的正方形」スクリーンの提唱/アメリカの観客の反応/シネマスコープの問題/テレビの「枠」/時間の表現/映画における「多彩な時間の創造」/ロケーションの本質
 2 新大陸の新しい芸術・・行動喜劇の成立/行動喜劇の映画的誇張/発声アニメーション映画の登場/デイズニー映画とその主人公/アニメーション映画の思想/ブルースの誕生/ジャズの歴史/ジャズは変っていく
3 古い形式と新しい形式・・「古い」形式ということ/ルポルタージュをめぐって/ブレヒトの「叙事詩的演劇」/「演技の弁証法」の形式主義/建築における機能主義の克服

 といった具合に、「芸術」というものの中身は、文学、美術、映画、漫画アニメ、テレビ、音楽、演劇、建築まで網羅的である。たとえば、ディズニー・アニメに関する部分はこうなっている。

 「童話では、動物たちが人間の言葉を話している、そのさし絵では、動物たちが人間の服装で人間的な生活をいとなんでいる。これは童話を映画化したアニメーション映画の登場者たちにも見られることで、たとえば「狼なんぞこわくない」の主題歌がヒットした『子豚物語』での狼や三匹の子豚にしても、『兎と亀』での兎のマックスや亀のトビイにしても、みな同じである。これらは動物の擬人化である。ところが、ミッキイやドナルドやグーフィヤホレスやクラベルなどは、見たところ童話の世界の動物たちと同じでも、そこには鼠と家鴨と犬と馬と牛という動物関係が存在しない。狼が三匹の子豚をつかまえて食べようとつねにねらっているのとは、まったく異なった関係である。ミッキイ一族は動物に見えても実は動物ではなく、人間に動物的な外貌を与えたもの、人間の擬動物化である。ミッキイのつれているプルートが従者ではなく愛犬であるのに対して、グーフィはミッキイの仲間であり犬の外貌を持った人間である。
 アニメーション技術としては大人より子ども、子どもより動物のほうが容易であるだけでなく、観客の見せもの的な興味をも満足させることができる。ディズニーも最初はそういう意図でミッキイをつくったし、それを見て各社も蛙のフリップとか犬のポチとか似たような動物の主人公をつぎつぎとつくりだした。だがこれらはミッキイ一族の敵ではなく、現代娘ベティ・ブープさえミッキイをしのぐことができずに消えていった。モスクワでもミッキイのイミテーションをつくったが、これまた間もなく消えたようである。ドナルド・ダックの出現は圧倒的で、たちまちミッキイをもしのぐ大スターの地位を獲得した。なぜならば、他社の主人公たちは見せもの的な存在以上に出られなかったのに反して、ディズニー作品の登場者にはあくまでも人間的な個性を持たせる努力が払われたばかりか、その性格を端的に行動に示していく行動喜劇としての完成へとすすんだからである。そこでは人間の擬動物化が、劇映画の行動喜劇の主人公たちの誇張された外貌と同じ役割を果すことになった。動物は感情を抑制することなくただちに行動にあらわす。それゆえ、人間に動物の外貌を与えるときは、その人間的な感情を通常の人間以上に端的に行動に移しても、それが調和していて不自然な感じを受けないのである。
 発声アニメーション映画は、劇映画の行動喜劇が発声映画時代を迎えてぶつかっていた多くの問題を、簡単に解決してしまった。特殊な誇張した外貌にふさわしい特殊な声を出す声優のセリフを録音してそのサウンド・トラックを見ながら唇のかたちを書いたり、音を出す場面が絵画で何百枚目に相当するかをしらべてそれと擬音を合わせたりして、同時録音的な音と画面の完全な一致を容易に実現することができたのである。そればかりではない。「ぶちこわし」や「追っかけ」も、アニメーションによってどんな劇映画のトリック撮影よりももっと大規模にもっとスピーディに、もりあげることができる。ミッキイの『移動別荘』のスピード感は比類がない。そしてこれらに、どんな劇映画でもできなかった誇張を持つギャグをからませることができる。ミッキイの『街の哀話』では、飢えのせまっている哀れな一家が出てくるが、金魚鉢の中の金魚もやせてしまって、頭から下は骨ばかりでおよいでいた。ポパイの『坊やは寝まず』やドナルドの『北極探検』では、針の落ちる音が赤ん坊の目をさましたり氷柱を崩壊させたりする、音の誇張を試みていた。カラーのアニメーション映画も、1932年にディズニーが『森の朝』で口火を切ったが、それからは従来の画面や音のギャグにくわえて色彩のギャグがいろいろ使われるようになった。
 ディズニーが行動喜劇の遺産を受けついだことは、マック・セネットの喜劇に使われていた独特のキャメラ技巧を受けつぎ、さらにそれを独自に発展させようとすれば、平面的な絵からの制約を打破しなければならない。ミニチュアのセットを併用する試みもあらわれたが、ディズニーは絵画を立体的に配置するマルティ・プレイン・キャメラをつくりだし、これを駆使して長編『白雪姫』を撮影した。ディズニー作品の歴史は、劇映画とアニメーション映画とが本質的に同一であるということの証明にほかならない。
 純情な青年がふるい立って悪漢をやっつける話や、アチャラカ・ナンセンスや、あるいはチャップリンの「涙の喜劇」など、劇映画の行動喜劇にはいろいろな傾向の作品があった。同じことが、発声アニメーション映画の行動喜劇についてもいえる。
 映画は見せもの的存在から出発して、芸術として扱われるまでに成長したとはいえ、見せもの的な性格が切り捨てられてしまったわけではない。止揚されただけである。強盗団の列車襲撃や、早打ちとの決闘や、御用提灯にとりかこまれての大殺陣や、超音ジェット機のテストや、空飛び円盤の飛来などが、それぞれのストーリーを展開する中でその部分的なありかたとして他の場面と調和させて位置づけられたのである。しかしながら、ドストエフスキーの文学の映画化が端的に物語っているように、映画の思想性にはそれなりの限界が存在している。アニメーション映画とても同じであって、文章に綴られた童話はもちろんのこと印刷される漫画にくらべてさえ、思想性の制約が大きいという問題にぶつからないわけにはいかない。
 行動喜劇は行動を通じて思想を端的に語るという長所を持っているが、これは同時に、そこでは素朴単純な思想以上のものを盛りにくいという短所でもある。『黄金狂時代』は、吹雪の荒れ狂う中で小屋にとじこめられて餓死寸前の人間が、仲間を殺して食おうとする場面を展開したように、素朴単純は浅薄ということとけっして同じではない。ミッキイの『街の哀話』でも、貧しい一家を救うために富豪に売られたブルートが、富豪の息子のおもちゃにされるのに耐えかねて、ミッキイのところに逃げて帰ってくる。しかし一巻物の短編は『近眼のマグー』のようにギャグをならべるだけでも一本つくれるし、子ども向きの映画では見せもの的な見かけのおもしろさだけでも観客をよろこばせることができるから、思想が安易に扱われがちだということは否定できない。
 インテリは持ってまわった複雑な思想を好むので、アニメーション映画が素朴単純な思想を語ることそれ自体に不満を持ちやすい。そしてアニメーション映画をもっと「芸術的」にしようとする努力が、往々にしてインテリ向き高級見せものになりがちである。また一方では、今村太平のように、ドナルドとプルートとは「社会的必然に盲目であるため、たえずそれに打ちのめされ、ひどい目にあう資本主義的人間の自画像」だとか、グーフィは「恐慌に打ちのめされ、戦争におびえ切った小市民の鮮やかな自画像」だとか、ひとり合点の深刻ぶった解釈をほどこす傾向もあって、この傾向も再生産される可能性がある。ディズニーの開拓者としての功績と、作品の持つアニメーション映画としての制約や商品として生産されるところから生まれる限界などとは、正しく区別してとりあげなければならない。技術的な面での開拓に絶えず努力していることを評価するのあまり後者を無視することも、作品が商業主義によって傷つけられていることから前者を無視することも、ともに不当な扱いかただといわなければならない。それはまさにアメリカ的な映画なのである。」三浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011.pp.202-207.

 グーフィーとプルートは犬の外貌をしていても、一方は言葉をしゃべり二本足で歩く人間と同じであり、他方はワンワンと吠えるだけのペットである。それはアニメだから可能な表現だが、繰り返し魅せられているうちに誰も不自然には思わなくなる。ディズニーの世界はこうした作為の仮構ですみずみまでできているのだが、それをいきなり「資本主義的な人間の自画像」などというのは浅薄だし、商品としてのデイズニー作品の商業主義を批判するだけでは、事の反面しか見ていないというのは確かだ。アニメのテクノロジーは、この初期のディズニー映画段階に比べて、いまや飛躍的に高度化しているが、問題の本質はなにも変わっていない。



B.憲法第1条のとらえ直し
 まもなく元号が変わり、続いて天皇が変わる。そのこと自体にさほど意味があるとは思わないが、今回の代替わりは、国民や政治家が考えもしなかったことで、天皇自身が発意しその結果実現したのは確かで、これは憲法上の天皇の役割に抵触するのではないか、という問題をどう考えるか。少なくともこれが実現したことで、次もありうる前例にならないか、という懸念は一部から出ていた。しかし、国民はおおむね初めから賛意を示し、祝意をもって迎えようとしているようだ。

「冷戦後デモクラシー 平成から新時代へ インタビュー:政治学者・東大名誉教授 三谷太一郎さん
天皇の意思で退位 憲法が直面した最大の問題だ
 平成という時代がまもなく終わりを迎える。日本国憲法下で初めて象徴天皇として即位した天皇は、自ら退位を選んだ。そのことが日本の民主主義にどんな意味を持つのか。また平成の政治をどうとらえるべきか。宮内庁参与(2006~15年)として天皇家の相談役を務めた、東京大学名誉教授で政治学者の三谷太一郎さんに聞いた。
――この30年について、さまざまな評価がされています。天皇陛下が昨年末、「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています」と述べられたのが印象的でした。
 「日本の近代は多くの戦争がありました。平成は例外的に、戦争のない時代です。戦後の天皇制は、憲法の平和主義の理念と深く結びついています。天皇がそれを自覚的に考えておられたということは非常に重要だと思います」
――天皇自らの意思で退位されることを、どう受け止められますか。
 「最も重要なのは、天皇が自らの意思と判断で退位しうる、自由と責任を有していることを示した点でしょう。政治家も学者も、まったく予想もしなかった。2010年7月の参与会議で天皇が退位について話されたのは、当時、宮内庁参与だった私にとっても、非常に大きな衝撃でした。日本国憲法が当面した、最大の問題だと考えました。現天皇の決断によって象徴天皇制の新しい面に光が当てられた、といってよいでしょう」
 「天皇は『国政に関する権能を有しない』という憲法上の制約の範囲内にあることが前提です。従来はこの制約を強調するあまり、象徴天皇制持っている主体性や能動性、つまり天皇が持つ自由や責任について、保守派もリベラル派も概して否定的でした」
――歴史的先例はありますか。
 「1945年8月の日本のポツダム宣言受諾は、昭和天皇の終戦の詔勅という例外的な形で行われました。今回もこうした例外的なケースです。退位特例法という形は取りましたが、天皇の自由意思に基づく退位が、手続きを含めて今後、先例化されることはほぼ確かだと思います。
――天皇と民主主義との関係をどう考えるべきでしょうか。
 「憲法第1条には、天皇について『この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく』とあります。『国民の総意』とは、単なる国民の多数意見でもなければ、国民の意思の算術的合計という意味の『全体意思』でもない。かつてルソーが唱えた、個別の国民の利害とは離れた、国民が共通して持っている『一般意思』に近い」
 「多数統治を認めながらも、少数者の権利を尊重するのが民主主義です。現天皇は、この原則にそって能動的に行動することこそが象徴天皇の役割だ、と考えられたのではないでしょうか」
――象徴天皇制の根拠は何でしょうか。
 「戦後の象徴天皇は、帝国憲法時代の天皇と根本的に違う。『国民の総意』が象徴天皇制の正統性の根拠で、それは国民社会を成り立たせている憲法上の基本的な理念です。そこから、自由と責任の主体としての天皇が形成されるのだと思います」
――具体的に、何が天皇の行動を支えていると思いますか。
 「現天皇は、2016年に公表された『象徴としてのお務め』についての考えを示した『お言葉』の中で、国民との『信頼と敬愛』を強調されました。これは、1946年の昭和天皇の人間宣言のキーワードでもあります。国民との信頼と敬愛に資することが、象徴としての天皇の務めだとお考えになり、それを自分は実際にやってきたという自負が、お言葉の中に感じられます」
――平成の政治の特徴をどうお考えですか。
 「冷戦が終わった89年に平成がスタートしています。私は当時、『戦後デモクラシー』に相当するような『冷戦後デモクラシー』が来ると考えました。占領が終わった後にできた55年体制には、国際政治学者の坂本義和が述べたように、国際社会の東西対立を反映した『国内冷戦体制』という側面があります。冷戦後、国内でも冷戦体制が解体され、新しい政治が出現すると思ったのです」
 「『冷戦後デモクラシー』でも、それ以前には予想できないことが起きました。ピークに達したのが、09年9月の自民党から民主党への政権交代です。ところが、12年に再登場した安倍晋三政権は、その後2度の衆議院解散・総選挙に大勝し、まったく違った政治の現実が現れた。流動化していた『冷戦後デモクラシー』が突然、凝固し、固定化した時代が来ました。
――何が原因でしょうか。
 「これは日本だけの変化ではありません。私は、日本にも『首相統治』の時代が来た、と考えています。まずそれが出現したのは、第2次世界大戦後の英国です。大戦の影響もあって、英国では立法と行政が非常に強く結びついた首相統治が生まれた。政治学の教科書でいうような権力分立制ではなく、真の権力はダウニング街10番地(首相官邸)にある。大戦中の英国の首相はカリスマ的指導者のチャーチルですが、そのあと、労働党のアトリーになっても首相統治は続いた。指導者のカリスマや個性の問題ではないのです」
――なぜ、平成の日本で首相統治が始まったのでしょうか。
 「小選挙区比例代表並立制という現行制度が、首相統治を支えているのは間違いない。党内権力が少数の幹部に集中し、選挙候補者の選任や政党助成金の配分に、首相が大きな力を持った。加えて、内閣人事局による行政への支配が強まり、立法と行政の権力分立が縮小し、癒着問題が生まれた」
 「経済政策でいうと、安倍首相が起用した黒田東彦日銀総裁による金融緩和政策、日銀による国債買い上げを主要な手段とする資本市場への影響力確保が、首相統治の現れといえます。企業の利益を保証することが、安倍内閣の支持率拡大につながった。対照的に労働組合の弱体化が進み、労働者の実質賃金は上がっていない。『戦後デモクラシー』においては、労組を重視せざるを得なかった。そこが現在との違いです」
――先進国の民主主義は、どこも壁にぶつかっています。
 「今日の民主主義の大きな特徴は、同質性を過度に重んじていることです。等しいものが等しく扱われることは重要ですが、その帰結として、等しからざる者は等しく扱うべきではない、という排除の論理が世界中に蔓延している。法学者のカール・シュミットは1920年代に大衆民主主義の問題を指摘して、トルコが、国内にいるギリシャ人を徹底的に国外に移住させて過度の『トルコ化』を進めていること、オーストラリアが望まない移民を法律で制限していること、などの事例を挙げています。このような一種の強制的同質化が現在の世界のも見られます」
 —―重要なのは、個別の政党の影響力を拡大する以前に、『個々の政党の利益を超えた価値』を維持するメカニズムを構築することです。議会自体の持つ『公共性』を考えるべきでしょう。社会の中で注目されていない意見を、党派を超えて取りあげる。議会が選挙民を啓蒙する教育的機能も大事です。党派と関係なく議会が持っている『公共性』というものがないと、実は政権交代も円滑には進まないのです」
――日本で誰がそういう『公共性』を担保できるでしょうか。
 「議会でいえば参議院を根本的に見直すべきです。今の参議院は衆議院の単なる延長で、独自性を失っています。議員の選び方も含めて参議院のあり方を考えることが、議会の公共性を確保する上では重要でしょう」
――新しい時代に、どのような思いを持っていますか。
 「首相統治に関連していえば、日本の政治社会を分断する要因を政権側が持ち出すことへの危惧です。憲法の基本原則である平和主義を動揺させる9条改正問題を持ち出せば、日本の政治は不安定化するでしょう。欧州や米国で起こっているような社会の分断につながるリスクがあります」
 「74年前、日本が連合国との戦争に敗北したとき、『明治に戻るべきだ』という声があがりました。その明治とは、19世紀末までの、帝国日本になる前の小国日本でした。欧米と対等な国際社会の一員になろうとした当時の日本は、対外平和を求めました。明治日本は、清国と戦争の危機をはらんだ対立状況を抱えながらも、外交努力によって四半世紀にわたって戦争を回避したのです」
 「現在の中国はかつての清国とは比較にならない強大国となり、その行動は周辺諸国に脅威感を与えています。短絡的な保護主義や一国主義が欧米で広がっているからこそ、このような趨勢が東アジアに拡大するのを防ぐためにも、日中は不戦を絶対条件として、国際協調体制を構築する必要があるのではないでしょうか」 (聞き手 三浦俊章、石田祐樹)」朝日新聞2019年3月29日朝刊15面オピニオン欄。

 ぼくは個人的には、日本が真に独立国として世界に尊敬されるだけの独自性を示していくためには、天皇制にまつわる古代的呪術性ではなく、尊皇思想とは別の普遍的原理を必要とすると考えてきたが、この国の圧倒的人民大衆は、いざという場面で、「お上のひとこと」にいっせいに従ってしまうのは今も変わらない。明治憲法発布の時も、1945年8月の「終戦の詔勅」の時も、今回の時も、「はは~っ」とみんな横並びに事態を抵抗なく受け容れる。まあ、今回はそれで何か実害があるわけではないし、退位する天皇にはゆっくり休んでもらえばよいのだが、とにかくやはり天皇のことばには、みな実にすなおに従ってしまう。それを思うと、天皇制以外の選択肢を日本で実現する試みがいかに困難か、もしそれを試みたら多くの流血や犠牲が伴うことも予想される。機能主義的な天皇機関説を支持する国家マネジメント論者には、政治的にこの天皇という最終パワーほど、使い勝手の良いものはないと思うのだろう。ただ、それをどう使うかで一時は国家破滅に至ったわけだから、これからもそういう可能性を計算に入れておかなければならない。少なくとも、安倍晋三氏の行きたい方向には、日本国憲法が支えてきた秩序を破壊する要素が含まれており、それをあえてすすめるために天皇の力を利用するようなことは許されないと思う。
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三浦つとむ6 イデオロギー・出愚ろ義 コミュ銭湯

2019-03-27 15:49:33 | 日記
A.赤化・反共の時代
 中学生の時、仲良くなった友達に大人びて政治の話をする男がいて、彼は成績もトップクラスだったが、ただの秀才ではなく大人の世界のこと、世界の動きや政治に強い関心をもっていてぼくの知らないいろんなことを話してくれた。その彼が、この映画はぜひ見た方がいい、というので薄汚れた映画館で連続上映していたその映画を見た。五味川順平という作家の長編小説を映画化した「人間の条件」という映画で、戦争中の満州を舞台にした戦争映画だった。仲代達也が演じていた主人公は、中国人を使って鉱山を経営する大企業の労務係で会社に反抗し、軍隊に徴兵されてここでも反抗し、やがてソ満国境で敗戦のなかで避難民を守りながら戦い、ソ連軍に捕われて極寒の収容所でまた反抗するという不屈のヒーローとして最後は雪に埋もれて死ぬという物語だった。
 その中で、おやと思った場面は、日本陸軍の兵士として国境でソ連軍と向き合う中、仲間の一人が脱走してソ連軍に投降する。その男はインテリで、日本がやっていることはまちがいで、あっちのソ連はもっとすばらしい国だから、おれは脱走すると銃を捨て口笛を吹いて国境の向こうに去っていく。そういうことが本当にあったかどうか知らないが、作者は実際に満洲の戦争を体験した人だし、昭和のはじめに大学生だった世代のなかには、ソ連や共産主義を理想と考えていた人は少なからずいたらしい、と聞いた。戦争に向かう時代、日本で共産主義を正しいと思った左翼思想の持ち主は片っ端から捕まって牢屋に入れられ転向を迫られた、という話もちょっと聞いていた。でも、日本軍の兵士として厳しく訓練された人にも、ソ連に憧れをもって脱走するような人がいたとすれば、彼はその後どうなったのだろう。
 「人間の条件」はそのソ連に抑留されて、地獄のような収容所での生活も描かれている。主人公もインテリで左翼的な思想をもっているが、脱走者のようなソ連への理想化された世界観は拒否する。日本の軍国主義はひどいけれど、ソ連はもっとひどい社会かもしれない。映画を見た頃の日本にも、ソ連のような社会主義を目指すべき理想と考える人たちがいて、いずれ革命が起こるのだと言っているらしかった。そして、そういう「アカい思想」は危険だと「反共」を唱える人たちもたくさんいた。中学生のぼくは、なぜそういう対立が大人たちを捉えているのか、知る必要があると少し本を読んでみたが、よくわからない。結局「反共」の立場は、ただ共産主義は危険だと感情的に叫んでいるだけで、共産主義のどこが一番問題なのか教えてくれず、一方で共産主義を理想とする人たちは、そのなかでいろんな派閥に分かれて互いにけなしあっていて、ただ自分たちだけが正しいと言っている。東西冷戦の構図の中で、この対立はどうも明るい未来とは程遠い気がした。
 それから半世紀たった今は、もうだれも共産主義や反共なんて話題にもしない。それはやっぱりソ連が崩壊し、議論自体が無意味なものになったと思うからだろう。しかし、世界はまったく別のものになり、議論は本当に無意味なものだったのだろうか。

 「一九三四年夏の第一回ソビエト作家大会は、ソビエトにおける創作活動の基本的方法なるものを決定した。これは社会主義リアリズムとよばれている。この大会で「社会主義リアリズムはソビエト芸術文学および文学批評の基本的方法であって、現実をその革命的発展において、真実に、歴史的具体性をもって描くことを芸術家に要求する」という規約が採択されたのである。現在でもこれは変わっていない。この社会主義リアリズムに対しては、ソビエト以外の国の人たちから多くの批判や疑問が提出されただけではなく、スターリン批判がはじまってからは、東ヨーロッパやソビエトの内部からも疑問を持つ人たちがあらわれている。
 社会主義リアリズムが主張されたのには、いろいろな理由がある。それまでの「芸術における弁証法的唯物論の方法」あるいは「唯物弁証法的創作方法」なるものが、現実を無視して頭の中で空想の世界を論理的に組み立てる傾向をもたらしたために、これにかわるものを必要としたことも理由の一つであった。それとともに、芸術を実用主義的にとりあげてきたソビエトの芸術政策が、芸術家は社会主義の建設という現実を模写して国民大衆に建設への積極的な参加をよびかけるべきだと主張し、社会主義の現実を模写することを創作の基本におくよう要求したことも指摘しておかなければならない。さらにリアリズムとロマンチズムとの対立を、哲学における唯物論と反唯物論との対立と同じように扱う、まちがった傾向があった。これは芸術と科学あるいは哲学とを同じ段階で比較しようとするソビエトの芸術理論から、当然でてくる傾向であって、これが唯物論を共産党の世界観とするソビエトにおいてリアリズムを不当に讃美する結果を生んだのであった。
 リアリズムとは、表現のスタイルとして、いわゆる「写実」的な特殊なスタイルを持つことになり、すべてのスタイルを包含させることはできない。リアリズムはリアリズムを唯一無二の方法だと主張するのであるから、「写実」的な特殊なスタイルが絶対化されて、それ以外のスタイルたとえば抽象的な美術は原理的に拒否されることになってしまう。このようなスタイルは、芸術における一つの傾向として肯定されるのではなく、許すべからざる反唯物論的傾向でありブルジョア的堕落であるとして、粛清の対象になる。またリアリズムを唯一無二の方法だとすれば、もはやロマンチズムを芸術における一つの傾向として認めることはできないが、とはいっても芸術家がこの傾向の創造活動をすることまで否定するわけにはいかなかった。それで、リアリズムを唯一無二の方法に拡大するとともに、ロマンチズムをその「構成部分」に縮小させて、リアリズムの中に押しこむという方法がとられたのである。大会でジュダーノフは、「革命的ロマンチズムが構成部分として文学創造の中へ入らなければならない。」と主張した。一九五三年に出版されたチモフェーエフの教科書にも、リアリズムとロマンチズムとの結合は社会主義リアリズムの本質的特徴である。」と書かれている。
 スターリンが死んでから、スターリンの理論や政策に対する批判がソビエトにおいても開始され、かつて社会主義リアリズムに反するという理由で追放されたり処刑されたりした芸術家たちも、その名誉を回復しつつある。ピカソやマチスなどの、近代的な美術も展覧されるようになった。「写実」以外のスタイルの作品も、非難をあびせられるとはいえ、公開できるようになった。このようなスタイルを、ナンセンスあるいは頽廃として片づけられないことも、経験的にではあるがわかりはじめたのである。もし、社会主義リアリズムが、リアリズムということばにしがみついているならば、ロマンチズムの世界を扱うことは「構成部分」という解釈でごまかすとしても、このスタイルあるいは方法の問題をどう処理するかに当惑せざるをえない。もしもこれらをリアリズムの中に入れるなら、もはやリアリズムはありとあらゆる芸術の傾向をふくむものとして、リアリズムということばそのものが無意味になってしまうからであり、社会主義リアリズムという名の一つの方法を主張することがナンセンスに化してしまうからである。社会主義リアリズムということばが正当性を主張することができるのは、それを芸術の一つの傾向として、さまざまなリアリズムのうちの社会主義的な思想や理想を現実を通じて主張する一つの傾向として、他の諸傾向とともに認める場合だけである。この場合においても、社会主義リアリズムだからただちにすぐれた作品であるというような結論を下すわけにはいかない。」三浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011、pp.132-135.

 社会主義リアリズムという言葉も、もう誰も問題にしない時代遅れの笑い話みたいになった。たしかに、ロシア革命直後のアヴァンギャルドが実験的なアートを繰り広げながら、スターリン時代に弾圧されてその後の社会主義リアリズム芸術には見るべきものがなく、美術にせよ音楽にせよ演劇にせよ、あれほど厄介な論争をしながら、歴史の中で消え去る結果になった。だとすれば、西側の資本主義社会での芸術は、どうなのだろう?

 「芸術の創造に際しては、作者がその鑑賞者の条件を考慮する場合が多い。画家が肖像画を依頼されるときのように、作者がその鑑賞者の条件を考慮する場合はもちろんであるが、不特定多数の人たちのために新聞の連載小説を書いたり娯楽映画を作ったりする場合でも、読者層なり観客層を一応想定するから、鑑賞者から作者の側への制約という問題を無視することはできない。この制約には芸術外のものもある。注文主をよろこばせるために、肖像画を実物よりも若く描いたり美人にしたりするような例もあるし、ベストセラーに仕立ててかせごうと、ことさらにエロテイックな場面をたくさんこしらえるような例もある。またこのような例がすくなくないからこそ、芸術至上主義者が鑑賞者を想定すること自体に反対するようになったのでもあるが、芸術の創造にあたって無視することのできない鑑賞者からの制約も存在する。
 未開の土人にベートーベンを聞かせても理解できないし、現代の中学生に能を見せても理解できないように、芸術の鑑賞には一定の鑑賞能力が要求されていることはいうまでもない。作者は鑑賞者の鑑賞能力に依存しないわけにはいかないし、この能力にはその国のその時代の常識からはじまって芸術鑑賞の中で身につける特殊な分野の鑑賞能力にいたる、多種多様のものがある。川柳には当時の江戸の人たちの歴史的あるいは歌舞伎的常識を前提としたものがたくさんある。「九十九はえらび一首はかんがえる」は、小倉百人一首の選者が藤原定家で、彼の歌[来ぬ人を松帆の裏の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」が入っていることを知らなければ、理解できない。「山伏に度々化ける源氏がた」は、さきに頼光が四天王と山伏すがたで大江山へ鬼退治にでかけ、のちに義経一行が安宅の関にさしかかって『勧進帳』の舞台がはじまったことを意味している。本格探偵小説といわれるものは、作者が読者の推理能力を計算して一種の知的ゲームを展開する。最後に意外な犯人があらわれて、読者を驚かせるけれども、注意深い読者なら、作者の叙述をたどっていきながら誰が犯人か見ぬくことができるように、それとなくいろいろ手がかりが示してある。エラリ・クイーンの作品などでは、手がかりを示し終わったところで、読者に対して謎を解いたかどうかと「挑戦状」をつきつけている。柳亭種彦の『偐(にせ)紫(むらさき)田舎(いなか)源氏(げんじ)』は、題名でニセモノと名のっているように、『源氏物語』を足利時代に翻案したのだという形式で書かれているから、現物を知っているのと知らないのとではおもしろさがちがってくる。このように、ひろく知られている作品にむすびつけて、ニセモノあるいは戯画化した作品をつくることもしばしば行われている。アメリカの行動喜劇に、“The Covered Wagon”“The Gold Brush”などというのがあるが、これらは“The Covered Wagon”(『幌馬車』)“The Gold Rush”(「黄金狂時代」)など映画の観客ならだれ知らぬ者もない名作を前提にしている。
 作者の側も、鑑賞者の理解に苦しむような表現を行うことはその目的に反するから、作者と鑑賞者との間に認識能力や発想法に大きなくいちがいが予想されるときには、作者の側から鑑賞者のそれに近づくための努力が要求されることになる。たとえば童話の場合にあっては、作者のフィクションの世界は本質的に大人の能力において創造はされてはいるものの、その世界を観念的に体験していくときには、読者となる子どもの知識や能力や考えかたを考慮して、自分も観念的にそのような子どもになって体験し表現する。ここでは作者がまず観念的に読者に同化するのである。そうでないと、読者がその知識や能力や考えかたですなおに作者に同化することができなくなるのである。読者が鑑賞において作者に同化しなければならないということから、逆に作者も創造において読者に同化しなければならないという動きが成立するのは、弁証法でいうところの「相互浸透」の一例である。
 作品が国を超えて常識のくいちがった鑑賞者に提供される場合、そのくいちがいを埋めるために翻訳に注釈をほどこしたり、観客に解説書を配ったりすることもひろく行われている。

 長編小説を執筆する場合について考えてみればすぐわかるが、作者はフィクションの世界を最後的に完成してから表現にとりかかるわけではない。大きな骨組みだけははじめに創造してあっても、具体的な世界はつぎからつぎへと観念的に創造しながら、これをつぎつぎと表現にうつしかえていく。このときに、さきに創造した世界のあとから創造する世界との間には、合理的なつながりを維持しなければならない。半月前に自動車の事故で片足を切断した男が、いま両脚で走っているというような不合理は許されない。水上勉のある小説のように、途中で登場人物の名まえがちがってしまうようなことでは笑いものになる。しかしさきに創造した世界は、表現がすむと記憶がうすれていくから、何カ月もさきの創造を思いだしてこれとつないでいこうとしてもむずかしい。
 このときに、作者は自分が前に書いた部分を読みかえして、その創造した世界をいま一度自分の頭の中に再現してから、これに新しい創造を「建てまし」していく。このことは何を意味するかといえば、作者が自分の作品の鑑賞者になったことを意味するのである。そのときには、本質的に作者でなくなっているのであって、読みかえしが終って「建てまし」をはじめたときふたたび作者に移行するのである。こうして作者は鑑賞者になりまた作者にもどるという過程がくりかえされ、最後の表現へとすすんでいく。それゆえ、観念的な創造が基盤でそれが表現にうつしかえられるという、前後関係は最後までつらぬかれているわけである。
 けれども絵画の場合には、画家は一つの画布に向かって絵筆をとっているだけである。彼はモデルなり自然なりをながめては、その認識をつぎつぎと表現にうつしかえていく。そして彼も小説の作者と同じように自分の作品の鑑賞者になってそのできばえをながめては、また作者にもどって筆を加えるのだが、小説の場合だと書きあげた原稿や印刷された文章が作者の視野の外にでてしまっているから、読みかえしも現象的に明らかなのに反して、絵画の場合にはいつも同じ一つの画布をながめているだけに、鑑賞者に移行して見かえしをしていても現象的に変化が見られない。それで鑑賞者に移行している画家を、作者の立場にいるものと思いやすい。この意向を見おとすと、作者としての認識から表現への過程と、鑑賞者として表現からかつての認識を再現する過程とが、正しく区別できなくなってしまう。作者の創造に、認識から表現へと表現から認識への二つの過程があるかのように、すすんでは認識が作者の頭と画布との間を行ったりきたりしているうちにムクムクとふくれあがり具体化していくかのように、思えてくる。認識と表現との前後関係も、一方では認識から表現へ他方では表現から認識へという過程を認めるのだから、どちらともいえなくなってしまい、すすんでは両者を同一視したり[同一過程](北条元一)だと解釈したりするようになる。」三浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011、pp.142-147.

 三浦つとむの拠って立つ「唯物弁証法」というものも、いまやほとんど誰も問題にしない。すくなくともごく一部の哲学研究者は別として、一般の社会問題や芸術について「唯物弁証法」を持ち出して何かを言っても、何を言っているのかわからないのが当り前だろう。それは政治運動や社会運動の次元で、能動的な活動家は大きな世界観、哲学を踏まえた真理にしたがって正義の行動をしなければならないという発想自体が、ひどく古臭いものになってしまったということだろう。それはあの窮屈な社会主義リアリズムの時代に比べれば、自由で結構なことだと思うけれど、逆に今は誰もそういう原理的なことを考えようともしなくなった結果、あやしげな思い込み、過去や事実を見ようとしない偏見、お互いを見下さず生産的な議論討論をする態度が失われてしまったとすれば、これこそ恐ろしい世界に逆戻りではないか。



B.どこまで真剣に考えているのだろう。
 かつて20世紀の終わりごろ、日本に外国人労働者を積極的に入れるべきかどうか、「鎖国派」対「開国派」などとジャーナリズムで議論になったことがあった。そのときは結局、「鎖国派」の主張が強く、表向き外国人労働者は入れないままに、といいながら裏口で日系人出稼ぎや技能実習生などじわじわと不自然な形で入れる政策をとり、ここに来ていよいよ本格的に外国人労働者を入れないとどうしようもない、ということを政府から言いだした。

 「政府の主導で設置を急げ :就労外国人 自治体の相談窓口
 外国人労働者の受け入れを拡大する新制度のスタートが来週に迫っている。それにもかかわらず、拠点となる自治体の相談窓口の整備が不十分なのは残念だ。
 雇用の他、医療や福祉、子育てや在留手続きなど、外国人の相談を一元的に受け付ける相談窓口を全国約100か所に設置する。政府は昨年末、「総合的対応策」の目玉として打ち上げた。
 窓口設置にあたり1000万円を上限に自治体に交付金を支払うことを決め、法務省が都道府県や政令市、外国人が多く住む自治体の計111を対象に申請を募ったが、応じたのは37自治体にとどまった。これでは都道府県の数にも満たない。
 法務省が公募要領を公表し、受付を始めたのは先月半ばだ。窓口では通年で無料相談に応じる上、原則11言語以上での対応を求めた。
 自治体側は予算が獲得できても、職員や通訳人の手当てが必要になる。議会に諮るには時間が足りなかったのが実情のようだ。
 設置主体は自治体だが、多文化共生社会の実現には欠かせない政策だ。本来、法務省が主導して窓口の充実に当たらなければならない。自治体側との事前の調整が不十分だったのではないか。全国の相談窓口を充実させるため、現状を精査するなど政策の練り直しが必要だ。
 4月からの受け入れ枠拡大ありきで、窮屈な日程で事を進めてきたひずみがここにきて目立つ。
 政府は、外国人労働者受け入れに向けた説明会を先週までに全都道府県で開いた。
 法務省令では、特定技能の資格での労働者との契約について「報酬額は日本人と同等以上」と定める。では、同等以上は、どんな日本人労働者と比較するのか。そうした具体的な運用についての質問が各地の説明会で相次いだが、「詳細は検討中」との回答が多かった。
 結局、法務省が運用の詳細についてガイドラインを公表したのは、大半の説明会終了後の20日だった。
 5年間で最大34万人を受け入れる政策だ。それだけに、受け入れ企業、さらにそれを支援する機関がしっかり制度を理解する必要がある。政府はこれまで以上に丁寧な説明を心がけるべきだ。」東京新聞2019年3月25日朝刊5面、社説。

 相談窓口の実施状況はお寒い結果になっていて、支援体制は未整備のまま導入が進みそうだ。言葉の問題、雇用環境、生活支援、いずれも現場が一番苦労する人材不足である。これとは全く別の話題も載っていた。

 「日本人は大のお風呂好きだ。藤原定家は有馬温泉、武田信玄は湯村温泉、徳川家康は熱海温泉へ湯治に訪れたという記録がある。戦国武将も歌人も湯を好んだ▲庶民がお金を払って風呂に行く銭湯文化は江戸期以来、広まった。広い湯船で心と体を癒やし、人との触れ合いや裸の付き合いもある。町の銭湯は地域の憩いの場となり、最盛期の1968年には全国で約1万8000軒を数えた▼その銭湯が深刻なピンチを迎えている。全国の数は年々減り、昨年、約2300軒になった。廃業が相次ぐ理由には、利用客の減少のほか、経営者が高齢化し跡継ぎが見当たらない、施設が老朽化し改修費がかかる、などがある▼全国の公衆浴場組合は危機感を強め「一軒でもなくならないように」と改善策に力を注いでいる。東京の組合は「銭湯サポーター」を募り、銭湯の魅力を情報発信してもらい、京都の銭湯は脱衣場で寄席を催す。インバウンド効果も狙い、外国人ユーチューバーに日本の伝統文化だと宣伝してもらっている▼後継者不足問題では、銭湯好きの若者や企業の参画を公募する動きがある。改修費は、各組合が自治体に補助金を求めて下支えし、おしゃれな設計の浴場も増えている▼状況は依然厳しいが、東京では1軒1日当たりの平均客数が若干増え始めた。大阪や札幌でも外国人客が目立つという。地元の銭湯マップを見て、町の湯を訪れてはどうだろう。湯気の向こうの大きなペンキ絵が、小さな旅へといざなってくれるはずだ。」毎日新聞2019年3月25日朝刊1面「余禄」。

 町の銭湯がどこにもあって、みんなで風呂に入っていた時代も過去のものになったが、これはある意味やむを得ないと思う。自宅に風呂のない住宅環境はもう特殊だから、一種の娯楽観光施設として生き残るしかない。銭湯には、コミュニティでの交流の場としての意味や、建物の文化的意味もあったけれど、これも文化財として保存するくらいになるかな。
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三浦つとむ「芸術とはどういうものか」5 国語教育?

2019-03-25 19:05:55 | 日記
A.「リアル」な物語
 たとえば映画には、劇映画とドキュメンタリー映画という区別があって、「これは事実にもとづいたフィクションです」とわざわざ断らなくても、怪獣映画やミステリー映画を、実際に起きていることと思って観る人はいない。殺人や戦争も映画の中の話で、実際に人が死んでいるはずはない。しかし、ドキュメンタリー映画といっても、実際の現場で撮影された映像を、あとでつないで編集しているわけだし、つなぎ方や映像の加工変形も技術的には可能だから、作品としての創作物であるともいえる。このアート作品を現実に起きたことをもとに作品化する場合、リアリズムとアンチ・リアリズム(あるいはシュール・リアリズム)という基本的態度をめぐって昔からいろんな議論が行われてきた。俳優が演技してそれを観客が見るという演劇や映画だけでなく、美術でも小説や詩でも(音楽の場合はちょっと違うけれど)、これは創作上の問題として問われてきた。三浦つとむは、この対立についてこう書いている。

 「リアリズムとロマンチズム:空想はいわゆる「創作」であって、事実あったことを忠実にとらえたものではない。とはいっても、そのどこまでが「創作」なのか、どんなものが「創作」されているのか調べてみると、そこは大きなちがいがある。宮本百合子の作品のように、事実を忠実にとらえながら、人名だけを変えたものもある。そこには何ら非現実的な存在は見あたらない。ダンテの『新曲』はこれとちがって、作者は案内者にみちびかれて地獄から天国へと見聞をすすめていく。そこには非現実的な世界が雄大華麗にくりひろげられている。おなじ空想でも、非現実的なありかたを排除したものもあれば、意識して非現実的な存在や世界をつくりだしたものもあって、これらを一つの傾向として区別して扱うことも、けっして無意味ではない。
 作者と読者との間に、これはフィクションだからそのつもりで読むのだぞ、という了解が成立しているかぎり、芸術家の空想は自由であって何でも登場させることができる。他の遊星から地球へやってきたスーパーマンが新聞記者クラーク・ケントになって勤務していようと、ロボットの少年アトムが人間と同じように感情や意志をもっていようと、別におどろきもしないし非現実的だと攻撃もしない。その意味で、芸術は非現実的なものを承認するのであるから、これを観念論とか不可知論とか哲学なみに規定して批判したつもりでいるのはまとはずれといわなければならない。子どものために童話を書く人たちは、植物や動物に会話をさせたり、少年や少女を「ふしぎな国」につれていったりしている。民話の脚色者は、恩を受けたツルが人間の女性のかたちになって恩がえしするドラマをつくっている。これらは何も、現実にこんなことがあるのだと信じて書いているわけではない。忍者たちに非現実的な能力を与えて超人的に行動させている、大衆小説の作者にしても同じである。『ガリヴァー旅行記』の作者も、現実に大人国や小人国があると思っていたのではない。現実の世界のはて、山のかなたに、「エレホン」とか「シャングリラ」とかよばれる理想社会を空想した、いわゆるユートピア小説の作者たちも同じである。自分の思っていることを訴えるには、このような空想の世界をつくりだすのが有効だと考えて、「創作」したまでのことである。
 芸術家は現実の社会に生きているのであるから、社会の経済的・政治的・思想的な条件によって規定されることになり、これが作品に反映しないわけにはいかない。理想を抱く人間はその実現の可能性を考える時に現実を見つめなければならないし、現実を見つめている人間はその上に立つ政治や思想のありかたにも関心を向けるようになっていく。現実的な空想を表現した作品が主流を占める時代があらわれてくる。芸術の歴史は現実の歴史と無関係ではなく、ロマンチズムとかリアリズムとかいうことばもこの現実の歴史から規定された芸術の歴史的な動向の中で生まれたが、現在では歴史からはなれてそれぞれ芸術の一つの傾向を示すものになっている。
 現実の社会がたくさんの不合理をかかえているときに、それらと関係のない理想的なありかたを空想することは、たしかに現実ばなれした世界だといえよう。だがこれも、人びとに理想を訴えたり、その空想の世界で満足感を与えたりする点で、意義がある。現実を忠実にとりあげることが許されないような場合に、非現実的なかたちをとって語るということも必要である。象徴的に扱うやりかたも、結果だけ見れば現実ばなれしているが、そこに作者が腕をふるった創造的なおもしろさを味わうことができる。
 ドイツの社会的条件は、宗教的色彩の濃い神秘主義的な作品の母胎となった。ゲーテの「ファウスト」はドイツを代表する文学の一つであるが、これと同じように神と悪魔の対立をとりあげた作品はいろいろある。人間が自分の影を悪魔に売った話もある。これと似た事情は北欧にも見ることができる。アンデルセンの『即興詩人』の主人公アントニオは、いうまでもなくアンデルセン自身をモデルにしているのだが、この詩人を誘惑する夫人をサンタと名づけ詩人を愛する清純な少女をマリアと名づけたところにも、その宗教的な象徴および理想化があらわれている。ビョルンソンの『アルネ』は少年を主人公にした農民小説であるが、その冒頭には山を緑で覆うと努力する植物たちの対話が展開されている。イギリスやフランスの芸術家たちは、歴史や伝統に批判の目を向け理想をふりかざして、バイロン、シェリー、ユーゴー、ジョルジュ・サンドなどが活躍した。しかしながら日本では、この種の批判や理想を打ちだす条件がなくて、もっと個人的なかたちになり、人生観的な理想が恋愛至上主義といわれるようなかたちでふりかざされたりした。泉鏡花の恋愛観を象徴主義や神秘主義で空想化した作品として、『荒野聖』があげられる。飛騨の山の中に住んでいる美人が、近づく男たちに息をふきかけて獣に変える魔力を持っているという設定は、まことに非現実的であるけれども、鏡花はこれによって精神的な愛情の伴わない欲望の醜悪なことを象徴しているのである。
 このような非現実的な空気を表現した作品は、ロマンチズムとよばれている。ロマンチズムとは、作者の空想の自由を基盤として、現実とへだたった理想の世界を打ちだしたり象徴的な物語を展開したりする。芸術の一つの傾向を意味している。そこには非現実的な存在や非現実的な因果性が設定されることもあるが、それはこの傾向の作品が否定的な存在であることを意味するものではない。
 宗教的な空想や頭の中だけで理論をつくりだそうとする観念論的な行きかたに反対して、あくまでも現実ととりくみ現実から理論をつくりあげようとするのが、近代科学の立場である。この近代科学の成立と発展は、社会の思想的な条件として、芸術家にも影響を与えることになった。医学者が人間を解剖するように、芸術家にも人間や社会を解剖しようとする傾向があらわれた。ロマンチズムの神秘思想や現実ばなれの反動として、現実をありのままにとらえようとする、現実的な空想へ進もうとする傾向が生まれた。そこにはロマンチズムの弱点を裏返しして、思想を排除し作者の価値判断をも拒否して現実をただ忠実に写そうとする芸術家もあらわれたが、その時代の思想や道徳が正であり善であると主張しているのは実は邪であり偽善でしかないと、批判し抗議するために、「論より証拠」と現実のありかたをえぐりとってきて突きつける、能動的な芸術家もつぎつぎとあらわれた。イギリスのディケンズ、サッカレー、フランスのバルザック、スタンダール、ゾラ、モーパッサン、ロシアのプーシキン、ゴーゴリ、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイなどが、現実的な空想を展開したことは、日本にも影響して、二葉亭四迷の創作が生まれ、いわゆる自然主義の芸術家たちがあらわれ、また現実的な空想を重視することが事実を度はずれに重視するかたちに進んで、作者自身の体験を綴っていく「私小説」が盛んになった。
 このような現実的な空想を表現した作品は、リアリズムとよばれている。リアリズムとは、現実の模写いわゆる「写実」の方向をとって、作者の理想や主張もそれを現実ばなれした空想化へ持っていくのではなく、現実に密着した空想に具体化しながら理想への道を示そうとする、芸術の一つの傾向を意味している。そこには理想や主張がそのまま現実化されていないことが多いが、それはこの傾向の作品がかならずしも現実追随であることを意味するものではない。一人の作者が、非現実的な空想を描いたりすることもあるから、彼はロマンチズムの芸術家だとかリアリズムの芸術家だとか割り切ってしまえない場合もしばしばある。これらの区別は固定されたものではなく、どちらがすぐれた作品だと一方的にきめることもできない。」三浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011、pp.126-131.
 
 このあと、話は「社会主義リアリズム」の問題へと進んでいくのだが、その前にここで三浦が「ロマンチズム」と呼んでいるものもちょっと注意が要る。Romanticロマン的というのは、古代ローマの文藝という意味ではなく、ローマ帝国が滅んで中世の書き言葉としてのラテン語が成立するのと並行して、民衆レベルの話し言葉をロマン語と呼び、そのロマン語で語られ伝承されたものがロマンチックな文藝であり、ラテン語による聖書や哲学・歴史書など学術共通用語としてのラテン文芸に対して民間の伝承口承文芸がロマンスと呼ばれた。たとえばシェークスピアの戯曲には歴史ものや悲劇、喜劇というジャンルとは別に、ロマンス劇というものがある。それが18世紀から19世紀の西洋で、文藝上の立場としてロマン主義romanticismになってくるという経緯がある。美術や音楽におけるロマン主義は、古代ギリシャ以来の伝統を規範とする古典主義あるいは新古典主義に対抗して、人間の内面的激情あるいはドラマチックな物語を理想とする立場が主張され、自然主義とかリアリズムというものも、このロマン主義を批判的にとらえて登場するという順序になると考えられた。



B.国語教育の目指すもの
 学習指導要領というのは、日本の学校教育でなにをどこまでどの段階で教えるかを決めているもので、小中高の正規の教育科目として教えられる内容を規定している。これがときどき時代に合わせて改訂されているのだが、国語については戦後の新制六三三四制の中で、これまで大きな変更はなかったといわれる。それがここへきて、「大改革」が行われるのだという。多くの国では、「国語」というのは単一な言語とは限らず、ただ国民を統合する共通言語が必要だからという理由で、公用語が決められそれを学校教育、とくに初等中等教育で子もどたちが使いこなせるように教えている。多民族多言語国家の場合、それは日常話している言葉でない場合も多く、たとえばインドでは州ごとに違う言葉があるので、公用語として教えられるのは、ヒンドゥー語や地域言語と並行して英語が「国語」的に教育される。
 日本の場合、明治に成立した近代日本語が、方言を越えた「国語」であり、英語などは「外国語」として教えられる歴史があるために、ぼくたちは単一の日本語を話す人間が日本人である、と思っているけれど、学校で教えられる日本語がどのようなものであるかは、かえって深く考えたことがないのではないか。

 「エリート男子の高校国語:新井紀子(国立情報学研究所教授)
 意外なことに、最近、高校国語の話題がホットだ。
 間もなく導入が始まる新学習指導要領の高等学校の国語では、必修科目は「現代の国語」「言語文化」(各2単位)に整理され、選択科目として「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」(各4単位)が新設される。
多くの高校は「論理国語」を生徒に選択させる予定だという。大学入試対策として「古典研究」を、AO入試や推薦入試対策として「国語表現」を選択させる学校が増えた場合、「文学国語」を学ぶ高校生はほぼいなくなるとの憶測が広がり、ネットや雑誌の上で議論が巻き起こった。
大学入試を目指す生徒が大半であるような高校では、国語の単位数を標準から大幅に増やしているので、実際にはそんなことは起こらないだろう。ただし「論理国語」が導入されることで、相対的に文学鑑賞に割く時間が減ることは間違いない。日本文藝家協会もこの「戦後最大といってもいい大改革」に対して懸念を表明した(2019年1月24日)。
「戦後最大の大改革」だということは、昭和から平成、そして次の元号になろうとしている中、高校国語はほとんど変わらず、文学鑑賞と古典や漢文の文法や解釈に時間を費やしてきたことを裏付けているともいえる。
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 多くの読者には、夏目漱石の「こころ」、森鷗外の「舞姫」、中島敦の「山月記」を高校国語で学んだ記憶があるだろう。出身校も年代も違うのに、なぜ誰もがこの3作品を読んだのか。理由は明白。ほぼすべての高校国語の教科書に掲載されてきたからだ。数多ある作品の中でなぜこの3作品なのか。「文部科学省の指導」と勘繰りたくなるが、それは違う。これらを外すと、高校での採択率が下がるからだ。かつて「山月記」を外した教科書会社があったが、採択率が目に見えて下がったので、慌てて戻したというエピソードがあるほどだ。
 この3作品には、興味深い特徴がある。どれも「エリート男子の苦悩と挫折の物語」だということである。戦後間もない昭和25年(1950年)の高校進学率は42.5%、そのうち男子が占める割合は57.7%だった。高校進学する主たる層は「エリート男子」だから、彼らが共感をもつであろう作品を選ぶ、という判断はある程度理解できる。しかし、現在、高校進学率は98.8%に達し、男女の差はほぼない。その中で、外せない国語教材のすべてが「男性作家の手によるエリート男子の物語」という多様性の低さに驚かされる。
 これらの作品は「日本文学の金字塔」として、文学界で高く評価されてきた。ただし、女子生徒が半数いる高校の教材として取り上げるのにふさわしいのか、という観点からは検討されてこなかったようだ。エリート男子に尽くして妊娠した揚げ句に捨てられた踊り子(舞姫)や、詩人として名声を獲得したいという野心と己の実力との乖離から発狂した揚げ句、虎になった主人公の陰で貧窮する妻(山月記)に、女子生徒が共感したロールモデルを見出したりすることは難しいだろう。
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 では、主人公に共感できるかといえば、今日でも、男性と女性とでは向き合わなければならない苦悩や挫折の形は異なる。私自身、小学生の頃は学校の図書室の本を全部読破するほど読書好きだったのが、思春期に「近代男流日本文学」に食傷し、急速に興味を失った。娘も同様だったので、そういう女子は多いのだろう。その後、向田邦子に、森茉莉、金井美恵子ら女性作家の手によるエッセーや短編を乱読するのがひそかな楽しみとなった。
 日本のジェンダーギャップ指数は110位、G7中最下位。汚名を返上しようと、官民挙げて女性活躍の後押しに躍起になる中、高校の国語の教科書が十年一日どころか「七十年一日」だったとは!移民政策に大きく舵を切った日本では、今後、より多様な背景をもつ生徒が学校で学ぶ。今回の学習指導要領改訂を機会に、たとえば、作者も主人公も男女半々等、よりダイバーシティに配慮した多様な作品を取り上げることが望まれる。
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 新設される「論理国語」で扱う文書は、著作権法(抄)とその解説記事から、著作権法の目的や具体的にどのような著作物がどの条文でどのように保護されるかとか、経済や社会現象に関するデータと解説記事から、2030年代に起こり得る社会問題を読み取るといった課題等が想定されている。国語教員には戸惑いがあるかもしれない。
 しかし、インターネットの普及によって、前世紀とは比べものにならないほど、文書による知識の共有や伝達の量は増大した。それに伴って、求められるリテラシーも大きく変容した。「生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと」を大目標に掲げる学校教育法の精神を生かすには、「論理国語」の導入は避けられないといえる。学校教育法はまた、小説や詩歌などの文芸は「生活を明るく豊かにする」として、音楽や美術同様に芸術として定義している。今後も、生徒には親しんでほしい。だが、現代を生き抜く上で必須となる「事実について淡々と書かれた文書を正確に読解する力」を、すべての生徒が身に付けていくことが先決だろう。
 卒業式の季節だ。卒業する彼らが飛び込んでいくのは、デジタライゼーションとグローバリゼーションによって、ホワイトカラーの半分が機械代替されると言われる社会だ。予測困難な時代を、彼らが力強く生き抜いてくれることを心から祈り、応援したい。」日本経済新聞2019年3月24日朝刊32面文化欄。

 新井さんが書いているように、どうして漱石の「こころ」、鷗外の「舞姫」、中島敦の「山月記」がず~っと「国語」の教科書に載っているのかは、後期中等教育がまだ国民同世代の半数も高校に通っていなかった時代の、国民の中のエリート(エリートというには数は多いが)男子にむけた教養の基礎を形作るという考え方があった、といわれれば確かにそうだろうと思う。これらの小説の主人公は、知的に高いレベルと将来の指導的立場に立つことを期待された人間として登場する。そしてそれは、そもそもそういう動機もチャンスも与えられていない人びと、とくに女性には共感する土壌がなかった、ということも確かだろう。
 だとすれば、ここで「大改革」の方向は、「論理国語」つまりグローバリゼーションとデジタライゼーションのすすむ知的環境の中で、コミュニケーションと実用的リテラシーを形成する言語能力を養うものを教える必要性は認めるものの、従来の文学国語や古典和文の教育というものは無用だという方向にいってよいとはいえない、という意見も無視できない。女子が成長のこやしになるような文学的教養を必要としていないわけではないし、たとえば女性作家や少女漫画家がやってきたことは、そのような国語教育を補完する貢献であったともいえる。

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三浦つとむ「芸術とはどういうものか」4 面倒くさい議論?面倒くさくないTV.

2019-03-23 21:53:45 | 日記
A.芸術の形式と内容
 三浦つとむの芸術論は、ことばと文字は平易に書かれているが、だんだんと難しい内容に入ってくる。じつはこれが面倒くさい議論になるのは、哲学や美学の難解さを無理にやさしく説こうとするからというよりも、背後に政治的な動きがからんでしまうからだ。つまり、当時ソ連の独裁的指導者だったスターリンなどが、しばしば芸術についても「これが正しい」という指示を出し、ソ連内部だけでなく東側の社会主義国や、西側でも社会主義路線を支持する政党などは、その指示に基づく方針をとらないと批判され発表を止められたり、場合によっては投獄されたりする状況があったからだ。共産党が支配する国で、党の指導方針に添わないとみなされたら、芸術家の創作活動自体が制限されるのは珍しくなかった。
 日本は社会主義国ではなかったから、いちおう芸術活動が政府の方針とは違っていても、表現と作品が弾圧されるような状態ではなかった。しかし、戦後の1960年くらいまでは、社会主義を将来の目標に掲げる左派政党が一定の勢力を保っていたし、その陣営に属して芸術活動をしようとした人たちは、ソ連の文化政策をちゃんと理解してそれに従うべきだと考えていた。ところが、その上からの指導方針というのが権力者が変わるとがらっと変わるから厄介で、昨日まで理想的な革命芸術と賞賛されていたものが、明日からは誤った思想に基づく反革命の作品だと批判され禁止されたりする。そのこと自体、かなり無理な話で、芸術というものに、正しい芸術と誤った芸術があるという考え方がおかしいのである。
 三浦つとむはそれがわかっているが、彼自身はマルクスの唯物弁証法を科学的真理だという立場に立っているので、議論はかなり面倒くさいことになる。 
 
「どんなアートにせよ、なにかその表現を具体的な作品に物質として存在させなければならない。そういわれて別にそれぞれの土地に土着してきた無知な庶民は、「芸術理論や美学などというものとまったく無縁な、ごく素朴なすなおな人たちに、芸術の内容はどこにあるかと質問すれば、作品をさして、「ここにあるさ」と答えることもめずらしくない。このときさらに問いかえして、内容とはどんなものか教えてくれとつっこむと、こんどは首をかしげるし、ときにははじめの答えを撤回するのだが、はじめの素朴な直観での答えこそ実は正しい答えなのである。作品に、手でつかめるような実体的な内容をさがしても、そんなものはあるはずがないが、だからといって内容はないという結論を出していいということにはならない。内容とよばれるものは、実体的でなければいけない理由はどこにもないからである。
 表現あるいは「象徴的諸形式」は、いずれも作者の精神的な創造を直接の原型にしている。まずこのことを認めて、その精神の持つかたちが物質的なかたちにうつしかえられたのだということを、精神が物質的に模写されたのだということを、理解すべきなのである。認識は対象の精神的な模写であるから、それとちょうど逆のかたちをとっているのだということを、理解すべきなのである。認識は直接の原型である対象との間に、客観的な関係を持っており、真理はこの客観的な関係において客観的真理とよばれるが、表現もまたその直接の原型である認識との間に客観的な関係を持っている。そして、この関係をたぐって原型がどのようなものであったかをとらえることができるし、作者は表現からこの関係を正しくたぐってもらいたいからこそ、表現すなわち物質的な模写のしかたをいろいろ工夫するのである。紙の上の鉛筆の線としては同じでも、リンゴを写生したときの線は、作者の頭の中のリンゴの認識を原型としてそれを物質的に模写したのに対し、赤ん坊がたんに手ににぎった鉛筆を紙の上に走らせたときの線は、この模写という関係を欠いている。この模写という関係が存在して、はじめてその線のかたちを表現形式といい、その線の持っている客観的な関係を表現内容というのである。赤ん坊の描いた線は表現ではなく、内容とよぶべきものも存在しない。
 表現内容は関係として存在するから、表現形式に客観的にむすびついてはいても、目で見えず手でつかめないのである。実体としてとらえるのをやめて、関係としてとらえれば、たしかに作品そのものが内容を持っていることを理解できるのである。作品の「内容をつかむ」というのは、この関係を逆にたどって、形式として示されているものの背後になにが存在していたのかを考えていくことである。鑑賞者は表現を前にして、その背後にかつて存在したであろう作者の精神的な世界を、正しくとらえようとする。その精神的な世界そのものは、表現したあとですでに変化・消滅しているのだが、鑑賞者は表現のときのそれを、自分の頭の中に近似的に再現しようと努力する。表現がたとえ精神的な世界のありかたと大きくくいちがっていて、鉛筆のスケッチのように色彩が脱落していたㇼ、言語のように感覚的な認識が脱落していたりしても、鑑賞者はその表現につながっている関係を逆にたどりながら脱落していると思われるものを頭の中でつけくわえ、作者の精神的な世界にできるだけ近いものにしていく。形式につながっている関係そのものは目で見えず手でつかめないにしても、鑑賞のときにはいつもその関係をたどっていくために、素朴に考える人たちのほうがこの経験に助けられて、作品には形式以外のものが存在しているのだ、内容というのはその存在をさすのだ、と直感的に正しい答えが出てくるわけである。しかも内容とはどんなものかと具体的に考えていくと、関係であるとは思わないで関係につながっている実体をとりあげ、対象であるとか作者の認識であるとかまちがった答えを出すことにもなるのである。
 水は液体、氷は固体、水蒸気は気体で、それぞれの機能はちがっているが、H2Oであることに変わりはない。固定したかたまりは実体だが流動しているならば実体でないというような、哲学者の考えかたは自然科学によって嘲笑されている。精神にしても、大自然という観点からは全体の一構成部分である。流動的ではあっても、現実の世界の反映として、感覚とか表象とか概念とか意志とかいう構造を持った存在である。脳との関係でとらえれば、精神はそのはたらきであるが、現実の世界の反映として構造を持つ存在においてとらえれば、一つの実体と見なすことも許される。
 認識内容説は、作者の頭の中に創造された精神的な世界そのものを芸術の内容であると解釈した。実は、まずこの精神的な世界が創造され、これが物質的なかたちにうつしかえられることによってそれとの間に関係が形成されのであるから、この精神的な世界そのものは芸術の内容ではなく、「内容を形成する実体」なのだと理解すれば正しいわけである。名画を写真で複製するとか、小説の原稿を活字で印刷するとかいう場合には、その形式が機械的に複製されるばかりでなく、形式につながっている関係もそれらに延長されていくことになるから、したがって複製芸術にもすべて内容が存在していると考えてさしつかえないのである。
 経済学は百年以上も前に、これと似た問題を解決しなければならなかった。イギリスの経済学者リカードは、商品の価値はそこに注ぎこまれた労働のいかんによってきまると主張した。けれども、その理論を展開していくといろいろな困難にぶつかって、ついにリカード学派は解消してしまった。マルクスは、リカードが労働そのものを価値としてとらえたのがまちがっていたといい、労働そのものは価値ではなく「価値を形成する実体」だと理解して、リカードのぶつかっていた困難をすべて解決したのであった。
 材料のかたちを変化させ表現形式をつくりだすことは、同時にそこに作者の精神的な世界との関係を固定することでもある。表現形式の成立は同時に表現内容の成立である。紙の上の鉛筆の線を消しゴムで消したり、印画の感光膜をナイフで削ったりして、表現形式の消滅は同時に表現内容の消滅である。すなわちこの両者が切りはなされて別個に存在することはありえない。」三浦つとむ『芸術とはどういうものか』明石書店、2011.pp.102-106. 

 1989年にソ連が崩壊し、東欧の社会主義国も消滅して、こういった共産党指導部が正しい芸術と誤った芸術を決めるような体制の悲劇も終わった。西側の資本主義国では、芸術は自由になにを表現しても構わない、創作活動とはほんらい自由なものだ、という基本を自慢した。それは結構なことだが、では芸術の創作がほんとうに自由になにを表現してもいいだろうか。かつての芸術をめぐる面倒な議論をしなくてよい代わりに、市場で評価される、つまり商品として高い値段がつくかどうか、多くの人々がそれをお金を出して買ってくれるかどうか、という交換価値の論理が芸術を支配する状態も強化された。そして、ぼくたちはもう、なにが望ましい表現であり、芸術家はなにを追求すべきかという原問題を、誰も真剣に議論しなくなっているのではないか。



B.テレビを見るのはただの習慣…
 20世紀のうちは、誰も日常的に家でテレビは見ていた、いや少なくとも誰かがいればテレビを点けていた、と思う。地上波しかなかったし、とくに若い人たちの話題はテレビを通じてまず伝わっていた。人気ドラマの内容を知らないと、友だちと話ができなかった。しかし今は、テレビをあまり熱心に見ていないし、とくに大学生はテレビのことなどほとんど話題にしない。ニュースはいつでもスマホやネットで即見られるし、わざわざ放映時間を気にしてテレビの前に座るということも、突発的大事件や大災害の実況中継以外は必要がない。この変化はさらにすすむだろうから、それがどのような社会をもたらすか、そして長い間マス・メディアの中心にいると思っていたテレビ業界の人たちは、この事態についてあまりわかっていないみたいだ。

 「テレビの地位相対化 この国の姿 変える要因に:月刊安心新聞 神里達博
 「戦後」と呼ばれる時代において、重要な役割を果たしてきたモノやコトはさまざまああるが、「テレビ」の存在はやはり大きかったと言えるだろう。その影響力の強さから、かつては、評論家の大宅壮一が「一億白痴化」を招くとして厳しく批判したほどである。
 しかし近年、インターネットの普及、さらに「通信と放送の融合」といった政策の推進もあり、この社会における「地上波テレビ」のあり方は、急速に変容しつつある。
 まず気づくのは広告費の変化だ。先日、広告大手の電通が発表した「2018年日本の広告費」によれば、「インターネット広告費」が5年連続で2桁の成長を遂げ、「地上波テレビ広告費」とほぼ同額の、1兆7589億円に達したと推定されるという。おそらく今年は、両者のシェアが逆転することだろう。
 また、いわゆる「テレビ離れ」はとりわけ若年層で顕著であるとされる。その代わりに彼ら彼女らが時間を費やすのが、ネットワークを介した各種の活動だ。
 新しいネットの利用というと、インスタグラムなどのSNSを想起しやすいだろうが、ここで指摘しておきたいのは「ゲーム」のことだ。興味ぶかいのは、ゲームをすること自体が、一種の表現活動となりつつあるという点である。
   ◎      ◎ 
  かつてのコンピューターゲームは、ハードウェアの性能上の制約から、プレーヤーの自由度は低かった。例えば古典的なシューティングゲームは、敵を撃墜するだけだった。ロールプレイングゲームにおいては、そこにある種の「世界観」が投影されるものの、依然としてプレーヤーは、ほぼ受動的な存在であった。
しかし、コンピューターの性能やネットワークの通信速度が飛躍的に向上した結果、自由度がが著しく高まり、ゲームを通じてさまざまな活動や表現が可能になってきた。
 例えば、小、中学生も含め、若者たちが夢中になっているのが、広い仮想空間で活動をする「オープンワールド型」のゲームである。なかでも、広大な空間に建物や施設などを自由に構築できる「マインクラフト」は世界中で大変に人気があるソフトとして知られている。
 そして動画サイトには、そのような仮想現実の世界での個々のプレーヤーの活動が投稿されており、その様子を視聴すること自体が、すでに新たな娯楽として定着している。
 また、約10年前に「ボーカロイド」とよばれる歌声の音声合成ソフトが開発されたことで、ボーカルも含めて音楽全体をパソコンだけで作ることが可能になった。これにより作詞・作曲・歌の全てをこなす「ボーカロイド・プロデューサー(ボカロP)」が続々と登場、動画投稿サイトには多数の作品があふれている。昨年の紅白歌合戦に出場した米津玄師も、元々は「ハチ」の名で知られる「人気ボカロP」であった。
 さらに、ゲームを一種のプロモーションビデオ制作のツールと見立て、ボーカロイドによる音楽を重ねることで、新たな作品として表現するといった試み、縦横無尽に行われている。
 このような新しい表現活動において最重要のプラットフォームは目下、動画投稿サイトであろう。そのことを反映してか、2017年にソニー生命保険が実施した調査では、中学生の将来なりたい職業として、男子の3位に「YouTuberなどの動画投稿者」がランクインした。
  ◎           ◎ 
 一方で、ハードウェアとしての「テレビ」は、すでに「多目的モニター」となっている。実際、新しいテレビのリモコンは、「地上波」のみならず、「You Tube」や「AbemaTV」などの映像ストリーミングを選ぶボタンを、最初から備えていることが多い。
 つまり、すでに地上波テレビ、さまざまなコンテンツの中の、一部の選択肢に過ぎないのである。この現状を、地上波を担ってきた人たちはどう見ているのだろうか。
 今クール、TBS系列で「新しい欧様」というドラマが放映されていた。これは若きアプリ開発者が、東京のキー局の一つを買収しようというストーリーを軸に展開する。藤原竜也扮する主人公は、旧態依然とした放送局の経営者側を、さまざまなパフォーマンスを通して批判し、「いつか誰も(テレビを)見なくなる日が来るよ」と叫ぶ。やや既視感を覚える筋書きだが、それ以上に、ドラマ制作者自身の現在の危機感を反映しているように感じられた。
 内容も興味深いのだが、このドラマは、前半は地上波で放送されたが、後半はTBSなどが出資するインターネットテレビ「Paravi」で配信するというスタイルをとった点も、注目すべきだろう。
 アメリカの政治学者アンダーソンはかつて、著書「想像の共同体」において、近代国家の「国民意識」の起源として、出版資本主義の重要性を指摘した。現地語による活字メディアの興隆が、近代的な「国民」の形成に寄与したという彼の議論は、各方面に大きな影響を与えたが、現代日本における地上波テレビは、類似する役割を果たしてきたとは考えられないだろうか。
 もしそうだとすると、テレビの地位の相対化は、この国の姿を大きく変える要因になりうる。これをどう考えるべきかは、私たちの社会全体に対する問いかけとして、捉えるべきだろう。日本のモダンを支えてきた条件がまた一つ、過去のものになろうとしているのかもしれない。」朝日新聞2019年3月21日朝刊、17面オピニオン欄。

 家でテレビを見るという行動が、定着し習慣化したのは、どこの家にもテレビ受像機(モノクロからはじまったのだが)が入り、チャンネルが6つとか7つとかになった1960年代半ばくらいだろう。それから30年間くらいが、国民大多数がテレビを見ているという前提でテレビ各局が視聴率を競っていた黄金時代だった。民放は、大衆消費社会における広告媒体として大きな利益を稼げた。このような時代が確実に過ぎ去ってゆくのは、もうはっきりしているとして、では新しいメディアの形がどんなものになるのか?国民意識を超えたものが出てくるのか?神里氏にもまだ明確には見えない。
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