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燃える火の中でも涼しいという神秘主義Mysticismについて

2013-10-18 15:02:58 | 日記
A.心頭滅却すれば・・やっぱりアチチっ
 あれは小学校の教室で、なんの授業だったのか憶えていないが、先生が「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉を教えてくれたことがあった。これは戦国時代、武田信玄が死んで跡を継いだ勝頼が織田信長に攻められて滅んだ時の話で、甲州の塩山にある恵林寺という寺の快川和尚という僧が、武田方の武将を匿い引き渡しを拒否したので、焼打ちにあった時の言葉だという。燃え盛る火の中で弟子たちに「自己を捨て無我の境地になれば火の中でも涼しいのだ」と言ったという。この先生は山梨県出身で、故郷の武将、武田信玄の話をよくしてくれた。教科書にあるような歴史ではなく、ほとんど講談か浪曲みたいな、史実かどうか怪しい伝説の類、それゆえにひどく面白く50年経った今でも記憶の片隅にある。
 寺ごと焼かれて死んでしまうというのに、修行してれば熱くない、なんておよそ非合理で無茶な話である。でも、どっちみち死ぬならじたばた足掻くより端然と座禅でもして名が残る方がかっこよいのかもしれない、と子どもながらちらっと思った。でも、やっぱり熱いだろうな。
 歴史上の快川紹喜は臨済宗の僧で、美濃の国の出身といわれる。京都の妙心寺にいたが武田信玄に招かれて甲州に来て恵林寺住職になり、信玄の顧問のような役割を務めた高僧だという。 武田家滅亡の天正10年4月3日(1582年4月25日)に、織田信忠の軍勢によって焼討ちにあい、一山の僧とともに焼死した。この時「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世を残したといわれる。これは実は中国の杜荀鶴の詩の引用で(原典は「…火も自ずから涼し」)、快川の最後の辞世としたのは後世の創作という説もある。それはともかく、禅の修行というのは一種の神秘的要素があって、自我や世俗を捨て去った境地とは、自然身体の感覚を超越したものだというイメージがあるのだろう。
 福井の永平寺で若い修行僧が、ひたすら座禅や作務に走り回って厳しい修行をしている姿が知られるが、あれも一種の神秘主義的要素があるのだろう。ぼくも座禅は鎌倉などで何度かやってみたことがあるが、ただ座って瞑想するだけだと、ふつうは飽きてしまって、頭を空っぽにするのだといっても余計な想念が次々と沸いてくる。そのうち足が痛くなってくるともう早く終わらないかななどと、実に情けない凡人の己に気づく。ま、そう簡単に心頭滅却なんてできるわけもないのだが、神秘体験というものがオカルト的なイメージではなく、ひとつの世界観を体感するという意味の神秘主義思想は、昔からある。
 神秘主義Mysticismというのは、もとはキリスト教の中にある、個人と神との合一体験によって、直接的、直観的に神あるいは究極の実在を知ろうとする立場を指す。世俗の生活を捨てて修道院などにこもり、ひたすら厳しい修行をすることによって、頂上体験をする。神秘主義の形式や神秘体験の強烈さには様々なものがあるが、神秘主義の本質は形式ではなく、体験によって得られる神との合一という質にある。神秘的生は、高められた活力、生産力、静寂、喜びといったもので特徴づけられ、自己の内と外は神との合一の中で調和する。神秘主義は、キリスト教に限らず、ヒンドゥー教、仏教、道教などの中にも似たような思想が見られ、とくにイスラーム神秘主義はスーフィズムの名で知られる。



B.イスラーム神秘主義について
  井筒俊彦先生の『イスラーム文化』という講演記録の佳境に入る。最後は、スーフィズムについて。
 「私は先に、『コーラン』に記録された神の啓示を前期と後期、メッカ期とメディナ期とに分けまして、両者のあいだの根本的相違をご説明いたしました。前回の主題であった律法的共同体型の宗教としてのイスラームは、メディナ期の精神の文化的展開であります。これに対して、メッカ期の啓示に基くイスラームは、個人的、実存型の宗教で、スーフィズムはこのメッカ期の啓示の精神を、そのまま純粋に推し進めていったものといえると思います。迫りくる天地終末と審判のとき、己の生きざまの罪深さ、怖れ、およそこういったものがメッカ期のイスラームを濃厚な終末論的実存的情緒で色づける。それはもうこの前にお話ししたところですが、スーフィーと呼ばれる人たちは、まさにそこから出発して徹底的に現世否定の道を進みます。現世否定とは具体的には禁欲生活、苦行道の実践という形をとって現われます。禁欲と清貧、それはすなわち主体的に現世への一切の執着を断ち切ること。現世を本質的に迷いの世界と見てこれに背を向け、現世的なものすべてを罪障の源泉として実存的に否定することであります。
 人間の現実のあり方、いわゆる現世は、そのままでは堕落であり、悪である。こう感じるところまでは、前回にお話しいたしましたスンニー派の人たちと異るところはない。つまり出発点は同じなのですが、共同体的イスラームの代表者たちとは違って、スーフィーたちはその悪い現世を強いてよくしようとはいたしません。現世を神の意思に従って建設し直す、そんなことは問題外です。現世はもう初めから根源的に悪なのであって、神の意志の実現される場所などではありえないのですから。むしろ一刻も早く現世に背を向けて、現世的なもの一切を捨て去らなければならない。それこそ神の意志だ、というのであります。この揺がしがたい信念が人間実存の深部に座を占めるとき、パトス的には厭世主義、ロゴス的には現世逃避思想となって現われてくる。
 この前私は、イスラームでは、元来、隠者とか世捨て人とかいうものを認めないと申しました。しかし、あれは共同体的、スンニー的イスラームの立場でありまして、スーフィーたちの立場はまさに正反対です。彼らは文字どおり隠者、世捨て人であります。世をいとい、世に背くのです。しかも意識的に。ここでも「外面への道」を行く人と、「内面への道」を行く人とは、正面から衝突いたします。
 ですから当然、共同体の社会的秩序を守るための規範であるシャリーア(イスラーム法)はその価値を失って、それほど大切なものではなくなってしまいます。もともと共同体の宗教とは、同じ信仰を分かち合う人々が社会契約上の兄弟となり、集団的責任感で一体となって協力し、神の意志に従ってこの世界をよりよい世界につくり直していこうとするところに本領がある。それを可能にするための法律です。現世そのものが大切でなくなれば、シャリーアが大切でなくなるのは当然であります。
 もともと、スーフィーは現世に背を向けた孤独者です。ただ一人の神の前に、ただ一人で立つ、ただ一人の実存、それがスーフィーであります。シャリーアを厳守することによって、いくら外面生活をきれいに飾り整えてみたところで、内面が汚れていればなんにもならない。形式だけ完璧に道徳的に生きても、内的精神がなければ話にならないというわけです。スーフィーズムの発展史の初期に偉大な足跡を残したバスラのハサン(ハサン・アル・バスリーHasan al-Basrī)の有名な言葉に「ただ一粒の内的誠実さは、断食や礼拝より千倍も重い」とありますが、この言葉はシャリーアにたいするスーフィーの態度をよく表しております。」井筒俊彦『イスラーム文化 その根柢にあるもの』岩波文庫、1991、212-215.

 イスラーム教と一口にいっても、ムハンマドがいなくなって、生前のメディナ期の教えに立つ「外面への道」スンニー派とメッカ期の教えに立つ「内面への道」シーア派が別れ、さらにその後神の言葉を体現し指示を与える人物がいなくなって、「内面への道」をさらにラディカルに追及するスーフィズムが出てくる、というおおよその見取り図である。このスーフィズムとシーア派イスラームとは、同じ「内面への道」といっても、かなり違う。

「なぜメッカ巡礼をしないのかと尋ねられたときに、アブー・サイードはこう答えました。「一軒の石の家」――イスラームの聖所、メッカの石造りの神殿カアバを、「一軒の石の家」というのですから相当なものです――「一軒の石の家を訪問するために、わざわざこの足で何千里の土地を踏んで歩いていく、そんなことをして一体どうなるというのだ。本当の神人はじっと自分の家に座っているだけでいい。そうすると天上のカアバの神殿が(つまり地上のメッカの神殿ではなくて、永遠の天上のカアバ自体が)、向こうからやってきて、一昼夜のうちに何べんも彼にお参りしてくれるのだ」と。シャリーアに対するスーフィーの見方を最も極端な、そして大胆不敵な形でこの言葉は示しております。
 しかし、このような境地に達するまでにはスーフィーは長い、激しい修行の道を行かなくてはならない。これが、はじめにちょっとお話しした自己否定の道、自我意識払拭の修行道であります。
 われわれの実存の中核には自我意識がある。「我」、私、というものが先ずあって、その周りに光の輪のように世界が広がる。自我意識は人間存在の、人間実存の中心であると同時に、世界現出の中心点でもあります。しかし、それは同時にすべての人間的苦しみと悪の根源でもあるのです。人間に我があるから苦しみがあり、悪がある。ふつう世間で悪と呼び、苦悩と呼ばれているもの、また、シャリーアで罪と考えられているものは、ことごとく我に淵源する。だが、それだけではありません。スーフィーの見地からすれば、自我意識、我の意識こそ、神に対する人間の最大の悪であり、罪であるのです。」井筒俊彦『同書』216-217.

 自我、我、わたし、という意識が宗教や哲学ではつねに厄介な曲者である。自分などというものは、たかが時間と空間のある一点に生まれて死ぬだけの、限られた存在で、そこから見た世界も限られており、全知全能の神という存在を前提にすると、神の前に愚かで卑小な自分を投げ出しひれ伏して拝むことで、救いを願うしか道はなさそうである。しかし、もし自分というもの、自分が抱く欲望、自分の身体、感覚から得る喜び苦しみを、厳しい修行によって消滅させることができるならば、神そのものと一体になることができるだろう、などというとんでもないことを神秘主義は考えるようだ。それを不遜で罰当たりな行為だと考えれば、神秘主義信者を火あぶりにする。でも、こういう発想は多くの宗教にあるし、実際世俗を離れた修行道場のようなものを作って、神秘体験を追求する若者が出てくるのもよくあることだ。

「では、なぜ「汝の汝性」(トゥウィー・エ・トゥ)が悪であり、災いであり、罪ですらあるのか。この問いは、御承知のように、仏教などでも非常に大きな働きをする意義重大な問いですが、それに対する答えは、仏教とイスラームとではだいぶ違ってきます。元来イスラームは人格的一神教でありまして、スーフィズムもイスラーム神秘主義であるかぎりは、やはり人格的一神教ということをそのイスラーム性の最後の一線としてあくまで守りぬこうとするからであります。
 人格的一神教の神秘主義、スーフィズムの、この問いにたいする答えは、おおよそ次のとおりです。私が我の意識をもつ限り、我と神とが対立する、それが悪なのだ。私が神に第二人称で汝と呼びかけるにせよ、あるいは神を第三人称で彼と呼ぶにせよ、ともかく存在は二つの極に分裂し、意識もまた二つに割れてしまうからだ、と。実を申しますと、我と神との分裂、対立こそ共同体宗教としてのイスラームはもとより、ふつう一般に宗教と呼ばれるものにおけるいちばんノーマルな状態でありまして、信者が神をはるか向こうに望み見ながらこれに祈りかけ、これを拝む、それが宗教なのですけれど、スーフィズムに言わせれば、これでは神と信者が対立してしまう。つまり神のほかに、それに対立して何か別のものがあるということになってしまう。これでは二元論です。
「我こそ真実在」(Ana al-haqq)、つまり「我は神」という恐るべき宣言をして涜信の罪を問われ、西暦922年、バクダードの刑場で悲劇的な死を遂げた超一級のスーフィー、ハッラージ(Hallāj)が、その詩の一節でこう歌っております。
  ああ、我といい、汝という。
  だがこういえば、神が二つになるものを。
    ・・・・・
  ああ、できることなら「ニ」という数を
  口にしないでおりたいものを。
と。人間に我の意識がある限り、人は我として、神に汝、と呼びかけなければならない。あるいは、神を彼とみなければならない。どこまでも人間的我と神的汝、または人間的我と神的彼の関係であって、神だけではない。神だけでなければ二元論です。一神教ではありません。真に実在するものは、ただ神だけ、全存在ただ神一色でなければならない。それでこそ純粋な一元論であり、本当の一神教だというのです。
 (中略)
 しかしながら、スーフィーが自己否定の道をどこまでも進んでいくうちに、思いもかけなかった不思議な事態が起こってまいります。自己否定がまったく新らしい積極的な意味をもちはじめ、一種の自己肯定に代わってくるのです。否定に否定を重ねて自我意識を消しながら、我をその内面に向かって深く掘り下げていくと、ついに自己否定の道の極限において、人は己れの無の底に突き当る。ここに至って人間の主体性の意識は余すところなく消滅し、我が無に帰してしまいます。自我の完全な無化、我が虚無と化すということです。
 ところが、この人間的主体性の無の底に、スーフィーは突如として燦然と輝き出す神の顔を見る。つまり人間の側における自我意識の虚無性が、そのまま間髪を入れず、神の実在性の顕現に転生するのであります。」井筒俊彦『同書』218-220.

 神様!と呼びかけること自体、神に対する自分の存在を主張している、2という数を口にするのも嫌だ、というところまでくれば、これは究極の神秘主義で、修行の果てにピーク・エクスペリエンスに到達するのかもしれないが、あらゆるものの全否定がそのまま自己と世界の全肯定になるという、一発大逆転の思想だ。これぞ神業。
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