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 どこへ向かっているの? 「安保提言」のなかみ 初詣

2023-01-02 17:03:15 | 日記
A.アジア版NATOか
 年が明けて、もう去年夏のことになるが、岩波の雑誌『世界』に載っていた前田哲男氏の以下の論考を、ぼくはさらっと読んで忘れてしまっていた。年末の片づけをやっていて、改めて読んでみた。2022年4月末、ロシアのウクライナ侵攻が世界を驚愕させた直後に、自民党政務調査会が公表した「安保提言」について、その内容を説明し批判するものだった。岸田政権は、安倍元首相銃撃事件や旧統一教会問題などで世間の目が、そちらに向いていた間に、この提言に沿った「敵基地反撃能力」や「防衛費GDP2%水準」の実現に向けて準備を進めた。それだけでなく、提言が目論んだ「安保3文書」の改定、つまり「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」という自衛隊にかんする基本的政策の転換、「専守防衛」「文民統制」といった戦後自衛隊の性格を統御してきた姿勢を、大きく変える動きを、国会でまともに議論することなく閣議決定で推進しようとしている。大手メディアは、北朝鮮のミサイル発射やロシアのウクライナの戦況とともに、中国をふくめた軍事的脅威を強調しつつ、防衛費増大のために国債ではなく増税を打ち出した首相への世論ばかり報じている。まるで、自衛隊の増強は既定の方針であることを当然と考えているかのようだ。
 前田氏が解説する自民党の「安保提言」は、たんなる防衛力強化、つまり自衛隊に大きな予算を振り向ける程度の話ではなく、憲法9条を変えた後のこの国の軍事力の使い方について、つまり9条が消えたあとの日本の軍事的行動能力にまで踏み込んでいるものだ。自民党という政権政党のこれが安全保障の基本方針なのだとすると、ぼくたち国民は、これまでの自衛隊というものへの考え方を、見直さなければならない。自衛隊は「軍隊のようなもの」だけれど、しかもいまや世界有数の軍隊としての装備や能力を持っているのだが、これはあくまで日本国憲法を踏み越えるものではない、戦前の日本軍とは違うのだ、という前提が実質的に取り払われる可能性がある。自衛隊はあくまで、日本の領土と国民を守るためにあるので、海外に出ていったり、外国の領土や住民を奪うためにあるのではない、ということはぼくたちの前提だった。でも、自民党の議員のなかからこの「提言」への異論はないらしいから、これも自民党が近く実現を目指している憲法改定の動きの中で、国民が何が起きているのか気がつかないうちに、軍事国家になっていた、というきわめてとんでもない事態に向かっている、かもしれない。

 「自民党安保提言批判:アジア版NATOへの道  前田哲男 
 四月二六日、自民党の政務調査会と安全保障調査会の名前で公表された「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」を一読して、この「提言」は、メディアがつけた見出し――「敵基地攻撃能力」や「GDP2%防衛費」の提議―ーにとどまるものでなく、もっと遠いところ、たとえば「憲法改正後の自衛隊と日米同盟」の未来形について、思う存分意見をのべ、網羅的に展望した構想として読むべき、という感想をもった。それほど多岐、詳細にわたり、かつ憲法を超える次元で安全保障と自衛隊のあり方が開陳されている。そこから参議院選挙後に本格化するであろう「改憲論議」を見こした問題の投げかけ、と理解する方が内容にふさわしい読み方といえる。もとより「ウクライナ事態」に順風を得た所産であることもたしかだ。
 そもそも「防衛費倍増」についてなら、すでに二〇二一年九月の自民党総裁選で高市早苗(現政調会長)が「GDP2%・10兆円防衛費」を主張していたし、また一〇月総選挙において自民党公約のひとつにかかげられていた。「敵基地攻撃論」のほうも、地上イージス断念(2020年6月)以来、「攻撃」か「反撃」かの用語をめぐり、さんざんに論じられてきた経緯がある。それらを決着させる意味で“ニュース性”はあったとしても、そこだけに焦点を当てていたのでは全体の文脈を見誤ってしまう。しかし大半のメディアは、その二点にしか焦点を当てなかった。
 この「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言」(以下「提言」と略記)は、もっと先にある「自衛隊と日米同盟」のあり方を、自民党の党議として全面的に問題提起したところに真の目的があるだろう。だから批判する側の態度は、焦点を絞り込む――すでに提案ずみの「2%問題」「敵機攻撃論」--のでなく、視野をひろげ「専守防衛の立場からどう考えるのか」を論じなければ問題提起にはならない。そのような観点に立ち、以下、全文を見わたしたうえで批判的検討(メディア批判でもある)をおこなう。
 「提言」=自民党安保政策の全体像
 「提言」は四月二七日、自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)から岸田首相に手交された。自民党ホームページによると、首相は「厳しい安全保障環境の中、わが国が防衛力を強化する上で重要な指摘であり、喫緊の課題だ」としたうえで、国家安全保障戦略等の改定に向け「しっかり提言を受け止めて議論を進める』との考えをしめしたとされる。これにより自民党総裁のお墨付きを得たことになる。さっそく防衛大綱などを含めた防衛三文書の年内作成をめざす改定作業にはずみがつくはずだ。
 直後に訪米、オースティン国防長官と会談した岸防衛相は、ワシントンにおける会見(五月五日)で、「様々な議論を行いました」と認めつつも、「具体的な中身については、ここではお控えさせていただきたい」と、内容への言及を拒否した。それでも日米両閣僚間で踏み込んだ話し合いがもたれたのはまちがいなく、じじつ自衛隊準機関紙『朝雲」の記事(五月十二日)によると、「岸大臣は、年内をめどに我が国政府が進める『戦略三文書』の改定を通じ、日本の防衛力の抜本的な強化に向けた『断固たる決意』を表明」した、とある。ここに「様々な議論」の一端がほころび、語るに落ちた舞台裏がみてとれる。五月二三日におこなわれた岸田・バイデン会談では、「クアッド=日・米・豪・印軍事連携」とともに、「提言」の現実化が重要議題になった。「共同声明」のすみずみにそれは明らかだ。
 ところで、「提言」には副題がついている。「より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて」という長いタイトルだ。このほうが「提言」の意図をよく表している。「防衛力の抜本的強化の実現」(「朝雲」誌による岸大臣の対米説明さらに「岸田・バイデン」声明と同一表現)の言葉づかいからしても、本「提言」が個別テーマの説明というより、より長期、つまり「改憲後」に向けた自民党防衛政策の全体像を提示しているとみるのが妥当であろう。
 「より深刻化する」と二重に形容されている理由は、調査会で審議中の期間さなか(19回中12回)に、「ロシアによるウクライナへの侵略」(2月24日)が発生したことに起因している。これによって全体のトーンにいっそう高ぶった表現がもちいられたのは疑いようない。じっさい、全文中十四ヵ所にわたり、「ロシアのウクライナ侵略」「今般のロシアによるウクライナ侵略」などの表現がもちいられ、自衛隊増強と日米同盟堅持に向けた説得材料とされている(意見聴取された有識者の顔ぶれも元自衛隊幹部、長官経験者が目立つ)。奇貨居くべし、まさしく「渡りに船」とすべき格好の事態発生であった。
 「提言」の組み立て
 「提言」はA4用紙18ページにおよぶ。これまでになされた自民党提言、たとえば、二〇一七年の「弾道ミサイルの迅速かつ抜本的な強化に関する提言」(1ページ)、一八年「新たな防衛計画の大綱及び中期防衛力整備計画の策定に向けた提言」(11ページ)、二〇年「国民を守るための抑止力向上に関する提言」(3ページ いずれも政調会長名)とくらべても格段に長い。その最大の理由は、防衛政策全般を刷新する意気ごみをもって書かれているためだ。く和得て、「省庁出席者」として防衛相から四人の制服(統合幕僚監部防衛計画部長と陸・海・空幕防衛部長 将補)が参加している。いずれも“専門的助言者”としての出席であろうが、提言全体に大きな影響をあたえていることは否めない。たぶん第一稿執筆者は制服組のだれかだとみられる。それは「はじめに」につづく最初の節が「(防衛)3文書のあり方」にはじまっていることから推測しうる。こんな着眼は制服組にしかできない(ほかに軍事英語/略語の頻用ぶりによっても見当がつく))。
 防衛「3文書」とは、「国家安全保障戦略」、「防衛計画の大綱」、「中期防衛力整備計画」を指す。それらにより「国家安全保障戦略=基本方針」(安倍政権下では「積極的平和主義にもとづく安全保障」)と「長期」(「防衛計画の大綱」=10年間)、「中期」(「防衛力整備計画」=五年間)の防衛計画が策定されてきた。「提言」はそれに真っ向から異をとなえる。引用すると――
 現行の「国家安全保障戦略」と「防衛計画の大綱」は、安全保障環境認識などで重複する要素も多いため、「国家安全保障戦略」は戦略レベルでの、安全保障環境や国家安全保障の目標とその達成方法の明記に重点を置き、「防衛計画の大綱」については、脅威対抗型の防衛戦略に焦点を置いた文書を策定すべきである。
 こう主張され、現行三文書に替えて「米国の戦略文書体系との整合性も踏まえ」た「新たな3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)」に移行すべし、というのが提言冒頭の立言なのである。(傍線筆者 以下同)。“一体化の極み”というべきだろう。「脅威対抗型の防衛戦略」もさることながら、「米国の戦略文書体系との整合性」の部分がより重要だ。日米の戦略文書が同一の形式に切り替えられる意味は、たんに整合性のみではすまず、必然的に実態(たとえば「日米防衛ガイドライン」などのウォー・プラン)に反映されることが確実だ。米軍と自衛隊がさらに“融合の度”をふかめる契機とならざるを得ない。
 次の事実に接するとより明瞭になる。三月二八日に公表されたバイデン政権の「国家防衛戦略」(概要版)は、中国を「最重要の戦略的競争相手」と位置づけ、「同盟国と連携して対抗する」とした。「インド太平洋における中国の挑戦を優先する」、また「同盟・友好国のネットワークを活用し『統合的抑止』を推進」するとも書かれた。それと合致させるべく「同一様式の日本版3文書」への改定が提案されているのであろう。たんなる「整合性」統一ではすむはずない。
 それを踏まえつつ「脅威対抗型防衛戦略」に転換すると、どうなるか?「脅威対抗型の防衛力」とは、想定敵国の軍備に応じてこちらも戦力レベルを増強していく防衛構想だから、「専守防衛」と対極をなす防衛概念である。その「3文書改定」と「脅威対抗型防衛戦略」がひとつのセンテンスでくくられたことの意味。それは、名実ともに米世界戦略に自衛隊を同軌・単一化させるため、としか受けとりようがない。そのことに関連して、共同通信が複数の政府関係者の言として報じた記事(五月一日付)が参考になる。「(作成中の)新防衛大綱、秘密化案が浮上、政府、中ロ有事への対処を念頭に」は、その現実化だろう。同記事は「安保上の懸念が強まる中国やロシア、北朝鮮の有事への対処が狙い」、「大半が機密扱いの米国家防衛戦略(NSD)」に倣う」(同記事)とつたえる。そうであるなら「提言」のこの部分はすでに日米協議中の事項で「新・防衛計画大綱」に適用される、と受けとめられる。日本の「防衛三文書」も“墨ぬり”にされかねないのである。
  「情勢認識」――明確な敵国想定 
 「提言」のつづく部分は、「情勢認識」「防衛関係費」「戦い方の変化」の順で叙述される。「情勢認識」の節は、中国・北朝鮮・ロシアの順で、分量は中国部分がもっとも多い。中国関連の一部を引用すると―
 中国は、台湾周辺での軍事活動をさらに活発化させているだけでなく、台湾統一のための武力行使も選択肢の一つであることを明確にしている。中台の軍事バランスは全体として中国側に有利な方向に変化し、その差は年々拡大する傾向にあることからも、台湾海峡の平和と安定はわが国の安全保障にとってますます重要であり、わが国としても関連動向を注視していく必要がある。
 あわせて、「このような(中国の)強圧的な軍事姿勢は、わが国に対してもとられており、わが国固有の領土である尖閣諸島周辺においては、依然として中国海警船による領海侵入が継続しているのみならず、中国海警船がわが国領海に侵入し……」と警鐘が鳴らされる。
 ついで北朝鮮については――
 「わが国の安全保障との関連で、より重大かつ差し迫った脅威である」、「特にわが国のミサイル防衛網の突破を企図すべく、極超音速ミサイルと称するミサイルや、変則的な軌道で飛翔するミサイル」などの開発を進めている」と指摘している。
 ロシアに向けても――
 「今般のロシアによるウクライナ侵略は、人類が築き上げてきた武力の行使の禁止、法の支配、人権の尊重といった国際秩序の根幹を揺るがす暴挙」だときめつけ、「わが国固有の領土である北方四島をふくむ極東における軍事的なプレゼンスを強化しており」、「ロシア艦艇による日本海周辺海峡の通過は増加傾向にあり、特に宗谷海峡の通過の活発化が指摘されているなど、わが国周辺における活動が活発化している」と記述して警戒心を隠さない。
 ということで。「提言」文書は中・朝・ロをはっきり「想定敵国」とみなし、それらに「脅威対抗型の防衛戦略」:を構えようと呼びかける。「専守防衛」と逆方向であるのはむろんだが、歴史的にみると、一九三〇年代に帝國陸海軍が想定した「中・ソ・米 三国標準主義」の復活ともいえる。多正面戦略のすえに帝国日本は敗北したのだが、またぞろ台湾をめぐり中国と戦い、西方では北朝鮮を敵とし、さらに北方ロシアと対峙する「三国標準主義構想」がよみがえっている。そうなると防衛関連費が天井知らずとなるのもむりはない。つぎに「防衛関係費」の節があり、そこで「5年以内にGDP2%防衛費を」が力説されている。」前田哲男「自民党安保提言批判」岩波書店『世界』2022年7月号、pp.96-100. 
 引用が長くなるので( 中 略 )
 「そして「おわりに」で――
 「本提言は自民党安全保障調査会において有識者等を招聘し、19回にわたって自民党所属議員の議論を重ねたものであり、本提言の趣旨を政府は予定されている国家安全保障戦略等の改定に反映されることを期待するものである」とのべ、年内改定に向け作業が進行中の「3文書のあり方」に再度注意をうながし、むすばれる。
 このように自民党提言を読んでいくと、「今般のロシアによるウクライナ侵略」に籍口した自衛隊と日米同盟のあり方の輪郭、および全体の意図がくっきりと浮かんでくる。とても「敵基地反撃能力」や「GDP2%防衛費」の枠内におさまるものではない。改憲後に向けた軍拡論の草案とみなすべきもの、と受けとめなければならない。そうした圧力が年内に発表される「防衛3文書」に(「大綱」の秘密化もふくめ)反映され、また「次期ガイドライン(防衛協力指針)」に書き込まれて“現実の規範”となろうとしているのである(ガイドラインについては本誌2015年12月号~16年2月号に「三つの同盟と三つのガイドライン」として詳述した)。
 同時に、それは「アジア版NATO」への道でもある。「提言」中にも「バイ・トライ・マルチ」の枠組みとして明記してある(「自由で開かれたインド太平洋」の節)。そこでは、バイ=二国間=日米同盟を、トライ=三国間=日・米・韓、マルチ=多国間=豪・英・ASEAN諸国の枠組みへと拡大していく展望が、「共同訓練」や「円滑化協定」による実行過程とともに描かれている。「拡大された日米同盟」を“東のNATO”にしたいのであろう。バイデン政権の「中国包囲網」を下支えする集団防衛機構として位置づけられているにちがいない。1950年代に米政権が構想した「太平洋条約機構」の復活といえる。反日感情がつよかった当時、この構想は実現せず、日米、日韓、SNZUS(米・豪・NZ)などに分立していったのだが、「提言」と日米同盟の実態に照らせば無想とはいえないだろう。「バイ・トライ・マルチ構想」は、それへの歩みを想起させる。
 「提言」は日本をどこへ向かわせようとしているのか?文中三カ所にわたり「南西地域」という地名がみえることに注目したい(「戦い方の変化」「持続性・強靭力の強化」「国民保護」の節)。南西地域とは奄美大島、種子島など薩南諸島と琉球弧(沖縄本島、宮古島、石垣島、与那国島など)をつなぐ島々の連鎖だが、そこに自衛隊・米軍共同の策源地設置計画が進行中だ。そのひとつが沖縄米軍基地の「米軍・自衛隊共同使用計画」である。
 岸防衛相は五月十七日の会見で、「在日米軍と自衛隊による施設・区域の共同使用は、運用に係る緊密な日米間の調整、相互運用性の拡大などの観点から、充実すべき日米協力分野の一つであります」と事実をみとめたうえで、それについて「幅広く、様々な可能性を検討してまいりますが、日米間の具体的なやり取りや検討状況については、米国政府との信頼関係が損なわれるおそれがあることや、また、地元に対し無用の懸念を生じさせるから、お答えできない」と、具体的説明を拒否した。これにより「日米地位協定」のもとで沖縄基地群の共同使用計画が協議中であることは確認された。日本版海兵隊「水陸機動団」がそこに移駐していくのだろう。
 その二は、種子島そばにある馬毛島に目下建設中の「自衛隊馬毛島基地」である(三自衛隊共有になるこの基地については、21年3月号に「日米一体の巨大軍事基地」として紹介した)。南日本新聞五月十日付電子版によると、「馬毛島基地工事、4月だけで21年度の総額超える435億円契約、計画加速させる防衛省の姿勢鮮明に」という現況にある。「環境影響調査」さえすんでいないのにこの状況なのだ。いかに「南西地域」が重視されているかがわかる。
 三つ目に、「台湾有事」を想定した沖縄米海兵隊の「遠征前方基地作戦=EABO」という作戦計画がある。自衛隊ミサイル部隊が配備された奄美・宮古・石垣など南西諸島四〇の島々に海兵隊部隊を急派、そこを拠点に中国軍と戦う基盤とする戦争計画である。すでに自衛隊との共同訓練が実施されている。
 「提言」が目指しているのは、このような自衛隊と安保条約のありかたなのである。憲法、専守防衛はおろか個別的自衛権の枠組さえ大きく踏みこえる。
 岸田首相も承認した自民党「提言」から読みとれるのは、以上のような「日米同盟の近未来」である。専守防衛と護憲の側はどのような対抗構想を提示できるだろうか?」前田哲男「自民党安保提言批判」岩波書店『世界』2022年7月号、pp.104-105. 

 自民党は、ロシアのウクライナ侵攻なんか、ほんとはど~でもよくて、ロシアと北朝鮮と中国をひとくくりに危険な国家、想定敵国とみなして、そこから飛んでくるミサイルに米軍と一緒に戦う自衛隊を実現しつつある。岸田首相が思わずいったように、これは国民が税金で負担する覚悟があってしかるべきだと。この「提言」の前提が、アジア版NATO構想にあるのだとしたら、始まったばかりの2023年は、日本にとっての大きな曲がり角(すでに曲がってしまっているかもしれないが)、戦争への道だろうな。


B.ロシア正教について
 同じ号の『世界』に載っていた寺島実郎氏の連載「能力のレッスン」は、ウクライナ危機とロシアの本質というテーマで、ロシア正教について語っていた。東ローマ帝国のキリスト教である東方教会は、古代に広域ユーラシアの普遍言語であったギリシア語で、聖書(とくに旧約聖書)が広まったことから、ビザンツ帝国のキリスト教会を正統としたギリシア正教(ORTHODOX)が成立。その後ロシアの原型となったキエフ・ルーシ公国のウラジーミル大公が、ビザンツ皇帝の妹と結婚して988年に、ギリシア正教の洗礼を受け、これがロシアを含むスラヴ民族のキリスト教浸透の始まりとされる。やがてビザンツ帝国崩壊後、ギリシア正教はロシアでロシア正教になる。
 ぼくたちは、キリスト教というとローマのカソリックか、そこから宗教改革で別れたプロテスタント諸派をイメージするが、もうひとつのキリスト教・ギリシア正教のことはほとんど知らない。寺島氏は、じつはロシアやウクライナを理解するには、このロシア正教という要素を知る必要があるという。それは、日本と無関係ではない。
 ただ、ここで引用するのは長いので、プーチンのウクライナ侵攻に関連した最後の、日本についての部分だけ読んでみる。

 「何故、展望なき無謀な戦争に駆り立てられるのか―ー。日本人はプーチンのロシアがウクライナで展開している非理性的な行為を注視しつつ、日本近代史の教訓を再確認すべきであろう。私は昨年末『人間と宗教あるいは日本人の心の基軸』(岩波書店、2021年)を上梓し、人類史における宗教の意味を「戦後なる日本」を生き、世界経済の現場を歩いて来た自分の体験に照射しながら、現代日本人の心の基軸を問い詰めてみた。実は、一番苦闘したのは、明治維新から敗戦までの約八〇年間の「宗教と政治」の特異な関係性への評価であった。
 この明治期といわれる時代の日本は二重構造になっている。「尊王攘夷」を旗印に倒幕に成功した新政府は「天皇親政の神道国家」の建設を目指した。民衆に根付いていた仏教さえも「廃仏毀釈」で葬ろうとした。だが、欧米列強と向き合う中で、近代国家としての体制を整備する必要を痛感し、内閣制度導入(1885年)、大日本帝国憲法発布(1889年)、国会開設(1890年)と動いた。「諸事神武創業の始に原き」(王政復古の大号令)として「天皇親政の神道国家」の建設を目指した明治期日本は、近代国家という擬態への軌道修正を図りながら、基底には国家神道を統合の価値基軸とする「国体」(「有司が万機を議論し、神格化された天皇が先制する体制」)を抱え込んでいたのである。まさに民族宗教と国家権力の一体化を目指したのである。
 この危うさが対外的孤立の中で制御力を失い露呈したのが戦争に向かう10年間であった。それは「天皇機関説事件」(1935年)から「国体明徴声明」、「二・二六事件」(1936年)、「統帥権干犯問題」を想起すればわかる。昭和軍閥の専横が戦争をもたらしたという視界は狭い。圧倒的に多くの日本人が「愛国行進曲」を熱唱して、共同幻想の中で戦争へと突き進んだのである。「見よ東海の空明けて旭日高く輝けば……」から始まるこの歌は、「起て一系の大君を 光と永久に戴きて 臣民我等皆共に 御稜威(みいつ)に副わん大使命 往け八紘を宇(いえ)となし 四海の人を導きて 正しき平和うち建てん……」と続く。冷静になれば気恥ずかしくなる言葉が連なるが、この熱狂がまったく無謀な戦争を支えたのである。
 明確にしておかねばならないことがある。私自身を含め、多くの日本人の心には故郷の自然や祭祀や初詣の思い出と重なった氏神様への想いがあるはずである。そうした「八百万の神々」を大切にする健全な神社神道と政治権力と一体化した国家神道は違うということである。国家が民族宗教によって「愛国と犠牲」を美化し、排外主義を鼓舞して暴力的侵略さえも正当化する陶酔に浸ることは、結局「国を滅ぼす」ことになるのである。
 世界の論壇も、ロシアの狂騒と80年前の日本の類似性を指摘し始めている。プーチンを「無謀な戦争」に駆り立てた構図について、ブルッキングス研究所のシニアフェローのロバート・ケーガンも、真珠湾攻撃直前の日本との類似を指摘している(Foreign Affaires Report.2022.no5)。当時の日本にとって米英との協調は「小さな日本」に戻ることで、「見果てぬ夢」に浸る日本の指導者には耐え難い屈辱だった。ケーガンはその「見果てぬ夢」をもたらした構造的解析に踏み込んではいないが、それこそが国家神道によって形成された「神国日本」の幻想であり、日本人は「近代史の教訓」を忘れてはならない。憲法改正などの動きの中で、教育勅語など明治期の国家による価値基軸への回帰や国権主義への共感を示す人達もいるが、戦後80年を経た日本人の叡智が問われているのである。」寺島実郎「能力のレッスン特別編 ロシア正教という要素」岩波書店『世界』2022年7月号、pp.224-225. 
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