gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

小泉文夫『日本の音』を読む 1 日本音楽の歪んだ近代化

2024-02-10 12:08:08 | 日記
A.音楽の矛盾
 小泉 文夫(1927〈昭和2〉年4月 - 1983〈昭和58〉年8月)は、日本の民族音楽学者。東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながら平凡社に勤務する。邦楽や東南アジアや中近東、アフリカ音楽に興味をもち、日本の伝統音楽の研究やNHK交響楽団機関誌の編集委員などを務めた。1957~59年にインドに留学しインドの古典音楽や民族音楽の調査を行い、1959年から東京芸術大学の教員となり、1960年東京芸術大学講師、1964年助教授、日本をはじめとして世界中の民族音楽の調査や研究に従事する。その傍ら、NHK-FMの「世界の民俗音楽(後の「世界の民族音楽」)」の番組の担当や、NET(現テレビ朝日)の「世界の音楽」などにも出演するようになった。 1967年~68年アメリカウェスレヤン大学客員準教授、71年客員教授。 1975年東京芸術大学教授に就任後も、世界でのフィールドワークを多数行い、1977年には民主音楽協会によるコンサート「シルクロード音楽の旅」シリーズの制作のためシルクロード音楽調査団として現地調査を行った。しかし多忙により癌の発見治療が遅れ1983年8月20日、肝不全のため56歳で没した。(以上Wikipediaの記述による)
 この『日本の音』では、日本の音楽教育においては、なぜ伝統音楽を締め出した形になっているのか?という問いを、豊富な邦楽研究の成果から論じている。

「(日本の)教育において西洋音楽一辺倒になった理由は、大きく分けて次の二点にしぼることができるかもしれない。その第一は音楽の国際的な性格をあまりに強く過信したこと、第二は、教育の体系をつくった人びとが本当には伝統音楽を正しく認識していなかったことである。
 われわれは常識的によく「音楽には国境はない」とか、「音楽は国際的な言語である」などというが、これはたしかに音楽芸術というものの政治や言語に対しての違いを端的にいいあらわしてはいるが、そこに音楽の性格を認識するうえで陥りやすい落とし穴があるのである。言語はその単語や文法を知らない耳にとって、何の意味も持ってはいないが、音楽はたとえインドやアラビアの音楽についてまったく無知な者の耳にも、その美しさを完全には理解できないまでも、何かを訴えかけ、よい作品の場合と感受性が豊かである耳には、しばしば深い感動にまで導くものである。しかし音楽は反面、限られた社会や地域の中で伝統的に組み立てられた独自の体系をも持っており、この体系は単に偶然的に立てられたものでも、音楽だけの範囲で抽象的につくり出されたものでもない。その国、その民族の言語や習慣や思想、信仰そして広く社会の中で、互いに他の要素とからみあって産み出されてきたものである。したがって音楽こそ、その真の理解を得るためには、この体系自体の深い認識なくして本当の内容を理解することのできない芸術形式なのである。この点にくらべれば、絵画をはじめ造形芸術や、舞踊の方が、はるかに具象性をそなえた表現を基礎としているだけに、国際的な要素を持っているとさえいえるのである。今日の西洋一辺倒の教育を守り通し、それを支持している人びとは、こうした音楽の持つ二重性の反面をあまりに軽視しすぎてはいないだろうか。
 子どもの時からハーモニカを持たせ、西洋の長調の音階を植えつけておけば、自然に西洋音楽が身につく、と安易に考えすぎているように思う。そして実際に教育ママの圧力や、洋楽に弱かった世代を親に持つ子ども達は無理にピアノを稽古させられ、音楽教室がやたらと繁盛する。ところで、音楽以外の面では、たとえば言語や習慣、立ち居振る舞いなど依然として伝統とつながりを持つ要素を身につけつつ、音楽だけがひとり独立して西洋と同じ水準に追いつこうとする。
 音楽は芸術といっても、自己表現を直接伴わない技術の側面も多分に持っているので、ピアノの曲がうまく弾けたり、ヴァイオリンの困難な技法がこなせたりすると、今度はそれを芸術自体の理解や消化と混同する。こうして二重の錯誤に基づいた現代日本の音楽社会が出来上がる。
 一般社会では必ずしもこうした楽観的錯誤を許してはいない。国家予算を使ってあれほど徹底的に統制して行われる音楽教育でも、多くの日本人の間ではそれほど功を奏さず、「おれは音痴だ」というかたちで拒否する自称音痴(その実音痴でも何でもなく、ただ西洋音楽についていけないだけなのだが)になるとか、また教育音楽とはまったく関係のない、そしてやはり伝統とは深いつながりを持つ邦楽調、民謡調、ないし浪曲調の歌謡曲にその音楽的情熱を傾ける大衆がいる。日本語や日常的な生活感情と結びつかない西洋音楽が、技術的な側面以外になかなか現代日本人の表現素材とはなり難いことを最も鮮明な形で現わしているのが、この歌謡曲である。従来は伝統的要素も西洋的技法も、どちらもあまり発展させられていない低い次元の結びつきではあったが、やはり日本人の音楽的表現を代表するものであることだけは事実である。
 もう一つの問題である伝統音楽の認識の点はやはり、直接に現代のわれわれ自体の問題に関係する。明治の初期に音楽教育の体系を考えた人達が、実は西洋音楽ばかりでなく、伝統音楽に関しても、その知識や体験が十分でなかったことは重大である。伊沢修二その人は元来お役人であったし、当時音楽教育にたずさわった人達の多くは雅楽の伶人であった。雅楽はいうまでもなく日本古来の伝統音楽であるが、中国大陸や朝鮮半島から直接に輸入され、平安の中期に国風化の大改革を経験したとはいえ、やはり大部分の日本人からは遊離した宮中の音楽であった。今日でも非常な価値を持つ上原六四郎が明治中期に著した『俗楽旋律考』において俗楽とうたっておりながら、日本の民謡の音組織が正しく認識されなかった理由も、そうした社会的離反が原因であったろう。ところが一たび新しい音楽教育の体系が打ち立てられると、伝統音楽は次第に顧みられなくなり、その後日本の伝統音楽の理論的研究はわれわれの世代までほとんど実証的成果を上げなかったのである。こうした教育体系のために、伝統の価値の認識にとってもっとも不可欠の要素であるべき、理論的把握は今日までほとんど行われていないといっても過言ではない。
 いま伝統の将来を考えるときわれわれはすでにして、この誤った教育のおかげで、はたして伝統音楽が、将来においてどのような価値を持つかの判断をする資格を、極論すれば初めから失っているのである。
  音楽と他の分野との平行現象
 音楽だけが伝統文化の中で独立して、その国際的な性格に依存しながら西洋化することの困難さは、前項において説明した通りであるが、その原因の一つを検討するために、以下に思いつくまま、伝統音楽がいかに他の分野と密接な関係を持っていたか、さらに特別目立った相互影響が見られない分野においても、その芸術形成の原理において平行現象が見られるかを概観してみたいと思う。これによって従来はほとんど決定的に欠けていた、伝統との隔絶による認識不足を補い得れば、これらの見通しの段階でも必ず役に立つにちがいない。
 伝統音楽が最も直接に影響を受ける分野はいうまでもなく言語および文学である。言語の音楽的側面である音調やシラブルの構成は直接に唱えごとや、語りもの音楽のリズムや旋律の形となって歌にあらわれる。たとえば日本語のアクセントがストレスを土台とするゲルマン系諸語(英語やドイツ語)と違って、高さの変化による音調言語(たとえば中国語やベトナム語)の一種であり、それが旋律にそのまま反映するとは限らないが、かなりの程度で守られていることなどは、すでに何回か機会あるごとに説明してきたし、また日本語のもつ各シラブルの等拍性も、わらべうたをはじめ民謡や芸術歌曲も中にすら多くの影響というか平行現象が見られ、追分や馬子唄のような一見自由リズムと見られる無拍の歌においてすら、その等拍性が土台になっている現象についても考察してきた。
 こうしたことばと音楽との平行現象に関してはそれらについての拙稿「日本語の音楽性」(平凡社ライブラリー『音楽の根源にあるもの』所収)ほかを参照されたが、ここで問題としたいのは、むしろ文章の構造や文学の形式と、音楽の形式すなわち楽式構成との関係である。たとえば近代化以前の日本の文章では句読点は必ずしも必要でなかった。これは文章の意味を明確にするというより、読む時の息の切り方の必要上、次第に点や〇がつけられるようになったもので、江戸時代の文章では、すべてがつながっていて、どこで文章が切れるのかは必ずしも明確ではない。
 また主語、述語、目的語といった区別もやはり明確でないことが多い。現在でも主語を省略することは一般的であるし、また主語を表わす助詞「は」「が」などが他の用法にも共用されるので、金田一春彦氏がいっているように、「僕はカレーライスを食べる」はよいが、脇にいた友人がそれに答えて「俺はウナギだ」などとまぎらわしいことを言っても、一向に頓着しない。その人がウナギなのか、その人がウナギを食べるのかは、その場に居合わせないと分からない。
 こうした柔軟な構造はやはり伝統音楽が持っているながれるような構造、部分の区別の明確でない連続した形式と関係があるかもしれない。
 文学の形式では物語形式として、平安時代から江戸時代まで、一貫して連鎖的並列的形式が行われた点については伊藤整氏が述べているが、各々のまとまった話は常にその前の話とは関係があるけれども、そのさらに前や、そもそもの発端やきたるべき結末との関連において構成されているのではないという点は、音楽を研究するものにとっても極めて興味ある指摘である。筝曲の段物は各段が一応明確に区切られていて邦楽としてはやや珍しい構成の形式であるが、各部の全体における公正プランは必ずしも、西洋流の構成原理に基づいてはいない。たとえば『六段』は各段ごとに等しい拍数に整えられ、それらをつなぎ合わせることによって六段になっているが、その全体の構成は前後の連鎖という意味で強い制約はあっても、各dんの均衡上それが六つでなければならないという強い必然性を持ってはいない。かつてはこれが「九段」であったり「八段」であったりした。「六段」にまとめるのは全体の長さとして適当であるからそうなったまでのことで、あまりよい例ではないが、時間の都合上、二段目を抜かしたり、四段目の途中から五段目に移ったり、さまざまに縮めることすら行われる。この縮める点は邦楽でについてはどの曲もそうで、浄瑠璃のような物語性の強い者でも遠慮なくカットしてしまい筋の脈絡がつかなくなったり、長唄のように初めから歌詞があまり構成的でなく前後の脈絡のはっきりしない歌詞では、ただ断片をつなぎ合わせ、その個々の単語や短い一くさりの文章のもつニュアンスだけでこの連鎖を続けていくことも多い。こうした文学と音楽との結びつきは当然としても、それと同じような現象が歌詞を伴わない器楽においても見られるところがおもしろい。
 文学の伝統的修辞法としての「カケコトバ」もまた興味ある技法といわなければならない。「恋は思案の帆かけ船」などといって、「恋は思案の外」と、その情景の中に出てくる「帆かけ船」の描写とを、多少時間的にはズレているが、ほとんど一緒にやってしまおうとする。これはちょうど瓦屋根を葺くときに重ね合わせたり、天井板を少し重ねて貼るのに似ている。これはなにも日本だけの特徴ではないが、連続観や連鎖性を強めるための手段として音楽にも当然用いられる技法である。わらべうたのまりつき唄などの連続観をもったものでは基本的な二拍子すら守ろうとせず、隙間をあけることなしに言葉が続き、そのため『あんたがたどこさ』などの例をあげるまでもなく変拍子が多くなる。また能の謡を素謡として稽古する時は、シテやワキのパートがはっきりと区切れて譜本に書かれており、また謡う人も適当な区切りをもって謡う必要がある。たいていは一人の人間が両方を謡うわけであるから、それは当然であろう。ところが実際の能の上演に際しては、地謡ヤシテ、ワキなど、それぞれに別の役者が演じたり謡ったりするので、地謡が完全に終わらないうちにシテが謡いはじめたり、シテの最期の音を引き終えないうちにワキが謡いだすということは、上演を連続感を持たせて倦きさせずに行う常套手段で、能役者たちはこの点をほとんど意識していないくらいである。

 舞踊と音楽はどちらも時間芸術であり、互いに深い関連があり、常に相互に影響し合いながら発達してきたものである。したがってこの相互の影響については、もう何も言及する必要はないであろう。それに直接の影響と考えられない平行現象についても、多くのことが常識となっている。
 まず邦舞の大きな特徴はその「あてぶり」にある。地唄舞にしろ歌舞伎踊りにしろ、手や軀の動きは必ず何かを語っているのであって、盆踊りや他の民族的段階の踊りのような特定の意味や概念と結びつかない単なる動きというのは少ない。これも何も日本だけの特徴ではなく、東南アジアやインドの舞踊などでも、芸術的段階になると、細かな動きの一つひとつに名前がつき、その動きと密接に結びついた概念を描写するものとして理解され、それが高度に様式化されると、インドのカターカリやバーラタナーティヤムのように、伝統的な「ふり」の約束ごと(それをアビナーヤという)を体系的に整理して教育するところまでいくのである。舞踊ではないが京劇などでもこの傾向が強く、役者のちょっとした仕草の中に伝統的な意味としての約束ごとがあり、それによって概念を伝えることになる。
 こうした東洋ないし日本の舞踊に見られる「ふり」は一般にある概念や意味に当てた動きとして俗に「あてぶり」と呼ばれるが、これが伝統的に受け継がれていくうちに、次第に「型」を持つようになる。この「型」という段階までくれば、これは何も邦舞に限ったことではなく、剣道、居合抜き、空手などといった武道の中にも入ってくる。もともといかなる敵の動きにも対処しようとする柔軟な武道においてすら、決まった「型」があって、敵のどの動きに対して、どの型で応戦しようという多くの「型」の中から適切なものを瞬時にして選び出そうという考え方はなかなか愉快である。また華道のような自然に生えている植物を使って造形する芸術においても、「天・地・人」とか、「主枝・客枝」などの名称や「型」で理解しようとする点も同時に思い出される。茶道の「型」はまさにその極致ともいうべきもので、その「型」が初めからしまいまでの構成を支配しているのである。」小泉文夫『日本の音 世界のなかの日本音楽』平凡社ライブラリー、1994年、pp.66-75.

 だいぶ前になるが、ぼくの先輩教授が学生に「君たちはどんな音楽が好きかな?」ときいて、「だいたい邦楽ですね」という答えに「ほう、それはいいね、偉い」と言ったことが印象的だった。教授は「邦楽」を三味線のような伝統的和風音楽のことだと思ったのだが、学生が「邦楽」と言ったのは、Jポップ、つまり西洋ロック・ミュージックに対する日本製ポップ音楽を意味していたのだ。いまの日本では、「邦楽」という単語自体、奇妙なことに雅楽から三味線音楽にいたるまでの伝統音楽ではなく、大衆音楽産業レコード業界で使われる「洋楽」と「邦楽」という二分法が支配しているのだ。これほど奇妙なことはない。


B.戦争の語られ方
 ウクライナの戦争は、いまも続いていて、その戦争を先頭で戦ってきたザルジニー司令官を、ゼレンスキー大統領が解任したというニュースが出た。ウクライナ国民に英雄視されていたザルジニーを解任したのは、戦局が好転しない苛立ちからかと危ぶまれている。長引く戦争は、EUのウクライナへの武器支援を疲弊退却とプーチンを有利にする可能性が高まる。日本は結局他人事としてしか関わらないのか。休戦・終結への道筋は、どこかで妥協的仲介が必要なのはやむをえないと思われる。そういう論調が出はじめた。

「言いにくかった停戦 現実とズレ  作家 佐藤 優さん
 ―-開戦から2年。祖国を守るウクライナに対する支援の機運が最近は変わってきたように感じます。
 「世論や西側の対応は現実的になってきました。『ウクライナの必勝を確信する』と頑張っていた軍事専門家と称する人たちも、ウクライナの苦戦で、どのラインで戦争を終わらせるべきなのか苦慮している。でも私に言わせると当初から明白な話じゃないかと」
 ―-この間、即時停戦を言いにくい雰囲気を感じていましたか。
 「言いにくいのは確かでした。でも早くやめないと、ウクライナの黒海に面した領域が全部ロシアにとられる可能性がある。米国の軍事支援が先細り、ウクライナは完全に弾切れを起こしています」
 「今秋の米大統領選でトランプ前大統領が当選するような事態になれば、完全にはしごを外された形になる。ロシアは手加減しないでしょう。だから早く停戦にもっていかないと」
 ―-それは可能ですか。
 「変化が起きるとしたらウクライナの中からでしょう。ゼレンスキー政権である限り無理です。彼は4州だけでなくクリミアまでの解放を勝敗ラインにした。それを達成できないと敗北を認めたことになります」
 ―-日本の報道や世論をどう見ますか。
 「日本人は、この戦争についての報道を見て語る中で、熱気に包まれてしまった。でも、しょせん他人事だったのだと思います。戦争のリアリティ―が欠如していた。ただ、ここから学ばなければならないのは、戦争での憎しみというものが我々にも感染してしまうと、我々の目も曇って、戦争をする心に同化してしまいやすいことです」
 ―-ウクライナは勝たなければならないとの意識が現実との乖離を生んだと。
 「そう思います。今は少し冷静になってきた。ウクライナが目標を達成できないことは相当の人がわかってきている。ならば一刻も早くこの戦争をやめるところに行くべきですが、そこはなかなかメディアが踏み込まない。今まで、さんざんあおってきたからです」
 ―-そもそも、この戦争をどう見ますか。
 「これは2期に分かれると思います。境目は2022年9月30日にロシアがウクライナ東部ドネツク州など4州の併合を宣言したこと。それまでロシア側は、ウクライナ東部にすむロシア系住民の処遇をめぐる地域紛争との主張でした。他方、西側連合の考え方は民主主義対独裁。その意味で非対称な戦争でした」
 「ところが4州併合によってロシアの目標があいまいになってしまった。と同時に双方が価値観戦争にしてしまった。終わりなき戦いです、価値観戦争は」
 「一方で、プーチン大統領は勝敗ラインを明確にしなくなった。実効支配の領域が開戦時より少しでも多ければ、当初目的は達成できたという形でいつでも停戦できるということです。率直に言ってこれは予測していませんでした」
 ―-戦争が長期化した背景をどう見ますか。
 「ロシアの行為は国際法違反で、厳しく非難されるべきです。ただ、ロシアが侵攻を決めたのは、米国の影響力低下で国際秩序が変動しているという要素もあったと思います。米国が直接的に軍事行動を取ると宣言していれば、ロシアは侵攻しなかったと思います」
 「長期化の背景には、力をつけて言うことをきかなくなったプーチン政権に対する米国の強いいらだちがあります。核戦争に発展しないよう戦争を管理しつつ、ウクライナへの軍事支援によってロシアを弱体化するのが米国の戦略的目的になっています」
 「ウクライナの人々のためにもならない戦争です。もし自由と民主主義がそれだけ大切だったら、それは戦争を自分たちでやらないと。自分たちの価値観のために『お前たち戦え』といって兵器だけ出すのは、モラル的におかしい」
 ―-日本の立ち位置は。
 「昨年9月の国連演説で外交政策を大きく転換しています。『イデオロギーや価値観で国際社会が分断されていては課題に対応できません』と岸田文雄首相は明言した。世論よりむしろ政府の方が冷静です」
 「日本外交には大きなカードがあります。日本はこれまで殺傷能力のない装備品しか提供しておらず、日本が提供したお金でロシア人は一人も殺されていない。ロシアとウクライナの和平交渉の段階に入れば、仲介国として機能する重要な要素になると思います」 (聞き手 編集委員・副島英樹)」日新聞2024年2月6日朝刊13面オピニオン欄。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「完本 美空ひばり」から ... | トップ | 小泉文雄『日本の音』を読む... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事