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オペラ的なるもの3 オペラ・セリア ..就活セクハラ

2019-04-08 14:39:55 | 日記
A.オペラ・セリア
 ヨーロッパの18世紀は、フランスのブルボン王朝のルイ14世、ロシアのロマノフ王朝のピョートル一世、プロシアのフリードリッヒ二世、オーストリアはハプスブルク家のマリア=テレジアなど絶対王政の宮廷花盛りである。絶対君主というのは、中世以来の封建君主の後裔である。前代の封建君主と違うのは、ただ多くの領主貴族を傘下に収めて権力が大きくなっただけではなく、近代的な産業の発展、金融家や大商人などのブルジョアの成長、植民地経営の拡大など近代化にむけた社会の大きな動きをとらえて、人民の統治を上から推し進めるのが絶対君主の役割になったことだ。
 絶対君主の宮廷で栄えたアートは、フランスではラシーヌ、モリエールなどの演劇と初期のバレエ、イタリアやオーストリアでは音楽、とくにオペラだった。ただし、17世紀のオペラは一種の歌謡ショー的見世物で、筋書きや音楽の中身よりはただ驚異的な声を出すカストラートへの熱狂に集約されてしまった。

 「十七世紀末のオペラのショー化に対する反動が、ウィーンの宮廷詩人アポストロ・ゼーノ(1667-1750)、および彼の地位を継いだピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)の二人の台本作者によるオペラ改革である。彼らは配役を七人前後に減らし、突飛なストーリーの飛躍を排除して、劇の簡略化をはかった。また古代神話ではなく古代史を舞台にし(ただし史実から借用されるのは主人公の名前くらいだったが)、美しい詩文の抑揚を心掛け、オペラから喜劇的要素を追放した。こうして1720年頃に成立したのが「オペラ・セリア」と呼ばれるジャンルである(なお喜劇的要素はオペラ・セリアから分離されて、「オペラ・ブッファ」というもう一つのジャンルを形成することになる)。メタスタージオたちが目指したのは、ラシーヌらのフランス古典悲劇と肩を並べる古典的な様式美をオペラに与えることだった。しかし彼らの試みにもかかわらず、次の三つの点でオペラの「本性」が変わることはなかった。
 まず第一に、文学的な質の高さを目指したはずのメタスタージオ台本も、オペラ化されて上演される時には結局、以前と変わらぬ荒唐無稽のショーと化すのが常だった。メタスタージオ・オペラの全盛期はカストラート(変声期前に去勢された男性歌手)の絶頂期と重なっている。彼の台本によるオペラ・セリアを作曲したのはポルポラ(ハイドンの師であった)、ハッセ、ヴィンチ、ヨメッリといった現在では忘れられた作曲家たちである。だが彼らの作品は実は、「作品」というよりむしろ、カストラートが演じるショーのための大雑把な「シナリオ」にすぎなかった。人々が関心を向けたのは、ハッセの音楽でもメタスタージオによる詩文でもなく、目も眩む鮮やかな衣装をまとい、両性具有的な怪しい魅力を振りまくカストラートによる、ご婦人がたを失神させんばかりの興奮状態に陥れる声の妙技だったのである。彼らは客の拍手があれば、そのつど異なった即興を加えて、何度でも同じアリアを歌った。歌詞はまったく聴き取れなくてもよかった。また相手役が歌っている時にはカストラートは、「自分はあの有名なカストラートのアリーピオ・ファルコーニ氏であって、今演じているゾロアスター王子ではないのだ」と言わんばかりに、「桟敷席の仮面をかぶったお歴々に挨拶を送り、オーケストラやエキストラの人々に微笑みかけた」(当時の劇場事情をコミカルに綴ったマルチェロの『当世の劇場』〔1720年〕〔Benedetto Marcello, Il teatro alla moda, Milano 1956, p.28〕).メタスタージオ・オペラは同時に「カストラート・ショー・オペラ」だったのである。こうした事情はジェラール・コルビオ監督の映画『カストラート』(1994年)に生き生きと描かれているので、是非ご覧いただきたい。なおこの映画の冒頭には上に触れたポルポラが登場する場面があり、彼およびハッセの作品は映画の中で歌われている。
 また第二に、オペラの筋は相も変わらずパターン化されていた。十七世紀に流行したヴェネチア・スタイルのオペラはことごとく、竜退治、大火災、船の難破、羊飼の恋といった類型的な場面のつぎはぎで出来ていた。だが改革を志したメタスタージオ・オペラにしても、筋がワン・パターンであることに変わりはなかった。専制君主が三角関係に巻き込まれて道徳上のジレンマに悩み、しかし最後には邪念をぬぐい去って、慈悲深くも自らの主張を撤回しハッピーエンドとなる――これがメタスタージオのオペラ・セリアの筋の定型である。王はプリモ・テノール、恋敵はプリモ・カストラート、二人の板ばさみになるヒロインはプリマ・ドンナによって歌われ、アリアとレチタティーヴォの単調な交代が延々と続く。劇にメリハリをつける重唱はほとんどない。アリアには「嘆きのアリア」「恋のアリア」「嫉妬(怒り)のアリア」などのパターンがあって、役ごとに歌うアリアの数と性格まで類型化されていた。例えば三人とも必ず一つは幕切れのアリアが歌えるようにするなどである。これは派手なアリアを歌ってそのまま舞台から立ち去り、同時に幕が下りるようにすると、観客のひときわ大きな拍手が得られるからであった(これは「退出アリア」と呼ばれた)。
 そして第三に、「体制芸術」ということがある。既に述べたように、初期オペラは王侯貴族の権力誇示の手段であった。ヴェネチア・オペラにしても同様である。いくら「大衆的」だと言っても、それは結局のところ、貴族たちが民衆の歓心を買い、それによって己の度量を世に見せつけるための手段だったのである。そしてメタスタージオにおいてもオペラは、依然として王侯貴族のための「御用芸術」であった。つまり上に述べたメタスタージオのオペラ・セリアの筋のパターンからも分かるように、それは判で押したように絶対君主の徳と寛大さの賛美に終始するのである。メタスタージオはウィーンのハプスブルク朝の宮廷詩人だった。彼のオペラで讃美されているのは実は、多くの民(ハプスブルク朝は周知のように多民族国家であった)を慈悲をもって統治する女帝マリア・テレジアに他ならない。
 今ではメタスタージオ・オペラと言えば、かろうじてモーツアルトの『皇帝ティトゥスの慈悲』(1791年、モーツアルト最後のオペラ)がときどき上演されるくらいである。しかもこの『ティトゥス』とて、モーツアルトの円熟期の作品中で「最も人気のないオペラ」と言ってよい。もちろんモーツアルトの音楽自体が四大オペラに比べると奇妙に躍動感を欠いているのは確かだろう。だが『ティトゥス』の「不人気」の最大の原因は、メタスタージオの台本(かなり修正を加えられているが)にあるに違いない。それは今日の聴衆の感覚からはまるでずれた化石化した十八世紀の遺物のように見える。しかし十八世紀においては、メタスタージオこそオペラ界の絶対君主であった。重要なのは「誰が作曲したか」ではなく、「台本がメタスタージオだ」ということだったのである。彼の台本は1734年の執筆以来、1803年のデル・ファンテまで、モーツアルトやグルックを含めて何と45人の作曲家によってオペラ化されている。またメタスタージオ台本による最後のオペラはマイヤベーアの『見あらわされたセミラーミデ』(1819年!)とメルカダンテの『見捨てられたディドーネ』(1825年!)であった。いかにメタスタージオが持続的な人気を誇っていたか分るだろう。オペラ史の十八世紀(とりわけ前半)は、メタスタージオとオペラ・セリア、そしてカストラートの世紀であった。」岡田暁生『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』中公新書、2001.pp.13-17. 

 オペラ・セリアが悲劇で、オペラ・ブッファが喜劇と単純化するだけでは、その中身がかえってわからなくなるが、この区別はその後のオペラにも受け継がれたようだ。映画『カストラート』は、その当時のオペラとカストラートがどういうものであったかを映像化していて、非常に興味深かった。たんなるカウンターテナーではなく、少年の声のままにするために去勢するというのは驚く。もうひとつは、オペラを上演する劇場のこと。

 「今なお人々にとってオペラ劇場が気軽に行かれないものに感じられるとすればそれは、足を踏み入れる者をたじろがせる贅沢さと並んで、その儀礼的性格の故であろう。オペラ劇場では我々は、ただ舞台を行儀よく鑑賞していればいいというわけにはいかない。劇場内での無作法な振る舞いや不適切な服装は、慇懃な物腰の案内係によってたちどころに見とがめられる。また休憩時間でさえ我々は、絶えず他人の目を意識しながら振る舞うことを、暗黙裡に求められているように感じる。慣れないうちはオペラ劇場は、決まりごとだらけの、きわめて気詰まりな空間である。近代演劇や演奏会では観客は、客席という暗闇に身を潜めて、鑑賞行為だけに専心することが出来る。そこでは我々は舞台を一方的に「見る(聴く)」だけであって、誰からも「見られる」ことのない透明な存在だ。我々がどんな服装をしていようが、それを「見る」人はいない。だがオペラ劇場は違う。そこを訪れる観客は、見るだけではなく、自らを見せなければならないのである。演奏会や近代劇場や美術館などにおける「視線の一方通行」としての鑑賞行為に慣れた観客にとって、オペラ劇場は相当に煩わしい場かもしれない。近代の演奏会場が「鑑賞の場」であるとすれば、前近代に成立したオペラ劇場は「社交儀礼の場」である。そこでは我々は「見る」だけでなく、自らを「見せる」ことを求められる。オペラ劇場のこの儀礼性(自己演技性)が、その宮廷起源に由来することは言うまでもない。もともとオペラは王侯の私的な催しであり、その客は国王の招待客だった。そしてオペラ劇場の観客は今なお、架空の招待者の賓客として、それなりの振る舞いをすることを求められているのである。
 実際バロック時代においては(そしてその後も長らく)、舞台や音楽はオペラ劇場を訪れる人びとの主たる関心事ではなかった。十八世紀のイタリアにおけるオペラ事情を、ウィリアム・ベックフォードという旅行者は次のように描写している。「知っておかなくてはならないのは、芝居や音楽はオペラでの楽しみの主たる目的ではないということである。お茶とトランプに興じ、エスコート役の男性や召使、愛玩犬や修道院長らが姿を現わし、醜聞が生まれ、逢引が行われる舞台、それが御婦人一人一人のボックス席なのである。芝居の展開や舞台装置、そして男優女優に注意を向けるのは二の次なのだ」(パトリック・バルビエ『カストラートの歴史』野村正人訳、筑摩書房、1995年、79ページ)。また、1732年11月15日の手紙でヴォルテールは次のように言った。「オペラは公的な集会所であり、そこに人々は理由もなく特定の日に集まる。あらゆる人がそこを訪れるのだが、彼らはそこの所有者の悪口を言い、退屈ばかりしている」。バロック・オペラにおいては重要なのは「場」であって、「作品」ではなかった。ということはつまり、オペラ劇場で重んじられるのは、あくまで「社交」の儀礼であって、「作品鑑賞の」それではない、ということを意味する。国王に招かれた客として、余興のオペラを見つつ社交を楽しむのが高貴な客のたしなみであり、不作法なのはむしろ黙々と作品を鑑賞することなのである。例えば映画『カストラート』でも、主人公ファリネッリの歌声に満場の聴衆が魅了されているなかで、公爵夫人だけが「歌に夢中になるなど下衆(げす)のすること」とばかりに、一人優雅に読書をしている場面が出てくる。今でもなお、最も熱心なオペラ・ファンがいるのは天井桟敷や立見席であり、高価なボックス席の客の大半は居眠りばかりしている(そして休憩時間になった途端、生き生きと社交会話に花を咲かせ始める……)のもまた、バロック時代に確立された「由緒正しき」伝統なのかもしれない。
 オペラ劇場の客席構造(その基本はバロック時代に確立された)は、それがもともと社交を目的とする空間だったことをはっきり示している。まず最も高貴な人物のための席は二階中央の貴賓席である(現代では政治家などがここに座る)。だがここがすべての座席でもっとも高価なのは、それがもっとも舞台をよく見ることの出来る座席だからではない。むしろ貴賓席は、そこから劇場中の観客を睥睨し、かつ彼らの視線を一身に浴びることが出来る一にあるからこそ、そこに国王が座ったのである。つまり貴賓席はオペラ劇場の「もう一つの舞台」なのだ。それは純然たる鑑賞目的の座席ではない。自らも役者の一人として満場の観客の視線に身を晒す覚悟のある人間だけが、ここに坐る資格があるのである。
 では貴賓席の次に高価な座席はどこかと言えば、それは二階のボックス席であった。近代演劇/演奏会に慣れた現代の観客には、これは意外に思えるかもしれない。なぜなら客席の側面にあるボックス席からは、「舞台鑑賞」という点からは、必ずしも理想的な場所とは言えない。しかしオペラ劇場の構造を規定しているのは「鑑賞」ではなく「社交」である。かつての貴族たちはめいめいが自分のボックスを所有しており、そこを一種の自宅の別荘のように使っていた。豪華に着飾った彼らは、客席の人々から自分に向けられる視線を意識しつつ、そこでお喋りや食事やトランプに興じ、時には同じ階にある貴賓席の国王と目で挨拶を交わし、その合間に舞台の歌に耳を傾けたのだろう。国王の貴賓席と同じ階にあり、舞台と貴賓席のどちらも眺めることが出来、かつ優雅な社交を楽しむ自分を劇場中の客に「見せる」ことができる位置にあるからこそ、二階ボックス席には国王に次いで高貴な人々が座ったのである。
 他方「舞台鑑賞」という点では理想的な平土間であるが、今日のようにオペラを「作品」として鑑賞する習慣がなかったバロック時代においては、その入場料はきわめて安かった。ここは庶民と兵士と旅行者のための席であって、しかも多くの劇場ではそこには椅子はなかった。つまり平土間は、立ちっぱなしでいいからオペラが見たいという人々のために開放された、文字通りの「土間」だったのである。ここに陣取る庶民階級のオペラ・ファンたちは舞台に熱中するあまりよく騒動を起こしたらしく、平土間に警備の兵隊を配している劇場もあった。また面白いことに十八世紀までのヴェネチアでは、ボックス席の客たちは平土間に食事の残り物を捨てたり、唾を吐いたりしていた(スペインのバール〔居酒屋〕では客が残飯を床に捨てていく習慣があるが、これと同じである)。高貴な人々は上の階で社交に興じ、下々の者は上から残飯や唾が降ってくるのを我慢しながら平土間で舞台鑑賞に勤しむというわけだ。いちばん前で熱心に舞台を眺めるなど、「卑しいもの」のすることだったのである。なお平土間の地位は十九世紀に入ってもなお低く、それは主に兵隊慰問のための座席として使われた。十九世紀中頃のイタリアを舞台にしたルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『夏の嵐』(1954年)の冒頭(撮影場所は近年消失したヴェネチアのフェニーチェ劇場である)でも、ボックス席の優雅に着飾った客と比べていかにも無粋な兵士たちが、平土間で仏頂面をして熱心に舞台に見入っている様子が描かれている。平土間の地位が向上するのは、オペラ劇場が「社交場」から「作品鑑賞の場」になり始めた二十世紀に入ってからのことである(なお『夏の嵐』では殺風景な平土間の前半分には簡易椅子が置いてあって上級将校が座り、その後方では下級兵士が立って舞台を見ているが、これも十九世紀のイタリアの風習そのままである)。」では岡田暁生『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』中公新書、2001.pp.27-33.

 なるほどオペラ劇場の空間構成自体、王を頂点とする階級構造の視覚的表現であって、舞台上のオペラを静かに鑑賞するという目的などどうでもよかったのだろう。むしろそのような王の支配が、東欧多民族社会の秩序を慈悲と恩恵で権威づけていることを視覚化して人民に見せるのが、オペラの仕事だったわけだ。

 

B.就活セクハラは相変わらずなくなっていないのか。
 この時期、大学3年生から4年生になった若者が就活に走り回る。ぼくのゼミ生たちも3年の正月くらいから、就活が気になって卒業が見とおせるだけの単位が取れると、ほぼ大学の授業はどうでもよくなって、内定目ざしてリクルートスーツに身を固めて情報交換していた。昔から就活では面接が重視されるというので、服装や言葉遣いに急に神経質になったり、やっぱり見た目がものをいうのか、などと噂が飛ぶのだが、女子学生の話を聞くと相変わらずセクハラまがいの対応に出遭うことがないとはいえない。一流企業といわれる会社でも、OB訪問という形でおかしなことをする人間がいるようだ。いうまでもなくけしからぬことである。

「就活セクハラ 深刻:OB訪問で飲酒強要/「採用権限ある」と言われ…
 就職活動中の女子学生がOB訪問で知り合った企業の男性社員から受ける「就活セクハラ」が深刻な問題となっている。「情報を得たい」という気持ちに漬け込む卑劣な行為だが、立場の弱い学生は泣き寝入りを強いられている。刑事事件に発展するようなケースも相次ぎ、専門家は「企業はOB訪問を社員任せにせず対策を講じるべきだ」と強調する。
 「私は乗り越えることができたが、心に一生の傷を負う人もいるんじゃないかな」。第一志望だった会社の若手男性社員からセクハラ被害を受けた女性(22)は、こう語る。三月に都内の私立大学を卒業したばかりだ。
 在学中の一昨年春、知り合いの紹介で男性社員と会うことに。「忙しい」という理由で指定された場所は料亭のカウンター席だった。二軒目のバーで強いお酒を飲まされ、泥酔状態になった後に、無理やりキスされたり、家に来るよう迫られたりした。
 女性は「自慢話ばかりで、正直言って帰りたかった。でも採用の権限があるという話を持ち出して来て『むげにできない』という意識が働いた」と振り返る。
 OB訪問中の女子学生を狙った犯罪も今年に入って相次いでいる。二月に警視庁が、大手ゼネコン大林組の若手社員の男を、就活中の女子学生を自宅マンションに連れ込んでわいせつ行為をしたとして逮捕。三月には大手商社の住友商事社員が女子学生に酒を飲ませて乱暴したとして懲戒解雇に。この男は26日に警視庁に逮捕されている。
 大林組の事件では、女子学生はスマートフォンのOB訪問仲介アプリで社員と知り合った。社会人が出身大学や勤務先を登録し、学生は興味のある企業名などで検索できる仕組みだ。手軽に訪問先を探せるとして利用する大学生が急増しているが「出会い系サイトのような動機で登録する社員が一部にいる」(採用コンサルタント)。
 女子学生の就活を支援するハナマルキャリア総合研究所の上田晶美代表は「本来なら女性の若手社員を訪問した方が、会社内での待遇など有益な情報を得やすい。ただ活躍する女性は人数が少ない上、育児などで忙しいため会ってもらえない」と嘆く。防衛策としては昼間にカフェのようなオープンな場所で会うことを勧める。
 一方、企業は社内のセクハラに対しては取り締まりを強化しているが、就活生は対策の枠外だったと分析。「女子学生へのセクハラは許されないという社員教育を徹底するべきだ」と指摘した。」東京新聞2019年4月6日夕刊1面。

 そんなことを社員教育しなければならない日本の会社って、すでに劣化していないか?そういう怪しげな人間がいる会社など、入社したらもっと危ない。
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