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オペラ的なるもの4 ハッピーエンドの保守性 ..性交渉体験?

2019-04-10 22:11:16 | 日記
A.ハッピーエンドを好む人たち
 先日神保町の岩波ホールで先行上映された映画「こどもしょくどう」(日向寺太郎監督)を観た。親に育児放棄され河原に置き去りにされる少女姉妹と、母子家庭でこれも育児放棄に近く学校でいじめに遭う少年とそれを見ていて助けたいと思う少年の4人が主人公の物語であった。岩波ホールに来る観客の多くは頭が白いか薄い高齢層なので、途中ですすり泣く人もかなりいた。問題は、この子たちが苦境にある原因はまず親にあると思えるが、その親たちがなぜ子を守らずに放棄するのかが何も描かれないので、ただ理不尽な事態に置かれた子どもたちが哀れなのと、結末が警察から保護司に渡され姉妹が施設に送られるところで終わるので、観客には「救いがない」つまりハッピーエンドにしてくれればいいのに・・と思えることだろう。
 ドラマとして波乱万丈で悲惨な物語でも、最後にすべては解決され主人公は幸福を手にする、というハッピーエンドであれば、観客も救われた気分で満足する。昔の東映時代劇では、水戸黄門でも遠山の金さんでも、悪人が退治されてラストはからりと晴れた青空のもと、平和な秩序が蘇り善良な人々が殿様に頭を下げて感謝し、手を振って別れるのが定番だった。こうした心情はバロック・オペラではひとつの型として定着していたという。保守的な「体制芸術」は型になり、人々は繰り返しそれを見て、ハッピーエンドを欲求する。逆に言えば、ハッピーエンドでない物語は嫌われる。

 「オペラがもつこの封建的性格は、バロック時代のオペラが具現している予定調和的な世界像にはっきり現われている。つまりバロック・オペラは例外なしにハッピーエンドで終るのが常であり、神話的素材であれば最後に雲に乗った神が現われて混乱を鎮めるという形で、古代史素材であれば主人公の君主が「自分を裏切った者にまで慈悲を垂れる」あるいは「自分は身を引く」ことによって国に平和をもたらすという形で、旧秩序の回復がもたらされるのである。ヘンデルのオペラ・セリアの多くがこの種のハッピーエンドで終っているし、またメタスタージオが残した膨大な数の台本の大半も、英雄を主人公とする悲劇的性格をもつにもかかわらず、悲劇で終るものはわずか三つしかない。なお悲劇的結末をもつ数少ないメタスタージオ台本の一つに、非常に多くの作曲家によってオペラ化された『見捨てられたディドーネ』(1724年)がある。しかしヴュルテンベルク公カール・オイゲン(かれのオペラ狂ぶりについては既に触れた)の誕生日にヨメッリ作曲で宮廷劇場で上演された際には、「カルタゴの破滅」という結末は、「火と水の戦い」という、より舞台映えがし、かつ悲劇性の弱いものに変更された。宮廷の体制芸術たるオペラに不吉な結末は許されないのである。
 この封建的な予定調和の世界は、旧体制がフランス革命で崩れた後も長らく、オペラの作劇術を規定し続けることになる。例えばウェーバーの『魔弾の射手』の結末(見知らぬ賢者が現われてすべてをまるく収める)は、姿を変えたオペラ・セリアのハッピーエンドに他ならない。またロッシーニの『タンクレディ』はヴェネチア初演ではハッピーエンドで終ることになっていたのだが、フェラーラで上演するに際して悲劇的な結末に変更したところ大変な不評で、作曲家は慌ててこの版を取り下げた。またロッシーニは『オテロ』をローマで上演する際に、死んだはずのデズデモナが最後に息を吹き返してめでたく終わるというハッピーエンド版を用意した。旧体制(アンシャン・レジーム)の回復がもたらす保守的な幸福感(日本でいえば『水戸黄門』のそれか?)は、オペラの体質と不可分に結びついている。ワーグナーの全作品中ヒトラーが最も好んだのがハッピーエンドで終わる『ニュルンベルクの名歌手』であったことも、ショスタコーヴィッチの『鼻』や『ムツェンスク郡のマクベス夫人』のようにあからさまに「反体制的な」オペラがまたたく間に政府によって上演禁止の憂き目にあったこともまた、オペラのこの「旧秩序肯定体質」に深く根差していると言えよう。
 演劇と比べてオペラが「定型」にひどくこだわるジャンルであることにも注目しよう。近代音楽史観に慣らされている者は知らず知らずのうちに、音楽史を「様式の更新史」として眺めてしまう。となると当然、モーツアルト以前のオペラ史で高く評価されるのは、モンテヴェルディやリュリのような「新様式を確立した」作曲家、ないしラモーやグルックのような「既成の様式の改革を行った」作曲家ということになる。しかし十八世紀以前のオペラ史の実態に様式の更新史はそぐわない。バロック時代のオペラを支えた大半の作曲家や台本作者は、ただひたすら定型でオペラを作っていた。つまり「体制=宮廷が公認した型の踏襲」にのみ心を砕いていたのである。例えば既に述べたようにメタスタージオ台本はどれもまったく同じパターンによっている。リュリ以後のフランス・オペラ(いわゆる抒情悲劇)もまた、ひたすらリュリが確立したパターンの踏襲に腐心していた。「メタスタージオが確立したパターン」も「リュリが確立したパターン」も、要するに王室がお墨付きを与えたパターンに他ならない。王を中心とする予定調和的な世界秩序を具現するオペラでは、すべてが王家公認の型の通りに進行せねばならないのである。
 こうした「型によるオペラ作り」を端的に示す面白いエピソードを紹介しよう。後にイタリアを代表する喜劇作家となるカルロ・ゴルドーニ(1707-93)が26歳の時のことである。オペラ台本作家として成功することを夢見ていた彼は、ミラノの劇場の支配人であるプラータ伯爵の家で、用意した原稿を朗読してみせた。「私は朗読を始めた。まず題名の『アマラッスンタ』を読む。カッファエッロ[同席したカストラート]がその『アマラッスンタ』という題に節をつけて歌ってみせた。この題は長ったらしく、彼には滑稽に思えたらしい。皆は笑ったが、私は笑えなかった。女主人が怒り、歌手は黙る。私は登場人物の名前を読み上げた。全部で九人である。するとカストラートが『多すぎる、多すぎるよ、少なくとも二人は多すぎるね!』まるでお話にならないと私は思い、朗読をやめたくなってきた。この恥知らずなカストラートにプラータ伯爵が沈黙を命じる。(中略)それから伯爵は私の方を向いて言った。『オペラには通常六人か七人しか登場しないというのは、彼の言う通りなんです。しかし作品がそれに値するなら、喜んであと二人の歌手をおつけしましょう』(中略)私は朗読を続ける。『第一幕第一場、クロデシロとアルパゴーネ』するとカストラートが、私のオペラの第一歌手(プリモ・ウオーモ)は何という名前かと尋ねた。『今申し上げた通りです』と私は答えた。『クロデシロです』『何だって!』と彼は言う。『あなたは第一歌手から芝居を始めるのですか?まだ客がぞろぞろとやって来て、腰をおろし、ざわざわしている時に、第一歌手を登場させるというんですか?いい加減にしてくださいよ、そんなことではとてもあなたに協力できません』(がまん、がまん)プラータ伯爵が割って入った。『この場面が面白そうか、まず聞こうじゃありませんか』すると今度は、私が台本を朗読している間に、インポの腰抜けの一人がポケットから楽譜をとり出して、ピアノのところへ歩いていくと、自分の役のアリアの見直しを始めていたのだ。女主人が平謝りに謝る。プラータ伯爵は私の手を取り、サロンからずっと離れたところにある衣裳部屋に私を連れて行った。『あなたはアリストテレスとホラティウスの詩学を熱心に学ばれたようですし、あなたの作品は悲劇のあらゆる規則に則って執筆されています。しかしあなたは、オペラがさまざまなルールや習慣に支配された未熟なジャンルだということをご存じない。そうしたルールや習慣は確かに、健全な人間の理性には理解しがたい規則と習慣によってはいるのですが、しかしこれを厳守するということが肝心なのです。(中略)イタリアではあなたはまず、歌手たちに気に入ってもらわなければなりません。さらにあなたは作曲家を満足させ、書き割りの画家の意見も聞かなければなりません。こうした一切にルールがあり、これに違反したり、ルールを無視したりするのは、演劇制作に対する犯罪ですらあるのです。』『いいですか』と彼は続けた。『あなたのご存じないそうした不変のルールをいくつか挙げてみましょう。オペラの三人の主役には、それぞれに五曲ずつのアリアを歌わせなければなりません。第一幕に二曲、第二幕に二曲、第三幕に一曲です。第二女性歌手や第二カストラートは三曲歌わせてもらえますが、それ以外の歌手はせいぜい一曲か二曲で満足せねばなりません。台本作者は作曲家に、音楽の明暗を作るための三つの異なる声部を提供しなければなりません。荘重なアリアが二曲続かないようにすることも重要です。同様に台本作者は、ブラブーラ・アリア[技巧を駆使したアリア]、劇的アリア、半ば荘重なアリア、メヌエット、ロンドなどを適切に配分しなくてはなりません。何より大切なのは、脇役に例えば情熱的なアリアやロンドが行かないようにすることです。こうしたあわれな連中は、おこぼれで満足しなければなりませんし、栄誉を求めることも禁じられているのです』プラータ伯爵はなおも続けようとした。『もう十分です、伯爵』と私は言った。『それ以上おっしゃらなくても結構です』私は自分の部屋に戻ってくると背筋が寒くなってしまった。深い屈辱感を味わわされていた」(Carl Dahlhaus(ed.),Die Musik des 18. Jahrhunderts, Laaber 1985, p.76による)。
 アドルノは『音楽社会学序説』の中で、現代のオペラの聴衆の保守性を次のように皮肉っている。「現代のオペラの常連は過去を振り返ることが好きであり、彼は文化財を財産か何かのように大事にする。彼の心情は方言で『「アイーダ」はげにげにいつ聴いてもええ、結構なオペラじゃよ』とでも言いあらわすべき文章である」(渡辺健・高辻知義訳、音楽之友社、1970年、140ページ)。しかしオペラのこの保守体質は今に始まったことではない。そのルーツもまたバロック時代にまでさかのぼるのである。」岡田暁生『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』中公新書、2001.pp.34-39.

 歌舞伎のような古典芸能は、ほとんど型の踏襲でできており、観客はわかりきった物語の筋を追うよりは、見所場面での役者の声や立ち居振る舞い、衣裳や音楽などに注意を傾けるのが通になる。オペラも劇としての流れより、見せ場のアリアで歌手がどれだけ良い声を出すか、舞台の演出やオーケストラのほうに重点がある古典芸能ともいえる。ただ、バロック・オペラはストーリーにおいてもあきれるほど定型化・形式化されていたのだな。

「バロック時代の宮廷祝典の一形式として生まれたオペラではあるが、何らかのモデル・チェンジがなかったなら、つまり相変わらずギリシャ神話と古代の英雄とカストラートの妙技と寓意的な国王賛美に終始するままであったなら、市民革命という時代の断絶を超えて存続することは困難であっただろう。馬上試合や宮廷祝宴や花火大会や噴水のスペクタクルと同様にオペラは、十八世紀末の宮廷生活の消滅とともに没落していたに違いない。十八世紀後半に生じた大変革を通して初めてオペラは、時代を超越して人々に訴えかける普遍的な娯楽/芸術となることが出来た。この変革とは喜劇のオペラの発展であって、その頂点をなすのがモーツアルトの諸作品である。
 十八世紀も後半に入るとオペラ・セリアは、その消費体質と荒唐無稽の故に、発言力を強めてきた節約好きの市民階級の人々の非難に晒され始める。とりわけ平民出身の啓蒙された合理主義者たちはオペラへの嫌悪を隠そうとしなかった。ルソーをはじめとする百科全書派の人々はカストラートが演じる荒唐無稽のオペラ・セリアに対してきわめて批判的だった。「人間の理性がかつて作り出したもっとも不格好な代物」(ヨハン・クリストフ・ゴッチェット)、「女優ののど自慢に、ばかばかしい歌を二つ三ついい加減に入れただけの、何の取柄もないつまらない音楽つきの悲劇」(ヴォルテール『カンディード』)といった攻撃も同種のものであろう。また1773年にアンジュ・グダールという人物は、一人のカストラートが科学や経済に有益な人の1000倍もの給料をもらっていることを非難し、パリで毎年オペラのために使われる70万リーブルで2000人の飢餓に苦しむ人間を救うことが出来ると述べている。オペラに対する市民階級の人々の敵意は、マリー・アントワネットが「パンがなければケーキを食べればいいじゃないの」と言ったという風聞に対する平民の怒りと同質のものであっただろう。既に絶対王政の時代は去り、啓蒙君主の時代に入っていた。長年の贅沢三昧がたたり、国庫は空になりつつあった。国王は浪費を告発する市民階級に対して譲歩することで、何とか再生の道を模索していた。平民あがりの財務官僚の意見も聞かず、王の一存でごひいきのカストラートに途方もない大金を使うなど、もはやかなわぬ時代になりつつあったのである。オペラ・セリアと比べてオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)は、高い出演料を取るカストラートを使わず、舞台装置も安上がりですむ。「低コスト」のオペラ・ブッファが歓迎される素地は既に出来ていた。セリア上演の赤字をブッファの上演で埋めるということさえ、たびたび行なわれるようになっていたのである。
 だが経済的のみならず美学的にも喜劇オペラは時代の要請であった。徐々に擡頭し始めた市民階級の人々は、オペラに素朴なもの、合理的なもの、自然なものを求めた。いつの時代も平民は現実主義者である。貴族と違って彼らは、儀式ばったもの、奇矯なもの、謎めいたものを好まない。カストラートが演じるアレキサンダー大王やジュピターに象徴されるバロック的虚飾など、平民には意味不明の戯言にしか思えなかったであろう。彼らが舞台上に求めたのは、自分たちと同じ等身大の生きた人間であった。啓蒙主義者の哲学者ルソーが自ら『村の占師』という喜劇オペラを書いたのは、こうした平民の立場からのオペラ理念の実践であった。
 しかし喜劇オペラは、新しい市民階級だけでなく、斜陽の貴族階級の好みにもまたぴったり合うものであった。時代はバロックからロココに入っていた。巨大なヴェルサイユ宮殿ではなく金銀細工で縁どられた家具、ルーベンスが描く壮大なギリシャ神話ではなくフラゴナール流の愛の戯れなど、ロココ世界が愛したのは自然な優美さであり、繊細なミニチュアであり、微かなアイロニーをはらんだアンニュイであった。ジャン・スタロバンスキーが『フランス革命と芸術』で述べているように、「再生を夢想しつつ、だからといって贅沢な饗宴の習慣を捨てようとせず、頭を垂れて破産への道を急ぐ」貴族社会が生み出したロココ芸術においては、「恵まれた瞬間のもたらす鋭いひらめきの間に、一時的な鬱状態、疲労と自己喪失の状態が生じる」。そしてまた「終末に向かう階級と結びついたこの芸術には、衰弱の症候とまったく一緒に、自由が見いだされることがあるだろう。この自由は(中略)あらゆる絆の断絶と、死と隣り合ってもう何も失うものはないという感情の与える一種の陶酔とが生み出すものなのである」(井上堯裕訳、法政大学出版局、1989年、13ページ)。ロココ独特の軽快な愛の戯れとアンニュイと微笑、そして最も深いものをもっとも軽薄に表現しようとする自由奔放な精神を表現する格好の形式が、喜劇オペラであった。」岡田暁生『オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」』中公新書、2001.pp.42-45.

 ロココ時代のオペラで、今日も盛んに上演されているのは、いうまでもなくモーツアルトである。そのモーツアルトのオペラのうち、何を一番にあげるかは人によって意見がちがうが、日本の音楽評論家として第一人者であった吉田秀和は、「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」を比べてこんな文章を残している。
 「芝居としては、『フィガロ』のほうが、明るくて、艶があるのは確かだし、演劇的なのかもしれない。けれども、『ドン・ジョバンニ』のほうが、より劇的だと、私は信じている。演劇的と劇的と、どうちがうか?私が、こう使いわけたのは、『フィガロ』には心理と個性があるが、『ドン・ジョバンニ』には運命と典型があると思うからである。『フィガロ』ではスザンナの怜悧とフィガロの機知が、伯爵の好色や伯爵夫人の憂鬱を、支配してしまう。運命的なのは、ケルビーノひとりだが、彼も灯の前で狂う夏の虫のように踊り狂った末、結局バルバリーナと、けっこう、よろしくやって終わる。
 ところが、『ドン・ジョバンニ』では、勇気も大胆も、優しさも強引さも、要するに主人公のすべての徳は悪徳に通じ、その悪徳は地獄に通ずる。ドン・ジョバンニは、畢竟、何をどうしようと、地獄におちるのである。レポレロの機知も、ドンナ・エルヴィラの哀訴も、堕獄への道をふさぐにたりない。そのことは、最初の幕の最初の場で、もう、決定されたことなのだ。フィガロは、スザンナとともに、新しい希望と愛の生活を、自らかちとるのだが、ドン・ジョバンニは、自分のいかんともなしえない声にみちびかれて、悪事をかさね、罰をうける。この二つの音楽劇の比較が、私の当面の関心ではないのだが、本旨にはいるまえに、私の解釈の大本だけは、断っておく必要がある。」吉田秀和「ヴィーン国立オペラ」(『吉田秀和全集』5所収)白水社、pp.447-448.
 ぼくも、「フィガロ」の喜劇性と「ドン・ジョバンニ」の悲劇性という単純な対比でいえば、後者の方が効果的な音楽になっていると思う。



B.「性交渉体験」という指標の意味
 新聞の夕刊の片隅にこんな記事があった。「性交渉体験」の有無を聞くという調査は、何を明らかにしようとするのか?調査の設計はオリジナルな調査ではなく、国立社会保障・人口問題研究所が定期的に行っている出生動向調査のデータを使ったとあるだけで、結果の詳細ぬきに数字だけを報道するのは問題だが、掲載誌が医学雑誌でバプリックヘルスというところからみれば、未経験者の割合が増加していることを少子化・出生率低下に結びつけて公衆衛生的に問題視しているのかもしれない。それも問題だと思う。

 「若者の「25%」未経験 性交渉、18~39歳男女 「草食男子」増加!?
 18~39歳の日本人の25%に異性間の性交渉経験がないとする研究結果を、東京大とスウェーデン・カロリンスカ研究所のチームが8日付の英医学誌BMCパブリックヘルスに発表した。2015年時点の推計で、23年前の20%から増えていた。30代に限っても、ほぼ10人に1人が未経験だった。1万人以上の調査データを分析した。
 「草食男子」「セックス離れ」と言われるように、性交渉を追求しない人が増えたともとれる。だが調査では、特に雇用や経済状態が不安定な男性で割合が高い一方、未経験の男女の八割に結婚願望があった。チームは「性交渉がないのは本意ではない可能性がある」とみている。
 国立社会保障・人口問題研究所が行う出生動向調査のデータを使った。1992年と2015年を比べると、未経験の割合は男性が20%から25.8%、女性が21.7%から24.6%に増加。割合は上の年代ほど少ないが、15年は35~39歳男性の9.5%、女性の8.9%が未経験で、92年からほぼ倍増した。
 2010年調査の分析では、25~39歳男性で、パート・有期雇用、無職や収入の低さが、未経験と関連することが判明。年収三百万円を切ると割合は跳ね上がった。
 チームは「こうした傾向が日本の出生率の低さにどう影響しているか、さらに研究が必要だ」とした。同性間の性交渉はデータがなく分析できなかったという。」東京新聞2019年4月8日夕刊、7面。
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