未完の世界 Imperfect World

アーティスト佐々木久枝のブログ
自身の作品、生花と墨象を融合させたアートについて紹介。そして時々日々のこと。

花の色とその時の自分

2015-09-30 11:54:53 | 
疲れているとき、花屋さんの前を通ると目に飛び込んできたり、気持ちが欲したりするのは白い花。
白い花を見て、あーきれいだなあと心魅かれた時は、疲れてるんだなあとなんとなく自分の状態を把握する。
散歩の通り道に八百屋さんがあって、そこで束の花が安く売られていてそこでよく購入する。ここのお店のおばさんが、「きれいでしょー。」と話しかけてくれると思わずうれしくなって買ってしまう。
きれいと感じたことを共感してくれるってうれしいなあ。



ちょっと前だけど、彼岸花が咲いていた。
秋だなあ。この花は妖艶でドラマチックな感じ。
私が赤い花を欲するときはどんなときなんだろう?欲求不満なのかしら?
でも私の作品には赤い花がよく登場する…




キンモクセイも小さくてかわいい。
そして香りがとてもいい。大好き。
オレンジ系の花を欲するときは元気がほしいときかなあ。




自分の気持ちとそのとき欲する花の色の関係って、少し気にしてみるとおもしろい。
あくまで自分の心の中だけだけど。


自分を自分の作品を肯定すること

2015-09-08 09:44:08 | 日記
昨日の投稿
言い訳みたいになるけれど、自分の個展等で発表していたのは人の評価とかは気にせず自分で納得したもの。
http://www.achoachoacho.com/artwork.html
それに展示にどれだけの人が来てくれるか、どんな反応なのかは私にはコントロールすることはできない。
海外だとより痛感する。
なので、展示の時は制作や準備までせいいっぱいやって、あとは流れにゆだねる。


師匠は特別な存在で、何かいわれるのではないかと気にすることもたくさんあった。
情けないことに。

制作していて時々背後霊のように指導が聞こえてくる時もあった(笑)。
最初は向上心にあふれているけど、人の意見を聞いてしまったり、それにとらわれ続けているとだんだん苦行になってくる。
ある程度がんばれるのだろうけど、「そんなのいやだ!」とちゃんと自分がムクムクでてきたのだと思う。
逆に師匠の言葉は、本当の奥底の自分を掘りおこし、自分に問うきっかけになった。
もちろんアドバイスは作品を良くするためにに必要だけど、とらわれてもよくない。

ちゃんと自分を自分の作品を肯定すること。
それは自分の感性、作品を守ること。


友人が「(本人にとって苦しいことが)起きて良かったんだと思う日がくるよ」と言ってくれた。
ほんとにそのとおり。

気がついたらこんな芽がニョキニョキ。新たな私の気持ち?







作品のクオリティってなんだろう?誰のためのものだろう?

2015-09-07 14:46:59 | 日記
以前展示をしている時に、師匠がいらしてくださり、作品を見て「クオリティをあげないとなっ」とおっしゃってくださったことがあった。
当時は個展も終わって少し経ち、自分自身が空っぽで、なんとも何を書いたらいいのか、何をつくりたいのかわからなくなっていた時で(この時は以前に制作していたものに花を変えて展示にだしていた)、この言葉はかなり痛烈に響いた。
私はまだがんばらないといけないの?
これ以上人の評価にふりまわされたくない。それが師匠であっても。
こう感じたのは自分の思い上がりと、傲慢さ、弱さだけれども…

「作品のクオリティをあげる」
正しい言葉なのだけれど、いわゆるクオリティをあげるために、師匠からや人からのよい評価のためにもっとがんばらないといけないのは私には苦しい以外の何ものでもなかった。
私も最初は創作するのが、楽しくてワクワクしていたけれど、いつの間にかそれが苦行になり、そのうち意欲もなくなり、書の教室に行くのもやめた。
もちろん、自分の作品の質・クオリティを上げるのはあたりまえのこと。
でもそれが楽しさを忘れて、苦行になってしまっては何もならないし、創作活動は続けられない。

最近、かなを書く友人が「(かな作品を)何枚も書いていて、ふっと風が吹く瞬間がある。それを味わいたくて書いている。」と言っていた。
彼女の作品は本当に風が吹いているように軽やかで、美しくて品格がある。

クオリティって誰のためのものだろう?
だれかから賞賛されるために制作するって本物の作品ではなく、ただの媚びたものだと思う。
そしてそこに執念をもやしてばかりいては、苦行になっていつか倒れてしまうし、虚しいだけだ。
作品の質は大事だけど、自分が楽しかったり、自分が喜んでいたり…。
結局は自分のことを肯定できなければ、続かない。
もっと自由にとんでいっていいのだ。
守破離という言葉があるけれど、やっと本当の意味で「離」ができたような気がする。

徹さんのワークショップや友人の言葉は、長く悶々していた心を解きほぐしてくれた。
苦しい時期がつづいたけど、やっと突破口が見え始めた。
ようやくそのタイミングがきたんだなと思う。

斎藤徹さんのワークショップ 

2015-09-07 11:51:34 | 日記
8月の日曜4回、コントラバス奏者の斎藤徹さんのワークショップに参加。
徹さんのパフォーマンスや生み出す世界が好きで、ちょこちょこ時間を見つけては聞きにいっていた。
今回のワークショップは一般の人でも受けられるとのこと。
これはなんとしても行きたい!と全4回を受講。

ワークショップはものすごく深く、いろいろなことを自分に問うきっかけになり、またいろんな文化や芸術のひろがりを知る事ができて(個人的にはポーランド人アーティストのマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品がかなり好み。衝撃をうけた。)、大満足。
まだまだ徹さんの世界には遠く及ばないけど、彼の考えを直に聞くことができて本当によかった。

待つこと。信じること。
問い続けること。
貞(き)くこと=ask
肯定すること。
破壊ではなくつくりあげること。

プロとはなにか?
何のために音楽(アート)をやっているのか?

自分への問いはショックだったり、苦しかったり、疑ったり…。
問いは私に必要なことだ。
答えはすぐにはでてこないけれど、自分を信じて待ってみるのもいいのかな。

…まだまだたくさんあるけれど、くわしくはこちらから
http://travessiart.com/未分類/9101/

どういうわけか、徹さんのワークショップを受けてから、少しずつ仕事が入ってきたり、大切な友人とあう機会ができて、彼らの人柄や何気ない言葉からから救われることが多くなってきた。
日常が少しずついい方向へ変化してきた。
ありがたい。



写真はヤブガラシの花。
雑草としては生命力が強すぎて憎きやつなのだけど、花はかわいい。
ちょっと憎めない。

自分があたりまえと思っていることを疑うこと。そこに真実があるのかもね。