昨年から友人が何人か亡くなったりして、「生きること」や「死」について考えることが多くなりました。
暗くてごめんなさいね、思いついて書き留めておきたく。
私は作品に生花を使っているので、生と死は自分の作品には重要なテーマの一つです。
死があるから生がより輝きを持ったものになりますし、瞬間瞬間の輝きは生まれたても、最盛期も、朽ち果てる時も美しいものであることに変わりはありません。
死があるから生がある。生があるから死がある。
なんだか終わりのない言葉ですが、生死というサイクルがあることは当たり前すぎて普段あまり気に留めないことかもしれません。
「死が生を支えている」というのを誰かから聞いて、以前はピンとこなかったのですが、
よく考えたら、自分の細胞も新陳代謝を繰り返しているわけで、ある意味古い細胞が死ぬことで、新しい細胞が生まれてきます。
そこがうまくいかなかったら、どうなっちゃうんでしょう?
小さなことですが、これもまた、人間の体も毎日「死が生を支えている」のだなあと思います。
まだまだ深く掘り下げて考えられてはいないのですが、
生きていることはありがたいのだなあ、生かされているのだからより自分のことを大切にしようと思うのです。
朽ちかけのバラを使った作品。
写真は朽ちた白い彼岸花。オドロオドロシイかもしれないけど、私は美しいと思ってしまいます。
咲き始めた庭のさざんか
今日はどの子が咲いたかな〜?と眺めるのが楽しみの一つになってきました。
暗くてごめんなさいね、思いついて書き留めておきたく。
私は作品に生花を使っているので、生と死は自分の作品には重要なテーマの一つです。
死があるから生がより輝きを持ったものになりますし、瞬間瞬間の輝きは生まれたても、最盛期も、朽ち果てる時も美しいものであることに変わりはありません。
死があるから生がある。生があるから死がある。
なんだか終わりのない言葉ですが、生死というサイクルがあることは当たり前すぎて普段あまり気に留めないことかもしれません。
「死が生を支えている」というのを誰かから聞いて、以前はピンとこなかったのですが、
よく考えたら、自分の細胞も新陳代謝を繰り返しているわけで、ある意味古い細胞が死ぬことで、新しい細胞が生まれてきます。
そこがうまくいかなかったら、どうなっちゃうんでしょう?
小さなことですが、これもまた、人間の体も毎日「死が生を支えている」のだなあと思います。
まだまだ深く掘り下げて考えられてはいないのですが、
生きていることはありがたいのだなあ、生かされているのだからより自分のことを大切にしようと思うのです。
朽ちかけのバラを使った作品。
写真は朽ちた白い彼岸花。オドロオドロシイかもしれないけど、私は美しいと思ってしまいます。
咲き始めた庭のさざんか
今日はどの子が咲いたかな〜?と眺めるのが楽しみの一つになってきました。