のんびりなのか慌ただしくなのかよくわからないまま、もう2019年も10日以上過ぎてしまいました。
今年は自分にパワーを取り戻して、力強く前に進んでいこうと思います。
今日はちょっと私の恥ずかしい思いを書いたブログです。長いです。
花と墨の抽象作品を組み合わせた作品のアート活動を本格的に始めたのは2012年。
あれから7年。
少しは進歩したのではないかと思います。
海外へ観光ではなく、何かやってみたいと思い、無謀ながらも2012年にNYで初個展をしました。(海外での展示はハードルが高く感じるかもしれませんが、場所は限られるかもしれませんが、無名でもサポートしてくれる人にお願いして、お金を出せばできます。)
普通日本に住んでいるんだったら、日本で何かするよなあと思うのですが、昔から海外で何かしたかったので、それを自分で叶えたかったのです。
あの頃は初めてのことがたくさんあって、わからないことだらけだったけど勢いだけでカバー。
失敗もたくさんしたし、恥もたくさんかいたけど、楽しかったし、充実していたなあ。恥ずかしいネタは豊富にあります。
それから今に至るまで日本で1回、NYで2回、パリでも1回個展をしました。
グループ展はちょこちょこ毎年何かしら参加してきました。
私は割と行動力がある方なので、考えずにコレ!と思ったら突っ走るタイプ。
せっせと何も考えずに動いている時は、とても楽しかったのです。
でも途中でいろいろなことを気にし始め、焦るようになったのです。
人からの評価や作品の売れる売れない。
人のSNSを見て動揺したり、ちょっといわれた嫌なことをずっと引きずったり。
よく私は才能がないんだーと落ち込んだりもしました。
そんなこんなで、苦しくなってしばらく作品を作りたくなくなりました。
と言いつつも何かしら展示には参加はしていましたが、いま振り返ると、作品を仕上げても前ほどの喜びがなく、しんどい思いの方が多かったように思います。
焦る→制作する→苦しい→作りたくなくなる。
まさに悪循環です。
少し前、テレビで横尾忠則さんとマラソンの瀬古さんの対談を見ていて衝撃を受けました。
オリンピックでメダルを取れなかったことを悔やむ瀬古さんに、画家の横尾忠則さんが
「完璧を捨てる」
「完璧を目指すと疲れるからしんどい」
「一番欲しかったものを得られなかった人生の方が重要で、そういう人の人生は魅力的である。」
「人は未完で生まれて、未完で生きて、未完で死んでいく」
感動して涙が流れました。
何かやっているとどうしても結果を急いだり、気にしてしまいます。
そうするとそっちばかりに気持ちが向いてしまってしんどいだけになって息切れしてしまって辞めてしまう。
やっぱり外野に振り回されないことが大事なんだなあと。
アートを作るにあたっては、人の評価やクオリティが高いというより、自分の喜びや解放(人によって違うと思いますが)方が大事だと思うのです。
そこを無視してしまっては、なんのために制作しているのかわからなくなってしまいます。
もちろん、売れたりすることは大事ですが、喜びをないがしろにていていては何の意味もない虚しいだけだと思うのです。
それに気づいてからは、あまり外野を気にしないように努めました。
自分が何をどう感じるかに集中するのです。
人にどう思われるかは関係ないのです。
そうすると純粋に作品を作ることが楽しいし、自分が納得いく作品が作れなくてもオッケーだと思えるようになりました。
自分の作品についていい、悪いと決めるのも、自分に才能がある、ないを決めるのは自分なのです。
何の根拠もなくても、自分のことを信じること。
今年は結果を追うのではなくてまずは自分の喜びを大切にして制作していきます。
自分自身が前よりも大きくジャンプできそうな気がします。
もちろん自分比ですが。
今年は自分にパワーを取り戻して、力強く前に進んでいこうと思います。
今日はちょっと私の恥ずかしい思いを書いたブログです。長いです。
花と墨の抽象作品を組み合わせた作品のアート活動を本格的に始めたのは2012年。
あれから7年。
少しは進歩したのではないかと思います。
海外へ観光ではなく、何かやってみたいと思い、無謀ながらも2012年にNYで初個展をしました。(海外での展示はハードルが高く感じるかもしれませんが、場所は限られるかもしれませんが、無名でもサポートしてくれる人にお願いして、お金を出せばできます。)
普通日本に住んでいるんだったら、日本で何かするよなあと思うのですが、昔から海外で何かしたかったので、それを自分で叶えたかったのです。
あの頃は初めてのことがたくさんあって、わからないことだらけだったけど勢いだけでカバー。
失敗もたくさんしたし、恥もたくさんかいたけど、楽しかったし、充実していたなあ。恥ずかしいネタは豊富にあります。
それから今に至るまで日本で1回、NYで2回、パリでも1回個展をしました。
グループ展はちょこちょこ毎年何かしら参加してきました。
私は割と行動力がある方なので、考えずにコレ!と思ったら突っ走るタイプ。
せっせと何も考えずに動いている時は、とても楽しかったのです。
でも途中でいろいろなことを気にし始め、焦るようになったのです。
人からの評価や作品の売れる売れない。
人のSNSを見て動揺したり、ちょっといわれた嫌なことをずっと引きずったり。
よく私は才能がないんだーと落ち込んだりもしました。
そんなこんなで、苦しくなってしばらく作品を作りたくなくなりました。
と言いつつも何かしら展示には参加はしていましたが、いま振り返ると、作品を仕上げても前ほどの喜びがなく、しんどい思いの方が多かったように思います。
焦る→制作する→苦しい→作りたくなくなる。
まさに悪循環です。
少し前、テレビで横尾忠則さんとマラソンの瀬古さんの対談を見ていて衝撃を受けました。
オリンピックでメダルを取れなかったことを悔やむ瀬古さんに、画家の横尾忠則さんが
「完璧を捨てる」
「完璧を目指すと疲れるからしんどい」
「一番欲しかったものを得られなかった人生の方が重要で、そういう人の人生は魅力的である。」
「人は未完で生まれて、未完で生きて、未完で死んでいく」
感動して涙が流れました。
何かやっているとどうしても結果を急いだり、気にしてしまいます。
そうするとそっちばかりに気持ちが向いてしまってしんどいだけになって息切れしてしまって辞めてしまう。
やっぱり外野に振り回されないことが大事なんだなあと。
アートを作るにあたっては、人の評価やクオリティが高いというより、自分の喜びや解放(人によって違うと思いますが)方が大事だと思うのです。
そこを無視してしまっては、なんのために制作しているのかわからなくなってしまいます。
もちろん、売れたりすることは大事ですが、喜びをないがしろにていていては何の意味もない虚しいだけだと思うのです。
それに気づいてからは、あまり外野を気にしないように努めました。
自分が何をどう感じるかに集中するのです。
人にどう思われるかは関係ないのです。
そうすると純粋に作品を作ることが楽しいし、自分が納得いく作品が作れなくてもオッケーだと思えるようになりました。
自分の作品についていい、悪いと決めるのも、自分に才能がある、ないを決めるのは自分なのです。
何の根拠もなくても、自分のことを信じること。
今年は結果を追うのではなくてまずは自分の喜びを大切にして制作していきます。
自分自身が前よりも大きくジャンプできそうな気がします。
もちろん自分比ですが。