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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

不安を分類すると回答が観える!(熱意を考える 5/10)

2011-03-26 | 第八章「魂と聖霊」

 良く判らないことを数値化してグラフにしたりすると、今まで判らなかったことが観えたりする。サラリーマン時代は、仕事でしょっちゅうグラフ化したり分類したりしたものである。

 ところが、日常的に人生の大半を覆う不安感に対して、それを分類したり増して図化するようなことは、小学校から大学、企業に入っても習わなかった。そして、生き甲斐の心理学(良質の臨床心理学といってもよいが)をU先生に習い始め、初めて不安感の分類について学んだものだ。あの時、この知識があれば、Aさんにアドバイスできたのにとか、自分のあの時に知ってたら、どんなに楽だったのにと思う。

 今は、大震災から二週間ちょっと。原発問題も重なり、周りのこころ優しい人達の多くは、いつも以上に不安感に苛まされているようだ。そんな中、ちょっと不安感を自分でセルフチェックしてみたらどうだろう。スッキリするかもしれない。

 役に立つ分類方法その一は、その不安が身体からくるものか、こころ(成育史)からくるものか、そして魂(生命体と呼んでいいかもしれない)からくるものかを分類することである。

 自分のことで、恐縮であるが、若いころは私はお腹がすくと機嫌が悪くなるところがあった。そして会社に入って間もないころは営業マンとして活動したが、その時は厳しい問題を抱えているお客様とは、成るべく昼過ぎに会うようにしたものだ。

 それは私なりの経験則であった。恐らく、お腹がすくという身体からの不安感を、こころの問題と混濁したり感情転移したりする、私の傾向を無意識に避けたのだろう(理論からすると)。

 あるいは、仕事で何かこころの状態が最悪(錯乱)な状態でまとまらないとき、家に帰ってゆっくり寝たものだ。翌朝目覚めると、事態はそれほど複雑でないことに気がついたりする。疲れた時寝るのは最高の薬でもあった。

 不安が何処から来るか、身体か、こころか、魂か。それが判るだけで、対応方法も考えられる(問題解決への一歩)。身体を気遣うのか、自分の成育史の問題と取り組むのか、教会や神社仏閣に行ったりするのか・・・

 時どき、今の不安は何処から来るか。耳を澄ましてみたら!

熱意を考える 5/10

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自分の感情を研ぎ澄ます!(熱意を考える 4/10)

2011-03-25 | 第八章「魂と聖霊」

 一週間以上、東日本大震災の影響が続くと、自分でもストレスがいつもより、高いかなぁと感じることがある。増してや、被災地の真只中に居らっしゃる方々は、大変なストレスにさらされていると思う。

 さて、こころの健康をはかる尺度として、プロセス・スケールというものがある。心理学者のカール・ロジャースが発案したもので、世界的に愛用されているという。7つの視点から、簡易的に3段階で評価するものである。このブログにも何回か書いたが(ご興味ある方は左上の検索を試して頂きたい)、その中で≪感情と個人的意味づけ≫というものがある。自分の感情をきちっと捉え、それをきちっと体験していることを確認する3段階の尺度である。

 自分は湧き起る感情をうまく捉えているのだろうか?時どき、そんなことを思いだして、私はチェックする。

 自分の身体については、体調はどうか、熱があるか血圧はどうか、など一般に関心を持たれていることであるが、こころの健康に関しては、意外にも、その知識が知れ渡っていない。

 身に付けるには勉強会に参加したり、ちょっとした訓練が必要なのであるが、簡易的に次のように自分の感情を点検してみたらどうだろうか?関心を持つだけでも、意外と効果があるように思う(この尺度を向上させる)。

 感情にはいろいろあるが、原初的な感情として、≪好きか嫌いか≫、≪怖いか怖くないか≫、この2系列があるようだ。そいて、あらゆる感情にはこの2つの要素が含まれているとも言われている。

 のんびりと何時も聴く音楽を聴いたり、好きな絵画や色・・・そんなものに触れて、、≪好きか嫌いか≫、≪怖いか怖くないか≫を敢えて問うてみる。それだけで、自分の体感が実感できればいい。また、意外とその時どきにより変わるものでもあることを発見する。

 強い緊張がある時は、意外にも良く判らない。ただ、リラックスしていると、自分の本当の感情に触れ、そして、それが充実した体験に繋がっていく。

 自分の感情に触れ、それをしみじみ味わい。その意味(何で、こんな感情が湧いたかを)を思索する。一度試してみてください。

熱意を考える 4/10

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そこはかとない不安を明確に!赤ずきんちゃん~ (熱意を考える 3/10)

2011-03-24 | 第八章「魂と聖霊」

 原発の影響について、やはり気になるので、時どきテレビを観ている。かなり前の放映だったかもしれないが、原発の事故について、いろいろ専門家に質問する場面があった。その時、≪最悪の時は、どうなるのだ?≫そんな質問があった。重い質問であり、その専門家の方は口を濁してしまわれた。そして、そんな恐ろしいことにならないように努力しているのです。と言われた。

 さて、昔読んだグリム童話の中に、赤ずきんちゃんがある。このお話は、この時の専門家のお話にちょっと似ている。赤ずきんちゃんの出発時と同様、成功の想いが支配的で、そこはかとない脇道(オオカミに出会う)の不安がはっきりしないという感じなのである。その後、いろいろな恐ろしいことを経験し、最後には反省し目出度しとなるが・・・

 不安の意識化は、成功の意識化と同様に大切だと思う。企業に勤めていた時は、マーケティングの仕事で、シナリオライティングの手法も学んだ。最悪の時のシナリオ、最良の時のシナリオ。現実的には、その二つのシナリオの間に実際落ち着くものだ。そして、それを考えることにより、そこはかとない?不安を軽減させ、ふんぎりがつく。

 先憂後楽。日本でも昔から、事前にしっかり考えるという伝統があるようである。勿論、欧米のシステム思考はは凄い。

 さて、この最悪のシナリオを考えるということは、生き甲斐の心理学の中で、特にフォーカシングの手法に登場する。不安の意識化。対象化というのだろうか。勿論、時と場合にもより、使わない方が良いケースもあるが。

 今の情勢、将来に対する不安が、そこはかとない形でいろいろな人を覆い尽くすようである。こころ優しい赤ずきんちゃんが困ったように。

 時には、恐れず不安を書きだしてみよう。そして、それを論理的に点検してみよう。そうした操作の中で、意外な安堵が訪れ、不思議なパワーに溢れる。

 因みに、私も原発について最悪のシナリオを、知人の情報から得ることができ、安心して東京で過ごすことができている。東京に居続けるというふんぎりで力が湧く。

熱意を考える 3/10

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こんな時こそ≪笑い≫!(熱意を考える 2/10)

2011-03-23 | 第八章「魂と聖霊」

 3月15日にU先生の勉強会に都心に行った。流石に11日の震災の後だけに参加者は少なかったが、貴重な時間を過ごした。既に、毎日恐ろしい、悲惨な映像を見続けている人が大半で、U先生が心配されていた。こんな時こそ、≪水戸黄門≫でも放映してくれたら。Aさんのそんな一言がとても印象的だった。

 身体のことについては、ある意味判り易いので、そのダメ―ジなどにはこころを配る人が多いが、こころについては意外と無頓着な人が多い。こころの健康が2-3日のストレスで簡単に保たれなくなるということに気づいている人は意外と少ない。こころも身体と同じで、それほど頑張れない。生き甲斐の心理学を勉強し、自分のことを知るたびに、つくづくそう思う。

 さて、この一週間、いろいろなストレスがあったが、笑いについて時どき考えている。昔読んだ、梅原猛氏の≪笑いの構造≫が気になってパラパラ読んだりしたりしている。

 笑いは、意外にも2歳くらいにその原型があるようで、また、小学生のころには東海道膝栗毛を夢中で読んだりしたこともある。高校生の時の学園紛争等の時も、今考えてみれば、落語研究会のBさんを始め結構笑いがあり、それが救いになっていたことに気づく。40歳台の大変な時も笑いが救いになった。

 今回の、例えば原子力発電所の事故でも、家族で観ながら、不謹慎かもしれないが、海外の報道番組でニュースキャスターが言った、≪Edano Nero!≫発言で笑ったりしたものだ。

 ≪笑い≫は何故良いのだろうか?生き甲斐の心理学から考えると、暗い感情を湧き起こす、人の理想領域(カールロジャースでいうと第二領域)の現実化というか無価値化に関係しているようである。理想と現実のギャップを埋め(瞬間でも)、こころに柔軟性を与えてくれる。

熱意を考える 2/10

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被災者への熱い想いを、戦わせる?!(熱意を考える 1/10)

2011-03-22 | 第八章「魂と聖霊」

 私のところにも、いろいろな情報が集まってくる。今は、大きく分けて、①原発の不安 ②被災者への支援。この二つである。どちらも、家族への想いや被災者への想いなど、他者に対する並々ならぬ想いが感じられる情報である。

 そして、その想いの背後には各個人の成育史ゆえの人間観ゆえの、災害時の理想が見え隠れする。そして、理想であるゆえに両刃の刃となり、いつの間にか、行動面である種のプライオリティ付けが自ずと生まれたり、感情面でも何か好き嫌いをあらわにし、ぶつかる状態が生まれるようだ。

 ある人は、家族を第一とし(家族が被災者という考えなのだろう)、その他の人は二の次に。ある人は、災害で一番困っている人を第一に、その他の人は二の次に。また、行政のある人は収容されている被災者を第一に、その他は第二に。こんな風である。

 様々な理想が倫理的にどれが正しいか、哲学・宗教的にどうかは、なかなか難しい問題である。それは、結局その人が持つ、意識・無意識の人間観の問題なのだ。

 そして、私もそうした人間の一人である。災害の中で、やはりふつふつと湧き起る熱い想いがある。

 ただ、見方を変えて(生き甲斐の心理学の見方)思うのは理想の衝突の中で、他者否定の思想にのめりこまないことである。やはり他者の、愛そのものの魂を信じたい。それが、結構難しいがこころの安定に最も有効だとも思う。自己肯定・他者肯定の思想だ。

 意見が衝突する場合、ふつふつと湧き起るのは、暖かい感情ではなく、冷たいネガティブな感情だろう。熱い熱意が逆に怒りを産んだりする。それでも、相手は隣人だ。その中で大切なのは理性的な愛、カリタスなのだろう。

 人を支援することを仕事としたり生き甲斐とする人は、やはり、この誰にでも熱意をもつ(もとうとする)訓練が重要だと思う(そうでなければ、支援に障害がでる)。これから10回この問題を取り上げてみたい。

熱意を考える 1/10

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