ベランダのスミレ(家人が近くの野生のスミレを鉢植えにした)が、いつの間にか沢山花をつけ始めた。おぉ・・・という嬉しい驚きを頂いた。
山路来てなにやらゆかしすみれ草
芭蕉の名句であるが、この句を思い出す。自分とスミレの関係であるが、状況により(山路に来て)、他者であるスミレとの関係が変化(他者肯定に変換)し、スミレを受容した時の神秘的な句なのかなぁと思うのである。
テキスト「生き甲斐の心理学」の熱意に関する55ページに、好きなU先生の一節がある。「人の神秘を探る方法が一つあります。それは他者否定の思想からの解放です。自己否定からは何も生まれないように、自己否定も自己肯定もしないこと。」
傾聴の極意の一つとも思えるが、人に対する熱意の源泉とも言える。
さて、今回の大震災で、私も高い視点から俯瞰すれば、一人の被災者となった。もちろん、津波や建物の倒壊の直接的な被害を受けたわけでなく。余震の恐怖に今も慄いているわけでもない。しかし、原発被害の影響で、その汚染や風評被害も関係ないわけでもなく。乳幼児(一歳を越えているが)を孫にもったり、地震当日も帰宅問題で大わらわだったりした。西日本の知人からも、お見舞いの有難い電話をいただいた。
そんな中、この2-3日YouTubeを通じて、海外からのPray for Japanなどを観させていただいた。その中で、思わず涙がこぼれた。ツイータの芭蕉ではないが、つぶやきの中にまさに魂の言葉を聴いた気もした。
その中の一つがアフリカのキベラからの励ましである。
http://www.youtube.com/watch?v=0L5W5CYkbR4
この映像の背後にある様々な事情を私は殆ど知らないが、何かスミレ草のような繋がりを感じてしまう。
熱意を考える 7/10
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