≪良い断念≫が自分の理想と現実のギャップを埋め、さらに次のステップに繋げることを述べて来たが、その原動力は何だろうか?未知の怖さを乗り越え、依存することなく突き進む力は、どこに起源があるのだろうか。
そんなことを、今朝は考えている。エリクソンの人格形成理論によると、5-7歳の目的志向性の時期、自立心が発達することになっている。私の場合は、特に7歳の時に両親とアラスカのシトカで約一年暮らした経験があるが、異国の地ということもあり、何故か沢山の記憶が今でも残っている。
アラスカのシトカは、日本人と同じモンゴロイド系のネイティブの地であったが、ロシアが18世紀に植民地化した歴史をもつ。そして、私と両親が住んだころ(1950年代後半)に米国の準州から州に移行する。
私が住んだ家は、黄色いペンキで塗られた家であったが、隣に白い十字架が見えるロシア人墓地があった。また、最近知ったことで、ロシア人墓地の近辺には数百年の歴史があるネイティブの墓地もあったそうだ。
何か薄気味の悪い土地であったが、黄色い家の中は、しっかりと寒さを防ぎ、家族で楽しく暮らせる安らぎの場所であり。日本とは違う作りで、ワクワクした思い出がある。
冬のある日、両親が深夜パーティに誘われ出かける。、一人先に寝るが、ふと夜中に目覚め時計を見ると、午前2時、ウシミツ時。しかも、両親は不在で恐怖感でドキドキした思い出がある。
もともと内弁慶であったが、環境の変化で家でストレスを抱えた夜、父がふいと外に出かけてしまった。しばらくすると帰宅して、ロシア人墓地で祈ってきたという。そんなこともあった。
一年近く住んで、春が近づいて来た時、家の裏の木に登ると、針葉樹の枝が快適なソファーのようにしなり、そこで何かゆったりした気分を味わったものだ。
近くの公園で、一人猿や鳥が刻まれたトーテムポールを眺めた思い出がある。
こうした一連の経験は、勿論自分の脳はかってに解釈するものではあるが、怖さを克服して、深く自分自身になって行く経験をした時期でもあったようだ。
今でも、何かを断念し、そして何かを始めようとするとき、とかく錯乱するのは、ウシミツ時の原型がありかもしれない。しかし、それを克服する何かも原型となり、断念や再生をうまく機能させてくれるようだ。
もう7年近くなるが、U先生の勉強会で絵画鑑賞療法の勉強をしたとき、無意識の意識化で黄色い色が自分の大きな関心となったが、その意味は今日語ったことではなかったか・・・そんな感じを持ちつつ、U先生をはじめ勉強仲間に感謝したい。
断念と再生 9/10
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