イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

カレンダー・・今も縄文時代も(縄文世界を感じるとき 9/10)

2023-03-22 | 第一章「意識と知覚」

 縄文カレンダーは小林達雄氏により提唱され、かつてはそんなものがあるのかと驚いたが、ネットで縄文カレンダーなるものを調べてみるといろいろあり感心する。これは私たち現代人が考古学などの知恵から作った縄文人のカレンダーであるが、当の縄文人はどのようなカレンダーを意識し使っていたのだろうか。

 狩猟採取の縄文人は農耕ではないのでカレンダーなどなくても大丈夫かのような印象があったが、実際は畑作もあるし狩猟や漁労も季節性があるので、カレンダーの重要性は私たちと変わらなかったと思う。もちろん形態は日めくりカレンダーに置き換わるある種のモノだったかもしれないし、同時代のその道に長けた専門家からくる狼煙のような合図だったかもしれない。

 縄文人の生活。今と違って、例えば何百種類の植物を食べるだけでなくいろいろ利用していたり、もちろん狩猟や漁労もあるので、動物の生態情報もある。さらに竪穴住居や木器・土器・籠。皮づくりなども季節や時期の特性を考えなければうまくつくれない。このあたりまでは簡単に想像できるが、私は旅もカレンダーと関係が深いと考えている。塩や石材の確保など遠隔地との交易は今もそうだが極めて重要、日数も労力もかかるので、いつでも良いということはない。部族のネットワークというか人的交流・配偶者のこともある。宗教行事も当然で冬至など二至二分の行事、人の誕生、成人、結婚、葬式もカレンダーのお世話になる。

 法事もスケジュールというかカレンダーが基盤。かつては檀家システムがお寺で重要なものだった。魂の世界もカレンダーなしでは成り立たない。縄文時代も何らかの決まりがあったと思う。

 今はカレンダーは世の中に芸術的なものも含めあふれんばかりあるが、縄文時代の縄文人が考えたカレンダーも今と概念は違うかもしれないが確実にあったと思う。井戸尻考古館発行の井戸尻に掲載されている四方眉月文深鉢をはじめカレンダーに関係すると思われるものが土器等は確実にある。それから縄文後期には口縁部に5や7つの突起の意味深な深鉢などが結構目につくが、これと陰陽五行説などとの関係はどうなのだろうか。大陸との関係も当然あるのだろう。

 カレンダーの本来の姿は生命体の流れをスマートに整理したものだったかもしれない。それゆえカレンダーは心を癒す効果もあるようだ。かつて、混乱の中で日々を送っている中で、二十四節季を意識することの大切さを学んだ。自然を観察したりするとか、月や星などの天体を観察することもカレンダーをお供に意識してみると何か元気になる。

世界は自分を中心に回っているかもしれないが、自分とは別に不思議なカレンダーという中心点もあると気づくと救われるものだ。といって、普段はカレンダーを見て慌てているが。

写真は春分のころの田端環状積石遺構。

縄文世界を感じるとき 9/10

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       森裕行

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発掘現場の地層と心の地層・・ (縄文世界を感じるとき 8/10)

2023-03-03 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

私は父が土建屋であったこともあり、現場という言葉に何か心が躍るところがある。何というか魑魅魍魎も突然出没することもある緊張感ある現場。しかし何かロマンが隠れていたり、義理人情があったりも。

そして、この7-8年熱中している考古学の領域の現場。発掘現場に対するあこがれがあり、移植ごてを握ってみたいとか、そんな衝動が蠢いていた。それが不思議なご縁でほんのちょっとかもしれないが実現した。まあ、若くないのにここまで体験できることは実にありがたいことである。掘るじいじ・・・「掘る女」という映画の名作があったが。

そして、地層をリアルに見たりして五感で味わうことができた。地層。層というだけであってだいたい境が目視できる。そして、そこにはドラマがあるようだ。自然の力で流入した土。人工的に誰かが掘ったりした跡・・そしてつくづく、時代の流れ歴史を実感させていただいた。

そんな現場のそばに椎の木があった。かなりの大木なので樹齢400年とかなのだろう。そして、なぜか懐かしい気持ちがあふれその木に、そっと手のひらをつけてみた。思ったより柔らかく暖かさえ感じた。椎の木は幼かったころ近くの本塩町に大木があって、夏が近づくと強烈なにおいがして花が咲いた。そのことを思い出すのだ。

U先生について「生き甲斐の心理学」を20年以上学んできたが、心理学もいろいろな分野があるが、生育史が基本だと思う。フロイトの研究から、教育や福祉でもおなじみのエリクソンの人格形成論が出てくる。一人の人生を8つの段階に分けて、研究している。五感との関係もあるので、私の椎の木体験は6歳ごろの目的志向性・自発性・罪悪感の世界と密接につながってきているようだ。同じ人格形成論でもロジャースの19の命題もあるが、難解できちっと学ばなければ理解しづらいが、こころの形成過程を別の角度で分析できる。

そんなことで、考古学の発掘と心理学は似ていないようで結構相通じるところがある。そして、文化が大きく変わったりするように人生も、私のようにある時はまるで別人になったように変わることすらある。

そして、椎の大木は人生も文化の地層も眺めている。樹の文化はよいものだ。

縄文世界を感じるとき 8/10

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由木東の大銀杏あたり・・縄文人の行動の軌跡(7/10 縄文世界を感じる時)

2023-02-16 | 第四章「愛とゆるし」

 

もう20年前以上になるが、八王子市に引っ越しし由木東市民センターの近くにそびえていた大銀杏(イチョウ)を初めて見た時は驚いた。樹齢500年という大木は、昔神明社という小さな社の境内にあったという。そして、多摩ニュータウンの造成の関係で神社が引っ越しする際、伐採されそうになったが関係者のご努力で現在のように保存されたとも知った。

この大木の北側が高幡不動方面になるが、斜面を見下ろすと多摩川の支流である大栗川が見える。大栗川は以前は良く氾濫したというが、今はきちっと整備され古い地図の蛇行する大栗川とは大違いだ。きっと縄文人は川の蛇行と蛇を重ねていたと思うが、今ではどうだろうか。南は多摩センター方面(数分やや傾斜を上り、数分歩くと松ケ谷駅)でやはり多摩川の支流の乞田川が流れている。そこにも遺跡があるが、流域が短いためか、大きな遺跡は少ないという。

大銀杏はちょうど丘陵の頂上付近(南斜面)にある。今は住居も多く、東京のベットタウンの一翼を担いできた場所であり、この近くにあったはずの遺跡もすでに改変されてしまっている。この大銀杏のある南斜面はもと大塚日影と呼ばれ、多摩ニュータウンNo.64遺跡(八王子市No.453遺跡)があり、さらに西方向には大塚公園があり、多摩ニュータウンNo.66, 67遺跡がある。

多摩ニュータウン67遺跡は、縄文展などに出品され有名な土器もあり、また公園の一角に復元敷石住居があり、縄文中期後半から後期のはじめ(4300年くらい前)の遺跡としても知られ、見晴らしもよい。

 

さて、私はちょうど隣の由木東市民センターも時々利用させていただいたりしたが、窓から見える大栗川方面の景色は何とも素晴らしく。そして、アースフィーリングというのだろうか。ここに来ると何か落ち着きを取り戻すようで、神社の境内にあった大銀杏には祈りが込められているようだった。

大銀杏と言えば私が高校生の時に校庭の一角にも大銀杏があり、秋になると特有のにおいと一緒に銀杏がたくさん落ちた。その記憶も重なって、特別な聖地のように感じてしまうのかもしれないが。

さて、もう7-8年は経つが、東京の多摩境にある田端環状積石遺構(ストーンサークル)に特別な関心を寄せている。その遺跡では冬至に丹沢の最高峰で神奈備型の蛭ケ岳に太陽が沈むのを縄文人と同じように観察できる。そして、冬至に日没が蛭ケ岳にかかるラインを引いて調べたが。その一つが多摩市の稲荷塚古墳(八角墳でとても有名)であり、さらに大国魂神社もある。さらに、先日は桜ヶ丘一丁目付近の関戸城跡も確認したところである。縄文時代の後晩期だけでなくいろいろな時点の祖先たちが、この現象を知ってその場所にこだわった結果かもしれない。

そして、この64遺跡や67遺跡もそのライン上に近い。丘陵の頂上付近あり、少し登れば見晴らしがよく、蛭ケ岳や富士山も見える場所に到達できるだろう。

このあたりでは大塚日向や大塚日影といった名前がついていて気になった。文字通り考えると、大栗川流域の北側にある南斜面は一般に日当たりがよく生活だけでなく、農業などにも向いているように思う。それでつけた名前なのだろうか。地名は当て字が使われることも多い。ヒは日を表すが、火も同音異語にある。日本神話には日の神も出てくるが、火の神もでてくる。そして、今も蛭ケ岳と肩を並べるようにそびえている富士山。縄文時代も噴火を繰り返し、特に後期中葉から晩期は激しく噴火したようである。こうした時代に火山灰などは日影(北斜面)が日向(南斜面)より少なく、火山の被害も少なかったのではと想像できる。地元の遺跡で火山活動と日向、日影の相関をとって研究された方はいらっしゃるのだろうか。

富士山はフジという言葉が火の山を表すとも聞いたことがあり、ひょっとすると火向、火影を昔の人はイメージされたのではないだろうか。

さて、前置きが随分ながくなったが、この大銀杏の近くに約3700年前くらいの堀之内期の敷石住居址が発掘され、特別な祭儀に使われるような注口土器(土瓶型の土器)も一緒に発掘されている。こうした時代の人々の足跡が残されているのだが、それは何を意味し、その裏の思考や感情はどうだったのだろうか。

私は縄文時代の小説を書いているが、一般論(例えば縄文後晩期は冷涼化が進み人口が減少するなど)も少しは興味があるが、個性を持つ縄文人(遺伝子的には現代人とほとんど変わらないとも言われる)の、思考・感情・行動に深い関心を寄せている。そして調査報告書をそんな眼で読んで妄想をたくましくするのだ。

なぜ、敷石住居の出口がちょうど真西に向いているのだろうか、春分の日の夕日を意識したのか。廃屋になる前のたぶん火を使って住居を焼いたのは弔いのためか産屋につかったためか。丘陵の頂上付近であるので、冬至の祭儀に関係の深い信仰心の強い人の住居だったか。矢じりなどにつかった黒曜石(諏訪方面からか)や意外に多いチャート。チャートは奥多摩の産地の村から仕入れたのか。打製石器も後期にでてくる分銅型は何につかったのだろうか・・・

個人の行動に焦点をあてていると、個人をとりまく文化も気になってくる。両親・家族や環境をとおして個人にしみこんでくる文化は、個人を保護し、ある種の自由さを与えてくれるが、逆に人を束縛し極端な場合は破綻に追い込むこともある。それは今と同じであろう。

 

今、世界を混乱に陥らせているロシア。これも単なる個人の問題というわけでもないようだ。誰かが言っていたが今のロシアを理解するにはドストエフスキーの小説を深く理解せねばならないとか。また、日本の文化の理解には日本という言葉が世界に認められた7ー8世紀の理解が大切とかで。「生き甲斐の心理学」の関係から持統天皇の研究を10年くらい楽しんできた。その時の研究から持統天皇を理解するには歴史学者の書いた本より、持統天皇が編集されたとされる万葉集巻一であった。そして、U先生から学んだ深層心理までをうまく分析できるというロジャースの人格形成論やエリクソンの人格形成論を使い分析した。そこからは意外にも母系的な社会のいったんが垣間見れたように思う。まあ、私の家も母系社会かもしれないが。

縄文時代の次の小説でも、多分スタンスは変わらない。現代あるいは自分の中に今も残る縄文時代からのこころの原型を確認し、あるいは7-8世紀の持統天皇を通し、縄文時代の祖先の姿を探る。

しかし、足跡・行動は何を語るのだろうか。今日は「生き甲斐の心理学」の仲間との勉強会。個人の人生の根の部分の傾向と渇望からくる生き甲斐。日々の五感を通しての知覚からくる短期的?欲求。行動を支える感情の活用。

ちょっと考えすぎかな。考えすぎはあまりよくない。

縄文世界を感じるとき 7/10

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稽古やリスキリング・・縄文時代からの大切なやりかた・・(縄文世界を感じるとき 6/10)

2023-02-02 | 第三章「無意識の世界」

  この数十年。マニュアル的な世界やリ・スキリングが日本でも随分広がったように思う。ファミリーレストランの標準化されたスマートなサービス。昔は何となく憧れたものだった。しかし一概に言えないかもしれないが、例えば仕事や学びを身に着けるといったとき、これを読んでね・・で終わるようなありかたは果たして良いのだろうか。昔は、背中を見て覚えよとか、先輩から盗めなどという言葉が代表するように、不親切な時代だった。そんな中で、マニュアル的な世界は親切で有難いと思ったものだ。しかし、そういった世界が開かれるなかで私は生き甲斐の心理学をU先生から学んだり、今はさらに縄文について学んでいる。写真の土器づくりも一つだが稽古やリ・スキリング、学習について考えてみた。

 マニュアル。ここでは一つの象徴としてお話する。決してマニュアルが悪いと言っているのではない。ある仕事でも学習でもよいと思う。ある成果を上げる最適なプロセスが決められていて、それを踏襲すればよいというものだ。型というのだろうか。したがって、最終的に到達すべき地点が明確に描かれている。そして、不備があれば改定され、よりよい最終到達系がしめされるであろう。しかし、それはスマートでよいことであるが、問題点もなくはない。何回か読んで何となくわかった気分になる。そして、仕事や学習も一応できるようになる。しかし、だからといって、そのマニュアルを書かれた方がその道の権威者であるとして、同じような知恵をもって臨機応変にいろいろ対処できるかといえば・・・全くそうではない。

心理学のテキストは巷にあふれているが、私はU先生の「生き甲斐の心理学」の147ページのテキストを先生について20年近く学んだがやっと書かれた意図が少しわかったというような状態である。書かれた内容は決して難しくないのだが、身につけて生活の中で役に立つかなと思えたのは10年くらいたってからであり、U先生の意図が少しは見えてきたのが最近である。それはテキストを頭で理解するというより身体で理解するといったものに近い。

私はかつて、福祉の修行をしていた時に車の2種免許を取得した。タクシーの運転手もできる免許である。残念ながらその資格を生活の中で活かすチャンスはあまりなく最近2種は返納したが、運転の学びからいろいろ学んだ。資格そのものも実技はV字カーブとかS字カーブをバックで運転するなど一見華やかであるし、筆記試験もかなりハードルは高かった。しかし、友達から聞いたりしたが、その資格を持っていても実際のバスの運転などはもっと大変。一言でいえば失敗のゆるされない世界なのである。そんなことでかつて、バスの運転手さんの運転などを後ろからよく観察した。身体で覚えるというか、基本をどのように踏襲するか。ダブルチェックとか甘い仕事の世界ではなく、真剣勝負の世界がそこにあった。

縄文土器づくりの世界。縄文をからだで理解するには大切な世界だと思い、何年か前に岡山で経験したが、昨年から身近な場所で体験することができるようになりチャレンジしている。実際にいろいろ体験させていただいていることから、この世界もあきらかに真剣勝負の世界であることが分かった(縄文の世界は)。人生100年とかの今であるが、当時は人生30年くらいの感覚である。その中でDNA的にはほとんど変わらない身体や脳をもった先祖は土器づくりを真剣勝負で行ったのだろう。縄文時代の土器や土偶、そのほか石器や住居でもそうだが、そこには真剣勝負がある。だから縄文ブームもおこるのだ。

 さて、個人の成長ということを考えてみる。個人の成長は何か蛇の脱皮に似ている。私は幸運なことに師に恵まれた人生であった。小学校の時の師。中学校の時の師。高校生の時の師。大学の時の師。社会人になってからの師。そして、生き甲斐の心理学の師。縄文の師・・その存在はなんと大きいか。マニュアルを一人で読んでも、師の存在なしではかなか脱皮できないものだ。

 私は大学ごろから、Something Greatの世界が何かぼんやりだったかもしれないが感じていたように思う。自分を超える存在。それを認識することは、目の前に今一見見えているマニュアルではなく、未完成な自分を追い立て、試行錯誤に導く原動力になったように思う。そのためには、信頼できる師についてマニュアルを学ぶことが大切であった。師について10年~たつなどし、稽古が深まり自分の立ち位置が少しは分かるようになってくると、ある時別の世界が広がり始める。西平直氏の「稽古の思想」(春秋社 2019年)を読んだが、世阿弥の似する、似せぬ、似得るといった概念(学ぶ、脱学ぶ、新しい学ぶというのだろうか)をつかって分かりやすく書かれていたが、人の人生での一つの成長はそのような流れになることは、生き甲斐の心理学の学びの中でも学んできたが、とても分かりやすかった。縄文時代の人々の学びそのようであったと思う。

縄文世界を感じるとき 6/10

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縄文時代を、「思考・感情・行動」の視点で観る (縄文世界を感じるとき 5/10)

2023-01-18 | 旅・雑記帳

2023年になってから「生き甲斐の心理学」の勉強会を3回開催したが、加速する縄文活動?のために話題も知らずしらず縄文にのめり込むこと・・・(笑)。

ところで、縄文の世界も今私たちが置かれている世界に似ていて、例えば日常の「思考・感情・行動」の流れが人生を決めていくことは同じだと思う。縄文時代の人々の思考や感情の多くは文字がなかったので殆ど分からないが、多くの行動の軌跡は遺物や遺跡の中に残されている。そして、例えばかつてノーベル平和賞の候補となった心理学者カール・ロジャース(1902~1987)の人格形成論、「19の命題」は遺伝子的には殆ど現代人と変わらない縄文人に応用してもおかしくないと思う。「19の命題」は文化の違いを乗り越える現象学を基盤とした理論であり、今では心理学の分野だけでなく、国際政治や経済などの分野でも応用されている。ロジャースが平和賞の候補になったのも国際政治を通してと聴いたことがある。

遺伝子的には4,5万年前の人間と現代人は殆ど変わらないという説もあり、縄文人をその視点でとらえるとどうなるか。ロジャースが人間の複雑な挙動(動物や植物にも適応できる領域から、時には宗教的な心の成長や変化までを説明する領域)をたった19の命題であらわしたのは、実に驚くべきことだ。Wikipediaの英語版に載っているのでご興味のあるかたはこちらを。私はかつて短期間だが福祉分野の仕事(修行?)をした。その時にこの19の命題は本当に役立った。ただ、理論は学術用語が難解でもあり、また理論を使えるように身に着けるのには自己事例の研究も必要で結構時間がかかる。

さて、私は今土器づくりの体験をしていることもあり、博物館に行っても、本を読んでも土器や土偶に眼が行ってしまう。

身近な資料館や博物館を訪ねても、縄文土器は弥生土器や古墳時代の土器などと比べても明らかに存在感がある。縄文土器は無紋のものもあるが、縄文などの文様が付いているものが主流。例えば縄文はしめ縄のような原体(道具)で生渇きの土器表面につける文様である。土器の表面積を文様をつけて増やすという実利はあるかもしれないが、その蛇のイメージは死と再生(脱皮)と繋がり、世界の伝統宗教のそれにもつながっていく。今日はその説明は詳しくできないが、縄文人は土器をつくるときは祈りながら作っていたのではと思う。

さらに、土器だけでなく、土偶、石棒、石器、あるいは住居などもそのイメージの中で祈りを込めて作られたように思う。当然ながら、その成果物は真善美と繋がり、現代人にも日本人以外の人々の心を打つ。

ところで、この2-3年は持統天皇の研究もしたが、その時「嫉妬心」のことを結構思索した。嫉妬は一般に嫌な感情として処理されがちだが、生き甲斐の研究をしているとそれが決してマイナスなものではなく、嫉妬をうまく解釈し新たな行動にでると、人生を左右するようなプラス方向性に舵を切ることがあるように思う。現代でも最先端の美と思われる縄文時代の土器や土偶。その裏にはどのような人生のドラマと祈りがあったのだろうか。

写真は大栗川の鷺だが、最近は注口土器が歩いているように見えてしまう(笑)。

縄文世界を感じるとき 5/10

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