イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

理解されることよりも理解することを!

2007-08-31 | 第五章「和解と平和」

久しぶりに「和解と平和」を書く気持ちになった。最後の30回目の原稿ができていなかった。

毎日様々な方とお付き合いをしているわけであるが、その交流に、幼少の頃の人間関係が影を落としているように思うことが時々ある。昔の誰かに向けた感情が、現実の交流の中で感情転移で現れることである。

自分の場合であれば、幼少のころは両親や祖父母などが大きな影響を与えたように思う。

その中で、やはり父の影響は大きかったと思う。その父は、16年前に帰天し、そのイメージはこちらから変えようとしない限り変わらない。

そしてこのブログを1-2年書きながらいくつかの父のイメージの変化があった。そして、今日、ちょっとしたことから父の誰にもいわなかったような、弱さを真に理解したように思った。

亡くなる前に郷里の神社で、父と私でお参りをしたことを思い出したのが切っ掛けであった。強く前向きに生きていた父であるが、心残りは同級生などの多くが戦争で亡くなったということだったと思う。そして、そのことが心の負担になっていたことを理解したように思った。

父も弱みがあったんだなあと想った。そして、不思議に私のもやもやした気持ちがストーンと消えた。父を受容したのかもしれない。

タイトルは、「平和を願う祈り」の一節である。父との関係へのキーワードのように想えた。

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嫌いな人を好きに・・・

2007-08-30 | 第八章「魂と聖霊」

先の皆既月食の日から、猛暑も去りめっきり涼しくなった。

窓を開けると、ひんやりした風が入ってくる。

さて、風は息を連想するのか、命とか魂といった言葉と関係が深いようである。ギリシャ語のプネウマは風という意味と同時に霊の意味がある。

このところ、傾聴において、如何に熱心に話を聴けるかという問題を考え続けている。その中で、相手の方への嫌いという感情にどう対処するかという問題がある。嫌いな方や、苦手な方とは、普通は話すのも嫌だからである。当然傾聴にならない。

嫌いな人とどう接するかという問題は、私たち社会人の一般的な問題のひとつのようである。さらに、教育・医療・福祉などの人と接する仕事では深刻な問題であると思う。

そして、今までいろいろお聴きした中では、次のような対策で少しでも嫌悪感を緩和し好きになろうとするようだ。

一例であるが・・「その人の長所を思い浮かべる努力をする」。「ひとそれぞれの知覚はことなり、それは個性の美と考えるようにする」。「人類の50億年近い歴史を想像するなどで、気持ちを切り替える」。 「その方の身体の状態、成育史からくるこころの状態などを考慮する」。「愛そのものがこの方の身体に住まわれていると想像する」。「性善説」。

確かにそうだなと思う。私の場合はどうであろうか?やはり信仰の問題と切り離せない気がする。罪深い私が救われるという信仰からの平安感、生かされているという感覚がベースかもしれない。人間観はもっとも重要な気がする。そして先の例もその場で有効だと思う。

嫌いだという感情、それは人間であれば当然持つ自然な感情であり、それを持つことは当たり前だと思う。暗さを感じ電気をつけるようなセンサーのひとつと考えればよい。

ただ嫌っている相手を、なにか考え方を変えることで、より好きになり自分の行動を変える自由は残されていると思う。

今日の窓からの涼風は、そんなことを教えてくれる。

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満月で皆既月食!

2007-08-29 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は全国で皆既月食が観測可能な日であった。満月で皆既月食!

残念ながら、東京は曇ったり雨が降ったりで皆既月食はみられなかった。ただ、お月様のことを夜想う事ができ、ゆったりと過ごすことができた。

一昨日は、都心に住む母と電話が繋がらず、急遽心配して都心に行ったが、単なるFaxのトラブルで済んだ。そんなことで、昨日も朝からアタフタと過ごしていたので、皆既月食に感謝であった。見えない皆既日食であるが、何となくしっとりした風情を感じた。

夜には、皆既月食が観測できないこともあり、インターネットでいろいろ検索した。次に皆既月食が見られるのは2010年12月21日だということで、皆既月食の日が特別な日であることも実感した。

さらに、「こよみのページ」なるサイトを発見し、その中で、月蝕シュミレーションができた。月と地球と太陽による神秘をちょっと感じた。

今年は、冬に伊勢神宮に行った。そしてその時、たまたま神宮美術館で今年の「歌会始御題」、月によせて、特別展が開催されており、拝観することができた。

50歳台となり、昔は気にならなかった月がとても気になる。来月の名月が楽しみである。

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犬は10000年以上のお友達!

2007-08-28 | 第八章「魂と聖霊」

毎日の猛暑の中、氷河期を思いつつ日本人の起源、人類の起源、宗教の起源などに関係する本を読みリラックスしている。

家の2匹のマルチーズはさすがに、ぐったりしているが、犬の化石や遺伝子Hbの研究は知的好奇心を仔犬のようにくすぐる。

犬の研究は人類のルーツの研究にも欠かせないようである。人間はこの1万年の間に多くの動物を家畜化しているが、どうやら犬が一番古い家畜のようである。家畜という言葉にちょっと抵抗があるが。猫も家畜化されて、まだ4000年程度のお付き合いのようだ。

家には、親犬と仔犬(メス)がいて、観察をしているといろいろな発見がある。親の自覚、子供のやんちゃ、といって食べ物に関しては取り合いだし、犬の身体とこころ(成育史)を思わず考えこんでしまう。魂もあるのかな?あってほしいとも思う。

私の犬との出会いは、物心ついた3歳ころ。玄関にマスカットの箱の中で育てた秋田犬である。家族や祖父と散歩した思い出。そして中学校3年のときにフィラリアが元で亡くなった。獣医の手当ての後で、大きな犬小屋に寝かしつけ、最後に小屋からでようとしたのを無理に抑えたが、急にぐったりとして死んだ。

そんな犬との交流で、私に種は違うが生と死を学んだように思う。

八王子には、多くの墓地があるが、ペットの墓地もある。後世、この時代を発掘する未来の考古学者は何を見つけるであろうか?

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いつもの美術館に行くこと!

2007-08-27 | 第八章「魂と聖霊」

昨日は、八王子の村内美術館に行った。

半年前の雨の日に前回は行ったが、今回は真夏の日中であった。

ミレーの二人目の奥様の肖像は好きな絵であり、今回も良く見させていただいた。ミレーは小学校の4年生ころに、少年少女用の伝記を読んで好きになった。晩鐘が大好きであった。

しかし、絵を見るときに何気なくパネル説明を読んで、絵の印象が変わるものだと思う。今回は、クールベの「ボート遊び」とアンドレ・ブラジリエの絵であった。クールベが1865年に描いたその絵は、当時としては進歩的な女性が描かれている。

今までは、何か俗っぽい感じがして、好きでなかったが、今回は真夏に観賞したためか、知覚が変わった感じである。当時としては進歩的な女性という説明も印象を変えたのかもしれない。

もうひとつのアンドレ・ブラジリエの絵画は、前回も印象に残る絵であったが、今回は説明に東山魁夷氏と親交があったという説明を発見し、興味が増した。確かにどこか私の好きな東山魁夷氏の感性に似た色使いがあるように思った。

他にもいくつか、新発見があったが、同じ絵画が展示されているのに、観る印象、知覚が変わるという体験をさせてもらった。

この半年、自分はどのように変わったのだろうか?そんなことも考えてしまう良い体験であった。

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