東日本大震災の前年に福島いわき市の白水阿弥陀堂に行ったことがある。藤原清衡の娘(徳姫)が嫁いで、奥州藤原氏の毛越寺等の浄土庭園の影響が強いとも言われていたが、その時の印象は実に忘れがたかった。そんなこともあり、いつか中尊寺に行きたいと願っていたが、それが今回実現した。
世界遺産にも指定され、多くのガイドブックやWikipediaにも紹介されているので、興味のある方は読まれたらと思うが、今日は、私の現地で感じたことを中心に述べさせていただく。U先生によれはアースフィーリングというのだろう。
写真は毛越寺の庭園であるが、浄土というか天国というか、そういう世界を実感することができる。京都や奈良でも全く味わえない不思議な空間であることは間違いない。平安感ー>友好的感情ー>健康感ー>幸福感ー>統御感の幸福曲線の階段を登っていくようでもある。実際は嘉祥寺等、今では焼失している建物があり、さらに素晴らしかったのではと想像の翼をひろげ(つまり妄想か)られる。奥州藤原氏の鎮魂の地のひとつなのだろう。
セキレイが池のほとりに一匹いて、楽しげに遊んでいたのが印象的であり、五感での実感をともにしてくれたような気がする。天国のイメージを羽ばたかせる場所の一つであることは確実だと思う。
毛越寺に行く前には中尊寺を訪れ弁慶堂から金堂、讃衡蔵、野外能楽堂なども拝観させていただいた。金堂旧覆堂の隣には芭蕉の像と有名な句碑がある。讃衡蔵で4代の棺や首桶を観たり、金色堂で感動したあとでもあり、芭蕉の、「五月雨の降りのこしてや光堂」の俳句が胸に響いた。ここで感動したのは、芭蕉のころにもあった、覆堂の発想である。高村光太郎記念館のとなりの高村山荘も覆堂?があったが、風雪の中で後生に残そうという優しい気持ちが伝わってきたようだ。
また、三代のミイラは有名であるが、なんとも不思議な感じがした。調べてみると日本のミイラは東日本に集中している。保存の問題もあるのだろうが、文化的にも何かあるのではと思う。天国のイメージ。時間のイメージ。こうしたものは、宗教を信じて初めて観える何かかなと思う。
昨日は、生き甲斐の心理学の勉強会を八王子でしたが、その時に話題になったのが、パスカルのかけの話であった。宗教を信じあの世を信じるほうが良いか、信じない方が良いかを合理的に考えたパスカルの話だ。私もカトリックの信徒ではあるが、浄土庭園を観たり、中尊寺を拝見するなかで、信じて観えるものが何か分かったようだ。日本に生まれてよかった。
東北の旅 3/3