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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪つらいはず≫の時も貴重な経験!(断念と再生 7/10)

2011-03-08 | 第七章「光と復活体」

 人には、その人が耐えられないようなことは起こらないということを聴いたことがあるが、やはり、耐えがたい≪つらいはず≫の時はある。

 ≪つらいはず≫の時というのは、自分の経験でもあるが、カールロジャースの7つのストランズ(こころの状態を表す尺度)の中にも、体験過程というのがあり、≪つらい≫時は、何かその真っ只中で、体験から離れてあたかも他人事のようになってしまう傾向がある。それを≪つらいはず≫の時とあえて言わせていただいた。

 40歳台のある時期、私はまさしくそういう状態であった。始めは娘のことから始まったが、仕事とか、外のことでもそういう傾向があった。以前にもブログで書いたが、自分一人が頑張ってもどうにもならない状態。自分の能力の限界を遥かに超える自体が起こったとき、自分の中の理想と現実のギャップは、苦悩となる。

 天から与えられた慰めなのか、そういう状態に置かれると、意外とこの≪つらいはず≫の時がおこる。何かが止まってしまい、眼の前をいろいろなことが通り過ぎる感じである。

 しかし、私の場合時間と共に、健全度が増してくるのだろうか。その現実に徐々に対峙できるようになってくる。とは言っても、理想と現実のギャップは自分が変わらない(理想を下げるか、現実認識を変えるか)限り変わらない。

 こちこちの状態から、天啓のようなふとしたことから、何かを断念すると(腹をくくるという感じ)、隙間ができ、そこから苦悩が流れ出すように柔らかくなる。そして、動き始める。

 昨日は雪の中、朝車で移動した(スタットレスタイヤなので)。一昨日の暖かさと比べ凍てつく一日であったが、今日はどうだろう。今日は、友達のお見舞いに行ってこよう。

 今日も、良き一日でありますように!

 断念と再生 7/10

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