イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

役割とその意味を考えてみる! (役割を考える 1/10)

2016-05-31 | 第九章「愛」

 昨日は、娘や孫と楽しい時間を過ごした。祖父の役割を果たしたようだ。考えてみれば、仕事だけでなく、家庭でも役割の持つ意味は大きい。

 自分は、どんな役割をもっているのだろう。また、その意味は何だろうか。たまには自分の役割を棚卸する必要があるようだ。そして、自分は何のために生きているのか考えて、明るい方向に自分の役割を解釈する。

 もちろん、社会の一員なので、自分の思い通りにはならないが、その中にあっても、「自分は何のために生きているのか」という自分のこころの根の部分と繋げて意味づけすることが大切だ。

 この5-6年くらいだろうか。ボランティアが日本でも盛んになってきているようだ。博物館などでも、頼めば無償で教えてくれるボランティア、街の美化に貢献するボランティア・・・いろいろあるが、何かほっとする。また、心があたたまる。これは一つの役割のかたちだが、義務と報酬といった世界を越える視点で役割を考えるのが生命体として重要なように思う。

 役割をいろいろ考えていると、自己混乱感、劣等感、罪悪感、疑惑・恥辱、不信感、停滞感、絶望感、孤立感・・暗い感情生活もいろいろあるが、随分整理され軽減できるように思う。

 役割を考える 1/10

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自己表現を上手にするための覚悟・・・(暗い解釈はよくない 10/10)

2016-05-30 | 第三章「無意識の世界」

 夏目漱石の三四郎を49年ぶりに読んでいるが、とても新鮮に読ませていただいている。40年以上の馬齢を積んだこともあるが、生き甲斐の心理学を勉強したことも大きいと思う。

 新鮮だった一つに、三四郎の自己表現のへたさというか・・・そういう問題に、自分の生育史を重ねたことがある。自己表現はプロセススケールの一つであり、こころの状態を調べる大切な指標だ。私もこころが伸び伸びとせず萎縮している場合、例えば楽しい語らいの場で、何か考えすぎるというのだろうか、本来はポンポンと軽快にボールのやりとりをする会話が、何か重く停滞し言わなくてはいけない時に言い損ね、とんでもない時に場が変わるような発言をしてしまうこともあった。人前であがるということも、そうかもしれない。

 感情・思考・行動の三者が一体になり自己表現は快適に回るのだと思うが、どこかがずれると滞る。あらぬ方向の感情、浮ついた思考、ちぐはぐな行動、そしてへんになる。

 今朝、U先生のブログに自己表現と疑惑・恥辱感の関係が書かれていて実に納得したが、三四郎の汽車で出会った女や好きな美禰子さんへの態度など自己表現との関係は教科書通りかもしれない。疑惑・恥辱感の問題についてエリクソンは、意志力や自律性の大事さを示唆するが、本当だと思う。名古屋で女から「度胸のない方ね」と言われないように、覚悟を決めるときには決めるのが大人なのだろう(後半、三四郎も覚悟を決めて美禰子さんに会いにいくのだが)。

暗い解釈は何故よくない 10/10

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感情の向きを解釈する!(暗い解釈は何故よくない 9/10)

2016-05-28 | 第二章「五感と体感」

 いろいろなことで、毎日さまざまな解釈をするわけであるが、自分の湧き立つ感情の解釈を深めるのは、恐らく人生をよりよくする上では一番だと思う。そのためには、生き甲斐の心理学でこの約100年の間に進歩してきたフロイトから始まるといわれる臨床心理学の知識を学ぶ必要があると思う。

 U先生のテキストにはフロイトの14の防衛機制が詳しく説明されているが、特に感情転移や置き換えなど感情の矛先を変える心理的な機制の知識は実に人生の宝物だ。

 怒りの感情が起ったとしよう。当然Bというものにいらだっている。そして、場合によっては自分へのいらだちになったりもする。しかし、少し冷静になって、その怒りの意味を熟慮すると、仲の良いAさんが原因だったりする。高校生のときにベクトルを数学で学ぶが、方向とパワーをもつものをベクトルとすると、感情はまさしくそういうものだ。そして、パワーこそ本質なのであるが、無意識の働きもあり、方向が狂うのが人間の実情だ(それは、一方心を安定するために重要なのだが、長期的にみるとどうかなと思うことも)。

 私もそうだが方向が違うと、八つ当たりで顰蹙をかったり、内向して自責の念から元気がなくなったり、あわててとんでもない間違いをしたり、まあいろいろ。生命体はなにかの暗い感情をキャッチすると、激しく反応する。ただ、感情の方向性は振られることもある。特に激しい感情は、正しく解釈することで全く違う人生をもたらすようにも思う。まずは、日々の感情生活を理解することからなのだろう。

 写真はオニグルミです!秋になると食べられるように。

暗い解釈は何故よくない 9/10

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暗い感情をうまく回すには?(暗い解釈は何故よくない 8/10)

2016-05-27 | 第一章「意識と知覚」

 暗い解釈は暗い感情を産む。このあたりのことをしっかりと理解することは大事だ。生き甲斐の心理学でいう病理論だ。

 私も四月から新しい環境に入り馴染んできたのだが、やはり暗い感情は以前より大きい。こうした中で、自力で処理が上手くいかなくなれば適応不能となり心は不健康そのものとなっていく。もちろん、その反対に環境に適応し健康を維持することも十分ある。

 暗い感情ははじめは、ちょっとした不安から始まる、そして、怒りの段階、身体の不調(身体症状)、ウツ、錯乱と進んでいく。この流れを自分の知識としてもっていると良い。そして、できれば怒りの段階でなんとか食い止めるノウハウを持つことは重要だ(人生経験があれば、結構ノウハウを皆ためているようだが)。

 さらに暗い感情は理想と現実のギャップと考えるのが良いようだ。そして、理想の解釈、現実の解釈が背景にあることに注目する。解釈が論理的で客観性をもっているようでも、解釈は解釈であり人それぞれ個性がある。このあたりはよく自分の事例・傾向を考えておくとよい。

 昔、学生のころに読んだ心理学者フランクルの「夜と霧」という本がある。アウシュビッツ強制収容所での話なのであるが、クリスマスだったか、そういう時に多くの死者がでたという話を今でも覚えている。クリスマスまで頑張れば助かる。そんな理想を持つことで頑張ってきたのだが、クリスマスの惨めな現実にあい激しいギャップの中で力つきる。私はカトリック信徒なのでこの例は今は違和感があるが、理想というものを考える上で参考にさせていただいた。

 解釈というのは実に深い。一見明るい理想でも結果として悲劇を生むこともある。たぶん望ましい解釈の根幹は何のために生きるか?というような哲学的な自問自答の領域なのだろう。

暗い解釈は何故よくない 8/10

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孤独感を感じる時!(暗い解釈は何故良くない 7/10)

2016-05-26 | 第九章「愛」

 昨日は生き甲斐の心理学の八王子勉強会であったが、勉強もほどほどに、近くの東京都埋蔵文化センターの展示と遺跡を縄文の村として展示している多摩ニュータウンNo.57遺跡を見学した。縄文の村は縄文中期の調査に基づいた約60種類の樹木や200種類の食物の観られる都内屈指のスポット。オニグルミが実をつけていたりして、縄文の植生を心行くまで楽しんだ。ご一緒された方が野草に実に詳しく、縄文を五感と体感で楽しませていただいた。

 とはいえ、実は10年以上続いた八王子勉強会が最後になる日でもあった。いろいろな事情でやめることになったのだが、久しぶりに孤独感を味わった。こうした時、孤独感だけでなく様々な感情が湧くわけであるが、どのようにこの事態を解釈していくかがとても大事だ。

 今年は、久しぶりに仕事にも変化があり前期高齢者になり、活動の内容を見直す時期である。これから十年間、どこに活動の軸足を置くべきか、どういったことを大事にするのか、そんなことが問われているようだ。そんな意識された世界での一歩なのであるが、無意識の世界からくるのか孤独感等の感情のうごめきは、さらに何かを訴えているようでもある。

 2-3歳のころは、祖父母の家と両親の家が別だったこともあり、眠りから覚めると誰もいないときがあった。そんな時の孤独感というか・・・そんな原型も影響しているかもしれない。この勉強で、そうした原型の再解釈(母が自分を見捨てたわけでなく、大事な祖父母や伯母たちと接する必要があったなど)をしたりして、それなりに緩和してきたが・・・

 私が縄文時代に惹かれるのは、さまざまな遺跡などに行っても、これは織田信長の・・・、徳川宗春の・・・など特定の名前や人物のイメージが出てこない。名無しの方との対話がせいぜいであることがある(小説で妄想すれば名前もでてくるが)。何かとても寂しい感じだ。

 ただ、遺物や状況などから、そこに何があったかは想像できる。墓があれば、故人を想う周りの愛を感じるし、土器や土偶、木器などがあれば、生きる力や共同体を想う愛を感じる。さらに、数学的に考えると古い祖先ほど自分のDNAに関わる比率が高まるように考えられ、人ごとでなくなる。

 そんな縄文時代。私たちの祖先は孤独に対し、どのように愛の思想を考え深めていったのだろう。エリクソンの理論ではないが、孤独感を解釈するうえで愛の理解は重要なようだ。

暗い解釈は何故よくない 7/10

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