イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

屈服する時、しない時!

2007-05-31 | 第五章「和解と平和」

純粋に与えるという行為は、大いなる心の平安をもたらすが。生きるために、いろいろなしがらみから、本音とは別で屈服・忍従することがある。屈服は恨みを残す。

小学校の高学年になったころ、父親に屈服することが何回かあり、それは、変な恨みを蓄積し、或る日ゴルフ好きの父親のゴルフの本を、庭の焚き火で燃やしたことがあった。

焚き火は父に見つかり、さらに怒られてしまった。気まずい空気が流れた。

意に反した屈服は、一見美しくその場を切り抜ける処世術のようであるが、自分の本音を分からなくし、或る日突然、人間関係を恨みから悪化させる。

中学校の2年の時、突然濡れ衣で職員室に呼ばれた。担任のA先生は、50台の教育熱心な女性の先生であった。

厳しく追求されたが、やってないことはやってないので、悔しくて泣いたが屈服しなかった。最後は先生が折れた。

その後、A先生を嫌いになることもなく、進級してからも親しみをもち、A先生の良い影響も受けた。理を通し屈服しないことは、重要なことである。

大人になり、毎日の複雑な暮らしの中で、意に反して屈服・忍従を強いられることは残念ながらある。

その中で、自分の本音・真実の感情を点検しつつ、バランスをもって主張し、愛をもって生き抜いていければと思う。

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お祖母さん,ごめんね!

2007-05-30 | 第五章「和解と平和」

母からの電話で、亡くなった祖母がもうじき50周忌であることを知った。

祖父母の家が庭の向いにあり、生まれた時から祖母には大変可愛がられた。小学校二年の時、丁度アラスカから帰ってきた7歳のころ、庭先で幼友達と祖母と3人で雑談をしていた。

「お祖母さん、緑のことを青といったけど、この色は何色?」。「これは青色だよ。」。「緑だよね!」。結局お祖母さんは間違っているということになって、その場は終わった。

今から考えると、古来より、日本では緑という言葉が無く。青は緑を含み、お祖母さんの説明は決して間違っていなかった。

その証拠に、今でも緑色の信号でも青信号とよび、緑の野菜の市場を青果市場と呼ぶ。

そのころ、祖母は癌を患っていた。そして、だんだん痩せてきた祖母に、或る日私は何かの拍子に家の掃除をしていた祖母に暴言を吐いてしまった。

入院し病院で療養しているときに、母に祖母はその暴言は堪えたと話したそうである。

幼かった私は、その後祖母の葬式や祖父の悲観にくれている様子を見てきたが、何があったのかよく判らず、涙を流したりはしなかった。

今は緑が美しい季節、50年前の祖母を思い、思わず涙がこぼれた。

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”まさか”で厭世的になる時!

2007-05-29 | 第五章「和解と平和」

健全な罪悪感が、人生をより良いものにする力があるのに対し、不健全な罪悪感は、人生を破壊する。そんなふうに最近思うようになった。

私の不健全な罪悪感の原型は、小学校の1年の時である。仲良し3人組で、登校中にA君が突然ふざけて道を横断しようとして、オートバイに撥ねられて目の前で倒れた。

数日後A君は亡くなった。A君の関係者たちは、基本的にA君が自らの行為で事故にあったとし、私やB君さらに親に対し責任を全く問わなかった。

しかし、事故後、A君の死は微妙な影を私に残したように思う。無意識の世界で、私は私を攻め始めたようだ。この事件は、私の厭世的な傾向を作る土台になった。

そして何か問題が発生したとき、この不健全な罪悪感が作動し、自分をどこかで果てしなく責める。自分との和解ができない最大の原因になったようだ。

はっきりとした根拠のない罪悪感は、自分の存在そのものを否定する方向にさえ向う。そして、防衛機制により、大人になってからも車嫌いになったり、車好きになったりで揺らいだ。

遠い昔の、A君が走りそして車に撥ねられて倒れるイメージは、今でもはっきり思い出すことができる。

しかし、或る日私がA君の替わりにランドセルを背負い、車道を突っ走りそして轢かれた夢を見た。そして不思議なことに、その時に感じたリアルな感情により、不健全な罪悪感の無限ループから脱出できたように思う。

幼いころの”まさか”の認識を新たにすることは、自分との和解で重要だと思う。

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”まさか”の人生!

2007-05-28 | 第五章「和解と平和」

今年もカンヌ映画祭で盛り上がろうとしているが、昨年の映画「ゆれる」をミクシイのコミュニティで教えていただきビデオで観た。

人生の中で、人はいろいろな”まさか”に出会う。この映画は、本来は危うい日常性の中で、刑事事件に巻き込まれた兄弟の話である。

日常の中の幻想としての自分(理解)、そして本来の自分。ラストシーンで、オダギリジョーの演じる弟は外車から軽トラックに乗り換えて、兄に会いに行くのが象徴的であった。本来の自分へ変化したのだ。

”まさか”の時の人間の心理。薄皮をはがし、より深部に流れる感情として罪悪感があると思う。映画もそうだが、私の場合の”まさか”も、今落ち着いて考えてみると、罪悪感が底部に流れていた。

罪悪感で苦しむこと。それは、これからの人生を変えて生きよという、前向きな意味あいがあると思う。苦悩から平和に乗り越える時の分岐点があるのだが、渦中の人には見えない。

分岐点では、何か(Something Great)との出会いがあるようにも思う。分岐点を乗り越えるには、個人では限界があることが多い。

映画、ゆれるのラストシーン。兄の見せる弟への微笑は、何かとの出会い、そして平和を象徴していた。

私の場合も、今は元気になった娘の”まさか”を期に、何か(Something Great)との出会いと平和があった。

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「怒り方」はスマートに!

2007-05-27 | 第五章「和解と平和」

幼いころ、先生にガブリと手に噛み付いた私であるが、怒りの感情の処理については成人になっても下手であった。

今思うと、家庭の文化のようなものがあり、父方の文化は喧嘩っ早いほうであった。その影響かもしれない。

さて、最近生き甲斐の心理学やカウンセリングを勉強するようになり、自分の怒り方を客観的に観察するようになった。

怒りがたまり、激怒から非難などの行動にでて後で後悔する。怒りを抑えて、その場を逃げて良くない結果を産む。怒りの感情が、本来の対象に向わず迷惑にも八つ当たりをする。

そして、場に合わせ、さらりと怒りきちっと言うべきことを言う。自分にも相手にも良い怒り方もある。本当にいろいろであった。

怒りの感情は、それ自体は善悪も無く、大切にすべきものである。その感情を自分の中にきちっと認め、それをもとに、冷静に思索し適切な愛の行動をとる。

自分の感情・思考・行動のサイクルを無理なく回す、それができればと思うようになった。

感情は変えられないが、行動は変えられる!

「怒り」の感情との付き合い方で、自分との和解へ一歩近づくことができるようだ。<自分との和解3>

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*この章を通し、名著「傷ついた感情へのいやし」マーティン・H・パトヴァニ著 大西康雄訳 ヨルダン社を参考にしています。