イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

たくましく生きることと、愛の問題 (愛の心理学 8/10)

2015-10-31 | 第九章「愛」

 この2-3日、私にとって大きな買い物をするため、営業の方数人とコンタクトをした。そして、昨晩目的を果たしたのだが、その中でこの世の競争という現実を久しぶりに目の当たりにした。こうした競争は参加者の才知と労苦が基盤だが、それは何なのだろうと思わず考えてしまう。空しいといえば空しいものだが(顧客にとっても売り手にとっても)、生きるためには必要なことなのだ。

 さて、今朝も愛について考えているが、世の中には「愛し愛される」こと、がわからない・・・そういった悩みを持つ人がいる。厳しい社会の中(競争社会・・・)では、そんなことはきちっと教えてくれることもなく、時には一線を越えてギリシャ神話のナルシスのようになってしまう人もいる。そういう人にかかわると、身体を無くしこだまになってしまったエコーのような悲劇もでてくる。

 このところ、論文を書いたりし浮世離れしていた分、自分の現実を見る眼が曇り、自分の現実と理想がほんの少し混濁していたかなと、反省するところがある。ちょっと変な自己尊大感。これは、どこかで劣等感が潜在している中での傾向で、人から見れば変なのであるが・・・気が付かないこともよくあるようだ。注意せねば。

愛の心理学 8/10

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空に吸われし15の心・・・でもない11の心!(愛の心理学  

2015-10-30 | 第九章「愛」

 自分と天才といわれる石川啄木を比較するのもおこがましいが、先日訪れた不来方(こずかた)城址(盛岡城址)の歌はどんな感情がベースだったかがとても気になっている。

不来方のお城の草に寝ころびて /空に吸われし /十五の心

 啄木は小学校から中学校低学年まで神童といわれ学業素行等は優秀だったようだが、十五くらいから、初恋、文学への興味、カンニング事件等で問題を起こすようになっていく。ちょうどそんな時に読まれた歌のようだ。詳しくはわからないが、劣等感とかさまざまな感情の中で、お城に行きそこで見上げた空に救われる。そんな歌ではないだろうか。空という言葉から考えるとなにか女性の気配を感じ、初恋の相手が隣にいたかなとも思う(考えすぎか)。

 私の場合も城に逃げたわけではないが、学校帰りの寄り道とかいろいろした。逃げる・逃避の典型というか原型は、11歳ころに従兄に勉強を教えてもらった時のことだ(成績がよくないため)、学業優秀な従兄になにか劣等感を感じていたのだろうか、あるいはつまらない勉強に停滞感を感じていたのだろうか、、ある日従兄がやってくると天井裏に逃げたことがあった。運悪く音をたててしまって、結局従兄に見つかってしまったが、そのときの記憶は何か鮮明である。

 私の場合、空とは正反対のイメージで、逃避はイザナギの黄泉への旅のようで、暗闇、湿気、ネズミが出てきそうな世界で歌にはならない。また、昨日も勉強会で勉強したがプロセススケールから考えると、全体的には低ではあるものの不健康でもなかった。しかし、自己伝達は問題だったように感じる。半分、ふざけていた要素も否定できない。

 あれから50年以上・・・今は天井裏がないので、天井裏に逃げることはないが、考えてみれば孫が遊んでいた室内テントと同じようなテントを家の中に置き、ときおりそこに退避している。性格はなかなか変わらない。

愛の心理学 7/10

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異性に投影する原型を楽しむ!(愛の心理学 6/10)

2015-10-29 | 第九章「愛」

 昨日につづき、啄木のことを考えているが、アニマ(男性が女性に投影する)とアニムス(女性が男性に投影する)の原型論をいろいろ考えてしまう。Wikipediaの英語版に説明があったが、アニマの4段階発達論はとても参考になる。英語版だと、Eve, Helen, Mary, Sophiaとなっている。興味ある方は、翻訳ソフトで確認したりしてみるとよいと思う。

 生き甲斐の心理学では、さまざまな湧きおこる感情を、身体からくるもの、生育史からくるもの、魂からくるものと分けて分析したりするがある意味で似ている。

 アニマとアニムスの理論はスイスの心理学者のユングによるが、日本の場合はどうなのだろう。日本神話とか、以前上野で開催された日本国宝展の縄文のビーナスや三千院の観音像・・・これまた、いろいろ考えてしまう。

 さて、自分の問題で恐縮だが、アニマやアニムスの4段階発達論との関係を考えても、孤独感の原型を思索すること(ブログ:孤独感の原型から!)は大変有意義であったように感じる。

 自分の孤立感や孤独感を多面的に(肯定的に?)思索すると、思わぬ発見や経験につながるようだ。心理学の先輩諸先生の知恵は奥深いものだ!

愛の心理学 6/10

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啄木の孤独感をいろいろ思索してみる!(愛の心理学 5/10)

2015-10-28 | 第九章「愛」

 孤立感、孤独感を考えていたが、先日行った盛岡城址公園で見た啄木の詩碑のことがなんとなく気になり。いろいろ調べてみると、啄木は孤独感の詩人という印象を得た。

 そして、心理学に興味を持っていることもあり、啄木の年譜・生育史をいろいろ調べて読んだりした。26年の短い生涯とはいえ、影響を与えた父母や家のことを思索すると幕末のころから20世紀後半くらいまで結構範囲は広くなる。その中で宮沢賢治や夏目漱石とどんな関係があったのだろうかなど、いろいろ想像をめぐらして時間がどんどんたっていく。人の人生、私もそうであるが、さまざまな関係から読み解くと思わぬ発見があるものである。

 それから、啄木は若くして亡くなるのだが、異性関係なども孤独感を考える場合実に重要であることを再度認識。

 エリクソンは、8つの人格形成の段階の中で、愛―親密性-孤立感の関係を重要視している。そして、孤独感といっても、身体の孤独感もあれば、生育史に関係する孤独感もあり、そして神仏や哲学に関係する孤独感もあり、おのおのを分けて思索すると何か観えるかもしれない。

 そして、孤独感をエリクソンに従って、愛という視点から考えてみる。孤独感も多様だが、愛も多様。いままでの自分の愛の概念がずいぶん変わってくるかもしれない。

愛の心理学 5/10

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孤立感の原型から!(愛の心理学 5/10)

2015-10-27 | 第九章「愛」

 先日の勉強会での気づきの一つに孤立感があった。なんとなく、自分の中で「孤立感」という言葉を無意識に避けるというか、ためらい?を感じたのだ。そして、その晩孫娘も含めて一家団欒の場があったのだが、保育園でいじめられた話の中で、私が無神経にその傷口にふれてしまい、孫が泣いてしまった。それも、何か孤立感にかかわるように私には思えた。

 さて、私の場合孤立感の原型とはなにか。そんなことを朝から考えていた。エリクソンの発達段階という意味では、愛ー親密性ー孤立感は23-34歳となっていて、その時期を思い出してみると、独身寮に住んでいてぎっくり腰になっていたころなど、誰か、そうだ妻がいたらなあ・・と思ったことはあったが、どうも原型という意味ではちょっと不純だ。

 4歳のとき、母に連れられて幼稚園に初登園し、そのとき、母が先に帰ってしまい後姿を見たときの孤立感?それが原型かもしれない。いま、考えると、母は何も言わずに帰るのだが、一言声をかけてもらったらずいぶん違ったと思うが、当時の私は聞き分けが悪かったので母は黙って帰ったのだと思う。しかし、今そうした母の性格形成を考えたりすると(無理もないことが多い)、その原型はもう少し深い意味(日本文化の深層にたどり着くような)があったかなと思う。

 そのときの自分の感情は当然ながら怒りであり、防衛機制は反動形成だったかもしれない、たぶん優しい幼稚園の先生に抱きかかえたられたりして、収まったが、その場面は60年後の今でも園庭のヒマラヤスギとともに残っている。

 私は芸術家ではないが、そのときの場面を絵にしたくなった。子供の私にとっては救われない怒りの世界なのであるが、周りは決して同じではなく、なんとなく普遍的な愛で賛美されているような。そんな絵だ。 

愛の心理学 4/10

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