イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の原型を再考する!

2007-07-31 | 第七章「光と復活体」

過去、現在、未来。この中で一番重要なものは、今ここ、現在であることは伝統的な宗教や多くの哲学者が指摘するところのようだ。

ただ、過去のある時点で、こころに刻まれた愛の原型(人それぞれの愛し愛される方法、感じ方、考え方の元)は、今ここを活かしたり、歪めたりするように思う。

幼い時代の愛の原型は、とかく両親をはじめとする大人達の言動に引きづられ安い。本人が成長して、じっくり物事を考えられるようになって再考すると、この原型は少しどうかと思うものもあるようだ。

もちろん、こころの防衛機制により、通常再考することもなく、時は過ぎ何も変わらず生きていくことが多いと思う。ただ、こころの奥底には、それを乗り越えようとする健全な意志があるように思える。

自分の愛の名場面をのんびりとリラックスしながら再考することで、今ここを突破できる何かがはじまるように思う。時にはパソコンの壁紙を取り替えるように、自分の愛の原型を取り替えてみることも良いかもしれない。

因みに、過去4年の原型は、3歳のころの両親との積み木遊びの場面、7歳のころの父との対話の場面、7歳のころの母との思い出、7歳のころのBさんの思い出、7歳のころのC先生の思い出・・・などその時々中心となるものが違ったようだ。今、もう一度本当に好きなことを探すという観点から、愛の原型を再考してみたい。

昨日は寒く雨の一日であったが、今日は暑くなりそうである。
(参考:「生き甲斐の心理学」植村高雄著 ユースフルライフ研究所発行)

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暑い夏にアラスカを想う!

2007-07-30 | 第七章「光と復活体」

最近は暑い毎日が続いている。こんな数日であるが、私の頭の中は少々寒いアラスカの記憶で、結構涼しい。

7歳の時、私の滞在していたシトカは、南東アラスカに位置しで雨が多く雪は少なかった。ただ、東京では見ることのない、パウダースノーもあり、冬の海も凍り寒いことも確かである。

住んでいた家は、ロシア人墓地の近くの平屋で黄色い家あった。そして、家の前の道路を挟んで、一緒に良く遊んだ少し年上の女の子Bが住んでいた。よく、「Could Hiro play?」と家に遊びに来た。

冬になると、登校する時間は緯度の関係で薄暗かった。ある日、Bと一緒に学校に向かった。雪が20-30cm積もり歩き難かった。そして、突然ズボリと右足が道路の側溝にはまった。側溝には、水が猛烈に速く流れ、流されないように体勢を維持するのでやっとであった。

そんな危険な状態の時、Bが即座に駆け寄り助けてくれ、窮地を脱した。もしBに助けて貰えなかったら・・・。

Bは今から考えると、ネイティブの血が混じっていたと思う。日本語にも興味があった。春になり、日本に帰国する別れの時、私は大切にしていた日本の本をプレゼントした。

あれから50年経とうとしている。Bは元気だろうか?

愛の原型を考える時、両親や祖父母、自然などの他に、このBの記憶も最近は考える。Bの記憶は生き甲斐や、自分の使命を考える時、私をどこかで支えてくれているように思う。

アラスカの州花は忘れ名草(forget-me-not)だそうだ。今日はBを思い出し彼女の幸せを祈りたい。(本当に好きなことを見つける(5/5))

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7歳の頃!

2007-07-29 | 第七章「光と復活体」

私の7歳のときは、アラスカのシトカでの滞在に重なる頃であり、さまざまなその時の経験が印象深く記憶されている。

丁度この時期は、「生き甲斐の心理学」ではエリクソンの言う、意志力(自律性、恥辱・疑惑)の時期を終えて、目的志向性(自発性、罪悪感)の頃になる。この二つの時期の様々な原型が思い出せる。

ひとつの思い出は、家から学校までの道で、ちょっとした岩があり、その岩陰に秘密の隠し場所を作り、おもちゃの宝石などを隠したことだ。今から考えると安っぽい宝石であるが、怪しく輝く宝石を自分だけしか知らない場所に隠し持ち、時々覗いて喜んだりした。

自発性の原型は、家の近くの仲良しの優しい女の子をいじめていた、男の子に石を投げつけ、うまく追い払った名場面。そして、彼が兄貴を連れて待ち伏せされ、不覚にも一発ボディブロウを受けて倒れた悔しいおまけもある。

今から考えると、自分ながら愛すべき側面と、意外な残酷な一面があることに気づかされる。特に自発性だ。家の仔犬コナツのやんちゃな行動を見つつ、こうした時代があったと暖かい気持ちになれる。

7歳の頃は、本当に好きなことを探し出す力を育てる大切な時期だった。次回は、愛の原型について考察したい。(本当に好きなことを見つける(4/5))

写真は当時バラノフ小学校でクラスメートと撮ったもの。

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記憶で辿れない幼い頃!

2007-07-28 | 第七章「光と復活体」

魂の年頃0-7歳ごろまでを考える上で、植村高雄著「生き甲斐の心理学」における、人格形成論を考察する必要を感じた。

エリクソンの分類によると、0-2歳(希望:基本的信頼、不信感)、2-4歳(意志力:自律性、恥辱・疑惑)、5-7歳(目的志向性:自発性、罪悪感)が魂の年頃に対応する。

0-2歳の希望の時期。自分の記憶は殆どない。

ただ、この時期は全ての土台の時期であり関心を持たざるを得ない。両親の残した思い出話や、写真などで当時の自分を類推するしかないが、もうひとつ植村高雄先生に、世相の客観的な情報が役立つということを教えていただいた。

1951年生まれの私は、1951年から1953年がそれにあたる。インターネットなどで検索してこの時期を研究すると自分の記憶では得られないことが判る。

1951年、赤痢大流行で日本で1万5千人弱がなくなる。結核も沈静化してきているが、死因の第2位になるなど感染症は猛威を振るっている。ルース台風で本州各地で1500名ほど死亡・行方不明が出ている。

政治的には、朝鮮戦争特需の時期で、日米安全保障条約調印の年である。経済も日経平均も102円と今の100分の1以下である。

こんな時期に乳や食事を与え、おむつを当てたりし慈しみ育てることは大変だったと思う。両親やお世話になった方々に深く感謝致する。

なお、基本的信頼感を身に着けることができなかった人は、宗教をとおして精神的に生まれなおされるというエリクソンの説があり興味をひく。

本当に好きなことの萌芽、この時期には萌芽そのものはないが、萌芽を育てる大地はあるようだ。

参考図書:「生き甲斐の心理学」ユースフルライフ研究所 植村高雄著・監修
       「こころの旅」 日本評論社 神谷美恵子著
       「自分史年表」出窓社 藤田敬治監修

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魂の年頃!

2007-07-27 | 第七章「光と復活体」

家に来た生後2ヶ月のマルチーズ、「こなつ」はショパンの仔犬のワルツのようによく動く。

魂を愛そのもので病む事も老いる事もなく、永遠不変のものと定義してみる。犬に魂があるかどうかは判らないが、「こなつ」を見ていると魂そのものに見えたりする。

犬も可愛いいが、人間の子供も当然可愛いい。そして、変に大人びない7歳くらいまでの子供は、魂の年頃といっていいように思えてならない。

私の成育史を考えても、7歳ころまでの経験は人生の根といって良いように思える。

魂の年頃の愛の名場面の記憶は人生を左右すると思う。私の場合、父母、祖父母の記憶がある。また、人ではなく自然等にも同様な記憶がある。もうひとつは、初恋といって良いか判らないが幼友達との記憶がある。

愛の名場面の記憶。この中に人生の健全な生き甲斐につながるような記憶はあるのだろうか?考えてみたい。(本当に好きなことを見つける(2/5))

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