昨晩は、「ALWAYS三丁目の夕日`64」を映画館で観た。3Dでの映画はSFやファンタジーでは観たことがあるが、こうした映画では初めてだったが、良い経験をした。
さて、心理療法の重要なスタンスに、問題の回答は心理療法家・カウンセラー側にあるのではなく本人の中にあるというポイントがある。最近、傾聴やプレゼンテーションを思索しながら、この理論は本当に真実だなと感じ入っていたが、なんと、この映画は正面からこのテーマを扱っていた。
映画をご覧になっていない方のために、詳細はさけるが次のような挿話がある。若い女性自動車整備士の六子さんが近くの病院の先生に恋するようになるが、その先生の悪い噂を聞きつけた周りの心やさしい人が若い六子を心配し、二人を引き離そうとする。
同じような心やさしい人の振る舞いはいたるところで見聞きするが、隣の家の小雪さんが一流の心理療法家のように六子さんの話を深く聴き、回答は六子さんの本心にあると回答をあずける。それにより、六子さんは自分の本心を確信する。それから先は観てのお楽しみだが、実にすばらしいので深く感じ入った。
自分のことで恐縮だが、7歳の時に友達が交通事故で亡くなったときのケース。あるいは、10歳の時に海水浴で溺れかけ父に助けられたケース。こうした時の、心やさしい周りの人々のこころ使いは今でも時々思い出す。しかし、残念ながら心やさしい近しい周りの人たちの推測はことごとくどこかズレていて、申し訳ないが全くこころに響かないばかりか迷惑だと感じたものだ。
自分の本心は、心の防衛機制のしくみがあり、自分でも判りにくいが、本心を見つけるのが最も良い(それが悔いのない行動につながるからだ)。親しいからといって、相手の心を理解したつもりになり、おせっかいをやくのは結局は良くない(自戒をこめて)。
生き甲斐の心理学の恩師U先生は、「人の身体は神の神殿」を良く言われるが、これは哲学、宗教的にとらえるのではなく、心理学上の一つの確信にも繋がる。
現代の心理療法やカウンセリングに多大な影響を与えた、カール・ロジャースの人格形成理論に次の有名な第1の命題がある。
命題1:個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。
これも、結局は同じことを、別の角度で言っている。所詮自分は自分、他人は他人なのだ。
心と心をつなぐ時、この知識をもっているか否かは最重要ポイントではあるまいか。
心と心をつなぐ 2/10