イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

回答は自分の中に・・・ALWAYS三丁目の夕日`64!(心と心をつなぐ 2/10)

2012-01-31 | 第八章「魂と聖霊」

 昨晩は、「ALWAYS三丁目の夕日`64」を映画館で観た。3Dでの映画はSFやファンタジーでは観たことがあるが、こうした映画では初めてだったが、良い経験をした。

 さて、心理療法の重要なスタンスに、問題の回答は心理療法家・カウンセラー側にあるのではなく本人の中にあるというポイントがある。最近、傾聴やプレゼンテーションを思索しながら、この理論は本当に真実だなと感じ入っていたが、なんと、この映画は正面からこのテーマを扱っていた。

 映画をご覧になっていない方のために、詳細はさけるが次のような挿話がある。若い女性自動車整備士の六子さんが近くの病院の先生に恋するようになるが、その先生の悪い噂を聞きつけた周りの心やさしい人が若い六子を心配し、二人を引き離そうとする。

 同じような心やさしい人の振る舞いはいたるところで見聞きするが、隣の家の小雪さんが一流の心理療法家のように六子さんの話を深く聴き、回答は六子さんの本心にあると回答をあずける。それにより、六子さんは自分の本心を確信する。それから先は観てのお楽しみだが、実にすばらしいので深く感じ入った。

 自分のことで恐縮だが、7歳の時に友達が交通事故で亡くなったときのケース。あるいは、10歳の時に海水浴で溺れかけ父に助けられたケース。こうした時の、心やさしい周りの人々のこころ使いは今でも時々思い出す。しかし、残念ながら心やさしい近しい周りの人たちの推測はことごとくどこかズレていて、申し訳ないが全くこころに響かないばかりか迷惑だと感じたものだ。

 自分の本心は、心の防衛機制のしくみがあり、自分でも判りにくいが、本心を見つけるのが最も良い(それが悔いのない行動につながるからだ)。親しいからといって、相手の心を理解したつもりになり、おせっかいをやくのは結局は良くない(自戒をこめて)。

 生き甲斐の心理学の恩師U先生は、「人の身体は神の神殿」を良く言われるが、これは哲学、宗教的にとらえるのではなく、心理学上の一つの確信にも繋がる。

 現代の心理療法やカウンセリングに多大な影響を与えた、カール・ロジャースの人格形成理論に次の有名な第1の命題がある。

 命題1:個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。

 これも、結局は同じことを、別の角度で言っている。所詮自分は自分、他人は他人なのだ。

 心と心をつなぐ時、この知識をもっているか否かは最重要ポイントではあるまいか。

 心と心をつなぐ 2/10

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心と心は簡単につながるか? (心と心をつなぐ 1/10)

2012-01-30 | 第八章「魂と聖霊」

 新しいノートブックパソコンにはUSB用のスロットが4つついている。そして、つなげば簡単にデジタルカメラの映像を転送したり、無線のマウスを接続して使ったり・・・いろいろできる。

 しかし、USBで簡単に機器をつなげられても、人間はなんでこんなに心と心をつなげることが難しいのかと思う。

 この10年の自分のことを考えても、他人との関係もあるが、自分ですらつながらず謎のままでいることもある。7歳のころに体験した友達の交通事故死に起因した自分の謎(自分とのつながり)。それは、表面上ひどい深刻なものではないが、10年、20年と時間が経過しても影響が残ったようだ。全くなくなるのには、40年以上かかった。生き甲斐の心理学を学ばなければ死ぬまで影響が及んだかもしれない。

 他人とのつながりの問題もたくさんある。私は、営業、介護、教育、カウンセリングなど、人とのつながりを基本とした仕事をたくさん経験したが、表面的にはつながっているようでも、つながらない人間関係は多い。考えてみれば、自分のことすらつながらない人間が他人とこころを通わせるのは至難で当然なのだが。

 もっと親密になりたい、深い話をしたい。うまくいかない人とつながりたいなど、切実な問題である。

 さて、周りを見回すとこころのケア(こころのつながりを大切にする)は、3.11震災前と比べると関心が格段に高まっている。傾聴やカウンセリングに対する関心も高まっている。しかし、研修を受けても思うように行かないようでもある。即効薬はないのだ。

 まずは、こころが閉ざされている相手をどうケアしていくか?その最初が意外に難しい(通常6つのステップがあるが、一つ目がラポールの問題だ)。

 昨日と一昨日、東北の津波の被災地にNPOの仕事で訪れた。お忙しい中、被災地を拝見させていただいたり、貴重なお話をお聞かせいただいたりもした。そして、貴重な経験をたくさんいただいた。

 でも、まだまだ始まったところで。実感の世界は遅々としている。つまり、自分の中でも大震災はつながっていないのだ。」

 沿岸の大津波でもひどかった山元町の坂元駅付近は、雪も降っていたこともあったのだろうか、生命の息づきも感じられない。小学校の廃墟や立ち枯れになったような木、電車のホームだったと気が付かないような常磐線、坂元駅。

 坂元駅のホームに上り、冷たい雪を手でどけて乗降口のサインを確認したり五感を動員しても、平和な街をイメージするのは難しい。被災し屋内が大破している体育館の傍らに転がった赤い消火器。

 でも五感で現実をつかむのは、何かとつながるためにはこうした作業は大切だと思う。これから、心理的接触について考えていきたい。

 心と心をつなぐ 1/10

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感動的なプレゼンテーション!(不思議な領域 10/10)

2012-01-29 | 第八章「魂と聖霊」

 外資系企業に勤めていたころ、マーケティング活動や営業活動で、プレゼンテーションを沢山した。先輩から、あるいは社内トレーニングでも随分学んだ。

 しかし、8年前に会社をやめ、全く異なる非営利活動をするようになってから、プレゼンテーションは一時ほとんど無縁になった。しかし、最近はやはり大事だと思い始めた。自分の想いを意識化し、言語化し必要な人にプレゼンテーションする。

 日本では古来より言霊文化があるという。それは別としても、真剣な想いが伝わると、自分もそうだが他人も変わっていく(その逆もあるが)。そして、それは何も今風のPowerPointを使わなければならないわけではない。

 自分の歴史を振り返ると、成功したプレゼンテーションもあれば、失敗し恥をかいたプレゼンテーションもある。或る程度場数を積んで技術的に向上し、表面的にはスマートなプレゼンテーションの多くも、自分も他人も何もそんなに変わらないプレゼンテーションだったり。

 大失敗のプレゼンテーションは、自分の実感を伴わない観念的にはしったプレゼンテーションで、当然、相手の気持ちを掴めず、笑われることに。

 大成功のプレゼンテーションもあるようだ。これをプレゼンテーションというかどうか判らないが、20歳台の時に経験した営業での商品(コンピュータシステム)のデモンストレーションが思い出深い。

 殆ど競合のA社に決まっていた商談だった。担当者に電話しても、気乗りせず、もう会ってもくれそうもなかった。そんな時、いくつかの偶然が重なって、担当者に電話することができた。「お客様が検討されている商品が、たまたま某展示会に出品するため近くを通りがかるので、ちょっと寄ってもいいですか?」

 そして、背水の陣でお邪魔したところ、運よく休憩時間だったようで、大部屋の中で大勢のエンジニアが見に来られた。そして丁寧に現場の方の要望を聴きつつデモしたところ拍手喝さい。商談もお陰さまで運よく取れた。

 商品が良かったこともあるが、自分の実感や相手の実感が、デモという場で熱く伝わったのが良かった。

 実感・・・感動の原動力・・・魂・・・。

 「生き甲斐の心理学」で考えると、こうした心がかようプレゼンテーションには、自己開示力が大切なようだ。何も実際に開示すれば良いというわけでなく、必要な時に適切な自己開示ができる力だ。そして、こちらの自己開示力が70%とすれば、相手も20%とか開示してくれる。

 不思議な領域 10/10

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錯乱経験から学ぶ生き抜く知恵!(不思議な領域 9/10)

2012-01-28 | 第八章「魂と聖霊」

  日本神話のイザナキではないが、絶望的状況の中でウツ状態になったりすることは、誰でも経験することのようだ。ただ、それを通り越して錯乱することは、私の人生でも指で数えるくらいかもしれない。

 親しい人の死、人間関係の破たん、病気や事故、経済的な問題、・・・本当に世の中は涙の谷のようで、こうした中で錯乱することは昔も今も同じかもしれない。

 私も還暦になって振り返ると、やはりいろいろあった。そして、普通だと、嫌な記憶はそのまま、時とともに忘却という感じかもしれないが、「生き甲斐の心理学」の学びから、こうした経験を自分の大切な経験と考えている

 「何故、あの時、混乱の極致にもかかわらず生き抜くことができたのだろうか?」

 こんなふうに自分に問いかける。

 そうすると、「生き甲斐の心理学」でいわれる、自己実現のための3つの問いかけ・・・①自分は何のために生まれてきたのか?②生き甲斐は何か?③自分の身体、こころ(成育史)、魂を大切にしているか? の三つのカテゴリーに関係している活動を、いつの間にかしていて、それがこころの健全化に繋がってきているように思えるのだ。皆さんはいかがだろうか?

 40歳台の或る時。家庭や仕事で悩み錯乱した時、大学時代以上に哲学・宗教に関する本をむさぼるように読んだ。それは、①自分は何のために生まれて来たのか?という領域の活動だ。軽い本などは読む気もなかった。東洋の思想書とか、いわゆる固い本が安らぎを与えてくれたのだ。人は思想や哲学によって健全になれるようだ。

 20台のころ、40台のころ、50台のころ。②の生き甲斐の領域も大切だった。運が良いのか、いくら錯乱したとはいえ、学校で夢中になれるような関心事や友達がいた、会社の仕事や地域活動も時には生き甲斐になった(錯乱しているときに、大きな人生の変更をしなかったことも幸いだった)。

 三番目。20台はとにかく、40台、50台の時は、いろいろ自分を大切にする術を身につけていたこともある。これも、錯乱からの回復につながった。身体の健康もあるが心(成育史)を大切にすることも「生き甲斐の心理学」で学んだ。魂の領域でもカトリック教会にいくことで、ミサを預かることは喜びである。

 これは拙い自分の経験であるが、自問自答しつつ、辛かった経験を自分の生き抜くノウハウに転嫁していく。こころに余裕がある時に、のんびり思索するのはいかがだろうか?

 不思議な領域 9/10

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日本神話にある生き抜く知恵!(不思議な領域 8/10)

2012-01-27 | 第八章「魂と聖霊」

 第二次世界大戦が終わった終戦後に生を受けた私は、学校で日本神話を学ばなかった。様々な歴史的背景で学校教育の中に神話が影をひそめたのだろうが、神話や昔話など、長い時間を経て口承等で伝わってきた祖先達の智恵は、その解釈も含めもっと見直しこれからの世代に残す必要があるのではないだろうか。

 「生き甲斐の心理学」を学ぶ中で、日本人のこころの故郷というか、こころの原型を勉強しているが、持統天皇、元明天皇、元正天皇、聖武天皇、考謙天皇といった女帝を中心に栄えた古代に、日本神話を含む記紀、万葉集が誕生する。

 持統天皇を含む、時の政権の要人もきっと読んだと思われる神話や和歌。彼らは何を感じ、あるいは何にイキを感じたのだろうか。

 日本神話の中で、私が好きなのは、イザナギ、イザナミの話である。イザナミが国を産み。最後に火の神を産んでイザナミが死に、黄泉の国に行くが、イザナギが悲しんで黄泉の国に追いかけていく話である。イザナギがイザナミが後を追ってくるので地上と黄泉の国の境を大岩でふさぎ、岩をはさんで、二人が会話するシーンは凄い。見方によっては、絶望を潜り抜けた神々の智恵(祖先といってもいいが)を感じる。私の好きな橋本治さんの名訳で引用してみたい。

 岩をはさんでイザナキの命とイザナミの命はむかいあわれ、そしてイザナキの命は、死んでしまわれたイザナミの命にたいして、離縁のお言葉を申しのべられたのです。 

 イザナミの命は悲しみ、そしてお怒りになりました。

「愛しいわたしの夫であるあなた。どうしてそのようにひどいことをおっしゃいます。それを真実となさるなら、わたしはこの先、あなたの国に住む人間を、一日に千人ずつ縊り殺してやりましょう。」

 そこでイザナキの命は、大声で誓われたのです。

「愛しいわたしの妻、イザナミの命よ!あなたがそれをするなら、よろしい、わたしはこちらの国で、一日に千五百人の子どもを生ませるため、千五百の産屋を建ててやろう!」

 (橋本治の古事記 講談社 40ページより)

 この神話で祖先は何を言おうとしたのだろうか?

 (不思議な領域 8/10)

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