イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪いい仕事をしている人≫の心理状態!(健康に生きる 10/10)

2011-04-30 | 第九章「愛」

 還暦を迎えるようになると、自分の良かった時期、ちょっと病的だったかもと思われる時期がいくつか思い描けるようになってくるようだ。さらに、生き甲斐の心理学を勉強して行くと、それが理論的にどうかが、徐々に判ってくる。

 良かった時期というのは、周りの環境に充分適応し、さらにこころの状態(プロセススケール)も良い時のようである。

 男性であれば、仕事や学業で良い成績を上げた時などであろう。私も、営業で若いころ表彰された時とか、マーケティングで良い仕事をした時などを幾つか思い出す。そういう時の状態を、世間では、本人の努力や教育の成果とか、いろいろ理由をつけるが、心理的状態に眼をつける人は殆どいない。

 しかし、心理的状態は結構大きな比重をしめている。

 それは、どういう状態なのだろうか?一言で言えば、冴えている時である。思考が観念的になるのでなく、五感・体感・感情とぴたっと統合され、行動もスムース。何か打てば響くという状態だ。

 戦後、カウンセリングや心理療法で有名なカール・ロジャースが発表したパースナリティ理論で言えば命題15だ(難解な心理学用語なのでなれない方は読み飛ばしてください)、

15) 心理的適応は、自己概念が、象徴のレベルにおいて、有機体の感官的・内臓的経験をことごとく自己概念と首尾一貫した関係に同化しているか、もしくは同化するであろうときに存在するのである。
 ロジャーズ全集 パースナリティ理論8 伊藤博訳 岩崎学術出版社 132p

 冴えている時は、自分の暗い感情をも抑圧することなく、充分吟味し、その中から的を得た意味づけをする。例えば、営業で若いころ良い成績を上げた時は、一日の感情の激しい変化に自分でもおかしいのではと思ったことがある。逆に言えば、それだけ感情を抑圧せず、意味づけを考えられたのだろう。

 原発問題など、様々な人間模様が見られ、あるいは自分自身のこころの動きもあり、いろいろ勉強になる。命題15がもっとポピュラーになれば、原発問題も随分早く解決できるのになあと妄想してしまう。


 

 


ホメオスタシス(自然治癒力)の神秘!(健康に生きる 9/10)

2011-04-29 | 第九章「愛」
 今月はA先生の太極拳・気功のクラスに2回出席し、太極拳・気功への関心も高まって、家でも「気の科学」(ナツメ社 佐々木茂美著)や五輪書(岩波文庫 宮本武蔵著)を時どき読んでいる。これは、「生き甲斐の心理学」のU先生から昔、薦められた本でもある(U先生も太極拳を長年やられている)。
 さて、たまたま今読んでいる「気の科学」に東洋医学と西欧医学の違い(133ページ)が出ていた。西欧医学は日常的に町の医院等でお世話になっているが、東洋医学の真髄は何か知らなかったが、どうも大きな特徴の一つが自然治癒力(ホメオスタシス)らしい。
 
 考えてみれば、身体の病気である、風邪やはしかなどは対処療法をしても、基本的には自然治癒力で完治するらしい。これは、身体の病気であるが、心の問題でも同じようだ。私もかなり病理の世界かなと思う事例もあるが、いつの間にか直ってしまった経験がある。特にお医者さんから睡眠薬等(基本的にはこれも対処療法なのだろう)を頂かないで。
 これは、私ばかりでなく、どうも誰もが経験することのようである。そして、それを意識化することは貴重である。
 生き甲斐の心理学の理論を知らなくても、治る時は治る。でも、良く考えると神秘的ですらある。
 この一年を考えると、いろいろな人と係わった。中には錯乱したり、激怒している人も。そんな時に、対処的に行動するのも大切だと思うが、東洋医学ではないが、相手の中に自然治癒力を期待して対応することも大事だと思う。
 生き甲斐の心理学では、回答はカウンセラー側でなくクライアントが持っているという考えをとても大切にしているが、これもこの自然治癒力と関係が深いと思う。
 

 


明るい感情を育てるのを忘れてはならない!(健康に生きる 8/10)

2011-04-28 | 第九章「愛」

 何時の時代も厳しいが、今の時代は30年前と比べると随分厳しい社会に変貌している。就職して生計を立てる厳しさ。日本人の社会も核家族化し、そうした新しい社会に適応する辛さもある。さらに、今回の大震災と放射能汚染。難題は山積みである。

 そんな中でも、確実に明るく生き抜く人がいる。何か、ストレスをも追い風にして、大海をゆったりと運行する船のようである。生き甲斐の心理学では、自己実現(決して世俗的な意味ではなく)も大切にするが、もう一つ、正常と異常の分かれ道といわれる3つの要素。①アイデンティティの統合 ②現実吟味力 ③防衛機制が正常化 を大事にする。

 そして、この3つを大切にするのは、健全に明るい感情を育てる(平安感→友好的感情→健康感→幸福感→統御感)鍵でもある。

 朝早く起きて、太極拳のスワイショウをしたり、深い呼吸に意識を集中したり・・・そんな中で、健康感や幸福感、そして統御感を味わう。感情を余り意識せず、突っ走った若いころを懐かしく思うが、やはり明るい感情を楽しむことは、どれだけ人生を豊かにするのだろうか。

 今でも思い出すのは、生き甲斐の心理学を学び始めて、1-2年のころ。人生最大の大変な時期(もっと凄いことも将来あるだろうが)、大変なストレスの中であったが、その反対に、一日を終え家族団らんの時にふと味わった幸福感であった。

 暗い感情のうしろには、明るい感情がある。それを体感した時である。

健康に生きる 8/10

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ストレスとの正しいお付き合い!(健康に生きる 7/10)

2011-04-27 | 第九章「愛」

 ストレスのお話をしようと、昨日一日のことを振り返ってみた。朝から晩まで、穏やかに朝は始まったが、仕事で一昨日からの続きの激しいストレスを感じたりもした。仕事が終わってからは、楽しい仲間とのパーティで心地よく一日が終わる。

 本当に、不安定な一日のように、快晴だったり、突風が吹いたり、雹が降ったり、雷が鳴ったり、静かな夜空を眺めたり・・・そんな一日であった。

 ストレス(暗い感情)は、生き甲斐の心理学では、本人の理想と現実のギャップから生じるとされる。理想?そんな大げさなと思われるかもしれないが、誕生してから今までの成育史の中で獲得してきた理想(こうあるべき)があるからこそ、ストレスが生じるのである。

 ストレスというと嫌われ者のように思われるところがあるが、それは人を助ける側面がある。40歳台で窮地に追い込まれた時、微妙な不安感に素早く対応できたのもストレスのお陰である(後で考えると、本当に打てば響くという感じで、どんくさい私が実に俊敏に動けた)。

 最近のことを考えても、太極拳のサークルを立ち上げた時の活動も、ストレスがあってこそ・・・という一面があった。

 ただ、過度というか、不必要なストレスは減らす必要がある。ただでさえ、ストレスの中に生きているのに、余分な情報(自分の限界を越えるようなストレスを産む)はこまる。そして、そうしたストレスを避けるノウハウというのがあるようだ。

 私の最近のノウハウ?の代表作は次の通りだ。皆さまからへんだと言われるかもしれないが、無駄なストレスを生まないたまに、こんな風になってしまった。賛否あろうが、皆さんも、独自に無駄なストレス対策を考えられたらと思う。

 ①マスコミに振り回されない。必要な時に必要なニュースが最小限あればよく。私は、昨年新聞購読をやめた(週刊のカトリック新聞は購読しているが・・)。テレビも余り見ない。インターネット等があれば、個人的には情報は充分とれている感じである。情報エコかもしれない。

 ②断捨離も大震災の後で、どう再評価されるか判らないが、生活をシンプルにするということは大切だと思う。・・・今度の連休の時には整理整頓をしよう!

 ③生活が自立していると、案外ストレスも少ないようだ。心理療法家のスコットペックの次の言葉はピッタリする。「一人でも充分やってゆける人が一緒に生きることを選んだ場合に限って、二人は愛し合っているといえるんですよ。」(愛と心理療法98ページ)。愛と依存性の違いを語っているが、不要なストレスを避けるポイントでもあると思う。

健康に生きる 7/10

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福島からのメッセージ (健康に生きる 6/10)

2011-04-26 | 第九章「愛」

 昨年の秋に、福島県に小旅行に行ったこともあり、今回の震災と原発のことは、とても身近に感じられる。

 地震、津波、放射能汚染の3重の苦しみの中で、そこに暮らす方々のメッセージは、本当に重く、いろいろ教えて頂ける。東電の社長の挨拶訪問を再三拒否した知事の見識。お坊さんで芥川賞作家の玄侑宗久氏の地域に留まる決意を固められたお話。そして、昨日はプロテスタントのバプテスト教会の牧師のお話を知った。

 震災後、知人からいろいろ教えていただいたことも。

 生き甲斐の心理学の学徒でNPOにも関与している私であるが、理論が空しく感じる。

 自分の過去でも、やはり、自分のいろいろなものが剥ぎ取られ、裸同然になった経験もあった(主観的であるが)。この年になると、私だけでなく、周りの人も病気や家族の死・・・様々な経験の中で同じような体験をされる方も多いようだ。そういった時、私は不思議な信仰の恵みがあり、そして信じて見える世界に触れ、何かが変わった(劇的に変わる)。

 さて、話は飛ぶが、4月11日に鎌倉で宗教者が集い鶴岡八幡宮で祈りを捧げたというニュースをカトリック新聞で知った。宗派を越えて祈る。そんな素晴らしいことが実現されたそうだ。個人がある時から変わるように、日本も何か大きく変わっていくようだ。

健康に生きる 6/10

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