青年時代は庭の沈丁花で春を体感したが、最近はベランダのムスカリで春を体感する。小さな花ではあるが、爽やかな香りがして、花粉も何のそので元気を頂く。
季節を五感で意識化する。月をはじめ天体・・暦を意識化する。祖先は俳句や和歌を始め、日常の生活にもこうした意識化はしっかりしていた。生き甲斐の心理学を勉強して、こうした意識化が、こころの健康とかなり結びついていることを学ぶ。
厳しい時代を祖先が生き抜き、今日の私たちが存在するが、こうした豊かな智恵は継承していきたいものだ。
さて、孫がいると、自分の幼少時代を再現するようなところがあり、いろいろ学ぶ。その一つが、離乳であったり、言葉を発するようなことがある。
人の成長ということなのであるが、見方によると、断念と再生に見えてくる(我田引水?)。離乳は、やはり子の自律という大きなステップであるが、子供にとっては母乳の断念である。言葉を発するというのも、複雑な意識を規制の言語に置き換え、ある意味で自らの想いを断念することなのだと思う。
ムスカリについて、このブログの記事を検索エンジンで調べてみると、3-4年前の記事が出てくる。同じような文章をまた書いていると、想ったりもするが、微妙に視点が違ったりしてのを感じたりする。この3-4年の断念と再生の中で、自分も確実に変わっているのだろう。
断念と再生 3/10
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