イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

≪染まる≫ と ≪信じる≫!(愛の領域②)

2010-04-30 | 第七章「光と復活体」

 4月も今日で終わり。明日からは5月である。今は死語になってしまったかもしれないが、五月病という言葉があった。入学や入社等新しい環境に入り、5月ごろになると、その環境に何となく馴染めず、精神的に参ってしまうことのようだ。

 新しい環境に適応できないで、ストレス曲線を、不安・怒り・身体症状・ウツと登っていく。私の場合は、そのような激しい体験はないが、やはり、生育史を辿れば、それに近いことが幾つかあったようだ。

 その一つは、新入社員として入って半年から一年のころである。しかし、運が良いことに良い先輩や同僚に恵まれ、アフター5などでいろいろ会話を楽しんだこともあり、適応していったのだと思う。

 企業の価値観も始めは馴染めなかったが、2-3年のうちに、いつの間にか企業に染まり、アイデンティティも変わってくる。

 そして、染まってくると、見えてくるものがあり、見えなくなるものがある。緩慢に変わるので、それに気づくのは、退職して何年かしてからのようだ。

 もうひとつのテーマ。信じるということ。幼いころはカトリックの幼児洗礼を受けたこともあり、教会に行くのは抵抗なかった。ところが青春時代になると、生意気にも信じられなくなる。信じられたら良いなと思いつつ、信じる時がどのように到来するか、その頃の自分にとっては謎であった。

 結果的には、中年のある日突然経験することになるが、≪信じる≫ことも≪染まる≫に似ていた。ただ、それが私の場合は急激・劇的であったようだ。何が似ているかというと、信じて見えるもの、見えなくなるものも、染まると同じようにあることだ。その日を境に、聖書や賛美歌が全く違って見えるようになったし、身の危険とか、そういうものに無頓着になるところがあった(仙人のように)。

 ≪信じる≫は意思力が100%の行為であるように昔は思っていたが、経験した≪信じる≫は意思力はほんのちょっとで、染まるに似て受身的に見える(これは私の経験であるが。)。宇宙が誕生してから137億年の長い歴史の末に私の吹けば飛ぶような歴史がくっつき、その中で信心が生まれる。不思議なものである。

 染まっても、信じても何かが変わる。そして、見えてくるもの見えなくなるものがでてくる。自分は、不思議な存在である。

(愛の領域②(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 42/60)

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診断とは何だろう?(愛の領域①)

2010-04-29 | 第七章「光と復活体」

 年に一回の健康診断を受けたり、時に眼の診察を受けたりもする。様々な指標が並び、健康に関するの判定がされる。日本が世界的に、長寿になった背景にはこうした、診断の貢献が大きいと思う(精神医療は別にして)。

 さて、私は若いころから、さまざまな現象の中から真実をつかむということに、とても興味をもっている。学生のころは、お医者さんが、患者をどのように診断するか。その統計的なモデルを研究したりし卒論もその方面だった。

 ある病気に罹ると、その病気特有の症状が幾つか現れる。その症状を医者は逆に辿って、病名を診断する。それは、統計的なモデルになり、診断学で今でも研究されている。

 では、病気の裏には何が隠れているのだろうか。ある病気に罹る真の原因は何だろうか。こころの病気は、外部要因として遺伝、老化、環境がある。また、免疫、自律神経、内分泌とも関係するようだ。

 では、それらの背後には何があるのか?このへんになると、科学はお手上げで哲学や宗教の関心ごとになるのだろう。私は、どうも幼いころから、ひつこい性格なので、普通はこのあたりの問題は、考えても仕方がないとやめるのが現代風なのに、時どき考える。

 ちょっと前というか今でも、日本人の多くはは怨霊とか、因縁とかそういうものの存在を信じていたりする。キリスト教では、善良なヨブが病気で苦しむのは何故か、そういう大問題に取り組んだ歴史がある。マザーテレサの愛の活動も、その深いレベルでの一つの回答だったように私には思える。

 身体というのも不思議である。生まれた幼子は何故あそこまで愛くるしいのか。何もできない無力な身体は、愛そのものの魂を反映しているように思えてくる。こころも不思議である。こころの病に罹っている人の純粋な何かを感じ、愛とはこういうものなのだろうかと教えられたこともある。

 人という現象。そして、身体、生育史としてのこころ、魂という変数。魂を愛そのものの定数としてみると、いろいろ見えてくることがある。

(愛の領域①(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 41/60)

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相手のホンネの正しい聴き方!(こころの鍛え方⑲)

2010-04-28 | 第七章「光と復活体」

 大切な人が本音で訴えているのに、きちっと聴かなかったり、変な解釈や反論をして後悔する。思い起こせば、沢山こうした失敗があるようだ。

 自分の中にある、変なメンツやこだわり、本物っぽい知識や情報、こうしたものが相手の真実の声をブロックしてしまう。

 私を信じて本音を言った相手にしては、余りにもどかしいことになる。

 日常生活はカウンセリングと違うのも事実。自己主張も必要だったり、丁々発止が必要であったりで、実際どうするかは結構難しい。

 そんな中で、生き甲斐の心理学で学んだことは貴重だった。いくら大切な人でも、自分とは違う存在。身体も心(生育史)も魂も異なる。だから、相手の話す内容に同意することは難しいのは当然。

 しかしながら、相手の環境・事情・生育史であれば、そうした本音になるのは当然であると、自分で心底、納得できるかが鍵のようだ。

 相手の本音にこころを寄せれば、おのずと正しい方向に道が開けてくるように思う。

(こころを鍛える⑲(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 40/60)

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ホンモノとニセモノを見分ける力!(こころの鍛え方⑱)

2010-04-27 | 第七章「光と復活体」

 政治も経済も実に移り変わりが速くなったようだ。そして、その変化の中で、何が正しいのか否かを判断することは重要だ。また、一市民としてもその責任の重大さは増していると思う。

 昔は兎に角、今は民主主義の世の中である。一人ひとりの市民の責任が重くなったことは、恐らく日本史始まって以来かもしれない。そして、正しい判断が期待されている。日本だけでなく世界からも、今だけでなく、祖先や未来の人たちからも。

 本物と偽物をどう識別していくか。今のような時代では、とても大事なことなのだろう。例えば、夏の参院選挙は今後の日本にとって本当に大事だと思う。

 生き甲斐の心理学から、真善美の大切さを学んだ。そして、それを識別するために、日常生活の中で湧き起る深層からの感情の意識化が大事だ。

 さて、感情にも本物と偽物があるようだ。本当に湧いている感情を正直に感じる。大事なのだが、意外と難しい。本当に湧いている感情を一人だけのノートに書いてみる。例えば、昨日から今日までの感情の流れ。

 本物の感情との知的対話。そこから導ける知識は、とても大事なように思うが、如何でしょう?

(こころを鍛える⑱(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 39/60)

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自己主張で皆がハッピー!(こころの鍛え方⑰)

2010-04-26 | 第七章「光と復活体」

 昨日は、孫娘に久しぶりに会った。生後10カ月で、まだ話せはしないが、時どき、なにか言葉にならないものの、一人でながながと喋ったりし、自己主張をしているようなのである。

 段々、成長しているんだと嬉しくなる。

 さて、自己主張の大切さは、学校で教わるが、実際の日本の社会は、自己主張はかなり難しい。

 欧米では、スピーチやディベートなど、幼いころからいろいろ訓練されているようで、文化として自己主張が受け入れられているように思うが、日本はいかがであろうか?男は黙って・・・というような美風?が未だに残っているように思える。

 自分のことを考えても、小学校の3年のとき、ゲームのルールをめぐって自己主張したところ、父にこっぴどく叱られたことがあり、それが今でも深層で影響している。自己主張をするときに、変に緊張したりするのだ。

 逆に、自己主張をすべき時に、しないで後で本当に後悔したこともある。

 上手く、本音を伝え、自分も他人を幸せになる。とても重要だと思うが、難しいことである。

 最近ツイーターがポピュラーになってきて、私も遅ればせながら始めた。NGOで海外で働いている人のつぶやきとか、政治家のつぶやき、普段は聴くことがなかった人達の言葉に、胸を打たれはっとすることも。

 それに比べて、自分のつぶやきは、まだ修行が足りないようだ。自分が見てもそう思う。

 スマートに本音を自己主張をすること。まずは、ツイーターで練習してみよう。皆さんも、如何でしょうか?

 http://twitter.com/home

(こころを鍛える⑰(1億2千万人のための生き甲斐の心理学) 38/60)

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