イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文時代だけでなく今を生きる神話論理・・・(6/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-03-27 | 第三章「無意識の世界」

この一週間は人生の中でも特出すべき一週間であったようだ。

先の土曜日は高校卒業後54年、はじめての同学年合同クラス会。当然ながら皆前期高齢者であった。私の時代は都立高校は学校群1年生で揺れた上に、2年3年は学園紛争の最盛期であり、高校生活も生徒による封鎖や学校によるロックアウトで授業もろくに行われなかった。青年期の多感な時期の混乱で何か学校はバラバラになったように感じた。それ故、同学年合同クラス会には150人くらい集まったが、恩師の参加は当たり前だがなかった。年を取りすぎたのである。そして、私も友人と集会の前に一緒に食事をしたり、二次会に参加したりでまる一日親交を温めた。そして、不思議なほど高齢者の話題は出ず(病気、孫、お金)ある意味幸せな時間を過ごさせていただいた。ただ、世相を反映してか年の影響かここ一つ盛り上がりはなかった。

そして、ある学友の勧めで、3.11の正確な事実に基づいたといわれるドラマ「The Days 」(役所広司主演)を初めてNetfl●xで見た。今の政治もご存じの通り大揺れに揺れていて、その場限りの対応が問われているが、3.11も原発建設から事故対応までの体制は、全く同じシステム思考の片鱗もない体制で、しかも将来に暗澹たる遺産を残してしまった。しかしながら英雄的な現場のひとりひとりの活躍。これは今でも低賃金で働いている非正規労働者のようでもあり。現場の力に希望の匂いも感じさせてくれるが・・・聖書のコヘレトの言葉のように。「なんという空しさ なんという空しさ すべては空しい」と呟いてしまう。

さて縄文についても新鮮な気づきが。3月24日にくにたち郷土文化館で行われた、中村耕作先生の講座に参加した。顔面把手付土器や石棒などを中心に縄文時代の宗教というか儀礼の興味深いお話で、レヴィ=ストロースのお話。久しぶりに神話論理のことを考えさせられた。神話論理についてはかつて中沢新一氏の芸術人類学などを読んで研究したことがあった。私は「生き甲斐の心理学」を学んでいるので、自分の生育史の中に神話論理に対応する経験があったかを振り返ったりしたが。アラスカに行った時の7歳の時の体験と成年期の48歳の時の体験(縄文小説にも書いた)がそれかなと思えた。他にも2-3あるようだ。おそらく、多くの人もは当然ながら神話論理を意識することはないまでも経験はしているかもしれない。また、宗教書だけでなく小説などにもあるのではないだろうか。困難な状況下に置かれ、深い対立があり回りが壁でにっちもさっちも行かなくなる状況で、そのような神秘的な無意識の活動があり人格が再統合されたり、状況に適応する知恵が与えられるのだろう。そしてサマリアの女のように鬱や錯乱の状態に置かれていたのが、短い時間で明るい統御感や幸福感に包まれていく。

縄文時代もいろいろあるが、中期から後晩期にかけての遺跡や遺物を図像学的に検討すると、同じような神話論理のパターンが見いだせるようであり、恐らく高度な生きる知恵が語られ、図像として残され、それ故今をも凌ぐ美術の高みを極めていくのだろう。構造主義も文字文化の一つとして語られるが、文字の無かった縄文時代はそれゆへにもっと高度な神話論理?だったかもしれない。科学技術文明の限界が見え環境問題、大量破壊が問題になっている今、精神文化のリファレンスとして縄文時代はとても大事な分野ではないだろうか。

高校の合同クラス会は3年後に行うという。おそらく、形は変わっても続いていくのだと思う。参加者も減っていくのは寂しいが、天国からの参加者もあるのだろう。何か寂しいクラス会が神話論理で希望に満ちた会に変わるかもしれない。今週はキリスト教では聖週間。日曜日は復活祭である。写真は何年か前の薬師池公園で5月ごろ繁殖期に移したカワセミ。天にいる学友や恩師に感謝の念を伝えておくれ。

6/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 


縄文時代の人たちとの接し方 (5/10 縄文時代をどう解釈するか)

2024-03-05 | 第二章「五感と体感」

文章も残されていない先史時代の縄文時代をどのように学んだ行くかは大きな課題である。考古学にたずさわる先輩等のお陰で考古資料もきちんと残され、また記紀、万葉集、昔話など神話や伝承も7-8世紀以降ではあるがきちっと残されている。民俗学の知見も役に立つ。日本は島国ということもあったのだろう、同調意識やアイデンティティの強い社会であったこともあり、縄文時代を研究することは決して無謀でもなく、行き詰まった現代文明を照らす成果は期待できると思う。そして、縄文文化の理解のカギは、そのアイデンティティである宗教の解明ではないかと思う。

しかし、こうした手がかりだけで理解を深めることができるだろうか。比較宗教学のある研究者の方は自分の信じている宗教以外を研究する場合は、その宗教を信じている信者と信頼関係を結び、インタビューしたり検証してもらったりするという。文献だけだとすでに時間が経ち陳腐化していたり、間違いだったりすることがあるように私は感じる。

また、宗教は身体性(五感体感)と深く関係していると言われる。ある宗教を知りたいと思えば、神社仏閣・教会などに出向き、実際に宗教者や信徒から案内してもらったりすることが大事かもしれない。邪眼と慈眼という言葉があるが、邪眼では一般に相手も戸惑うし自分でもフィルターにより不健全な思考しかできないものだ。

縄文時代の宗教を学ぶことにも、何かこうした他宗教の研究方法が応用できるように思う。まずは邪眼を捨て慈眼で接することだ。特に今私が研究している縄文中期(5000年くらい前)の中部高地と関東西南部は、死者と環状の村の中で共存するような形態をとり、その魂観も弥生以降の怨霊などの思想とは異なるという学説もある。さらに地母神信仰は慈悲にあふれているようで邪眼になりにくいので助かる。そして、今では昔の面影はなくなっているかもしれないが遺跡に出向き、土器や土偶などの遺物に接したりするのは大事だ。特に土器などは博物館によっては触らしてくれるし、縄文の村のような当時の植生を意識した場所が併設されていて五感で味わえることができる。

さらに、遺跡の遺物の整理作業などに従事できれば、実際の土器片などに嫌というほど扱わせていただける。このような接し方の延長にプロの仕事があるわけであるが、私の場合は残念ながら年をとりすぎた。

ただ、残念がるのも考え物で、死んであの世で実際の作者にあったり、当時の宗教家にあったりできるかもしれない。・・それは冗談としても、五感体感を深めて縄文時代と接することで、当時の人々が見えていたものが見えてくる可能性が高まると思うが、皆さまはどう思いますか。

5/10 縄文時代をどう解釈するか

WebマガジンAMOR「縄文時代の愛と魂」にも縄文に関する関連記事があります是非ご覧ください。こちら

この記事は「生き甲斐の心理学」ーCULLカリタスカウンセリングの理論 ユースフルライフ研究所主宰 植村高雄著 監修2008年第3版 を参考にしています。

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1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

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